落選先輩からのアドバイス シーズン2?
本日、カクヨムコン9の結果が発表されました。
私は、短編ノンフィク賞にしか出してないので傷は浅いだろうと思っていたのですが、やっぱり落ちるとヘコみますね……。
今年は正賞は無理でも、特別賞とかもっと末席の賞でもいいから何か絡めるのではないかと密かに期待していたのですが、全然キレイさっぱり落選してました。
現実って99%そういうものです。
分かってるけど、どうしても夢見てしまうんですよね。
――― 賞をとって、自分がこの先も書いていいと世の中に認められたい!
ただそれだけなんですよね……。
誰の許しがなくても書き続けていいんです。
いいんですけど……こうなんていうか、自己満足の域はもう出てしまっているので、他人の評価が欲しいのです。
自分で書いて十分楽しいし、書いたものも満足している。
『じゃあ次は?』となったら、他人の評価が欲しくなりますよね。
『ほら、私だけが面白いと思ってるんじゃなくて他の人もいいって言ってくれてるじゃない?』って、もっと褒めて欲しい。
それが端的に分かるのが賞なので、公募に出すのですが前述のとおり99%は落選して結果に落ち込むのです。
*
Xには喜びの報告の声があふれています。
親しくしている方の受賞の報告は『よかったね』と祝ってあげたい反面、『なんで私ではないんだろう? どうして私じゃダメなんだろう……』という卑屈な気持ちにもなります。
『今まで続けてきた甲斐がありました!』
『がんばった結果が出てよかったです!』
『みなさんの応援のおかげです!』
そんな言葉を聞くと、
私だってあなたより長く書いてるよ?
私だってそれなりにがんばってるよ?
応援して欲しくても、どこにそんなファンがいるの?
自分で自分は応援できないよね?
と、単なる喜びの声すらマウンティングに聞こえて正直、今のXには居づらいです。
とはいえ、私だって万が一にも賞に入れば今感じている気持ちは忘れて、めいいっぱいよろこびの声を上げるのでしょう。
お互い様と言えるような幸せな報告は私には訪れるとは思いませんが、喜んでいる人に水を差したくはないですから、静かにXはフェードアウトしておこうと思います。
というか、もうXに結構愚痴を書いてしまいました💦
ちょっと、みっともないですよね……。反省
落選、つらい。
読まれない、つらい。
書き続けて意味があるの?
こういうネガティブなことばかり書いていると、割れ窓効果っていうので本当に読まれない感じになっちゃうらしいんですよね。
日本人はとにかく周りに同調しやすい傾向があるそうなので、読まれないとかいうよりは『読まれているからあなたも読んで!』みたいな感じの方が『じゃあちょっと覗いてみるか?』となるそうです。
あまりXで愚痴りそうなときは、離れるのもいいかもしれませんね。
愚痴があふれて止まらなそうなので、私はしばらくXでは息を潜めておこうかと思います。
*
今、これを読んでいる人のほとんどは落選された方でしょう。
そういうとき、あまり聞きたくない励まし方ってあるかと思います。
『続けていれば、いつかはチャンスが来るよ』
『継続は力なり』
『次があるよ! 次行こう次!』
『こういうのは運だから』
『私も〇年書いてやっと結果が出たから、まだまだこれからだよ!』
……ポジティブだし悪くはないですし、善意なのは分かっています。
励ましてくれようと言う気持ちも伝わってきます。
でも、これらのほとんどが結果を出した人の言葉です。
励ましてくれようとする気持ちはありがたいし、受け取りますが同時に落ち込んでるときにはマウンティングだと感じてしまうことをお許しください。
励ましの声をかけてもらえるだけでありがたいし感謝なのですが、落選で傷ついているときに欲しい言葉は実はそれではないのです。
将来の展望よりも、今の自分を認めてくれる自己肯定感を高めてくれるような言葉が欲しいのです。
そんなの甘えだと言われればそうでしょう。
だって、傷ついてるんですから甘い言葉が欲しいじゃないですか!
傷に塩塗ってどうするんですか?
落選したときは薬になる、癒しになる言葉を待っているのです。
『あなたの○○の作品がとても好きです!』
『あのお話みたいなのがもっと読みたいです!』
『更新をいつも楽しみに待ってます!』
『何度も読み返しています!』
『更新ありがとうございます。完結まで付いて行きます!』
まあ、言われたことないですが言われてみたい元気が出る言葉を並べてみました。
『がんばれ』『どんまい』という言葉ももちろんうれしいですが、それよりも効果があるのは、今のままでいいと認めてくれる人、今のままでも好きだと言ってくれる人の存在が、落ち込んでいるときには一番の励みになります。
もし、身近な推しWEB作家さんが落選で落ち込んでいたら、素直にそういう『好き』や『応援している』『続きを待っている』という気持ちを伝えてあげて下さいね。
きっと元気になると思います。
*
ふと今日思ったのですが『私は落選するために書いているのだろうか?』ということ。
そうではないんですよね。
別に落選したくて書いているわけではない。
けど、結果的には落選しているので、落選するために書いているとも言えなくはない。
難しいことは分からないですが『人間は死ぬために生きているのか?』と問われたら、そうとも言えるし、違うとも言えるなあと思うんです。
最後には人間みんな死ぬけれど、別に死ぬために生きているわけではない。
死というものは分かるけれど、実際には自分が死ぬとは思って生きてはいないんですよね。
いつか死ぬ、けどそれは今じゃない、みたいな。
生きることに一生懸命で、毎日ただ明日を迎えるために生きている。
たどり着く結果は分かっていても、生きて進むしかないし、出来ればより楽しく生きたい。
落選も人生と似てる気がします。
私にとっては致死率ほぼ100%の賞レース。
なぜ参加するか?
なぜ走るか?
落ちるために書いてるのではなく、生きるために書いている。
結果は分かっていて、つらいときもあるけど、なんだかんだと書く好きだし楽しいし。
書くきっかけになるなら賞に参加するのもいい。
落ちると分かっていても、夢中に書く時間があって、いっとき夢が見られるならそれで十分じゃない?
ちょっと強がってカッコいいこと言ってみましたが、はた目には落ちるために書いているように見えても、自分が自分の空を羽ばたくために書いてると分かっていれば、それでいいんじゃないかということです。
今日、落選して声を殺して泣いてもまた筆をとるのでしょう。
せめて今日だけは、羽根を休めて自分の労をねぎらってください。
おつかれさまでした。
また、次の原稿用紙の空で会いましょう。
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