第24話 ソン・リン
「こ、こちらでよろしいでしょうか?」
セレスは震える声で水の入ったボトルを差し出す。酷く緊張しているらしく、その肩と表情はガチガチに固まってしまっている。
ボトルを差し出された薄着の少年は、笑顔でそれを受け取る。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
純粋無垢な眩しい笑顔がセレスに向けられる。喜んでもらえて嬉しかったのか、セレスは頬を赤く染めた。
「い、いえ、こちらこそ」
固まっていた肩や表情が少しだけ解れる。
少年はボトルを胸に抱えながら、タッタッタッとテントの方へと走り去っていった。
彼女がこのように支援を行っているのには理由がある。それは、ミレイナの急用だ。先日戦闘があったのを黙っていたミレイナは、即肉体のメンテナンスで整備士に連行されていった。
その際、セレスはミレイナに対して、
『私が代わりにやります!』
と大声で言ってしまった。
その為、彼女はこのテント街で水分支援をすることになった。
緊張してはいたものの、段々と慣れていくセレス。人の多さで戸惑ったり、慌てたりと落ち着きのないのはどうにもならなかった彼女であったが、その中でも成長は見られた。
クーラーボックスの中のボトルも少なくなってきた頃。セレスはボックスを手に待ち、本部へと戻ろうと立ち上がった。
「すみません、そこのお方」
その時、歩き出す彼女の男の声が止めたセレスはハッとし、振り返る。
そこには、黒スーツ黒メガネを見に纏う男、ソン・リンが作り物のような笑みで立っていた。
「はい、な、なんでしょうか?」
セレスは戸惑いながらも敬語を崩さずソン、リンに尋ね返す。
セレスの反応を見たソン・リンは笑顔ではあったが何か不思議そうに彼女を眺める。
「あ、あの、何か私に用があるんですか?」
不審に思ったセレスはソン・リンに再度尋ねる。そして彼は一言口にする。
「ふむ、なるほどなるほど。アスオスには提供した覚えがないのですが。失礼、貴方は一体どのような経緯でアスオスに?」
「質問、ですか?」
「質問に質問で返すのは失礼なことではありますが、どうか私目にそれを教えてもらってもよろしいでしょうか?」
丁寧に、しかし中身は冷たく、ソン・リンはセレスに問う。
セレスは別に隠す必要もないと思い、ざっくりではあるものの彼に経緯を教えた。
ぎこちないものの正確に、できる限り分かりやすいように話す彼女の姿も、ソン・リンはまるで研究対象かのように眺め続けていた。
「以上がこれまでについてですが……どうして私にそんなことを聞いたんですか?」
説明を終えると、セレスは疑問を口にする。ソン・リンは珍しく真顔になっていたが、すぐに営業スマイルを取り戻していた。
「いえいえ、ただ参考になると思いまして」
「参考?」
セレスはその言葉に反応する。一体何の参考になるというのか、引っかかったのだ。
「いや、そんなことよりも。そうですね、それはさぞ大変であったでしょう」
誤魔化すように話を切るソン・リン。そして彼は「ところで」と言いながら踏み込み、セレスに接近する。
「————TTにご興味はありませんか?」
笑顔はより一層厚く。まるで獲物を見つけたかのようにセレスに迫る。
「TT……?」
セレスは後退る。それは迫る彼からもそうであったが、何より「TT」という名詞が彼女をそうさせた。
「い、いえ、いらないですTTなんて」
首を横に振るセレス。しかしそれでもソン・リンは引かない。
「いえいえいえお金など取りませんよ。ただ我が財団の機体をお使いになるだけで結構です。戦闘データを常に提供していただけるのであれば我が財団全負担で整備も致しますし、何より今の我々にとってはそのデータこそがお金以上の価値でありますので。さあさあいかがです?」
「い、いえ、私は……そんなの」
震えているせいかハッキリと言えない。だがソン・リンの押し売りは終わらない。
「今だけですよ?」
「貴方にだけですよ?」
