咲いたもの、結んだもの

雪野スオミ

第1話「話しやすい人」

 まだ慣れない地下鉄を降り、馬鹿みたいに長いエスカレータを上がっていく。花で飾られた門をくぐり抜けた俺は、先生らしい人の指示に従って体育館の指定された席へ向かった。春とはいえパイプ椅子はまだ冷たい。まぁ、この式の間に温まるだろう。入学式っていうのはどうしてこうも長いんだろうな。校長はともかく、なんでこんなに人が集まるんだ。本当はあんたらも来たいわけじゃないだろうにご苦労様なことだ。

「おーい、沢村~」

友人の本田が気の抜けた声で俺を呼んでいた。そうか、あいつも一応一緒の高校だっけな。まだ式が始まるまでには時間がある。久しぶりに会った奴との会話の方が俺にとっては重要だ。俺は席を立って後ろの方へ向かった。

  *

 無事、私は高校に合格した。塾の先生や友達からは「絶対に受かる」と言われてきたけれど誰からどれだけ言われてもきっと不安は解消されなかっただろう。何とか一区切り、私の中でつけることができた。

「おはよう、みらいちゃん!」

「おはよう、あずさちゃん!」

あずさちゃんもここに入学出来て良かった。私とあずさちゃんは小学校の頃から同級生でずっとクラスも同じだったし、何より私の初めての友達だったからまた一緒に過ごせることが本当に嬉しい。

「同じクラスかな?」

「そうだといいね!」

さてそろそろ入学式が始まる。あずさちゃんと別れて私は席に座った。入学式は長いけれどとても楽しい。色々な人が色々な話を私たちのためにしてくれるのだから。

 あ、あの校長先生優しそう……。

「新入生、礼!」

私たちは号令に合わせて頭を下げる。たまにこういうとき、寝ていてタイミングがずれる人がいるんだけど流石に入学式ではいないよね……。

  *

 危ねぇ危ねぇ。起立とかだったら確実に目立っていたに違いない。入学早々笑い者になるところだったぜ。これからは起きておくか、そう気合を入れた瞬間に降りてくる瞼。俺は結局、式の間中ずっと睡魔と格闘していた。

 数十分後、やっと式が終わった。あいにく俺は所々の記憶が無いので先生の名前などは半分も覚えていない。まあこれから頑張って覚えていくとしよう。それよりクラスの連中の名を覚える方が先だろうが。

 やがて先生の話や自己紹介も終わった。我がA組担任の如月先生によると明日から授業で早速今日、教科書を持って帰らなければならないらしい。なるほど、だから合格発表の日にいきなり芸術科目の選択用紙を書かされたわけか。俺はプリントに書かれた地図を見て引き渡しの教室へと向かう。えーと、この奥だな。

「すみません、美術選択の沢村です。教科書を受け取りに来ました」

事務員らしいおばさんが名簿を見て、奥から束になっている教科書を取り出した。

「はい、全部合わせて十四冊ね、あとこの単語帳も」

回れ右して帰りたくなった。分けて後から配るとかは無理なのか? 仕方なく俺はその束を鞄に詰め込む。担ごうとすると肩が抜けそうだ。

「あ、ちょっとごめんね」

おばさんが俺を呼び止める。お釣りでも忘れたか?

「美術選択者はこのポスターカラーと粘土も持っていってね」

俺はそれからどうやって帰ったのだろう。ひどい筋肉痛が俺を苦しめていた。

  *

 家に着いた私は教科書一冊一冊に丁寧に名前を書いた。すごく重かったけれどこれから約一年間付き合っていくことになる物だから大切に扱っていこうと思う。それに私は教科書が好きだ。真っ白い紙に書かれた色々な事。ここに載っている色々な事を私はこれから知っていくんだ。そう思うと何だかワクワクする。高校の教科書は大きさがバラバラで、本棚に入れたとき何だかちぐはぐだ。まるでいつも公園からスケッチする街並みを見ているみたいで面白い。

 さてと、明日から早速授業が始まるって桐生先生も言っていたし時間割を見ておかないと。そう思ってファイルを開くと一枚のプリントを思い出した。そっか、ここは何かのクラブに絶対入らないといけないんだ……。えっと、何部があるんだっけ。イラストとか美術部はあったけど何か怖そうだったし他のが……。あ! 私は「絵が描ける人募集!! ゆるーくやってます」の文字を見つけた。決めた、私は申し込み用紙に必要事項を書き込んで鞄の中にしまった。どんなところかな、「文芸部」……。

  *

 結局部活が決まらないまま、締め切りの日がやってきた。仕方ない、昔から本を読むのは好きだったし書くことも嫌いってわけじゃない。この文芸部ってところに入っておくことにしよう。

