第44話 想像以上にダメな教師
「でもいいっすね、俊さん、綺麗で超かわいらしい彼女さんができて、毎日愛妻弁当まで作ってもらえて……逆に幸せ太りして減量失敗しないでくださいよ?」
カブに視線を向けられ尻もちをついた時に強打したのか、裕二が自分の尻をさすっていた。……確かにその不安はあった。遥が大会まで逆算してメニューを組んでくれていること、メニューを工夫して俺に満足感を与えてくれている分、ここまでの減量は非常に順調だった。
しかしあまりに幸せ過ぎる今の俺は、何も食べなくてもその幸せで満腹になり、体重が増えそうな気すらする。
「大丈夫よ裕ちゃん。もし俊の減量が危なくなったら、白鳥ちゃんにお弁当抜きにしてもらうように頼むわ。それかお弁当箱に海苔1枚だけ入れてもらうよう頼むから」
赤い弁当箱を開けたら、そこに海苔が1枚だけ入っている光景を想像して俺は震える。弁当箱を開けたら海苔だけ入っている状況にならないよう、俺は自分を律することを心に決めた。
「そう言う裕ちゃん、アナタも顔立ち整ってるんだから彼女の1人や2人くらいできてもいいでしょう。あ、2人も彼女作ったら乙女の敵認定して、アタシが乙女の敵のアナタを滅ぼすからそのつもりでね?♡」
「2人って言葉を出したの、た、武史さんですよね……」
近くのパイプ椅子に座っていた裕二が怯えた声で答える。カブの言う通り、確かに裕二はイケメンと言っても差し支えない整った顔立ちをしている。性格は別として、顔だけならモテておかしくない。
「裕二、好きな人はいたりしないのか?」
「うーん……先輩方の前だから言いますけど……好きな人は、いますね……」
興味本位で聞いた俺の言葉に、裕二は少し顔を赤くしながら反応した。あ、これいるね。いるヤツの反応だよ。
「あらま、裕ちゃんも隅に置けないわ。もしかして……好きな人って……アタシ……?」
「裕二は好きな人って言ってるだろゴリラ。相手は人間だよ」
「あーら♡随分なご挨拶ねえ、俊♡……リングに上がりなさい今すぐ」
先輩2名による生産性のないやり取りを見て、裕二は苦笑した。兄の翔一さんに似てイケメンの裕二は笑った顔もなかなかカッコいいし、加えてボクシングをやっているともなれば、たぶん陰で裕二に惚れている女の子はいるだろう。
「で、裕ちゃん。アナタの好きな子って誰なのよ。同級生?アタシの知ってる子?まさか白鳥ちゃんなんて言ったら、今すぐ俊にボコボコにされるわよ、気をつけなさい?」
「は?裕二お前……」
「ス、ストップストップ!俊さん俺何も言ってないです!」
立ち上がりかけた俺を、裕二が手で制した。顔には焦りの色が浮かぶ。
「じゃあ誰なんだよ裕二」
「え……。あー、わ、分かりましたよ、言います、言いますから!」
立ち上がりかけた俺と、視線を向けてすぐに答えを吐くようにプレッシャーを掛けるカブに負けて、裕二が仕方なく口を開いた。
「絶対!絶対本人には言わないでくださいよ!……井上先輩です」
「クールビューティー!?」
「俊さん、ク、クールビューティー?って誰すか……?」
「裕ちゃん、アナタの好きな子ってまさか麻友ちゃん?」
「そ、そうなんです……」
後輩の好きな女子は、まさかの俺の彼女の親友だった。井上麻友さん。剣道部部長にして、長身、スタイル抜群、端正な顔立ちから男子はもちろん女子からもモテる。
その人気はすさまじく、切れ長の目元、クールな雰囲気から、バレンタインに女子からチョコまでもらうほどだった。遥がいなければこの学校のナンバーワン美女と呼ばれていただろう。
「はあ……麻友ちゃんねえ。どうして好きになったのよ?」
「こ、この前練習試合で村田工業に行ったじゃないですか?あの時に一緒に来ていただいて、その、凄い美人さんだなって……。しかも応援までしてくれて、その時完全に心持っていかれちゃいました……」
ああ、あの時か。先週の水曜日、学校の設備点検のため午後授業がなかった俺たちは、電車で数駅のところにある村田工業高校に遠征しにいった。
その際、遥と、その親友の井上さん、あと俺とカブの中学からの同級生である八重樫卓の3人が応援するため一緒についてきてくれたのだ。
あの遠征からまだ1週間も経っていないことに俺は驚く。この1週間が濃密過ぎて、もう1カ月も2カ月も前の出来事に感じられた。
「しかし麻友ちゃんねえ……どうしたものかしら……?」
「井上さんって彼氏いるの?」
「アタシの知る限りはいないと思うわ……。でも後輩の男の子からいきなり告白されたとして、彼女がOKするかしら?」
「……しなさそうだな」
俺たちは1年以上、井上さんのクラスメイトでもあるから、彼女がどういう性格の女子かはなんとなく知っている。
確かに、カブの言う通り冷静沈着、クールビューティーと呼ばれるのも分かる彼女が、ちょっと顔見知り程度の後輩に告白されてOKするとは思えなかった。
「まあ、分かったわ。カワイイ後輩のためにアタシも一肌脱いじゃおうかしら」
「……え!武史さん、本当ですか!」
「ええ。あら?裕ちゃんは私が全部脱いだほうが良かったかしら?」
「ヒ、ヒィィィ!」
