過ぎ去った風景
今から凡そ四万五千年前――――西暦二〇三三年に、とある『人間』の男の子が誕生した。
その人間は、他者の心が読めた。
所謂読心術と呼ばれる能力だ。超能力として有名なテレパシーと異なり、相手の心を読むだけの一方的な力。
当初、多くの人々はその人間の能力はインチキだと思った。その人間も能力をひけらかす事はなく、幼少期の一時マスメディアを賑わせた後は、ごく普通の人間として生涯を過ごしたと言われている。
しかし彼の子孫も、同じ能力を持っていた。
それどころか彼の孫も、ひ孫も、同じような力を持っていた。相手の心が読める彼等は、少しずつ数を増やした。数が増えれば、それだけ色々な性格の者が出てくる。中には自分の力を自慢するように見せびらかす者もいて、段々と世の中に知られていく。世の中を賑わせれば研究を始める者もいる。いくら『超能力』を感情的に否定しても、正しく実験すれば結果を得られるのが科学というもの。
西暦二三二一年、ついに人類はその超能力を公式に認めた。
テレパシスト。そう呼ばれる『新人類』の誕生は、少なくとも当初は歓迎された。何百年経っても解決しないどころか悪化する環境問題、不足する資源、百年以上進まない宇宙開発……閉塞感のある社会の中で、新人類の誕生は明るいニュースとして伝えられたのだ。人種差別などは数少ない解決された問題だった事も、彼等が好意的に受け入れられた要因とされている。またテレパシストの能力自体、然程強力ではない ― 少なくとも当時は気持ちを察する程度が限界だった ― ものだったため、心を読まれる! という危機感を煽らなかった(むしろ期待外れだと言われた)のも好印象に繋がった。
しかし明るい認識は、そう長くは続かなかった。
「西暦二三八八年頃、とある論文がテレパシストと人類の未来について一つの予測を出しました。それはなんでしょうか?」
アローナの前に立つ一人の男性教師。『テレパシスト』である彼は、ヘッドセットから流れる音声で尋ねてくる。
机に座り、教科書を開くアローナ。室内にいるのは、自分と教師の二人だけ。彼の問い掛けは言うまでもなく自分に向けたものだ。そして問いの答えを、アローナはちゃんと覚えている。
即答しなかったのは、真面目な一学生として振る舞うため。自信満々に即答して外すなんて恥ずかしいったらありゃしない。一呼吸分の時間を掛け、冷静に考えてから答えを返す。
「はい。生存競争によりテレパシストが人類を淘汰する可能性です」
「正解です」
流れるように答えれば、教師は嬉しそうに笑う。アローナは『ヒト』であるが、その表情が嘘の類でない事は分かった。
――――二十四世紀終盤に出された研究は、『ヒト』に危機感をもたらした。
読心術を使う新人類・テレパシストは、人間社会にとって非常に『適応的』な存在である。まず心を読めるという事は、就職活動で有利に働く。どれだけ面接官がポーカーチェイスに努めようと、求めている反応を察せられる。また他の社員の様子から、ブラック企業などを見破る確率も高い。来店客や従業員からの評判が良ければ、アルバイトから正社員に転職出来る可能性も高くなる。
更に人間関係も円満にしやすい。隣人が求めているもの、隣人がどれだけ正常・異常であるかも、簡素にではあるが見抜けるため、穏やかな生活に役立つだろう。勿論これは就職後にも役立つ。営業職や接客業など他者の反応が大切な仕事であれば、店を繁盛させたり出世したりしやすい。
そして恋愛も有利になる。
察してほしい気持ちを察し、言葉にせずともムードを盛り上げ、誕生日や交際記念日も忘れない可能性が高い。交際が上手くいけば結婚に至り、多くは子を持つだろう。相手が性交渉を求めるタイミングも掴みやすいため、繁殖の成功率も高い筈だ。
個々の特性は、単にテレパシストは進学・就職・結婚・子育てが得意というだけの事。しかし生物学的に考えると、これは淘汰の始まりである。
「生物は常に生存競争を行っています。この生存競争とは、草食獣が肉食獣に食べられるといった、喰う喰われるの関係だけを示すものではありません。むしろ同種間、同じ生き方をする相手との資源争奪戦こそが本質です」
生物学における資源とは、石油などのエネルギー資源の事を指すのではない。食べ物、寝床、そして繁殖相手……生きていくのに必要なもの、全てが資源である。
この資源を巡る競争を、生存競争と呼ぶ。実のところ直接殴り合うようなものは、生存競争とは言わない。殴り合いの結果、より多くの子孫を残せるかどうかが生存競争だ。例え殴り合いに負けても(怪我をしなかったなどの理由で)、より多くの子孫を残せるなら、生存競争の勝者は殴り合いで負けた方となる。
重要なのは、あらゆる資源に上限があるという事。
食べ物で考えると分かりやすい。十人の人間を養う食糧では、十一人の人間は支えられない。争いにより、多くの食糧を確保したものが生き残る。勿論食べ物を得られなかった人間は死ぬ。子孫を残す事もなく。
では、人間の結婚も生存競争の観点で見ればどうなるか?
