第83話 無未ちゃんの知る末松家
どれくらいこうしていただろう?
泣き止んだ無未ちゃんは、黙ったまま俺の胸板に頭を乗せ続けている。
その頭を俺はただ撫でていた。
「ふう……」
やがて無未ちゃんはゆっくりと息を吐き出す。
「泣いたら少し気持ちが落ち着いた」
「そう。……その、ごめん」
「謝ることなんてなにもないよ。というか、謝るのはわたし。ごめんね。強引に関係を持とうとしたり、重いこと言って小太郎おにいちゃんを困らせたりして」
「いや……」
「でも、わたし本気だよ。小太郎おにいちゃんが他の誰かと愛し合うなんて、可能性すら絶対に嫌だし許さないから」
「う、うん……」
言葉に強い思いを感じた俺は、ただ返事をすることしかできなかった。
「けど今日のところはなにもしないであげる。嫌がる小太郎おにいちゃんとじゃ、気持ち良く愛し合えないもんね」
そう言って俺から離れた無未ちゃんは、ベッドから降りる。
「いつか小太郎おにいちゃんの中からあの子を消してあげる。愛し合うのはそのときまでお預けだね」
「……」
俺の中からアカネちゃんを消す。
そう言われた俺は、なにも言葉を返すことができなかった。
服を着た俺と無未ちゃんは先ほどの食堂へと戻る。
「あ、それで、小太郎おにいちゃんはなんの用があるんだっけ?」
「えっ? あ、俺の実家について無未ちゃんから聞きたいことがあって……。電話でも話したと思うけど」
「そうだっけ? ごめんね。わたし、小太郎おにいちゃんを家に呼んでどうやってエッチに持ち込むかしか考えてなかったから本題のほうを完全に忘れちゃってた」
テヘと無未ちゃんはおどけたように舌を出す。
アカネちゃんもだが、無未ちゃんもかなりの猛獣だ。
草食の俺はいずれどちらかに食べられるだろうと、嬉しいんだか怖いんだかわからない感情でとりあえず苦笑いした。
「それで、小太郎おにいちゃんの実家について聞きたいってどういうこと?」
「あー……えっとね」
俺は自分が異世界へ行く前はダンジョンなど存在しなかったこと。帰って来たこの世界では実家の様子が変わっていることを無未ちゃんに話す。
「そうなんだ……」
俺の話を聞いた無未ちゃんは、難しい表情で俺を見つめる。
「小太郎おにいちゃんが生まれた世界にはダンジョンが存在しなかった。けれど異世界から戻って来たらダンジョンが存在していた。なんかすごい不思議な話」
「うん」
まあ異世界に召喚されて魔王をやってたなんてことがまず不思議過ぎて意味不明なんだが、それはとりあえず今の話には関係無い。
「わたしが知ってるのは大企業ジョー松を経営する大金持ちのお隣さんが末松さんだったんだけど、小太郎おにいちゃんの生まれた世界は違うの?」
「俺の生まれた世界じゃ、うちはぜんぜん金持ちじゃない普通の家だよ。父さんは中小企業のサラリーマンだったしね」
「あの上一郎さんが普通のサラリーマンだなんて信じられないなぁ」
イベントで見た父さんと、俺の知っている父さんはまるで別人だ。
無未ちゃんがそう思うのも無理はなかった。
「だから俺はこの世界で自分がどういう風にあの家で育ってきて、父さんや兄さんとどんな風に接してきたかがわからない。無未ちゃんに聞けばそれが少しはわかると思ったんだ」
「どうって……うーん……。わたしもちっちゃかったしあんまり覚えてないなぁ。お父さんお母さんも末松さんとはあまり交流が無かったみたいだし」
俺の記憶では、うちと鹿田さんちはそれなりに交流があって、母が亡くなったあとはいろいろ気を使ってもらったのを覚えている。
どうやらその辺も、この世界では変わっているようだ。
「ただ、小太郎おにいちゃんはあんまり家のことは話さなかったかも。一緒に遊んでるとお兄さんの忠次さんが迎えに来たんだけど、すごく怖そうな人で小太郎おにいちゃんもなんか恐れているような感じだったような気がするよ」
「兄さんが……」