裕二が青白い顔になって震えだす。カブ、お前付き合い長いからって裕二をあまりいじめるなよ……。なんだか裕二がかわいそうだし、俺も井上さんの親友である遥にどことなく聞いてみるか……。なんて、内心そう思いながら、震える裕二を見守るのだった。
俺が裕二のために一肌脱ごうかと思ったところで、少し離れたベンチで、顔には開いた化学の教科書を載せて寝ていた杉森先生が、教科書を取って上半身を気だるげに起こす。
俺たちの担任でもあり、ボクシング部の顧問でもあるこの人は、昼休みにたまにボクシング場に来ては、パンをかじるとそのままベンチに横たわって昼寝していた。
ダメな大人を具現化するとこうなる、いい例みたいな人だ。両腕を上げて背中を伸ばし、大きくあくびをした杉森先生が思い出したように口を開く。
「……ああ、薬師寺、お前、白鳥と付き合うことになったのか。良かったじゃねぇか」
なんだか担任に交際がバレるのはなんだか恥ずかしい。そして担任にこの話題を振られるのはもっと恥ずかしい。
「そ、そうです……。先週の金曜から……お付き合いすることになったと言いますか……」
「まー、俺はくっつこうがくっつかまいがどっちでもいいんだけどよ」
どっちでもいいならなんで話題に出したんだよこのダメ教師。
「ただよお、薬師寺お前、白鳥と付き合ってるの、他の奴らに言ったのか?」
「い、言ってませんよ!まだ付き合って3日ですし」
「そうかあ……それはどうしたもんだろうなあ」
「なるほどね、おスギの言いたいこと、なんとなく分かったわ」
俺はこのダメ教師が何を言いたいのかまったく分からなかったが、勘のいい腐れ縁は、話の内容から本筋を察したらしい。
「俊、いいこと?白鳥ちゃんはクラスどころか学校の人気者よ。当然告白されることも多いわ。分かるわね?」
俺はカブの問いに頷く。実際先週の木曜日にもサッカー部の部長が遥に告白し、見事にフラれていた。あれだけかわいいんだ、毎日のように告白されるのはむしろ当然のことだろう。
「たぶんこの先も白鳥ちゃんに告白する男どもは後を絶たないわ。告白はする側も勇気がいる行為だけど、断る側も大変なの。相手を傷つけないように断るのは至極難しい話なのよ」
絶対に告白されたことがないであろう大男が、なぜか体験談のように語ることに俺は違和感を覚える。
「しかも俊、アナタ、白鳥ちゃんが告白されている姿を見てどう思う?」
「どう思うって……。嫌だな、嫌な気持ちになる」
「そう、それがジェラシー。嫉妬よ。仮にアナタたちが関係をみんなに周知すれば、白鳥ちゃんに告白する男どもの数は減ると思うわ。白鳥ちゃんも気が楽になるし、アナタも気が楽になる。ええ、WIN-WINね」
なるほど、確かに言われてみればそうだ。告白が完全にゼロになることはなさそうだが、間違いなく告白される数は少なくなるだろう。
ただ、俺の中で気恥ずかしさが残るのも事実だ。遥と会うようになってから、俺は以前ほど周りの視線が気にならなくなってきた。
とはいえ、交際宣言をしてまた周囲の注目を集めるような状況に陥るのは正直しんどい。そんな俺の内心を察したのか、カブは続ける。
「アナタがあがり症で周囲の視線を苦手にしていることは、長年の付き合いなんだから分かるわ?でもね俊。アナタの勝手で白鳥ちゃんが困るのは、アナタの本意ではなくって?」
その通りだ。俺は先週金曜、遥を一生大切にすることを自分の心に誓ったばかりである。俺の勝手で彼女を困らせるわけにはいかなかった。
「分かった、カブ……。遥にも相談してみるよ」
「そうすることね。2人で話し合って結論を出すのがベストだわ」
そう言って頷くゴリラに視線を向けながら、気だるげに話を聞いていた杉森先生が口を挟む。
「んー、ってことは、薬師寺と白鳥が付き合ってることは、お前らが周りに伝えるってことでいいんだな?」
「あ、はい、それでいいです」
「んー、分かった。まあ、早めに言って損はないと思うぞぉ。俺も高校時代に今の嫁さんと付き合ってること早めに言って良かったしなぁ」
このダメな大人が高校時代交際している女性がいたこと、そしてそれが現在の奥さんであることを知り、俺は驚きのあまり目を見開いてしまった。
そのタイミングで、授業開始5分前の予鈴が鳴る。弁当などを片づけて俺たちが教室へ戻る中、杉森先生は再びベンチに横になり、開いた教科書を顔の上に載せて、二度寝の体勢に入っていた。授業はどうしたダメ教師。
俺はこの杉森先生をある意味侮っていたのかもしれない。
翌日火曜の朝のホームルーム。眠そうな顔で教室の扉を開け、教卓に手をついた杉森先生はあくびしながら、気だるげに連絡事項を告げていく。
「えー、今日も……いい天気だな。なんか特筆すべきことも……ないなぁ。来週のテストは……まあ、俺の知ったところじゃないだろう、お前ら各自頑張れ。あー、あと薬師寺、白鳥、お前ら付き合ってること、クラスの他のヤツらに言ったか?」
遥が思わず立ち上がり、何か言おうと口をパクパクさせた後、そのまま座り直して顔を真っ赤にして俯いた。この杉森という教師は、俺が想像した以上にダメな大人だったのかもしれない。
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