まず、男性から見た女性は資源である。こう言うとフェミニスト達が反発しそうだが、これは思想ではなく生物学的な見方。とても単純な話で、重婚やハーレムを禁じている先進国において、結婚した女性は他の男性と(離婚や配偶者死亡などを除けば)結婚出来ない。つまり女性の数は『有限』であり、男性は女性の数以上の結婚は出来ない――――という事である。女性から見た男性も同じで、男性の数以上の結婚は出来ない。
当たり前の話だが、この当たり前が重要だ。また現実には不倫や強姦などがあるため、こんな綺麗な話ではないが、分かりやすくするため細かな例外は省く。
ともあれその前提の下、テレパシストとヒトの男性が、女性との結婚を行うとする。
彼等の近くにいる女性は一人。つまりテレパシストとヒト、どちらかは結婚が出来ない。このため二人は女性という資源を巡り、競争を行う。自分の方がより優れた繁殖パートナーになれると主張するのだ。
個々の性格や容姿の影響は、一旦除外する。双子かドッペルゲンガーかと思うぐらいそっくりな二人が求婚した時、果たして女性はどちらと結婚するだろうか?
恐らく、テレパシストの方だろう。テレパシストの方が就職に有利で、恋愛も上手なのだから。
「すると当然、ヒトの方は結婚が出来ず、子孫が残せません。テレパシストだけが子孫を残し、この結果テレパシストが個体数を増やす……これが生存競争の基本です。そしてこれが、人間の数を減らします」
先述の前提の下、以下のケースを考えてみる。
女性が十人いて、男性が二十人いたとする。男性の内訳はテレパシスト十人、ヒト十人だ。
この男性達が女性に求婚し、十組の夫婦が出来た。テレパシストの方が恋愛上手で仕事もあるため、六人が結婚出来、ヒトは四人だけしか結婚出来なかったとする。
そしてこの夫婦がそれぞれ二人ずつ、二十人の男子を産んだとする(極端な仮定だが分かりやすさ重視のためだ)。
するとテレパシストの子は十二人、ヒトの子は八人となる。同じ二十人の男性なのに、殺し合いなどの戦いはしていないのに、先代よりもテレパシストの数がほんの少し増え、ヒトの数が減るのだ。
では、この子供達が大人になった時、また十人の女子に求婚したのなら? 特別な偏りがなければ先代と同じ確率、つまりテレパシストは六割、ヒトは四割の確率で婚姻に成功する。十二の六十パーセントは七・二、八の四十パーセントは三・二。
よって二代目で結婚する者は、テレパシスト七人に対しヒト三人。三代目の個はテレパシスト十四人なのに、ヒトはたったの六人。これを何世代も繰り返せば、やがてヒトは完全に消えてしまう。
何世代も掛けて、より環境に適した個体が生き延び、そうでない個体は死滅する――――これが生存競争の本質だ。
発表された論文は、この生存競争により将来的に一般人は淘汰され、人類の全てがテレパシストになると予言したのである。
「一つ補足するなら、この論文はテレパシスト差別として発表されたものではありません。生物学的に正しく、そもそもヒトの急速な衰退など一言も書いていません」
生存競争による個体の淘汰は、極めて穏便なものだ。先程の例でも、ヒトが元の六割まで減るのに三世代……一世代二十年としても六十年も掛かっている。しかもあくまで結婚の話であり、男性が殺される云々などはない。独身の苦痛がどれほどかは兎も角、残虐な行いは何もないのだ。
また現実の生存競争はこんな数値通りにはいかない。どんな能力にも利点と欠点がある……例えば強い肉体は、その分エネルギー消費が激しいため、余程の事がない限り競争相手との生存能力差は殆どないからだ。通常の生存競争は数万年から数十万年の月日が掛け、ゆっくりと種が移り変わっていく。
出された論文でも、ヒトが絶滅するのは数万から数十万年後と記載されていた。そもそもテレパシストとヒトは普通に交配、つまり子を作れる。ヒトの絶滅といっても、それはヒトの形質が消えるという意味でしかない。多くの科学者は論文の意味をそう解釈し、特に焦りも何も感じなかった。
