ノレッジウィッチ・クライスタート
絵之色
第1話 誄魂の魔女の最期
退屈だった、人生というものが。生存本能も死亡願望も、過去に積み上げた善行も悪行すらも、今まで自分が行ってきた行為全てが、退屈だ。
だって、何もかもが私が全て知っている事象だったのだから。
誰も訪れることのない部屋で、誰も踏み入れることなどできはしない最果ての図書館に一人の魔女がいた。四季などなく、昼も夜もなく、ただこの世界でのすべてのことが永遠に記述される図書館の中で、彼女は小さく唇から溜息を零す。
「ああ、すべて、世界の全てを知る……こんなにも退屈なことはないわ」
一人の美しい魔女は、自分の魔法で図書館の周囲を夜に変えていた。
あくまで気分の問題だ。流石に魔女になる前の自分は不老不死でも何でもなかったのだから魔法とはいえ月も太陽も本来ない場所で耐えろなんて、流石に飽きが来る。
人間だった自分が習慣だった物を思い出せる唯一の魔法すらも飽き飽きしてしまっている自分がいる。
「……私がこの図書館の司書にならなければ、機械であれば違ったかしら」
魔女は窓際で座りながら自分で作った夜空の月を見つめる。
味わい慣れた林檎をかじりついても、空腹感すら覚えない。私の食事が文字や人の言葉など誰かの記憶などの情報になったあの日から、何を食べても味なんて陳腐な物と化した。
――――世界の全てを理解した、それは、文字通りの意味である。
人々の行動が一秒単位、人々の胸に秘めた心の言葉の一つ一つ、見たこともあったこともない人間の性癖なり、悪癖なりを全部この図書館が情報として収納している。
だからこそ、私は腹が膨れるという感覚がなくなってしまった。
「ああ、こんな日々を送るなら魔女になんてならなかったのに」
苛立って私は林檎を窓の向こうへと投げ入れる。
空に投げられて落ちていく林檎なんて本来海に落ちていくものだ。
だが、ここは最果ての図書館。そんな普通の常識が通るはずなどない。
林檎は空中に留まり、黒いインクが漏れ出てくると文字となって溶けていった。
ああ、やはりこうなったか。童心の時のようなトキメキも、刺激も何も感じられないこの監獄にはうんざりする。
「――――その言葉、本当だな? 誄魂の魔女よ」
「誰? どうして最果ての図書館に人が……!?」
短い黒髪の青い瞳の若い男が、月をバックに宙に浮いていた。
そんなはずはない。
ここは最果ての図書館、永遠に情報を収集するだけの図書館なのだ。
空間も次元も違うこの場所に、どうして人が来れる?
人なんて、招いてもいなければ来れるわけないのに。
「美しい黒髪と深みのあるディープブルーの瞳、紺青のドレスと青薔薇で飾られた帽子は、誰も私たちの世界で知らない者はいないだろうさ」
「……誉め言葉として受け取っておくわ」
図書館の本のページが一枚捲られる音がすると、私の脳内に彼の情報が叩き込まれる。
「……ああ、貴方は魔王を倒した勇者様ね」
「よくご存じで」
「当然よ、私は最果ての図書館の司書よ。その程度くらい見抜けて当然でしょう?」
図書館の知識が私に教えてくれた。
顔に大きな傷、そして銀色の軽そうな鎧。
そして何より、私と同じ黒髪と青い瞳……服装より、外見の特徴が少し私と被るところはあるが、まあ、そういう偶然くらいどこにでもあるだろう。
私は久しぶりの来客に素直に微笑んで見せた。
「どうして貴方がこんなところに? あまり長いすれば、貴方は私の養分となって涙の痕すら残せず消えるけど」
「だから、貴方は誄魂の魔女ティアレーゼなのだな……いくつもの死人の魂たちを補完し、今を生きる人々にとっての人柱となった貴方を、誰も助けてくれる人はいない」
