落選先輩からのアドバイス

天城らん

公募について思うこと

落選先輩からのアドバイス


 本日、カクヨムコン8の結果が発表されました。

 賞に選ばれた方はおめでとうございます。

 また、惜しくも選外だった方はおつかれさまでした。

 賞に選ばれた方は、これから新し舞台に上がることでご苦労もあるかもしれませんが、輝かしい未来が待っています。落ちた我々の分までがんばって下さい。


  *


 今回、筆をとったのは選外だった方、落選した人と痛みを分かち合いたいなと思ったからです。

 私も、カクヨムコン8の短編部門で2作応募して、2作中間選考を通過させていただきました。


 実に数年ぶりの公募でした。

 なぜ、数年ぶりの投稿だったかというと、私は筆歴が長く10年以上書いています。

 それ以上なのですが、言うと年齢がバレるのでそこのところはないしょです。まあ、なかなかに長いです。

 公募もショートや短編の賞は、片っ端から出していた時期があります。

 しっかりと戦歴をつけていたこともあるのですが、ずっと×が続いて戦歴が真っ黒になってきて、書くことというより、出すことが怖くなって、嫌になってしまい公募に出すことをやめてしまいました。


 まだ、紙に印刷して投函する投稿する時代の話です。

 それが、数十回以上落ちたらどのくらいダメージがあるか?

 今日、落選を経験した方ならわかっていただけるかと思います。

 ちょっと怖かったのですが、黒歴史の公募戦歴をチラ見してきたら31回落ちていました……。

 たぶん、それ以上だと思います。途中でつけるのをやめたので……。


 そりゃもう、ヘコむし怖くなるのも当然ですね。

 最初の3回くらいまでは『次こそはきっと!』とか『もっと素晴らしいのを書こう』『絶対、認められてやる!』と、とにかく頑張ろうという気持ちがあります。

 それが次第に『またか……』『やっぱり……』『ダメに決まっている』に変わり、最後には、書くこと自体を否定されているような息苦しさを感じます。

 これが公募の恐ろしいところで、決してそういうわけではないのに、落選すると書く資格がないような、自分の書いたものに価値がないと言われるようで、書くことも公募に出すことも怖くなってくるのです。


 冷静に考えればそんなことはなく、賞を選ぶ人は良い作品、優れた作品を探し出し、すくい上げているだけです。


 それ以外の作品を、否定したり無価値だと言っているわけではないんですよ。


 ただ、公募戦歴に×印が増えて真っ黒になってくると、これはもうそういう意味にしか見えなくなってきて、現実を突きつけられ逃れられない。

 一度でも、賞に入れば逆転できると思って投稿を続けていましたが、それが結果に結びつくならもうとっくに私も何者かになっているはずです。

 私の場合、数十回出しても結局何も実を結びませんでした。

 才能がないと言われたら確かにそうなのでしょう。

 だから、続けていれば必ず報われるかといえば、現実はそうではない。

 どんなに頑張った球児でも、甲子園に行けるのはほんの一握り、どんなに有名なサッカー選手でもワールドカップの切符をつかめなかったこともある。

 現実と言うのは残酷です。

 努力が必ず報われるとは限らないのですから……。

 

   *


 ちょっと、話がそれてしまいましたね。

 言いたいことはそうではなくて、それだけ痛い思いをして公募から離れたのに、なぜまた、私が公募に戻ってこれたのか、戻って来たのかということを話すことで、今落ち込んでる方の一助いちじょになればと思ったからです。


『努力は報われる』とか、『続けていれば必ず結果は出る』とか、そういう成功体験の言葉は今は聞きたくないでしょう。

 ぶっちゃけそういう言葉を見るのもしんどいと思います。

 かつて、私もそうでしたから。

 落選慣れしている私も、久しぶりの公募で中間通過がいい順位(カクコン8令和私小説部門で3位くらいでした)だったので、もしかしたら今度こそ!? なんて、期待をしてしまっただけに、何の賞にも絡めずにかなり落ち込みました。


