第17話 顔面凶器との遭遇


ボウリング場を出ると、太陽は傾き始めていたが、まだ夕暮れというほど外は暗くない。


翌月に夏至が控えていることを実感させられる景色を見ながら、白鳥さんは俺の左手を握ってくる。今日、ずっと彼女は俺の手を握ってくれていた。もちろん男としてこれ以上の幸せはない。


まして、相手は学年どころか学校一番の美少女だ。そんな美少女が、俺の手を握ってくる。たまに目が合うと、恥ずかしそうにはにかんで、頬をほんのり赤く染める彼女が眩しい。


ボウリング場から最寄り駅までは住宅街の真ん中を通っていく。しかも、このルートだと俺の家のかなり近いところを通る。


パンケーキを楽しんだカフェから駅までは商店街を通っていけばいいが、そこから歩いて10分ほどのボウリング場は住宅街の外れにあったため、帰る際は俺の家の近くを通ったほうが圧倒的に駅までの時間を短縮することができるのだ。


「ボウリング、楽しかったなあ!」


鼻歌でも歌うんじゃないかと思うくらいご機嫌な白鳥さんが笑いながら語り掛ける。


「そうだね、久々だけど楽しかった。し、白鳥さんの投げる姿も……」

「あ!俊くん今想像した!私が両手で投げたところ思い出した!」


白鳥さんが先ほどまでの笑顔とは一転して、今度はプンスカ言いながら頬を膨らませた。かわいいかよ。


「いや、あの投げ方もかわいかったから!」

「か、かわ……」


プンスカやっている彼女をなだめるためについかわいいと口にしたところ、彼女の膨らませていた頬が一気にしぼみ、代わりに紅潮する。なんだかお互い恥ずかしくなって、手を繋ぎつつも無言で歩いていると、左手のほうに見慣れた建物があった。


建物の入口では、スキンヘッド頭にタオルを巻いた大柄な中年の男性が観葉植物にホースで水をかけていた。横顔からしてイカツイ。絶対そっちの道を進んでいた人だ。そして俺はこの男をよく知っている。


「や、やばい、白鳥さん、道を間違えた、向こうから行ったほうが駅に近い」


俺は状況を一瞬で飲みこみ、左手に握られた白く、小さな手を引いた。


「え、なになに?こっちが駅じゃないの?」


白鳥さんが驚いたように声を上げた。その声が中年の男性の耳に入ったのだろう。放水するのを中断し、こちらに視線を移す。そして……。


「ん?おい!俊じゃねえか!お前今日ジムに顔出さねえでそんなところで何やってるんだバカ野郎!」


怒号にも近い大きな声が飛んだ。白鳥さんが驚いて、若干恐怖の表情を浮かべて固まっている。


「しゅ、俊くんの知り合いの方……?」


白鳥さん、あのハゲ……じゃなかった、スキンヘッドのおじさんは、あなたもよく知っている人のお父さんです……。


ホースを投げ捨てたハゲ……、もといスキンヘッドがズンズンと音を立てながらこちらに近づいてきた。そしてそのまま俺の胸倉を掴む。


胸倉の掴み方が息子と一緒なんだよなあ……。ケンカになるのではないかと、何とか止めようとしてきた彼女を俺は手で制した。


「しょ、紹介するね、こちら歌舞剛かぶ つよしさん。この歌舞ボクシングジムの会長さんで、あの筋肉ダルマのオヤジさん……」

「何が紹介するねだこのバカ野郎、練習サボりやがって」


拳骨を食らった俺は、絶対たんこぶができた頭を抱えて唸る。その光景を白鳥さんは口をぽかんと開けながら見ていた。





水の滴る観葉植物たちの脇で、俺たち2人はハゲ……じゃないや、スキンヘッドの大男に捕まってしまった。


「で、俺たちが必死に汗を流している時に、お前はサボってジムにも顔を出さず、美人ちゃんと手を繋いでデートとしゃれこんでいたわけだ」


ハゲ……じゃないや、スキンヘッドの中年男性が俺にすごむと、俺たち2人を強制的にジムの中へ連行していく。


美人ちゃんと言われて恥ずかしいのか、隣の白鳥さんは顔を赤らめて俯いていた。練習中の人間が次々に向ける視線が恥ずかしかったのかもしれない。こんな無機質な男だけのジムに学校イチの美女が入ってきたら、みんな視線を向けるのは当然なのだが。


