魔女の小屋

魔姉さん……自分の疑問に対してかすっているのか、かすっていないのか。これが国語の回答なら正直バツをつけたいような返しを受けて戸惑う。

当然もう一度、疑問をぶつけ直そうとした。

しかし、このまま立ち話もどうかと言われ、先程から奥に見えていたログハウスで話そうという流れになり、その場は一旦幕を閉じるしかなかった。

ログハウスに向かう途中、何度も「これは決して未成年を誘拐しようという目的で家に招き入れるのではなく、明らかに一旦保護するしかない状況にある故、止むを得なく不可抗力的に私の家に存在するという結果になっただけで決して決してそういった目的は……」とこちら側に聞こえるボリュームで虚空に向かって復唱していた。

この瞬間だけ一切淀み無く喋ってるのが怖かった。

ログハウスの前に辿り着く。

玄関扉の横で淡い光を放つランプの明るさがとても嬉しかった。

山に入ってからずっと、暗い道を神経を尖らせ張り詰めながら歩いてきた。だから人工的な明かりが、今は本当にありがたく感じる。

「どうぞどうぞ」と魔姉さんが手招きしてくれたのでそのまま中へ。

外からの見た目は一人暮らし用の小屋という感じだったが、中は意外と広く物が散乱するだけのスペースがあった。

ワンルーム汚部屋だ。ログハウスで汚部屋とか聞いたことない。服の脱ぎ散らかし、巨大な本棚から零れ落ちる本、よく分からない箱に……何で醤油が6本もあるんだ。しかも場所もバラバラに。醤油で六芒星を作るのか? 嫌だろ!? 魔法に対しても醤油に対しても冒涜を感じる。

あっちには……おっ、ジャンプだ! 腰辺りまで積まれたジャンプの群れが部屋の隅に鎮座している。汚部屋でもジャンプだけは輝いて見えるもんだな。あ、これ先々週号だ、懐かしー。あれ? でも同じ号が3つある。これは2つ……間違えて買ったのだろうか。

容易に想像できる。

買ったっけ、買ってないっけ、まあいいや買っちゃえ的な場面が。

服装から何となく、この手の雰囲気は感じ取れなくもなかった。やはりだらしない人らしい。思い描く魔女のイメージからは酷く乖離していると言わざる負えない。

「いやー、汚くてごめんやね。お茶用意したからそこのテーブルのとこにでも座って」

魔姉さんが綺麗なガラス容器とお茶菓子のクッキーを乗せたお盆を持って、慎重に足場を探りながら歩いてくる。

テーブルの周囲は辛うじて片付いていたため、テーブル近くで魔姉さんからお盆を受け取りそのままテーブルにそっと置いた。

「お、ありがと」

魔姉さんと向かい合う形で、白いカーペットが露出する僅かなスペースに縮こまりながら腰を下ろす。魔姉さんが飲み物を入れ始めると、たちまち周囲に甘くて良い香りが立ち上った。

「これねー、自作のピーチティー。丁度できたやつを冷やしてたから、良かったら飲んでみて。味は保証するやね!」

金細工の縁に彩られたソーサラーに乗って、カップが身体の前に差し出される。

底まで淡く透き通っていて、それでいてカラメルのように濃い黄金色が波立つ。

美味しそうだし早く飲んでみたい、だが。

何でこの部屋でこんな上品な食器と飲み物が出てくるんだよ!

心の中で叫ばずにはいられなかった。

どう考えてもここは湯呑みに麦茶部屋だ。

いや、百歩譲ってお茶はいいか。美味しそうだし。器を湯呑みにしてくれ! 湯呑みだったら何も気にせず飲めるから!

頭も身体も萎縮する。手を伸ばそうにも伸ばせない。

カップで飲むのとか初めてだから変な緊張が……! クソッ、震えるな静まれ俺の右手!!

「んー、我ながら完璧なデキ」

たじろぐ俺は声に釣られて顔を上げるしかなかった。そして、震撼した。魔姉さんが口に運んだカップを、まるで目の前に黄金比が見えているかのように、完璧なカーブを描きソーサラーに戻す瞬間を見てしまったから。

ぞわり。

全身の細胞が震えた、気がした。

「いやー、これ以上のピーチティーがこの世にあるだろうか、いや無い。存在しない。存在してても私の中では無かったことになるからやっぱり無い」

止まらない自画自賛。

脳の冷静な部分が「いや、さっきの置き方おかしいだろ。何でわざわざカーブさせたんだよ、普通に置けよ」と野次を飛ばす。

改めて考えてみると確かにそうだ。変だった。いやマジで、何だよ黄金比って。実際に見たことないから俺もわっかんねぇよ。

うん、何か変な緊張の仕方してた。そのせいでおかしくなってたな。

普通に飲も。

「いただきます」

うん、めっちゃ美味しい。鼻から抜ける桃の香りが止まらない。大抵こういうのって、普通に生の桃食べた方が良くね?ってなりがちだけどこれは全然そんなことない。桃とお茶がガッチリ恋人繋ぎしてる。