 そうやって、以前は落ち込んだ末に長い間、公募をやめていた私ですが、公募をやめていた期間に筆を折っていたかと言うと、そうではないんですね。

 私なんかが書くことに何か意味があるのか? と書くことをやめようかと思いましたが、少しだけ休憩したらまた書きたくなっていました。


 なぜか、書くことをやめることは出来なかったんですね。

 ああ、これはもう本能だから逃れられないんだなぁと観念しました。

 鳥が渡りをするように、春に桜が咲くように書くことは私にとって自然の営みなんですね。


 それで、落選した小説をホームページで公開し始め、その後も細々と書きたいものを書いて、わずかに来てくれる読者に読んでもらっていました。

 才能がなくても、多くの人に認められなくても、書くのは好きなんですよ。

 それは揺らがなかったのがせめてもの救いです。

 読者と言っても、半分は創作仲間ですね。


 そう、公募に出してない間は、自由に書きたいものを書いていたんです。


 まだ『次こそは頑張ろう!』と気力がある人はどんどん次に向かってがんばって下さい。

 勢いは大切なので、行けるところまで行ってみて下さい。

 ただ、今回の落選で心が折れてしまった方、折れてしまいそうな方は、落選は否定ではないということを念頭に置きながら、いただいた感想などを振り返って読んでみて下さい。


 しおれた花を蘇らすためには、水をあたえるしかないのです。


 同様に、心の折れそうな作家を生き返らすのものは、読者の感想しかないのです。



 今、疲れ切ってしまっている方は、どうかいただいた感想を読み返して、確かに自分が書いたものが誰かに届いていることを感じて下さいね。


 すぐに、次へ行けなくともそうやって気持ちを維持することで、完全に折れずにすみます。

 書くことをやめなければ、私のように再び公募に出すときもくるかもしれません。

 また、読み返すような感想なんてないと言う方は、まず、誰かの『お水』になってみるのもいいかもしれません。


 誰かを元気づけることは、いずれは自分にも返ってきます。それでもダメなら、『つらい……。感想が欲しい』と言ってみるのもいいと思います。

 それは、書き手なら共感できる言葉なので、何かしらの反応はあるはずです。


   *


 もうひとつ最後に言いたいのは、落ちた理由を探す必要はないということです。


 自己分析して、理由を探すことは一見いいことのように思えます。

 しかし、そうしている時間があるなら、新しいものを書いた方が建設的だと私は思っています。

(まあ、その辺の考え方は人それぞれで、だから私はダメなんだと言われそうですが……。私も理由探しをしていたこともあります)


 私は、最新作が最高傑作と教えてもらったことがあります。


 過去の自分がいくらいい作品を書いていても、今の私にはかなわない。


 私もそう思います。


 前に進むしかないのです。


 

 また、私が以前落選した小説の中で、どうしても諦められなくて、改稿をしないでそのまま他の賞にだしたところ1次を通過したということがあります。

 もっと上の賞を狙うなら、大幅に改稿してから出すべきだったのでしょうが、要するに賞によって求められているものが違うため、作品自体に問題があって落とされているわけではないという例です。


 一度書いたものを、一回であきらめないで、他の賞に出してみるのも手です。

 

   *


 まあ、落選常連で先輩風を吹かすのもなんだかおかしな話ですが、落ちること、落ち続けることで書くことが嫌いにならないための落選先輩からのアドバイスでした。


 こういう、落選戦歴を出版社の方に読まれると、誰もとらないような奴というレッテルが貼られてしまうかも知れないのであまり言わない方がいいとも思ったのですが、少しでも気持ちが救われる人がいればと思い書いてみました。

 

 ある程度、皆さんの目に留まったら削除してしまうかもですがとりあえず、これで少しでも書くための気持ちの糸がつながれば幸いです。




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