楽園実験
竹智 道也
青春ランナウェイ、そこに魔姉さん
「神隠しって知ってる?」
「誰もさらわれてなんかない」
「お母さんが話してた!」
「不審者目撃情報ナシ!! 何でだよ!?」
「笛の音が聞こえるんだってさ」
「それ噂だよ」
「消えるの見たんだって!」
「人が消えていなくなるの」
「ハーメルン?」
「つまんなーい」
「必ず一人では行動せず……」
「あ、笛」
―✕✕✕―
「はぁ……はぁ……」
今日、また親と喧嘩した。
喧嘩はいつも通り大きくなった。
お互い焚べる薪はいくらでもある。どんどん歯止めが効かなくなって、もうどうにでもなれと好き勝手放り込んだら案の定、暴走列車に化けてしまった。
父親が帰ってきた頃にはもうお互いすっかり止まれなくなってしまって、その勢いのまま俺は家を飛び出した。
5月の夕方、つい最近までとっくに暗くなっていたはずの時間帯でも嘘のように明るい。
不安になるぐらい明るい空の下、そうして俺は人生初の家出を決行したのだった。
家出と言っても非常に衝動的なものだったので、外に出て住宅街を抜けてとにかく家から離れて、それであっという間に困り果てた。
行く宛てがない。
こういう時は友達の家に行くのが漫画とかによくある展開だが……先程のオーバーヒートから一変、急速に排熱作業が進められた脳内思考はさっきまでとの温度差でいつも以上にナーバスになる。
だから、しばらくはただ歩いていた。
貯水池の畔を進み、新たな住宅街へ。少し遠くには竹林、畑、車の走る音は国道からだろうか。国道の向こうには駅がある。ロータリーは、まあ……かろうじて賑わってるかな?飲食店やコンビニもあるし、歩き慣れた向こうに行ってもあまり面白くない。
だから、普段は行かない逆方向へ。
なだらかな坂を登り続ける。長い長い住宅街を抜けた。先へ先へ……明るかったはずの空には、いつの間にか黒いインクが無邪気に覆いかぶさっている。暗くなり始めたと思えば、瞬きする度にほんの何十枚の絵コンテがコマ送りで流れていくような、現実感のないスピードで移りゆく空模様。
見ていると、不思議と不安な気持ちが大きくなる。
気付けば歩く速度は普段よりも随分と早くなっていた。
とにかく進む。頭が考えて見出した方向などもうない。ただ足が動く方へ。赴くままに。
すると次第に、見たことの無い景色が広がり始めた。
未知の場所、気分はさながらRPGゲームの主人公だ。
車道の案内板が目に入ったので、一応知っている地名がないか確認してみる。
すると、西の矢印の先に
どこかで聞いたような……あぁそうだ! 最近学校で話題になってる魔女? とやらが住んでる山だ!!
それにしても「魔女」というワードが放つエキセントリックさは、およそこの田舎には似合わない。
魔女……よし決めた。
何でもいいから目的地が欲しかったんだ、ちょうどいい。
山といってもあの辺の道は普通に整備されてたはず。
奥の方は危ないと聞いた気もするが、まあ山とは名ばかりの場所だし大丈夫だろう。
探偵? あるいは勇者だろうか。そんな気分のままに俺は、噂に聞く魔女とやらをこの目で見てやることにした。
そうと決まれば再び歩くのみ。
信号は青く光り出し、車がゆっくりと進み出す。
横断歩道を渡ってそのまま直進、上半身を引っ張りながら足はどんどん前へ。
口喧嘩のせいで考える体力はとっくに尽きてたから悩みもしなければ躊躇もしない。有り余る元気だけで考え出す結論のままに、身体は動く。
「あーくそっ……遠すぎだろ……!」
その結果がこれだ。
案内板に書いてあるぐらいなんだからもっと近いと思っていた。あともう少しのはずを何度繰り返したことか。
自分で自分にかける気休めを信じられるフェーズはとっくに超えてしまった。
最後に人を見たのはここから戻って20分程度のところ。それ以来、一応は形だけ整えられた道のようなけもの道をひたすら登っている。右には木、草、薮、虫。左も同じく。何より静かだ。足を前に進める度、ワサワサと雑草と土を踏む音。あとは時折、パキッと枝を踏み折る音が響くぐらい。虫の音なんて気にならない程度。家で寝てる時の方がグーグーホーホーとうるさい。
すっかり辺りは暗くなって、静寂と暗闇が俺の背中にのしかかる。下を向いたら今にも潰されてしまいそうだ。そう思い空を見上げると、青と黒のグラデーションキャンパスの上で輝く光がいくつか目に入る。
星だ。星がよく見える。綺麗だ。月は……二、三、四重の雲間からひょっこり顔を出す程度。月も綺麗なのに勿体ない。だけどあれこそ風流というものなのだろう。古文で習った。
しばらく立ち止まって見上げていると、覆い被さる雲が着物のように思えてきた。濃淡の違いがあるし、月の十二単なのかも。
中々……我ながらこれは風流なのでは?
こういうことを昔の宴会とかで言ったらみんな湧いて大バズりするんだろうなぁなんて。
「ねぇ君」
「ひょっっっ」
突然話しかけられ、これまでの人生で一度も発したことの無いような日本語を思わず叫ぶ。
「あ、ごめん。驚かせちゃったやね。でもそこ危ないからさ、ゆっくりこっちおいで」
姿はよく見えないが、声から女の人だということが分かる。それも若い。
魔女か? でも……おかしい。魔女は確かヨボヨボのしわくちゃで腰は常に90度曲がってて杖無しじゃ歩けない身体なはず。一部のやつらがモノマネし始めて腰の深すぎるサラリーマンかよってブームにもなったのに。学校での目撃情報はまさかデマ!? え、じゃあ最近流行りだした老老介護も実態は無し!?
