掌編エッセイ・『ごみゼロ』

夢美瑠瑠

掌編エッセイ・『ごみゼロ』

(これは、今日の「ごみゼロの日」にアメブロに投稿したものです)


 「ごみゼロの日」と聞いて、子供の頃に、「発明」?をした思い出を想起した。いつも二軒隣の「ほんけ(本家)」に出かけて従兄と遊んでいたのですが、ある時にその従兄の「にいちゃん」が、「みんな発明をするとしたらどんなアイディアがある?」と訊いた。その時に僕はちょうど考えていた、自分ではグッド、と思っていたアイディアを話した。

「ほら、ゴミが毎日たくさん出るでしょ?あれをね、強力な炎で根こそぎ家庭で燃やしてしまえる暖炉みたいな装置があればごみが増えなくていいと思う」…

 にいちゃんが何といったかは忘れたが、これは今にして思えば”ごみ問題”を予見しているわけで、先見の明があるとも言える。

 この種の、昔になんとなくにまとまった変な想念が頭に浮かんだこと、というのは色々記憶のファイルに残っていて、”UFOの原理”というのも考案したことがあった。恒星の重力というのがすごく莫大とかそういう話から、「その重力の超大きい恒星の極小さいカケラを円盤の中の無重力空間に浮かべて、例えば地球の重力と拮抗させて、それで円盤の推進力にする」とか、重力とか引力とかの話から連想したのだろうが、今では何だかわからんけど面白いアイディアかもしれん。

 幼少の砌にはありがちだろうが、「宇宙の果て」についてもよく夢想した。”ビッグバン”とか膨張宇宙とか聞くと、「なるほど」とは思うが、「その前」や「その先」、つまり時間や空間の不可知な部分について想像力をたくましくすると、全く想像もイメージも覚束ないので、Literallyに?空恐ろしいような思いをしたりした。

 「死ぬ」ということが突然に怖くてたまらなくなって、毎晩に泣き暮らしていたりした。これはもちろん未だにこういう恐怖は完全に克服できていない…

 近所に住んでいたいじめっ子を恐れるあまりに?「もしあの子が僕で、僕があの子だったら?」とか変な妄想をした。これは「お化けの怖い子供がお化けのまねをする」、いわうる「同一化」の防衛機制かもしれぬ。

 「おれがあいつであいつがおれで」という山中恒氏の著書のアイデアの元は、自分のこの妄想かも?とか妄想したりする。

 かなり特殊な立場にある人物なので、こういう記憶のいろいろが、なんとなく共有されている?みたいな気がすることが多い。

 こういうのも一種の synchronicity というものかもしれない…

 

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掌編エッセイ・『ごみゼロ』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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