「貴方の為の機体ですよ?」
彼女にはそんな言葉を言う彼が悪魔の様に見えた。
そんな時だった。困るセレスと迫るソン・リンの耳に声が響く。
「へー。財団っていうのはか弱い少女にまで押し売りするのか? 汚いことこの上ない。ヘドが出る」
聞こえるのは女性の声。芯があり、力があり、それだけで男勝りな人間なのだということが伝わってくる。
声を聞いたソン・リンは笑顔を埋めながら振り返る。そこには薄い褐色の肌を持ち、地味に開かれた胸とポニーテールの女性が立っていた。
「おや、ターラさんじゃないですか? いけませんねースポンサーである私にそのような口は」
ソン・リンは言った。それに対しターラと呼ばれた女性は力強く声を上げる。
「それとこれとは別に決まってんだろ。んなことよりも気に食わないことしてるよな財団様は」
エネルギー満ち溢れる声。並の男だったら怯んでいる。
「いえいえいえ、そんなまさか。貴方の時と同じようにしているまでですよ。貴方に機体を提供したあの時と」
「あれは守る為には必要なものだ。それにどちらかと言えば話を持ち出したのはアンタじゃなくて私だ。相手がひ弱そうだからとかいうくだらねぇ理由で、しかも相手の気持ちを考えずに推し売るのは、ブラックなセールスかなんかか? 醜いにも程がある」
エネルギーを感じるような声。その中にはソン・リンに対しての呆れも感じ取れた。ターラは続ける。
「失せな。人に物売る前に、人のこと考えろってんだ。さもなきゃーーー痛い目に会ってもらうが?」
ターラは拳をポキポキと鳴らし、暴力を溜めて闘志を震わせる。それを見て、ソン・リンは顔を青くした。
「ま、待ちなさいターラさん⁉︎ 私に危害を与えれば、あの機体は没収になりますよ⁉︎」
この状況下でも笑顔は消えない。ある意味ビジネスマンの鏡である。
だが、彼の脅しもターラには効かない。
「好きにしろ。だったら別のに乗る。今のこの状況はまさにーーー守る為の戦いだからな」
その言葉にセレスはハッとする。脳裏に浮かぶのは先日のユウとの会話。似たようなことを彼は言っていた気がするが、少し違う気もした。
ソン・リンは彼女の覚悟を変えることはできないと悟った。そしてセレスとすれ違うように後退り、言う。
「そ、そうですか? なら私はここで身を引きましょう。セレスさん、もしTTが欲しくなったらどうぞお声掛けを。その時は誠心誠意ーーー」
「どっか行けクズ野郎!」
ターラの咆哮がソン・リンにぶち当たる。
ソン・リンはたちまち笑顔を解いて速攻で去って行った。
その場に残ったセレスとターラ。セレスは彼女に対して頭を下げる。
「す、すみません。あと、ありがとう、ございます。わざわざ助けていただいて」
そんな彼女に勝ち誇った顔でターラは言う。
「礼には及ばないよ。あんな身も心も汚いような男、私がいる限りは跳ね除けてやるさ。それより、アンタってアスオス? そのクーラーボックス持ってるってことは水とか配ってた?」
問われるセレス。だがアスオスか、と聞かれて少々彼女は戸惑うが、どうにか説明する。
「あ、いや、わ、私はアスオスじゃないんですけど、お手伝いというか。なので水は配ってましたね、はい」
「あーそうかそうか。なあ、それじゃあその中まだ水とか入ってたりする?」
ターラはセレスの持つクーラーボックスを指差す。それにセレスは頷く。
「はい、一応あと少しは。足りなくなったので本部に取りに行こうかと思ったんですけど」
「ほんと? ならちょっと至急水持ってきてくれね? テントの中から動けない人があと数人いるから」
ターラは親指で背後を指す。
「あ、分かりました。それくらいなら余裕あると思うので」
「サンキュー! なら急ごうぜ! 赤ん坊は待ってはくれねぇぞ!」
ターラはセレスの腕を掴むとそのまま走り出す。セレスは彼女に釣られるがまま、テント街の奥へと向かっていった。
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