第61話 ボクシングを語る資格
歓声が巻き起こるボクシング場を背に、
この歓声、たぶん俊が勝ったのだろう。まあ、当然だろう。本来持っている技術をちゃんと出し切れば負ける相手じゃねえ。誘い出された相手にコンビネーションで攻め立てリズムを作ったのを見て、歌舞剛は愛弟子の勝利を確信した。
一瞬会場内を見渡すと、遠目からでも分かる細身で筋肉質な、黒いTシャツを着た男の背中が目に留まった。男は会場の入口から、試合の結末も確認せずに去ろうとしている。
その姿を見るや否やすぐに立ち上がると、隣に座っていたバカ息子に後を託してTシャツの男の後を追いかけたのだった。
「おい、健太、ここはお前が来ていい場所じゃないぞ。隣の県の
スポーツセンターの体育館脇で、ドスの利いた低い、鋭い声を飛ばす。健太と呼ばれた男はゆっくり振り向いた。相変わらず顔も体型も俊に似てやがるなと、俺は心の中で独り言ちた。
「……ウチのヘビー級が全国に行ったら当たるであろう、有力選手の視察にな」
「ハッ、ウチのバカ息子は視察されて研究されようが負けねえよ。それよりヘビー級の試合は午前中には終わったぜ?バンタム級にも用があったんじゃねえのか?」
「あまりにつまらねえ試合ばかりで眠たくなって、会場内の椅子に座って寝てただけだ……」
そう言いながらTシャツの男は振り返り俺に背を向けると、出口へ向かいながら歩を進める。その背中に向かって、俺は再度ドスの利いた声を張り上げた。
「俊はもう、テメーの支えなんかなくても大丈夫だ。俊を支える仲間がいる。お前の出る幕じゃねえ」
「さっき、俊の担任とかいう男がやってきて、同じこと言われたな……。仲間?ボクシングは個人競技だろ?試合中に仲間が入ってきて2対1で戦ってくれるのか?最後は実力勝負だ。力があるヤツが勝って、力がないヤツが負ける。素質のあるヤツが圧倒的に有利なのは、現役時代ヘビー級で海外の有力どころに揉まれたお前が一番分かっているだろう」
「バカ野郎。素質だけで勝てたらこの競技は簡単だよ。素質だけ、力だけでは勝てねーのを俺は身をもって証明してきた。明の素質だけ買って隣の県に逃げたテメーにボクシングを語る資格はねえ」
「そうかい。だったら素質だけでは勝てないところを、再来月の京都で見せてもらいたいものだね。ウチのと当たる前に負けたら困るから、それまで残れるようまずは頑張ってくれ」
そう吐き捨てると、健太と呼ばれた男は去っていった。
「待てや健太!テメーの理想に捨てられた美栄、俊がよ、テメーのボクシング観を変えるから見とけ」
俺は去り行く背中に向けて大きな声を飛ばす。美栄、俊の名前を聞いた瞬間、一瞬立ち止まりかけたTシャツの男は、少し震えながら姿を消した。
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