2 あの子のウワサ♡
俺は社長に、しこたま叱られた。
しこたま叱られながら、俺はどうしても納得ができなかった。
遅刻をして叱られる。
それ自体は真っ当だ。
問題はそこではない。そこではなく――。
お前はダメな奴だ、遅刻するしつまらないし女絡みもろくにない……あまりに前時代的な社長からの叱責の数々。
ひたすら頭を下げながら、俺は隣で涼しい顔をしている男を盗み見るように睨んだ。
唯一の同期、
俺はあの後すぐに電車に乗り、5分の遅刻。しかし、なんと陽野はそこからさらに15分遅れてやってきた。
だが今、社長が必死に唾を飛ばしているのはなぜか俺の方ばかり。
それどころか、
「二兎、お前はこんな大事な日に遅刻しやがって、何を考えてるんだ。それに対して見てみろ陽野を、こんなに腰が低いじゃないか。お前も見習え」
……などとのたまう始末。
激怒する社長の唾を浴びながら、俺は考えた。
――なんでこいつはトータル20分も遅れたのに褒められているんだ。普通、5分遅刻したやつと20分遅刻したやつがいたら、20分のやつがめちゃくちゃ怒られて5分のやつは霞むはずだろうが。俺より遅れたのがこいつでさえなければ、こんなに怒られなかったはずなのに……。
俺はなるべく小さく背中を丸めながら回想した。そう、こいつはいつも要領がいいやつなのだ。
ああ懐かしい。陽野が犯したあんなミスやこんなミス、なぜか俺が怒られてたな……。
と懐古の情に浸っていた俺は、社長からの強烈な右ストレートで無事現実世界へと復帰した。
♡
黄ばんだ蛍光灯は今日もまた、煙で白く染まった喫煙室を懸命に照らしている。
「あ、タバコ無い」
隣でポケットをまさぐりながら言う陽野を無視し、俺はタバコの箱を取り出した。
ビル内で唯一の喫煙所。ここは疲れた大人を癒すオアシスである。
まだタバコに火をつけていないのに既に副流煙が心地良い。ここからもう喫煙は始まっていると言っても過言ではない……などとくだらないことを思いながら、タバコをくわえてライターに手をかける。
絶妙にちょうどいい、絶対に話しかけられたくないタイミング。こういうタイミングでしっかり声をかけてくるのが、陽野という男である。
「なあ、一本ちょうだい」
完全に浸っていた気分を台無しにされた俺は、陽野の能天気な顔を睨みながらくわえたタバコを口から離した。
「ハアァ……」
そして煙とともに吐くはずだった空気をため息に変え、一気に吐き出した。
「お前さあ……」
「へへ」
へへじゃねーよ。
はあ、ともう一度わざと大きめにため息をつき、いつものように一本渡す。陽野は調子よくペコペコしながら受け取った。
さらに俺が自分のタバコに火をつけようとすると、陽野もくわえたタバコの先をしれっとライターの方へ向ける。俺はイラっとして一瞬眉をひそめたが、そのまま火をつけてやる。すると陽野はバチーンと大げさなウインクを寄越して、あろうことか俺よりも先に、気持ち良さそうにスゥーっと煙を吸い込んだ。
「ふぅー。いやさあ、なんっかウマいんだよな、二兎のタバコって。いや違うのよ、変な顔すんなって。俺他の奴のさ、同じ銘柄の吸ったときビックリしたもん。全然違くて」
「んなわけねーだろ」
悪態をつきつつも、馬鹿らしくなってなんとなく許せてしまう。これこそ陽野が陽野たる所以だった。
「そういえばお前、なんで今日遅れたの」
「しっ! お前声がでけえよ! それにお前だって今日遅れてただろ」
気を遣って小声で問いかけた俺の、5倍くらい大きな声で陽野が言い返す。
「お前のがうるせーしお前のが遅れてんだよ。俺は目覚まし時計が壊れたの」
「ずっと使ってたやつ?」
「そう……いてて」
俺は言いながら、社長にひっぱたかれた左頬の痛みを思い出して手のひらで押さえた。
「なあ聞きたい? 俺がなんで遅れたか」
そんな俺を横目に、陽野はニヤニヤしながらまるで小学生が内緒話をするときのように小声で言った。
黙って頷くと、
「見て、これ」
陽野はスマホをこそっと差し出し、俺にしか見えないように画面を向けた。
「なんだこれ」
画面には、黒髪のロングヘアーに白いナース服を着て、黒いマスクを着けた女の子が映っている。
「可愛い」
「だろぉ!? もう最近超ハマってんの! この子“ぴぃ”って名前でコスプレ配信してんだけどさ、昨日の配信がこの、ナースだったワケ! しかもこんなに可愛いのにまだマイナーだからコメントも超返してくれるんだよ! もう最っ高!」
陽野は突然大興奮し、鼻息をふんふんさせながら画面をグイグイ近づけてくる。喫煙室の面々が白い目でこちらを見ていることに気づき、俺は気まずくなって肩をすくめた。
「俺ナース大好きじゃん? だから昨日は結構夜更かししてさあ、ずっと見ちゃってたんだよねー」
「フーン……」
たしかに可愛かった。陽野がスマホを消音モードにしているので何を話しているかはわからないが、ニコニコしながら短いスカートをチラチラ捲り上げたりしている。サービス精神もかなり旺盛らしい。
しかし俺はそんなセクシーな姿を見つめながら、性的な興奮とはまた違った、どこか不思議な感覚を覚えていた。
「……なあ、俺この子とどっかで会ったことある?」
「はあー?」
「いやわかんないけどさ。マスクしてるし」
「知らねーよ。てか会ったことあるなら教えろよ」
「だよなあ……」
なんか、デジャヴの多い日だ。
「ま、気のせいか」
俺は小さく呟いて、深く煙を吸い込んだ。
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