最大の変数1
オルタンシアが臥せっているのは先代王妃であるアヴァンティアが過ごしていた部屋らしい。ルカリオンの部屋と扉でつながっている作りだ。
エーファを見た途端、ベッドで起き上がっていたオルタンシアは安心したように笑った。
「竜人の心臓を入れると聞いた時は驚きましたが、お元気になられて良かったです」
ベッドの住人であるオルタンシアに言われると複雑な気分だ。いい人、いや、いい竜人である。ルカリオンのように見下し偉ぶったところもなく、リヒトシュタインのようにからかったりとっつきにくかったりすることもない。
「それにしてもリヒトシュタイン様は独占欲が強いのですね。意外です。いつも何も興味がなく飄々とされていらっしゃったから」
首から足首に至るまで隠れる服を選んできたのに何かバレたのだろうか。首を傾げるエーファの手首あたりをゆっくりオルタンシアは示す。
「治癒魔法を何度もかけていただいたのに、見苦しくて大変失礼しました」
袖を引っ張って手首を隠す。
いつの間にこんなところに。あの野郎、とうっかり舌打ちしそうになる。
「最近は慢性的な魔力不足ですか?」
「はい。エーファ様や獣人の皆さまを治癒できるのはいいのですが、魔力量の低さが足かせになってしまって体調不良を起こしています」
「魔力譲渡は試しましたか?」
「それは一体何でしょうか?」
リヒトシュタインは「魔力不足になんてなったことがない」なんて頭のおかしいことを言っていた。竜人はある程度の魔力を持つ者たちなら空になるほど魔力を使わないようだ。
「人間の裏技です。魔力が枯渇すると死んでしまう危険性があるので緊急時は魔力譲渡を行います。魔力が合う合わないなどはあるかと思いますが試しますか?」
オルタンシアはちょっとだけ考える素振りを見せ、すぐに首を振った。
「段々と回復はしているので、これ以上悪化した時に試します」
「分かりました。人間同士でしか意味がないのか、竜人にもこの方法で通じるのかは不安なので確実ではありません。やり方は手を握るくらいで」
「エーファ様のおっしゃることなので心配していません。ただ、エーファ様の魔力はまだ安定していないようです。心臓の定着度合かもしれませんが、リヒトシュタイン様の魔力とエーファ様の魔力がまだ完全に混じり合っていません。その状態でもし私に魔力を与えれば、リヒトシュタイン様の魔力も一緒に入って来るでしょう」
キスして魔力を渡すとでも思われているのかと弁明したが、そうではないようだ。
「リヒトシュタインの魔力も入ると、魔力が強すぎて衝突が起きますか?」
「竜人同士なら魔力量に差があっても魔力の質が同じなので衝突は起きません。エーファ様の身に起こったことは人間だからこそ起きたことです」
エーファは納得しかけたが、それならリヒトシュタインの魔力がオルタンシアにいっても問題ないのではないだろうか。
「私はエーファ様が羨ましいです」
「どうしてですか? 陛下の番になれて、王妃にもなったのに死にかけた非力な人間の私が羨ましいのですか?」
「私は陛下とまだ番っていません」
うっかり質問してしまったが、全力で聞かなかったことにしたい。エーファは臭いで分かるなんていう芸当はできないのだから黙っていてくれれば番っただの番っていないだのは知らないで済んだのに。
今、エーファが魔力譲渡すればリヒトシュタインの魔力がルカリオンよりも先にオルタンシアの体内に入るから嫌という乙女心で魔力譲渡を拒絶しているのだろうか。それなら何となく納得だ。
「きっと、陛下はオルタンシア様の体調を思いやっていらっしゃるのでしょう」
「番う気はないと、セイラーンの侵攻を退けた後でハッキリ言われました」
エーファは瞬きして視線をそらした。
なんと面倒な異母兄弟だろうか。いや、リヒトシュタインは大して面倒くさくない。彼の過去まで考えればあの言動はかわい……何でもない。いや、ルカリオンも過去を考えたらそうなのだろうか。
「発情期がくれば、必ず番うことになるのではないでしょうか」
「今のところ、きませんね」
「番紛いを飲んだばかりだからではないでしょうか。いずれくるのでしょう?」
リヒトシュタインにもつい先日起きたばかりだ。それなのに、オルタンシアはエーファの方を見ずに力なく笑う。
「アヴァンティア様には発情期はなかったそうです。先代陛下は番様相手にのみありました」
「アヴァンティア様のは……その、番紛いではないのでは?」
「そうかもしれません」
言葉とは裏腹にオルタンシアの表情は体調と相まって暗い。
エーファはここで言うべきだろうか。リヒトシュタインに発情期は来たのだから心配しなくていいと言うべきだろうか……ただ、それを言うのは他のことを主張しているようで猛烈に恥ずかしい。手首についた跡まで指摘されたのなら余計に。
「私は恥ずかしいです」
エーファの心の内をオルタンシアが先に言葉にするので、思わず勢いよく顔を彼女の方に向けた。
「偽物だろうと紛い物だろうと貫けば本物の愛になると考えていました。番の愛よりも私の愛の方が正しいのだと証明したかったのです。エーファ様にもそう言ったのに」
暗い顔で泣きそうになっているオルタンシアをまじまじと見つめる。リヒトシュタイン以外の竜人もやはり泣くのかとエーファはどうでもいいことを頭の片隅で考えた。
「このところ、毎日痛感します。陛下から愛は得られないのだと。陛下は私を愛してくださることはないのだと。見返りを求めていたわけではないのに、陛下から愛が返ってこないことがこんなに辛く悲しいなんて思いもしませんでした」
ひっそりと一筋、オルタンシアの頬に涙が伝った。エーファもそれを見て泣きたくなってしまった。
彼女の心が手に取るように分かるから。相手はリヒトシュタインではなく、スタンリーだったけれど。
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