「最高のピーチティーの感想はどう?」

態度はともかく味は本物だ。

「……美味いです」

魔姉さんはニコニコしながら、もう一杯ついでくれた。

「さてと。魔女の誤解はさっきので解けたし、今度はこっちの番やね。これからどうするかについてなんだけど――」

「え? いや、ちょちょ待ってください!」

唐突に話が前に進み出しかけたため、慌ててストップの声を出し遮る。

「なに? どうかした?」

「こっちはまだまだ聞きたいことだらけですよ!? そもそも魔姉さんは……つまるところ、魔女なんですよね?」

「えー、またそれ? ……まあ、そのカテゴリーに含まれてるとはいってもいいんじゃないやね? 好きじゃないけど」

本当に本物の魔女……!?

「じゃ、じゃあ、魔法……とか、使えたりするんですか!? 本当に魔法!」

「魔法? あーはいはい。じゃあよく見ててね」

魔姉さんは徐に右手の親指を立てて、それを左手で覆い隠した。

青い炎みたいに、強く静かに響く心臓の音をギュッと抱えて、俺は目の前で何が起こるのか見逃さぬよう凝視した。

しばらくの沈黙。秒針が時を刻むガチャ、ガチャという音が浮き立つ。

「いくよ? アンドゥ、トホア。ほい!!」

魔姉さんが声を発した次の瞬間、魔姉さんの右手の親指は綺麗さっぱり無くなっていた。

数秒、茫然自失としてその場に立ち尽くす。身体はワナワナと震え上がり、腹の底から感情が湧き上がった。

「あはは、なーんちゃ――」

「す、すげええぇぇぇぇええ!!?!?」

ビクッと一瞬仰け反った魔姉さんに、これでは足りんと今この瞬間の衝撃と感動をぶつける。

「い、今のって! あれですよね!? 左手で別次元を作り出して右手の親指だけ転送するやつですよね!?!? 昔読んでたファンタジー小説で出てきました! 超高等魔法なのにすげぇ……! 絶体絶命の窮地を救ったあの魔法をこの目で拝めるなんて……めっちゃくちゃすごいっす魔姉さん!!」

「…………」

魔姉さんは何とも言えない表情でしばらく黙っていた。

「魔姉さん?」

俺から視線を逸らし、「う、うぐぐ」と何か外へ吐き出すことを苦しむような低い声を鳴らす。

「そ……」

「そ?」

「それほどでもないやんね!?」

やや引き攣ってるような気もするドヤ顔と共に大きな声で言い放つ。

「うおぉぉぉ!! 魔姉さん! 本物……! 本物だ!!」

キラキラきらりと少年の目は光り輝く。

丸々と、可愛らしく。純粋さとあどけなさが見る者の心をこれでもかとむず痒くさせる。

「俺めっちゃ感動してます! 本物の魔法使いに会えるなんて! 魔法なんて、もう……この世には無いものなんだって思わなくちゃいけないと思ってた……っっ!!」

「あはは……はは、いやー……そ、そんなに感動してもらえるとは……頑張って魔法勉強しててヨカッタ、ヨカッタ……あはは」

あはは、はは。

……そうはならんやろ。

そうはならんやろぉぉぉ。

まあ、なっとるんやけどね!!?

当たり前だが、周囲に突っ込んでくれる人はいないので脳内で自己完結する。

とりあえず、どこのファンタジー小説家かは知らないが、もうアイデア尽きたしこれでいいや感覚で魔法を作るな。もがき苦しめ。

「学校で魔女の噂を聞いた時はどうせ偽物だろって思って、なんならちょっとムカついてたんです! 魔法なんか使えるわけないのにって……」

引き攣った笑みと弱々しい相槌を繰り返す。

太陽に灼かれて萎びた向日葵のように。

しかし、少年の言葉に籠る熱意は増すばかり。

私の態度や返す言葉、会話に焚べるべき薪が湿気ていても、少年の内からは関係ないほどの独白が溢れ出してくるようだ。

まさに引くほど。

勘違いとはいえ、騙してしまった罪悪感が鉄の首輪になってさらに私を項垂れさせる。

それでも、そんな私に少年はキラキラ輝く星のような光を良いことだと信じて送り続けてくれる。

うぅ……新手の拷問やね?

