振り返らない思い出


 チャラい男は中庭のベンチに座った。

 ニヤニヤと笑いながら俺を見ていた。

 生徒会長と五十嵐は不安げな顔でチャラい男を見ていた。


「ん? ああ、大丈夫だよ。すぐに戻るって。ちょっと昔なじみで話をするだけだからさ」


「……あ、相澤君、その、色々相談に乗ってくれてありがとう。やはり君は正しい人だ」


「うん、ありがとね。……またね」


 二人は相澤と呼ばれたチャラい男に手を振って走り去っていった。

 愛情を感じられるやり取りはまるで昔の俺とのやり取りを見ているようであった。


 相澤は穏やかな雰囲気を変えずに喋り始める。


「……いやさ、お前、娑婆に戻ってから殻にこもってただろ? お前が自殺するにしろ、俺はお前の周辺をかき乱したかったんだよ。ははっ、生徒会長だっけ? 名前は忘れちまったが、あいつ、この前俺が迫ったら満更でもなかったぜ」


 どうやらこいつは自分の正体を隠す気はないらしい。

 多分、昔の俺だったら怒りに任せてこいつをぶん殴っていた。


「んだよ、だんまりかよ。はっ、五十嵐って女は知らなかったけどよ、お前の友達だって聞いて仲良くなったんだぜ? 陸上部の助っ人したり、一緒に下校したりさ……。ツンツンしてるのに、チンピラから助けたらイチコロだったぜ。まあ俺がけしかけたんだけどな。あれだ、チョロインっていうんだろ? 超良い雰囲気になったけど、お前の事が気にかかるから断られちまったんだよ。いや、押せばいけたな。てか、俺とお前で心が揺れ動いてるって笑えるな」


 いつもいつもこいつはお喋りだった。

 幼馴染や内海をダシにして何度も俺を陥れようとした。

 それでも、二人に手を出すことはなかった。運営には逆らえない証拠だ。


 内海の事を思い出すと、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。

 だが、俺には冷静さが必要だ。

 こいつは運営の幹部候補。あのゲームの現場では悪鬼のごとく恐れられていた処刑人。襲いかかってきた複数のプレイヤーを素手で惨殺した。躊躇なく人を殺せる。

 そして、飴と鞭の使い方を心得ている最低の人間である。


「はぁ〜、まだだんまりかよ。ぶっちゃけさ、俺的には内海が一番タイプだったぜ? マジでお前ってクソだよな。あそこで俺のナイフを内海が受けるとは思わなかったぜ。はぁ、もったいねえ、お前が死んだら俺が優しくしていただこうと思ってたのにさ」


「――なぜ俺なんだ?」


「んだよ、やっと喋ったと思ったらそんな事かよ。もっと昔話で盛り上がろうぜ? お前、俺が持っていた過去最高記録を抜いたんだからさ。ん? 知らんねえのか? お前が殺した人数だ。いや〜、俺の嫌がらせや縛りがあったのにマジバケモンだな」


「――」


「おいおい、会話になってねえよ。もっと娑婆の空気を楽しめよ。……はぁ、仕方ねえな。俺は10歳の頃にあのゲームに参加したんだよ。親父の借金が理由だ。で、俺が生き残った。で、就職先に運営を選んだってわけよ。マジであのゲーム最高だろ。毎回超楽しいぜ? でもよ、やっぱ普通の生活って憧れるだろ? 学校でお前が女を囲ってヘラヘラしてるのを見たら……地獄を見せたくなったんだよ。それだけだ」




 ――こいつの言葉を聞くとあの時の情景が頭に浮かんでしまう。


「ていうかさ、今更ゲームってなによ? お前自由になったんだろ? なら、お前の大切だった奴らを俺に寝取られるのをおとなしく見てろって」


 ――俺と内海は最後の最後で死神カードを引いたんだ。ペアのどちらかが死ぬ。こいつは嬉々として俺に襲いかかってきた。


「お前運営側に回るつもり? 無理っしょ、人殺すんだぜ? 嫌々やってる奴には務まんねえよ。殺すなら楽しまなきゃな。あ〜、お前を庇った内海の腹は綺麗に裂けたな。マジで俺の会心の一撃だったのによ」