しかし大多数の一般人は、そこまで冷静ではいられなかった。
「ですがこの論文を曲解し、テレパシストにより人類が絶滅させられるという陰謀論が出てきました。そこまでの敵意を持たずとも、淘汰や生存競争という言葉は人々に危機感を与えました」
生存競争という言葉は、(ヒトだけでなくテレパシストであっても)一般人が特に誤解している生物学用語だろう。競争という言葉が、一般的なイメージとして攻撃的過ぎるからか。
実際のところ、テレパシストが増えればその分職や結婚相手を奪われるのは現実的な問題になりつつあった。テレパシストが増えるほど鬱憤は溜まり、感情的で非科学的な意見が主流となる。
やがて反テレパシスト政党が現れた。とある国ではテレパシスト排斥を前面に出した政策が国民に支持され、国政を左右した事もある。テレパシストを弾圧し、虐殺を行った国や地域、テロリストも大勢現れた。
尤も、それらの活動は殆ど効果がない、それどころかテレパシストの繁栄を後押ししたが。
考えてみれば分かるのだ。まず、どうやってテレパシストを見付けるのか? テレパシストは頭が常人よりも大きい、常に思考を読むため会話がワンテンポ遅い、心の中で呼べば振り返る……いずれも民間で噂された見分け方で、そしてどれもが間違い。テレパシストの頭は常人と変わらない大きさで、思考を読むのは対象を意識しないと出来ず、故に心の中で読んでも振り返る事はしない。
そしてこの誤った判断法で拘束され、殺されたのはただのヒトだった。
密告制度を導入しても、本当のテレパシストは相手の感情がある程度読めるので、自分が疑われないよう振る舞える。いざ危険が迫れば素早くそれを察知し、逃げる事が出来た。対してヒトは相手の心など分からない。誰が密告するのか、密告しようとしているのか……疑心暗鬼の果てに、
勿論時にはテレパシストが殺される事もあったが、ヒトの犠牲者の方が圧倒的に多かった。血縁からテレパシストを探る動きもあったが、発見から三百年も経てば血縁はかなり広まり、そして自分のルーツも見失う。誰がテレパシストの家系かなんて、すぐには分からない。仮に血を引いていても、テレパシストとしての能力は必ずしも発現しない。本人はヒトのつもりだった血縁は大勢いた。
何より問題は、例えテレパシストが全員排除されたところで、ヒトには分からないという事。
全てのテレパシストが亡命しても、弾圧は終わらない。無意味な密告と弾圧の繰り返しで、やがてテロ組織や反テレパシスト国家は自滅する。
テレパシストの受け入れ国も、生存競争に従って少しずつテレパシストの割合が増えた。尤もその増えたテレパシストは自分の子だ。文化も宗教もその国のものを学び、育つ。ただ人の心を少し読めるだけ。彼等は普通の子として育てられ、普通の国民として生きていく。国はますます栄え、テレパシストは更に増える。
この状況は、テレパシストの数がある程度増えるまで続いた。
「次の変化があったのは、西暦五千六百年頃になります」
五十六世紀は、人類にとって過酷な時代だったと言われている。
今までどうにか科学技術の進歩で乗り越えていた温暖化被害が、ついに抑えきれなくなった。自然破壊による天然資源の枯渇も重なり、食糧生産も滞る有り様。太陽光発電などの『再生可能エネルギー』も、自然災害で破壊されればどうにもならない。
唯一の希望とされた宇宙開発は、月と地球を往復するのが精いっぱい。距離の問題で火星との現実的な時間での輸送は出来ず、人が住める星への改良は間に合わなかった。
そして荒々しい自然の猛威が襲い掛かる中、テレパシストにある変化、或いは適応と呼ぶべき性質が生じる。
環境破壊の影響で数多の国家が滅亡し、人口は急激に減っていた。人口が減れば仕事も減り、また犯罪も横行する。このような状況下で、テレパシストがより多くの『子孫』を残すにはどうすればいいか?