強制的にジムに連行された俺と白鳥さんは、ジムの入り口から少し入ったところのパイプ椅子に座らされ、カブパパの尋問を受けていた。


ジムに通っている人間から裏で『顔面凶器』と呼ばれている顔、そしてそのヘアスタイル?から迫力のあるカブパパは、ヤクザも道を開けるとウワサだ。


開けるわな、こんなのとすれ違ったら。当然の選択だろう。内心で俺は納得する。そしてそんな顔面凶器相手に必死に弁解した。


「でも会長、俺、カブに今日の練習は中止になったって……」

「ああ?お前の目には見えねえのか?同じ釜の飯を食ってる連中が、こうやって汗を流しているのがよ」


おいおい、カブ、今日の練習なくなったって言ってたじゃんか、話が違うぞ。


小さなビルの1階は中央にリングが置かれ、その脇にサンドバッグが3つ吊るされている。所属選手たちがリングの上でスパーリングをこなしたり、サンドバッグを打ったり、端で縄跳びをやっていた。


「いや……でも会長、俺、確かにカブから今日は休み、練習は中止になったって聞いたんです……」


目をギロっとさせて、怖い顔を更に怖くした会長が口を開きかけたところで、白鳥さんが意を決したように援護射撃を始めた。


「わ、私も歌舞くんの話、聞きました!確かに『土曜の練習はナシ、中止になったわ』って……。俊くんも練習があると思ってたみたいなんです。でも歌舞くんが心配しないでって……」


顔面凶器の圧にひるんだか、最後のほうは消え入りそうな声になっていた。


かっこいいよ白鳥さん……。この顔面凶器に立ち向かえる女子高生は日本で君だけだよ……。君は英雄だ……。




「あの野郎……何考えてやがる……」

「か、会長、そもそもカブは今どこにいるんですか?」

「あのバカ息子、『ちょっとロードワークに行ってくるわ』なんて言ってもう5時間以上帰ってこねえ……どこで道草食ってやがるんだ……」


ハゲの怒りのボルテージはもう限界に到達しようとしていた。ああ、カブのヤツまたロードワークと称して映画観に行ったな……。


俺は腐れ縁がロードワークをサボって何度か町外れの映画館に恋愛映画を観に行っていることを知っている。そして俺は、10年近くこのボクシングジムに通っているから分かる。この火山はもう噴火直前だ。今すぐ避難しないと。


ハゲが怒りのあまり、近くにいた若手を怒鳴っていた隙を見て、俺は白鳥さんの手を引っ張り、入口からコッソリ逃げようとする。そんな俺たちにリングの方向から声が飛んだ。


「あれ?俊?今日休みじゃなかった?」


短い茶髪、鋭い顔つき。細身ながら少し離れていても分かるしなやかな筋肉。20代前半と思われる男が俺に声を掛けてくる。


「た、平さん、俺今日休みで……」

「ふーん……そちらの可愛い子は彼女?」

「え?あ、いえ!クラスメイトです」


そう言って左手にいた彼女の顔を見ると、彼女は頬を赤らめて、何かガッカリしたような表情を浮かべていた。え、俺なんかまずいこと言った?


そんな俺たちのやり取りを見て、リング上の『平さん』が苦笑する。平翔一たいら しょういち、歌舞ジムの古株で22歳。俺やカブの先輩で、もう10年の付き合いだ。


「あー、俊、悪い、スパーリング少しだけ付き合ってくれねえか……!」


リング上から、こちらを向いた平さんがグローブを合わせてお願いするポーズを取っていた。


「いやいや平さん、俺今ポロシャツにデニムですよ、スパーリングなんてやる服装じゃないですって」

「すまん俊、本当は武史の野郎とやる予定だったんだけど、アイツ昼過ぎからどこかに行きやがってよ……。俺も試合近いから頼むよ!」

「でも俺、今、デ、デート中なんです!」


勇気を持ってそう宣言した俺を、右前で若手を怒鳴り散らしていたハゲが睨む。


「練習サボってデートだぁ……?平ぁ!このデート中の、色ボケした小僧を一丁揉んでやれ!」

「はあ!?だから俺はデート中だって……」

「いいか俊?やるか、やらないかじゃない。やるんだ。DEAD OR DEADだ。分かるな?」


ねえ、それ、どっちも死じゃない?

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