 ――絶対に助からない一撃。こいつは舌打ちをして去っていた。内海は最後の気力を振り絞って俺に……気持ちを伝えてくれた。


「あー、いい加減喋ってくれねえか? 一応、ゲームの先輩で幹部候補なんだぜ?」


 ――本当に人を好きになるって初めて理解できた。俺はぼんやりと幼馴染が好きで、ぼんやりと幼馴染と一緒になると思っていた。だけど、俺は――本当の恋を知ったんだ。話すとドキドキするんだ。知らぬ間に目で姿を追っているんだ。チームから離れている時は胸が張り裂けそうで苦しかった。他チームに襲われそうになった時は死ぬ気で助けに行った。




 初恋って理解した時はもう遅い。大好きだったあいつは、俺の腕の中で死んだ――




 俺は相澤――黒い男の腕を強く掴んだ。


「……ってえな。なんだ、力比べしようってのか? ていうか、あそこで散々俺の強さを見ただろ? はぁ……マジでやめろや」


「ゲームをしよう。……内容は何でもいい」


「はっ? なんだてめえ、頭おかしくなったのか? ふん、遊びなら俺に勝てると思うのか? ……まあ構わん、やるなら本気で来いよ。暇だから付き合ってやるよ。――ゲーム内容は――」


 そのとき、相澤は内廊下を歩いている後輩を見つけた。

 そして――



「おーい、剣桃子つるぎももこちゃーん!! 俺、俺だよ! この前一緒に迷子のわんこを探した相澤だよ!! こっち来てよ!!