衝撃スクープだ。
しかし、正直言って今はそんなことどうでもよかった。
別の理由で心臓バクバクである。
舐めて入った山の中。いつの間にか真っ暗になって足元はおぼつかず、もはや誤魔化しがきかないぐらい行為の危険度が明瞭になってきた。このタイミングで突き付けられるそこ危ないよ宣言。
半分、どころじゃなくほぼ完全にパニックになっていた。
情けなくもビビり散らかし、まともに声も出せない。
しかし、足は動いた。
決壊したダムのように、我慢ならず早足で彼女の元へ駆け寄る。
不安で仕方なかったから。
暗闇の中、一歩一歩足を進めるたび。自分の周囲360度をぐるりと囲むように聳え立っていく、後悔と恐怖でできた巨大な壁。孤独が土台となって頑強に、崩れず俺をどこへも逃がさない。大きくなりすぎたその中で、ネガティブな感情が響き続けて。現実逃避に空でも見上げないとやってられなかった。もう空以外、逃げられる場所がなかった。前にも後ろにもあれ以上進めなかった。
だから、誰でもいいから近くに人がいて欲しかった。
大きな壁ができたのではなく、ただあなたが縮こまって小さくなっているだけだと。孤独を壊して欲しかった。
心が身体を追い越して、小さな子供のように早く早くと前へ引っ張る。
「そこ、木の根っこで段差になってるから気を付けやんとね!」
心と身体の不一致、そこから生まれるロボットダンスのような歩行。まさに転けることが約束された黄金の足捌き。
そして、こんな時でも日本語なんか変だなという雑念が、無駄に日本語に対する意識の高い日本人特有のひっかかりとして脳裏によぎる。
二つ合わさり確定演出。次の一歩の重心がきっちりブレた。
「……??」
「だから言ったのに!!」
視線の先にヒュッと手が伸びてくる。咄嗟に、藁にも縋る思いで自分も手を伸ばす。
届かない? そんな不安をかき消すようにグッと掴まれて、引き寄せられる。
そのまま手を引かれて、連られて一歩踏み出すと少し開けた場所に出た。奥にはあまり大きくはないログハウスが見える。
「はぁーっ、危ない危ない。そこね、ワサワサしてて見えにくいけど足場なくて落ちちゃうからね。不法投棄の車にダイブするとこだったよ?」
「あ、ああありがとうございます」
「……うちで飼ってた猫みたい。怯えないで~怖い人じゃないよビーム」
右手を銃の形にしてビビビビビッと。ご丁寧に口で効果音まで付けてそんなことを言う。
面食らっていると立て続けにビームを浴びせられる。
「こんなところに夜来ちゃダメだよビーム。親御さんが心配してるよビーム。今更帰るのはもっと危ないのにどうするつもりだったんだいビーム。山の藻屑ビーム。あれ? 山に藻はないや。じゃあえっと……」
「……ははッ」
思わず笑ってしまった。
ここには魔女のエキセントリックさも学校でバカにされるような間抜けな姿もない。
途端にギュッと閉まっていた喉の奥が大きく開き、呼吸が落ち着く。大きく息を吐けば、強ばっていた肩の力が抜けて身体が自然な体勢を取り戻す。
ようやく真っ直ぐ目を向けられた。
「おっ、ようやく緊張解けたかー良かった良かった。ちなみに山の場合、藻の代わりとなると君は――」
目の前のちょっと変な女性は若くてとても綺麗だった。澄んだ黒い瞳は夜の海みたいに深く、夜闇の中で一際輝いて見える。でも、髪の色は暗くてよく見えないがオレンジ? だろうか。ちょっと魔女っぽい気もする。でも、服はローブじゃない。親が買ってきそうな変な柄付きのTシャツとジャージのズボン。ダセェ……。びっくりして変に凝視してしまった。いやしかし、声に出さなかっただけ自分を褒めたい。あ、でもこの場合ウケ狙いで着てる可能性もあるのか……? 魔女じゃなくて芸人??
いずれにせよ、学校の噂とは全然違う。
「やっぱり個人的には山の肥やしが第一候補かなと思うんやけど……」
「あの!」
「肥やしを超える何かが!?」
「いや、それはどうでもよくて!」
「えっ……」
「あの、俺! 魔女がいるって噂聞いてここに来たんです。それで……!! あなたが魔女なんですか!?」
その瞬間、シンと辺りが静まり返る。海に沈んだ都市か、雪の積もった銀世界か、それほどに今この場所は、強い静寂を宿していた。
「?? ……?」
時が止まったように静かで、何だか異質で。
不気味にすら思えてきて勝手に腕に寒イボが立つ。
ごくりと喉を鳴らして。怖くても、ちょっと後悔が芽生え始めてても、それでも返答をじっと待つ。
「フッ……違うやね」
魔女が笑った。そう思った。
「私は魔女じゃない。私のことを普通に呼んでみて?」
「えっ……ま、魔女様?」
「いやだから魔女じゃないやね。ほらもっと! ふ、つ、う、に!」
魔女じゃない? 魔女じゃない……魔女じゃない……?
「普通に……お姉さん?」
「そう!!!! それ!! つまり、私のことをより正しく呼ぶなら……?」
「呼ぶなら?」
「魔姉さん、やね」
「魔姉さん……」
かくして出会う。魔女……じゃない。魔姉さんとやらに。
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