「今日だって……どんなやつかバカにしてやろうって……やっぱりあれは嘘じゃなかった……!!」

「……?」

最後、小さな声だったけど確かに聞こえた言葉に違和感を覚える。

しかしそこで、少年の一人舞台は一旦休憩を迎えた。

これはチャンス。兎にも角にも、再燃させないように収めなければ。

「あいやー! 魔法喜んでもらえてよかったヨカッタ!!! でね? これからどうするかの話なんだけどね? 一旦魔法のことは置いといて、ね?」

少年はこくりと頷いた。

その様子を見て、ほっと一息。胸を撫で下ろす。

ようやく落ち着いてくれたらしい。

本当に、あのまま泣いちゃうんじゃないかと思うぐらいの、勢いと激しさだった。

一体何がそこまで……?

疑問が生まれ、同時に目の前の彼への好奇心も湧き上がる。

しかしまあ、それについては後でじっくりと考えよう。推論は頭の片隅にぶん投げて、彼のためにも現状整理を行う。

「実は今、結構困った状況なんやね……」

私の言葉に反応し、彼の顔が少し強ばる。

意地悪かもしれないが、深刻な雰囲気を醸し出した方が彼の後悔と反省を引き出せると思ったので、さっきまでとは打って変わって神妙に話す。

「まず、今から引き返すのはすっごく危ないんやね! まあもう分かってるとは思うけど、さっきみたいなことになりかねないからやね。山の木屑になっちゃうよ!?」

彼の軽率な行動に対して、彼自身がいかにまずかったかを自省できること。それこそ大人の対応だと、彼の反応を見ながら続く言葉を慎重に編んでいく。

「しかも使える道はあそこだけ。親御さんにお迎えに来てもらおうにも入ってこれず私たちも出られない……まさに陸の孤島」

何故だろう。いつの間にか推理小説の冒頭部分みたいになってる。せっかくいい感じに諭せてたのに、いやダメだ笑っちゃダメ。笑っちゃダメだ。笑っちゃダメだ。笑っちゃダメだ。笑っちゃダメだ。笑っふっ。

だめだめバレる落ち着いて。

「と、とりあえず親御さんに事情を連絡しないとね。スマホはある?」

私の一言にハッとしたように、彼はズボンのポケットをパンパンと軽く叩く。

「家に置いてきちゃいました……」

「んー、じゃあ私のスマホ貸してあげるからお家の電話番号分かる?」

「はい!」

私のスマホを受け取ると、彼は慣れた手つきで素早く電話番号を入力する。すぐにプルルと音が鳴り出した。

プルル、プルルと2、3回コール音が聞こえた後、脳に電流走る。

あれ? これこのままこの子が正直に話したらワンチャン誘拐を疑われるのでは??

いやそんなこと……しかし万が一が……。

目立ちたくない私にとって、少しでも火種の可能性となるものは摘まねばならなかったのに。

だからあれほど家に入れる時も同意を得たという共通認識のため、誘拐じゃない宣言をしたのに!

まさに陸の孤島……の続きを考えて脳内でツボりまくってたせいで見逃した……ッ!?

待って、冤罪は嫌!! 嫌!!

「ちょまっ……!!」

コール音が途絶える。

彼の口がゆっくりと開き出す。

放たれるであろう第一声。

ここからが勝負、と脳内が普段の体感5倍の処理速度で動き出す。

ミルフィーユのように重なった計算が、覚醒した脳内CPUによって並行処理され、今私の確実なミッションコンプリートが約束された。

白い歯を、見せる!

「あー、繋がんなかったです」

「何でやねん!!!」

迫真のツッコミが口からするり。勢いのままズコーとヘッドスライディングをかましてしまうところだった。

これは才能の目覚め? 芸人の……?

「多分、迷惑電話と間違えられて無視されたんじゃないのかなと」

あまりにも冷静な返しに私も冷静にならざるおえない。

「な、なるほどやね。じゃああと何回か掛けて粘ればいいと思うやけど、ちょい待って! もっかい掛ける前にちょい待ち」

その後、2回目のトライですんなり電話は繋がり、今日はもう夜遅いし盛り上がってるから友達の家にそのまま泊まるね、という私が伝えた設定に則って事情を伝えることに成功した。

正直あまりに簡単に納得してもらえたせいで逆に戸惑う。

お母さん役はもちろん、何なら友達役まで最悪務めあげる覚悟はしてたのに。

彼曰く、普段から自分はよく友達の家に泊まるので今更疑われませんよとのこと。

そうは言っても周到に準備するべきだって! いやしましょう! させて下さい怖いです! という私の嘆願を彼がまあまあと無視して電話した時は、危うく私の第二人格が穏便に済ませちゃうところだった。

しかし良かった良かった結果オーライ。

でもうーん、別の意味でこれは良くないような。まあ、今日会ったばかりの私が突っ込めることじゃないけど……。

こうして、私と彼の長い長い夜が始まった。


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