 相澤は俺の後輩と面識があるようだ。

 後輩は俺がいることに戸惑いながらもこっちへゆっくりと歩いてくる。

 相澤が小声で俺に言う。


「……ゲームはシンプルだ。いいか、あのクソビッチが俺とお前、どっちに先に話しかけるかだ。なっ、公平だろ? 俺たちはあいつが喋るまで無言でいる事。それだけだ」


 胸糞悪い提案であった。こいつが俺と後輩が喋らないゲームをしているって事を知らないはずない。

 だが、俺が主体的に初めて、内容をこのクズに任せたゲーム。


「…………問題ない」


「俺が勝ったらてめえの腹を切り裂いてやるよ。死なない程度にな……、ははっ」





 ――剣桃子。

 俺の後輩であり、俺が親友だと思っていた同級生の妹。

 勢いに負けて何度もデートをした関係。

 俺にとって妹みたいだった後輩。


 そんな後輩が戸惑った顔をしながら俺たちの方へゆっくりと歩く。

 後輩が一歩歩くごとに思い出す過去の日々。


『ふえ? せ、先輩だったの!? わ、私てっきり同級生だと思った……』

『うわぁ、髪がぼさぼさ……、よし、私と一緒に美容室行くわよ!』

『え、あ、ちょ、そ、そんな顔してたんだ……。て、照れるからあんまり見ないで……』

『ふふん、幼馴染さんには負けないもん。せ、先輩、腕組んでもいい?』

『ク、クリスマス……、会いてる?』

『ひっぐ、私、先輩が来てくれて……嬉しかったの……』

『ぎ、義理チョコじゃないから……、へへ……、ちょ、まって!? なんでそんなにチョコ貰ってんのよ!?』


 それはただの記憶だ。

 人の気持ちは移り変わる。俺の代わりに違う誰かで置き換える事ができる程度の愛情。

 こんな薄っぺらい恋愛ゲームなんていらない。







 後輩が俺たちの前で立ち止まった。

 そして、横目で俺をちらりと見て、相澤に向かって喋りかけようとしたその時――



 俺はポケットからボロボロの手紙を取り出した。

 読もうと思って読めなかった後輩からの手紙。俺が攫われる前の状態のまま、机の上にあったんだ。

 生き残って、みんなと再会できる。本当は期待していた。だから、手紙を何度も読んだ。

 涙が出るほど嬉しかった。

 だけど再会したときの言葉は――罵声だけであった――

 悲しみが胸を貫いた。俺はもう普通に戻れないと悟った瞬間であった。



 ――俺は後輩と再会を期待していたときの感情で仮面を被る。


「――――っえ?」


 自然で柔らかい笑顔、まるで昔の俺みたいに見えるだろう。

 そして、ボロボロになるまで読んだ手紙を後輩に見せつけるように、愛おしくそれを自分の胸に持っていった。







「――せ、先輩……、や、やっぱり優しい先輩に戻ってくれたんだね……。お、お兄ちゃんの事は、もう許してあげるから……、これからは一緒にいて下さいね」







 隣で舌打ちが聞こえてきた。

 不機嫌そうに地面を蹴りつける相澤。


 俺は相澤の腕を掴んで離さなかった。


「あっ、そうだ、相澤さんとは、ご飯食べに行っただけで、べ、別に何もないから……心配しないでね」


 俺は仮面を剥ぎ取って、手紙を地面に投げ捨てた。もう過去はいらないんだ。これが後輩との決別。


「え? せ、先輩?」

「――賞金はもういいのか?」


 後輩は俺の雰囲気の変化に戸惑っていた。

 だが、そんな事はどうでもいい。

 俺にとって一番大事なのは――相澤を打ち負かす事だ。それもあいつが選んだゲームで。


「あっ……、忘れて……。っんぐ、そんなの、ど、どうでもいいよ。せ、先輩と仲直りできるなら……」


 明らかに残念そうな顔で言われても困る。


「そうか、金目当ての女はいらない。消えろ――」


「え……、そ、そんな……、わ、私……、ひぃ!?」


 俺はただ後輩を見つめた。

 それだけで後輩は後退って、逃げるように走り出してしまった。




 相澤は不機嫌そうな顔で俺に言った。


「はぁ……、マジでムカつくぜ。じゃあ俺は授業に戻るからよ。まっ、てめえならこんな狂った世界でも生きていけるんじゃねえか? ん? なんだ、早く手を離せよ。もうゲームは終わっただろ? ここはあの島じゃねえんだよ。ガキのゲームに――」


 ――俺は身体を少しだけ動かした。人を傷つける事に慣れてしまった。握っているナイフが手に馴染む。




 相澤は何が起こったか理解していなかった。

 苦しそうに腹を押さえている。

 俺はそれを手伝うように腹の中に手を突っ込んだ。


「ぐっ……、て、てめえ……、いぎっ……」


 デスゲームの最中は俺は自分の才能を否定していた。

 進んで人を殺したくなかった。誰かを守るために使うものだと思っていた。

 ……結局は誰も守れなかったんだ。


「……負けたら腹を切り裂くんだろ? 死なない程度に。これくらいでいいか?」


 俺は自分の持っていたナイフを懐にしまった。

 あのゲームでダメ人間であった俺が唯一目覚めた才能。


 ――それは人を殺す才能。


 あの島では運営に逆らうイコール処刑が待っていた。運営を傷つけることなんてできない。

 だが、ここは普通の学校だ。それに――


「明らかにおかしいだろ? 人殺しをしているのに普通に受け入れる学校と生徒たちなんて」


 この学校は狂っている。あれだけの大量殺人を目撃しているのに、誰も警察に通報していない。どうせ俺が死んでも、こいつが死んでも何も起こらない。


「……はぁ、は、ぁ……、て、めえ、ぶ、殺す……」


「殺す……か。ナイフ貸してやろうか? 震えているけど、持てるか? お前の懐の銃を使うか? 無理だろ? ……楽には殺さない。このまま苦しみながら死ね」


 相澤の息が段々と荒くなっていく。

 俺の手が内臓の出血をコントロールしている。


 相澤は震える手でスマホを取り出した。


「……た、助けてくれたら……、おまえの、大切だった、幼馴染を、学校に返して、やる……、ほ、ほら、見ろよ。こいつは、生きてんだよ――」


 スマホに映し出されたのは衛兵姿の幼馴染であった。

 本当かも知れないし合成かも知れない。運営が救助した可能性も捨てきれない。

 俺の大切だった幼馴染――




 俺はスマホを奪い取った。そして、内臓を強く握り潰した。


「――――っががが!? ぎぎっ!?!?」




 ――わるいな、何がどうあろうと、俺の中で幼馴染はもう死んでるんだよ。どうでもいいんだ。





 心の中にあるのは、俺の中で絶命した内海への思いだけだ。


 俺は内海が好きだった歌を口ずさみ――何故かこみ上げてくる涙をこらえながら――その場を後にした――



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