兄さんが迎えに来た記憶は俺にもある。
だが兄さんはすごくやさしい人で、怖いなんて思ったことは一度も無い。母さんが死んでからは家事をこなし、俺の面倒まで見てくれた。俺がいじめられていたら守ってくれたり、勉強もおしえてくれたやさしい兄さんが、怖そうな人と言われても想像ができなかった。
「なんかいつもたくさん勉強させられて大変って言ってたかな。けどまあ、あの末松家に生まれたってことは、いずれはジョー松の経営陣に入るんだろうし、それはそうだよねって今は思うよ」
「……なんかずいぶん違うみたいだな」
この世界に生まれた末松小太郎は、俺とまったく違う幼少期を送ったようだ。同じなのは無未ちゃんと仲が良かったことくらいか。
「俺がいなくなったときの父さんと兄さんはどんな様子だった?」
「えっと、わたしは直接、会ってないからわからないんだけど、小太郎おにいちゃんが行方不明になったあとにお父さんが上一郎さんを見かけて声をかけたら、どうでもいいことで話しかけるなって冷たくあしらわれたとか言ってたかな」
「そうか……」
それを聞いても悲しいという感情は湧かない。
この世界の父さんは俺の知らない人だ。だから悲しいとは思わないだろう。
「雪華……末松雪華って子のことは知ってる?」
「末松雪華? ううん。その人のことは知らないけど」
無未ちゃんが知らない。
ということは、近所にもそれほど知られていないってことだろうか。
「それって誰のこと?」
「うん。先日、実家の側まで歩いて行ったら会ったんだ。幼稚園生か小学生くらいの女の子なんだけど……」
「
「俺もそう思うんだけど、ちょっと不思議な子なんだ。死んだ母さんと同じ方言で話したり、あとはなんかすごいジャンプ力があったり」
「ジャンプ力?」
「2メートルくらいある門をポーンと軽く飛び越えたの」
「そんな小さな子が? うーん……もしかしてなにかスキルを持ってるのかもよ?」
「ああ」
そういう可能性もあるかと、俺は合点がいく。
「その子のことはお父さんとお母さんにも聞いてみるよ。隣に住んでるなら、わたしよりも小太郎おにいちゃんの実家には詳しいと思うしね」
「そうだね。うん。ありがとう」
無未ちゃんのお父さんとお母さんか。
子供のころは世話になったし、2人にもいずれ会ったほうがいいな。
無未ちゃんからはいろいろと聞くことができた。
やはり俺の記憶とはだいぶ違う。それを踏まえた上で、父さんや兄さんと会うべきか。
俺は葛藤していた。
……と、そのときどこからか着信音が鳴る。
「あ、わたしだ」
無未ちゃんはおもむろに胸の谷間に手を入れ、そこからスマホを取り出す。
「って、どこにスマホ入れてんのっ!」
「ふふ、興奮しちゃうでしょ?」
いたずらっぽく笑った無未ちゃんはスマホの画面を見ると一転、表情を引き締めディアー・ナーシングの顔となる。
「我だ。……なるほど。わかった」
それだけ言うと無未ちゃんは電話を切る。
「どうしたの?」
「あ、うん。ダンジョンから異形種が街に出たって、国家ハンターからの討伐依頼だよ。最近多いの」
「ああ……」
そういえば最近はスマホが警報で鳴ることが多い。ニュースでもダンジョンで異形種が大量発生していると見た。
「ごめんね。わたし行かなきゃ」
「俺も行くよ」
「えっ? でもわたしに来た依頼だし、小太郎おにいちゃんの手を煩わせるのも悪いし……」
「目の前で話を聞いていたのに、女の子を戦いの場にひとりで行かせるわけには行かないだろう」
「小太郎おにいちゃん……。もう、そういうこと言われたらわたし、今度は我慢できなくなっちゃうからね」
両腕で胸を寄せ、頬を朱に染めて上目遣いでそう言った無未ちゃんに、俺の心臓はふたたびドキドキと高鳴ってしまうのだった。
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