書く原動力は内あるか外にあるか


 最近、Xのタイムラインで、外部評価ばかり気にすると、創作することの楽しさや幸福度を見失うという感じの動画を見ました。


 海外のなのですが、子供がよく描けた絵を父親に見にせにきたとき、その父親は絵の事は絶対にほめないそうです。

 かわりに『描いていてどう感じた?』とか、『どんなことを考えながら描いたのか?』と聞くようにしている。


 描くことの喜びや楽しさは外ではなく内にあると気づいて欲しいから、良い点を褒めたりもしないとか。


 お父さんいわく、ほめると自分ではなく回りの評価ばかり気にして描くようになって、描く楽しさを見失ってしまう。


 褒められる絵を描こうと、人の顔色ばかりうかがうような子になって欲しくないと言うような内容でした。



  *



 このエッセイを読んでいる人は、お父さんの言ってることよく分かると思います。


 ――― 外部の評価ばかり気にして創作の本質を見失ってはだめだ。

 読者や選者の顔色をうかがうようなものではなく、自分の書きたいもの、欲するものを書く。




 うんうん。

 分かります。そうですよね。


 楽しいから書く。

 沸いてくる衝動で書く。


 それが作品で芸術。

 文芸なんでしょう。





 でも、私はこの動画を目にしたとき、お父さんは立派なことを言ってるし、素晴らしい考えだとは分かるけど、正直冷たい親だなぁと思いました。

 言ってることも言いたいことも分かるんです。



 けど、娘の気持ちを全然考えないなと……。



 私たちは、賞もとりたいし書籍化されたいと外部評価の最たるもを欲している。

 落選のたび自己肯定感が減っていき、承認欲求が強くなる。

 


 書き続けるためには、内にある落選を物ともしないような強い意志や、書きたいという強い欲求が必要です。



 ――― けど……、我々はそんなに孤高に創作しないといけないんでしょうか?



 親兄弟、親友くらいには無条件にほめてほしいですよね。


 親の気持ちや教育方針ではなく、絵を描いた娘さんの気持ちを考えた方が、共感できる方が多いのではないでしょうか?



 自分が上手に描けたと思った絵を、一番大切な人や誰か他の人にも上手だと言ってほしい。

 共感して欲しい。

 ほめてほしい。

 


 それっていけないことなのでしょうか?


 純粋な創作ではないのでしょうか?



   *

 


 今、私は読んで欲しい人を具体的に想定して書いている未発表のお話がいくつかあります。


 友達が好きそうなゲームキャラをイメージして書いているお話。

 もう一つは、親戚のちびさんがよろこびそうな子供向けのお話。



 いつもは自分のためだけに、自分が読みたい話を書いています。

 もしくは、公募で賞をとりたいなぁと思いながら、賞に合わせて書いたりもします。



 公募のために書く、誰かに喜んでほしくて書くと言うのは、書く楽しさを見失ってしまう行為なのでしょうか?



 確かに、評価ばかり気にして書いていて、落選が続くと自己肯定感が低くなって『書くのやめようか……』となってしまうのも事実です。

 そういう時は、創作の喜びを外にではなく自分の中に見出すと言うのは、とても大切なことです。



 ただ、誰かに喜んでほしくて書くことや、多くの人の評価が欲しかったり、共感を得たかったりするのはたくさんある欲求のひとつで、それも創作の原動力ではあるんですよね。


 書いたものの面白さや喜びを自分だけでなく、誰かと分かち合いたいのは自然なことだと私は思います。



 その最たるが書籍化なのだから、目指したくなるのは仕方ないことではないでしょうか?



 そういう『創作の原動力』はひとつでなくていいと思うんですよ。



 お父さんが言うように、自分自身の中にある創作意欲を膨らませてもいいし。

 褒めて欲しい、評価して欲しいと言う気持ちをバネに、自分の腕を磨いて行ってもいい。



 正解はひとつではないと私は考えます。



   *



 なので、別に身内や友達くらいは、たくさんほめてくれていいんじゃないかな? って思うんですよ、お父さん!?



 娘さんをおだてたり、嘘ついたり、忖度そんたくしろっていうんじゃないですよ。


『なんかいいね』

『この話好き』

『なんかこういう話あなたらしいよね』

『がんばってるじゃん。応援してる!』


 とか、まったく具体的な誉め言葉でなくていいんですよ。


 誉め言葉でなくても、応援や好意の気持ちが伝えてもらえたら、すごくうれしい。


 

――― 人から受ける応援や励ましは、何かを続けていく力になるんです。


 その言葉がないと続けられない人にならないために、ほめないというお父さん考えは立派ですが、子供(創作者側)の気持ちを少しも考えてないような気がして、私は寂しく思ったりです。




 私の親は、勉強以外は割と褒めてくれましたね。

(勉強は、まあボロボロだったのでほめるところがイマイチなかったというか……)

 特に、絵と工作、手芸などはよく褒めてくれたので、今でも好きです。

 

 文章は……。


 実は、子供のころから字がとても下手なので、読めない字を書いていたので見せたことはなかったりします。

 見せていたら何か違っていたのかなぁ?

 

 でも、なんだかんだ続けてますね。

 

 なぜ続けられているのか自分でもよくわからないですが、今はこうして人に文章を読んでもらえる場があり、時々ほめてもらえることが、文章を書く原動力になっていたりします。



『じゃあ、らんさんは読まれないなら書かないの??』と言われてしまいそうですが、正直にいうと半々です。



 読まれなくても書くときもあるし、この落選エッセイはフォローしてくださっている人がいるので、創作の悩みや気付きがあったら書こうと積極的に書いていたりします。


 読まれなかったら、たぶんこの落選エッセイはここまで続けてはいなかったと思います。


 スタートはただの愚痴でしたからね。(笑)


 


 何か感じることがあれば、ひとことでもいいので伝えてもらえるとうれしいですし、言葉にうまくできないなら応援❤でもいい。



 なんの感想も評価も結果も出なければ、自分で自分だけはほめてもいい。


 

 私たちは、父でも娘でもありません。



 だから時に娘のように評価や感想を欲していいし、父のように自分に創作の原点を問うてもいい。



 外の評価に疲れたとき、内に光りをみいだすことも必要です。


 でも、外の評価を欲することも俗物だと見下されることでもない。



 答えはひとつではなく、それぞれ物書きさんの中にいくつもあるものだと私は思います。

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