「こんにちは、入部希望の沢村です」

校舎の端の端にある部室棟の一番上の階の一番奥に押し込まれている文芸部室の戸を俺は引いた。

「あ、こんにちは、こんにちはー! よく来たねー! 名前は? 好きなジャンルは? 今まで小説書いたことある?」

俺は唐突に、そして矢継ぎ早に何やら質問されている。が、早口すぎて半分も聞き取れない。

「仮野さん、一気にそんなに聞いたら新入生さんが困っていますよぅ」

「あ、すみません先輩……。ごめんね~! うちはさ、部員少ないから来てくれる子がすごくありがたくて」

なるほど見たところ部屋には俺を含めて七人しか生徒がいない。クラブ活動が盛んなこの学校としてはかなり小さい部類だろう。

「さて、そろそろ新入生歓迎のオリエンテーションをしましょう! まず自己紹介から! 私からいくね、二年C組の仮野です! 好きなジャンルはラブコメ! 副部長やっています!」

一番初めに話しかけてきたこのハイテンションな先輩は副部長だったらしい。ふわふわした長い髪が話している動きに合わせて上下左右に大きく揺れる。

「あと部誌のイラストも描いているんだけど、ずっと絵の描ける人が一人だったから新入生に絵の描ける人が来てくれて嬉しいな!」

そう言って先輩は奥の方を見た。そこには小柄でショートカットのメガネがよく似合う女子が座っていた。

「じゃあ次はアタシだね。アタシの名は湊。二年D組で仮野とは長い付き合いさ。茶道部も兼部しているからあまりこっちに来れないかもしれないけど。ま、よろしく頼むよ」

湊先輩はそう言って軽く手を振り笑って座った。何だかすごく大人っぽい人だ。長い黒髪を一つに束ねていてきれい、いや、魅力的というのだろうか。

「俺は桜井。二年B組。ここでただ一人の男子部員だったが今年は一人、男子が入ってくれるみたいだな。ま、力仕事を任されるって覚悟はしとけ」

なんとなくそんな感じはしていた。俺が部室に入った瞬間、小さくガッツポーズをしていたのは見間違いじゃなかったようだ。

「えっと、私の名前は美咲です。二年A組です。私、話すの苦手ですけど頑張りますね、よろしくお願いします!」

何だか可愛らしい方だ。話し方もそうだが何よりあのメガネ少女よりずいぶん小柄で頭を下げていると机の向こう側からだと隠れて見えなくなってしまう。

「最後に、私は部長の光です。唯一の三年でしかも部長だけどあまりそれっぽくないので気にしないでフランクに話しかけてくれて良いですよぅ」

何だかすごく緩い雰囲気の方だ。なるほどな、この人がまとめるこんな部活だからこそ、この学校においても平和にやっていけるのだろう。

「さ、次は君らの番だよ!」

仮野先輩が俺とメガネ少女の方を見て言った。そうか、俺たちも自己紹介をすることをすっかり忘れていた。えっと……。

「私は一年B組の神原みらいです」

横にいたメガネ少女がすっと立ち上がり自己紹介を始めた。

「私はこれまで文章を書いた事が無いので挿絵や表紙のイラストとかで頑張りたいと思っています、よろしくお願いします」

そう言ってそのメガネ少女は頭を下げて座った。おいおい、同じ一年でこんなにしっかりしている奴が一緒かよ。俺は頭を抱えた。

「さ、次は君、お願い!」

仮野先輩に促され俺は立ち上がる。

「えー、一年A組の沢村一也です。完全に初心者なんで、これからよろしくお願いします」

見ろ、俺の自己紹介がとてつもなくしょぼく聞こえる。まあ聞こえるんじゃなくて事実、しょぼいんだがな。

  *

 やがて部のルールなどの諸連絡が終わり次の部活の日程を聞いて終わった。月末までに一作、何でもいいから書いてこなくてはならない。……書けるかな。私は絵は何度も描いてきたけど、文章は今回が初めてだ。皆はどうやって書くんだろう。

 ……そうだ、沢村君が確か、初心者って言っていたからどんな風に書くつもりなのか聞いてみよう。

 幸いまだ門の所に居たから私は沢村くんを呼び止めた。

「ごめんね、急に一緒に帰ろうなんて」

「ああ、別に構わないけど。神原さんだっけ、何で俺と……?」

「うん、実はね。小説ってどうやって書き始めるのかなって……。沢村くん、さっき初心者って言ってたから。沢村くんはどうするのかなって」

「えっ、そっか、うん……。難しいな。俺も今まで書いた事ないし……。そういえば神原さんは絵が得意って言ってたけど逆に絵を描くときはどんな風に描いてるんだ?」

「私? う~ん、やっぱりその描きたいものを丁寧に描こうって気持ちと、あとは描いてるものの気持ちになって描くことかな……」

「じゃあ、小説でも同じだな」

「えっ?」

「神原さんがそんな風に描いて良い絵が描けるって思うなら多分小説でも同じことだろ」

「そうかな……」

「ああ」

何となくわかったような気がした。そっか、何でも同じなんだ。絵でも小説でも。

「ありがとう! じゃあまた次の部活でね!」

そうお礼を言って私は電車に乗った。沢村くんは反対側のホームで軽く手を振っていた。

  *

 えらそうに人にアドバイスをしたが全く案が浮かばない。はあーっと大きなため息をつきながらパソコンに向き合う。あの日から一か月が過ぎた。神原さんは俺からのアドバイスをもとにして何やら書き上げたようで先日礼を言ってきたのだが、お礼を言われた側のパソコンにはまだ一文字も打たれてなかった。まったく困った話だ。

