第1章 

第1話 暗闇のなか

 暗闇くらやみの大きな口の中を、壁伝いにスルスルと降りていく。


 ヘルメットに装着した照明で足元を照らすけれど、暗闇の深さに対して心許ない。握った命綱を信じて、壁を蹴り、さらに低い位置の壁に足を着ける。縦穴の底につくまでは、ひたすらその繰り返し。


 ラペリングは地上で何度も練習した。訓練通りの動きでやれば暗くても問題ない。私の両隣でも同じように、明かりが一定のリズムで跳ねては、降りてを繰り返している。その中の明かりが一つこっちを向いた。エリーだ。


 エリーは人差し指で下を指した後、手を振って降りていった。「先に行くよ」と言ったところか。少し遅れが出ていたらしい。こうも暗いと、降りる速度の把握もままならない。優等生なエリーはどうやっているのか、人に気を配る余裕がある。


 私は素早く降りてを、彼女に追いつく。そして同じように明かりを向けて、「問題ない」とハンドサインを送った。エリーは頷いた後、すぐに闇へ消えた。私も重力と、暗闇との付き合いに専念する。


 まさかこんな任務に就くことになるとは思ってなかったな。軍に入ったら戦場に出て、敵を撃って撃ち返される。それが私の人生だと腹を括ったつもりだった。気味が悪いとはいえ銃弾が飛びかわないこの暗闇に、安心を感じている。ここは国境の内側だし、辺鄙なところだから敵も来ない。ちょっとした冒険をしているようで、ワクワクすらしている。


 エリーの速度に合わせて降り続ける。彼女が、ふと止まった。袖を捲って腕に顔を近づけている。私も袖を捲り、腕に巻いた時計を見た。降下を始めてから、もう10分が経過している。留まらずに降りているのにまだ底が見えない。


 気温も地表にいた時より、かなり低くなった。薄気味悪い静けさのせいで余計にそう感じる。景色に変化なし。灰色の石面が続いている。時計がなかったら、時間の感覚も失っていただろうな。視覚に依存した人間には不利な環境だ。わざわざ、そんなところに潜ってすることが、御伽噺の真偽を確かめるためとは、誰も思うまい。


 私たちが潜っている大穴の底には”妖精王の剣”とやらがあるらしい。


 今回の任務はソレの調査で、私たち下っ端とハズレくじを引いた隊長が駆り出された。なんだそりゃって感じだけど、敵に撃たれないならいい。


 ブリーフィングの時、隊長は“王家の古文書”が作戦の根拠だと言っていた。御伽噺で軍が動くなんて、まあそれくらい、この国は切迫した状況にあるんだろう。出来ることは、本当に何でもするつもりなんだ。私としては“妖精王の剣”には期待していない。


 エリーの反対側、私の右にいるユナを見る。彼女のマイペースはここでも発揮されているようで、降下のスピードがブレることはない。いつものように、ぼーっとしながら体を動かしているんだろう。大穴に入る前、彼女が御伽噺のことを教えてくれた。


 昔々、世界は絶えず争っていた。そこに一人の妖精が現れる。彼女は平和のために剣をとり、民と共に、争いを望む者たちを倒していった。妖精は女性でありながら王に選ばれ、平和な国を築いた。妖精王の剣と意志は、王家に代々受け継がれた。そういうお話。


 この話は王国の建国神話となっているようで、学校で習う話だそうだ。私はこの国の生まれじゃないし、学校にも行かなかったから初めて聞いた。多分、習っていても忘れてたと思う。神話とか興味ないし。


 壁を蹴り、また壁の感触を足で受ける。もう意識しなくても、体が勝手に動いている。相変わらず、穴の底は見えてこない。


 そういえば、穴とは呼んでいるけど正式な呼び名がある。”妖精王の剣”が収められているんだから、それは神聖な場所だ。王家では”聖櫃アーク”と呼んでいるそう。剣だけじゃなくて骸もありそうな感じがする。妖精のミイラなんて出てきたらトラウマだ。

 偉い人(?)なだけあって、穴の上には、それを覆うように奇妙な建造物があった。おかげで真昼間なのに穴の中は真っ暗だ。


 ――にしても、せめて階段をつけるとか、明かりをくらい用意してくれてもよかったのに。妖精の建築センスはどうかしてる。エリーもそう思ってるだろうな。ユナはそういうことを気にする子じゃない。隊長はどうだろうか?


 彼女の方を見る。隊長のユーリア・イスマは先行して降下を続けている。私たちの隊は女性のみで構成されている。戦うことを選んだ女は賞賛と同時に、男からの軽蔑も受けた。


 そうも言ってられないことは、彼らもわかっているから口にはしない。代わりに目でそう言ってくるのだ。女の役割を放棄したとか男のメンツを傷つけたとか、そういうことなのだろう。正確な理由は特にわからないが、言葉にすれば、きっと下らないことに違いない。


 その時、蹴った壁がわずかに崩れた。灰色のかけらが落ちていく。暗闇に飲み込まれて10秒くらい経った。耳を澄ませて待っていると、小さな音が返ってきた。空耳じゃない、確かに底の音が聞こえた。


「聞こえたか? 底はもうすぐだ」


 隊長がそう告げる。久しぶりに人の声を聞けて、自分も喋れることを思い出した。


「了解」


 それは私が言った。返事は必要ないと思うが、黙ってるのに疲れていた。底が近いとわかって、さっきよりも明るい気持ちで落ちていける。

 

 もしも、“妖精王の剣”見つかったとしたら、ソレは何をもたらすだろう? 御伽噺が本当なら、私たちに迫る敵意を切り払えるかもしれない。敵に怯えて逃げ回ることもなくなるかもしれない。魅力的な話だ、王家や軍が縋りたくなるのもわかる。


「はあ、はあ」


 息が上がってきた。呼吸がやけにうるさい。あともう一息だから、頑張れ私。跳んで、降りる。跳んで、降りる。跳んで……。


「うわっ」


 予期せぬタイミングで足が触れる。一瞬たじろいだが、すぐに理解した。足を上下させて、感触を確かめる。ようやく地面に立ったんだ。ロープから手を離して、上を見る。縦穴は入ったときのように大きな口を開けている。地上は遥か遠い。


「到着!」


 イスマ隊長が、底に到着したことを告げる。大きな声が反響して、鼓膜を揺らす。照明で辺りを照らす。どこも灰色ばかりだ、危険な生物の気配とかはない。


 “妖精王の剣”らしきものもない。情報、というか推測の通りなら、探し物はかなり大きい。少なくとも10メートル以上はあるとみている。そんな大きさなら、すぐに見つかりそうだけど……所詮は御伽噺だったか。


「おい!」


 ——ビクッ!

 声の方を向く。照明の光が目に痛い、隊長だ。

 ……なぜか下の方から声が聞こえる。


「お前、どこに立ってる?」

 

 どこって地面じゃないの?

 照明で足元を照らす。灰色で、ところどころ歪な形をしている。——というか、高い。暗くてそんなことにも気づかなかった。これ、地面じゃない?


 地面だと思い込んでいたモノの姿が、だんだん見えてきた。これは頭で、あれは腕。私が立っているのは肩と背中の間。巨大な人形が跪いている。剣は私の足元にあった。

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