倫理観などを無視して答えるなら、テレパシストと結婚する事だ。テレパシスト同士の子の方が、片方がヒトの時よりも読心術が遺伝しやすい。読心術が使えれば仕事で有利になり、犯罪者も避けやすくなるため、生き残る上で有利だ。よってテレパシストを好む形質が適応的となる。
テレパシストが、テレパシストとだけ結婚するようになったのだ。
「このように交配相手を選ぶようになると、親の種の遺伝子と混ざらなくなります。結果として生殖隔離が生じました」
とある場所に棲む個体群と、近くにいる他の個体群との間に生殖が行われない状況を、生殖隔離と呼ぶ。
この生殖隔離が起きると、生物は『別種』へと進化しやすい。大きな集団と遺伝子の交換がなくなるため、独自の進化をしやすくなるからだ。
テレパシストはテレパシストを結婚相手とする事で、この生殖隔離と同じ状況を作り出した。またテレパシスト同士で子を作るのが有利であれば、言い換えればヒトと子を作るのは世代を繋ぐ上で不利となる。この結果、テレパシスト達はどんどんテレパシストとだけ子を作るような進化を遂げた。
とはいえテレパシスト達は意図してこれを行った訳ではない。ただよりテレパシストに惹かれる個体が、ヒトにも惹かれる個体よりも多くの遺伝子を残したというだけの事。結果的に、生殖隔離と同じ行為をした者達が繁栄した。進化とはあくまでも結果なのだ。
「約二万年の年月を掛けて、テレパシストはヒトと交配出来ない、別種へと進化したと言われています」
進化により独自の遺伝子が増えていけば、やがて元の種との交雑が不可能になる。種の定義は様々だが、一般的には生殖隔離(物理的・遺伝子的を問わず)状態の生物は、別種扱いするものだ。
テレパシストという独立した種になると、いよいよヒトとの本格的な生存競争が生まれる。生殖こそしなくなったが、テレパシストの食べ物や暮らしはヒトと変わらない。故に仕事と食べ物、
そして違う種になっても、テレパシストは変わらず優秀な労働者だった。心を読む事で業務成績は良く、騙そうという相手も見抜ける。他者の気持ちを察するが故に、上司や部下との関係も良好だ。普通の人間では勝ち目などない。テレパシストは多くの子を残す事が出来たが、ヒトは結婚出来ないか、子を一人作るのが精々。
ヒトとテレパシストの恋愛がヒトを駆逐したように、ヒトとテレパシストの競争はヒトを駆逐していく。無論駆逐といっても積極的な戦いはなく、徐々に個体数が減っていくだけだが、だからこそ手の打ちようがない。対抗策も何も、純粋に適応力の差で負けているのだ。環境が変わらない限り、ヒトに勝ち目はない。
そして更に二万年後、テレパシスト誕生から四万五千年が経った今、ヒトはついにたった一人――――アローナだけとなった。
「(まぁ、見付けてもらえただけ感謝すべきかもだけど)」
最後のヒトであるアローナが生まれたのは、とある大陸の山奥。年老いた老夫婦に育てられているところを、十三年前にテレパシスト達に発見された。
アローナの両親は、発見される一年前に流行り病で亡くなった。老夫婦はテレパシスト達に保護されてから三年後に夫が癌で、四年後に妻が心筋梗塞で亡くなっている。
もしもテレパシスト達に見付けてもらえなければ、アローナは今頃独りぼっちだったろう。こうして勉強する機会なんてなく、何時飢えるかも知れない自給自足を続けていた筈だ。いや、当時の年齢を考えれば、まともに食糧を作れたかも怪しい。テレパシスト達には感謝してもしきれない。
……テレパシスト達が助けてくれる理由が、最後のヒトという希少な生物を保護するためだとしても、だ。ヒトだって、立場が逆なら同じ事をしただろう。
例え希少生物扱いだとしても、今のように専任の教育係を付けて勉強も教えてくれる。安全な環境であれば、職業だって選ばせてくれると聞かされている。ちょっとばかり厳重な場所で暮らしている事を除けば、生活は案外普通なのだ。
それに、申請すれば外出も可能だ。
「はい、では本日の歴史の授業は以上です。明日は……ああ、外出申請をしていましたね」
「はい。でもまだ許可が降りてなくて。申請処理自体は進んでいるらしいですけど」
「おや? 確か二週間前に申請をしていましたよね? 前日になっても連絡がないのは、少々遅いように思えますが……」
教育係は不思議そうに首を傾げた。
普通の外出申請なら、大体三日もあれば許可が降りる。前日になっても許可が出ないのは異常……というより、怠慢に思えるかも知れない。
しかしアローナには、遅くなる心当たりがあった。
「うーん。何時もの外出先と違うからかなー」
「おや? 違うとはどういう事です?」
「ちょっと遠出する予定なんですよ。町の外に」
教育係に尋ねられ、アローナはにこりと微笑みながら答える。
「海に行くつもりなんです。夕日の沈む、真っ赤な海を見るために」
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