Extra round② 連休明けの親孝行
「へへへ……裕二……反省会と行こうぜ……」
「か、会長!俊さんの世界戦の前にしょっぱい試合して本当にスイマセンでした!」
「裕二……謝るだけで物事が解決したら警察はいらねぇんだよ……」
試合が終わった裕二が真っ青な顔で控室に入ってきたのは、遥が俺のグローブにキスした直後だった。決して殴られ過ぎて顔が真っ青になっているのではない。単純にこれからやってくるであろう会長の愛ある?お説教が怖いのだ。
謝って済むなら警察はいらないと思うが、こういう顔面凶器に対応するために警察は必要不可欠な存在だと思う。おまわりさん、こっちです。
会長の凄む声、裕二のひるむ声。その光景を見て溜め息をついているトレーナーの俺の父・健太と、裕二の兄である翔一さん。とてもではないが、控室はこれから俺の一世一代の大勝負が始まるとは思えない空気に包まれている。
「おい俊!てめぇもしょっぱい試合したら承知しねぇからな!そんな試合したら、お前は裕二と一緒に東京から岐阜まで歩いて帰りやがれ!」
「か、会長、俊は世界戦ですし、弟とは違ってさすがに電車でいいんじゃ……?」
「ほー、平。お前も歩きたいか。そうか、見直したぜ。お前も裕二と俊と一緒に歩いて岐阜まで帰れ」
何もしていない翔一さんがまたも完全に巻き込まれ事故に遭遇して、顔を引きつらせている。歌舞ジムお馴染みの光景だ。何年経っても変わらない。
「もう!剛さん!これから俊くんの試合なんですよ!ジム一丸になって支えないといけないんだからいいかげんにしてください!」
「だ、だってよう、白鳥ちゃん、裕二のバカ野郎があんなしょっぱい試合をし……」
「言い訳はなしです!はい!切り換え!」
そう言って遥が手を叩いて場の空気を変える。6年前は可憐な女子高生だった彼女だが、あれから6年、最初は歌舞ジムのお手伝いとして運営に携わり、今では台所とメンタルケアまで担当するようになったことでだいぶ強くなった。
俺たちみんなが恐れる顔面凶器も、遥と都さん、そしてジムの女帝である優子ちゃんには弱い。共にジムを切り盛りするウチの父親の言うことは聞かないのに、この3人の言うことはちゃんと聞く。
「と、とりあえず白鳥ちゃん、裕二のバカに2、3発入れさせてくれねぇか……?」
「ダメです!そんな時代じゃありません!もう、すぐ拳骨なんですから……」
「仕方ねぇだろ白鳥ちゃん。俺は拳で言葉を伝える能力に長けてるんだからよぉ……」
「いい加減にしなさいな剛くん。口で言葉を伝えられないならもう一度小学校に戻りなさい!それか武史ちゃんが小学生の時に使っていた国語のドリルでも使いなさい!」
控室に凛とした声が響く。女帝の登場だ。歌舞優子、世界ヘビー級王座を獲得した歌舞武史の母にして、歌舞ジム全員が恐れる存在でもある。
女帝は今日、俺の世界戦に合わせて和服を着ていた。紫の艶やかな着物に金色に光る帯。まるで演歌歌手の地方営……。
「フフ、俊ちゃん、誰が演歌歌手ですってぇ?」
「あ、今日も優子ちゃんは綺麗で美しいなぁって思ってました!」
柔らかな口調とは裏腹に、目は笑っていないし圧も凄い。何も言っていないのに心の中まで読んでくるのが怖い。たぶんこの人がこれからリングに上がったら、金の帯の代わりにスーパーバンタム級のベルトを腰に巻けるんじゃないかな。それくらい強い。
「ほーら、あなたたち、これから俊ちゃんの試合ですよぅ?遥ちゃんも言ったでしょう、ジム一丸になって支えましょうってぇ……。いい加減にしないと男共全員歩いて岐阜まで帰しますからね」
最初はいつも通りの口調だったのに、最後男全員を睨みつけた優子ちゃんに対して、翔一さんと裕二、そして会長が揃って「「は、はい!」」と直立不動の姿勢を取っていた。軍隊かな?
「さて、いよいよだな……。世界スーパーバンタム級王者のマヌエル・ゴンザレス……。メキシコ人らしいメキシカンスタイル。距離も取らない。打ち合いになるぜ、俊。メキシカン特有のジャブ対策、頭に入れてるな?」
俺たち歌舞ジムが円陣を組んだところで、会長の訓示が始まる。左には会長、右には遥。まさか世界戦の直前にこの2人と肩を組むなんて日がやってくるとは思わなかった。
「バカ息子が3年前にヘビーのベルトを獲った。2年前に美栄がオリンピックでメダルを獲った。夏には明の野郎が世界戦だ。俊、てめぇここで負けてみろ、流れ止めた戦犯として後で俺専用のサンドバッグにしてやる……」
まーた物騒なことを言い始めたよ。円陣組んでる時に隣りから脅迫するのやめてくれません?