 しかし決して俺が怠けていたわけではないということはそこにある体育祭の時のクラス写真が物語っている。俺は昔から体育が苦手で、体育祭の練習も積極的に参加する方ではない。しかしこの高校では全てのクラスにダンスが競技として必ず組み込まれているという面倒な伝統があった。体育が苦手な奴がダンスなど上手にできるだろうか。当然、俺は朝から放課後までずっとダンスの練習をさせられていて、そのおかげで俺の踊りはまあ形にはなり体育祭は無事終わったのだがその結果、この真っ白なモニターがあるというわけだ。あれだけ頼られて俺の方が書けなかった、というのは何とも情けない。俺は必死にアイデアをひねり出して何とか話を作り上げたが、書き上げることが出来たのはいつも朝に俺が起きる時間であったということは秘密である。

  *

 私たちが入部してから初めての部誌が完成した。沢村くんは初心者なんて言っていたけど私なんかの作品よりずっと上手だった。「クジラは空に溶ける」なんて、タイトルからどんな話なのかわくわくする。これだけしっかり書けているんだからきっとプロットとかしっかり決めて書いたんだろうな……。私なんて感覚で書いただけだからストーリーのこととかもっと頑張らないといけない。

「じゃあ夏休みの予定でも決めますかぁ」

光部長が部誌を閉じて唐突に言った。そっか、もうすぐ夏休みだ。

「海に行きたい!」

「祭りはどうだい」

「映画ってのは?」

「私は……。どこでも……」

先輩たちは次々と意見を言うも全くまとまらなくて話が進まない。

「う~ん、じゃあ一年生のリクエストに合わせて決めましょうか。どこか行きたいところはありますかぁ?」

部長は私たちの方を向いて尋ねた。え、急に言われても……。私は特に思いつかず沢村くんの方に視線をずらした。

「う~ん、じゃあ山はどうですか?」

沢村くんは少し考えて山を提案した。一見、ただの意見に見えるが先輩の意見のどれかを選ぶんじゃなくて新しい意見を提案することがすぐできるなんて、さすがだな……。

  *

 二週間後、俺たち文芸部七人は山に登っていた。まさか適当に目に映った作品から言った山って意見がそのまま通るなんて思わなかったぜ。しかし、久しぶりに大自然の中にいるってのも良いもんだ。

 この山は辺り一帯が全て歴史的な観光スポットになっているらしく俺たち以外にも大量に人が居た。中にはカップルなども居たがこんな所にまで来て互いの顔ばかり見ていて何が楽しいのだろう。

 まず俺たちが最初に行った寺には鳥がご神体として祀られているらしくそこら中に鶏が放し飼いにしてある。しかしさすがは寺の鳥だ。フンも落ちてないし鳴き喚いたりもしていない。鳥にも育ちの差があるということなのだろうか。

 次に俺たちは何だかわからん寺に来た。というのも、本来ここには行く予定は無かったのだが近くにあったという理由で寄ったからである。ここは歴史が古いらしく何百という階段がありそのどれもが幅も大きさもばらばらであった。俺たちがその階段を上っていたところ、美咲先輩が頭を押さえて端の方に行き足を止めたので俺も同じく足を止めて先輩の下へ駆け寄った。

「先輩、どうされました?」

「あ、ごめんね。私あまり体丈夫じゃないから……。先行ってて。ここで待ってるから」

美咲先輩は笑顔で言ったがその笑顔には疲れが見て取れた。

「そんな……。よし、わかりました! 俺がおぶっていきます」

「そ、そんな。悪いよ!」

先輩が言い終わる前に俺は美咲先輩をおぶった。俺はそのまま階段を上っていたがいくら先輩が小柄であっても非力な俺にはやはり限界が来るのも早いらしく心配に思って戻ってきた桜井先輩に代わってもらった。

 その後、山の上に着いた俺に桜井先輩は水のペットボトルを放った。

「一年が無理するな、部員のカバーをするのは俺らの役割だ」

「あ、ありがとうございます」

「ま、その優しさはお前の良いとこなんだろうけどな」

そう言って桜井先輩は部員全員の分も買いに行った。なるほど、先輩は力仕事をさせられているんじゃなくて、してやりたいって思ってやっているんだな。俺は自分の浅はかさを反省するように水を一気に飲み干した。

 最後に俺たちは山を下り、川の近くで食事をとることにした。

「バーベキューですから皆さん好きなのを好きなだけ食べてくださいねぇ」

部長はああ見えて結構手際が良く、次々とバランスよく焼いてくれる。

「うん、おいしい!」

「だな。おい沢村!」

俺は桜井先輩に呼ばれ串を置いて向かった。

「久しぶりに山でバーベキューってのも良いもんだな、ありがとよ」

そうか。俺はすっかり忘れていたがこの「山」というリクエストは俺が出したものだった。経緯はどうであれ皆が楽しんでくれたのだ。この日、俺はこの部の皆がもっと好きになれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る