「貴方、ふざけてるの? 人柱? そんなわけないじゃない。私は望んでこの図書館の司書になったのよ」
「ああ、そうだな――――ひとりぼっちの孤独な女とは、貴方のことだ」
「何を、言って……」
彼が、フッと私に笑いかけて窓に手をかけて、私の頬にそっと手で触れる。
ごつごつとした太い手。数多の鍛錬と激戦を繰り広げ、数多の技術を会得してきた彼の手にはふさわしい物だ。
けれど、どうして彼はそんな風に優しく笑うのだろう。
私は、覚えがないはずなのに。覚えが、ない――――
『姉さん、今日も絵本を読んでよ!』
あの、声は、――――確か。
『ええ、いいわよ。今日は何が読みたい?』
『えっとね、僕は―――』
「――――貴方を助けに来た、姉さん」
本のページが揺れる音と同時に、私は彼に口づけられる。
「んん!?」
勇者は私の胸元に手を置くと、胸元から青白い光が溢れ出す。
彼から口づけられて何か飲まされたが、私は勇者を胸板を押して、後ろに後退しながら口元を拭った。
「何? 何の魔法!? 答えなさい、
『理解不能、理解不能』
「何を言っているの!? 貴方が知らない物なんて存在するはずが……!?」
『理解不能、理解不能』
「……!! 貴方、何をしたの!?」
図書館の応答は、一貫して同じだ。
何度も確認しても、同じ返答ばかりしか返ってこない。
今まで図書館にこんな反応はなかった。しかも口頭じゃないと応答に答えないなんて初めてだ。一体、どうなっている?
勇者は私の胸に向かって指を差した。
「それは呪いの解除する魔術だ。少しの間、苦しいかもしれないが耐えてくれ」
「何を……私は、ごほっ……ガハっ!!」
私は自分の手に付いた血を見て思わず驚く。
体中から、アウェスとのパスが閉じていくのがわかる。
アウェスとの繋がりを絶たれるということは私は、死ぬ、ということで。
――死……? 私に死が来るというの?
あんなにも退屈だった今までが、変わる?
だとしても、どうして彼が私を姉だなんて言うの? わからないわ。
だって、私、家族なんて誰もいない。誰もいないのに。
「ぐっ……!! あ、っ、あぁ……!!」
頭が痛い、何か、頭の中で覚えのない映像が私に流れ込んでくる。
「さぁ、これで貴方は司書の役目も、魔女としての役目も終えられる――――――もう、我慢なんてしなくていいんだ。姉さん」
「私は、貴方の姉なんかじゃ……っ」
――知りたい。
「姉さん、もう大丈夫、だって魔王ヴァスティードはもう死んだ。貴方の魂を縛るあの男は、消えたんだから」
「何を、言って――――」
「おやすみ、姉さん」
「…………あっ」
勇者は優しい笑みで微笑むのに、胸がズキリと軋んだ。
なぜだか、わからない。なぜ、彼が私を殺すのか。
そもそも、私は勇者の名前を知らない。
勇者に関する情報はアウェス方に任せてあったからもあるのだろう。
――知りたい、知りたい、知りたい。
知識欲の権化である私が、こんなところで。
まだ、死ねない――――!!
唇を噛み、床に血がしたたり落ちるのを見計らって詠唱を始める。
「
「――――? 転生の秘術!? 姉さん!!」
「安らぎの向こう、
私は錆びついたナイフを手に持ち、自分の胸に刺した。
私の死が先か、私の転生が先か、どちらかはわからない。
――今はこれにかけるしかない!!
青白く光る魔法陣が魔女を包むと、魔女はその数分でゆっくりと床に倒れこむ。勇者は急いで魔女の体を抱き上げた。
死んだと理解した勇者は
「どうして……僕はただ貴方ともう一度、一緒に平穏な日々を過ごしたかっただけなのにっ……ロゼリア姉さん」
勇者は魔女の体を強く抱きしめながら、一人涙した。
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