しかしそんな会長が俺の右肩に回した手には少し力が入っていた。会長なりに緊張しているのかもしれない。
俺が歌舞ジムに遊びに行くようになったのが小学1年生、7歳になるかならないかの頃だ。今年23歳だから、15年以上この顔面凶器の世話になっている。
この顔面凶器は東洋太平洋級王座にはついたが、世界は獲れなかった。この人の腰に、俺が獲った世界のベルトを巻く。俺の目標だった。
「……会長、俺、ベルト獲って会長の腰に巻きます」
「……言うようになったなガキンチョ。俺の腰にベルト巻かせることができなかったら、東京から岐阜までハイハイで帰れよ」
だいぶハードルが高くなったことに苦笑した俺だが、こちらの覚悟が伝わったのかもしれない。俺の右肩に置かれた会長の右手の力が少し抜けたような気がした。
「おっしゃあ行くぜ!3、2、1!絶対殺す!」
「「しゃあ!」」
なんという掛け声だ。もはや歌舞ジムじゃお馴染みの円陣だが、とてもではないがこんなところをマスコミには見せられない。
地元開催の世界戦ということで、お台場のアリーナは満員御礼。ひとつ前の裕二がしょっぱい試合をしてしまったようだが、世界戦が構築する熱気が入場通路まで伝わって、俺の体の隅々まで包んだ。
通路脇のモニターでは世界戦のテレビ中継の映像が映っていた。解説は世界ヘビー級王座で同門の歌舞武史さん。お前ここでも解説やってるのかよ。この前テレビのバラエティ番組で紅茶の解説やトイレの掃除の解説もやってたよな。マルチ過ぎない?
『歌舞さんは小学生の時から挑戦者の薬師寺俊さん、そして2カ月後に1つ上のフェザー級の世界戦を控えている水谷明さんと親交があるそうですね?』
『親交?ノンノン、俊と明ちゃんはアタシの恋人と言っても過言ではないわ』
どう考えても過言だよバカ野郎。これ全国放送だぞ。あとでネットの掲示板に面白おかしく書かれるんだからやめてくれない?
『こ、恋人、ですか……?』
『フフフ、それは冗談として、アタシは俊の体の隅々まで知り尽くしているわ。そんなアタシが断言するわよ。今日、この試合、俊は勝てる』
そう断言されるのは嬉しいが、テレビでやられた分、ハードルは格段に上がった。そしてその前に体の隅々まで知っているなんていう物騒な言葉を放ったことから、またネットの掲示板に色々書かれると思うと頭が痛くなった。
遥や優子ちゃんはすでにリングサイド、最前列の関係者席に移動している。今は俺と会長、そしてトレーナーの父、ドリンクなどを運ぶヤマさんだけ。
会場が暗転し、夢にまで見た世界戦のオープニング映像が流れ始めた。俺は青いグローブを嵌めた両拳を2度叩き、その場で少し跳ねて体を温めていく。
「どうだ、体のほうは。動くか?」
「おかげさまでね。親父のトレーニングプランと遥のご飯のおかげで絶好調だ」
「そうか……。まさかこんな日が来るとは思わなかった。俺は才能のある自分の息子が世界戦に挑めることに感動している」
「あれ?一度確か才能がないって全否定されたような気がするんだけど」
「……それを言うな、俊……あの時はすまなかった……」
父親が肩を落とし俺に頭を下げた。そんな姿が面白くて、俺はつい笑ってしまう。
「お前には才能がない」……ジムで急に父親に言われてから8年近く。6年前から少しずつ関係を改善し始めた俺たち親子は、今では普通の親子くらいの会話は交わすようになっていた。
父親が俺とボクシングを出会わせてくれた。ボクシングが遥と俺を出会わせてくれたと言っていい。キッカケを作ったのは間違いなく父親だ。
「……試合が終わったら、親父の腰にもベルト巻かせてやるよ。2年前に娘から首にメダルかけてもらったけど、腰の周りがまだ寂しいだろ」
「……ああ、寂しいな。お前の獲ったベルトを、俺の腰に巻かせてくれ」
「仕方ねぇな。たまには親孝行するか」
そう言って、俺は入場通路を一歩ずつ、力強く歩き出した。隣で会長が少し笑った気がする。顔面凶器は今日も笑っても怖い。
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