第2話

 疲れた。自分の何が間違っていたのか全く分からない。

 一つでも違う行動をすれば違う未来があったのだろうか。結局、あのパーティーの日にすべてを失うことが決まっていたのか。スタンリーも家族もミレリヤもセレンも、そして母国も。


「余計ブスになるぞ」


 しばらく涙が流れるままに泣いていたら、リヒトシュタインが目尻と頬を容赦なくごしごし擦った。


「痛い」


 いや待て。それよりこの人、余計ブスって言った?


「さすがにこれ以上ブスになるのを見るのは忍びないからな」

「私には自分の顔は見えないからいいの。というか、擦る方がより不細工になりそうだからやめて」


 暗闇に目が慣れてきたものの、イーリスの虹色の淡い光だけではリヒトシュタインの表情までは分からない。金色の目が面白がるように細くなっているのは分かる。


 リヒトシュタインが口角を上げて軽く笑ったような気配がした。やめてくれと言っているのに、リヒトシュタインは服の袖でエーファの頬をこすり続けている。腹立たしい竜人だ。


「あのオオカミと殺し合って何か分かったか」

「どういう意味よ」


 今ギデオンなんてどうでもいいじゃない。今日スタンリーを失って。今ここに一人立ち尽くしているなら私は泣き叫びたい。これまでの努力すべてが無駄だったと泣き叫びたい。


「あの噓つきで情けない男とは殺し合わなかった。竜の審判だってできたのにしなかった。命のやり取りをすると、嫌でも相手に近付く。そこでしか理解し合えない世界がある」


 スタンリーとも殺し合っておけば良かったということなのか。そんな気力はなかった。

 ギデオンと相対した時でさえエーファに余裕はなかった。皮肉なことにギデオンが死んでからの方が彼のことを考え、思い出す。


「あのオオカミと最も分かり合った瞬間があるはずだ。後から分かる場合もあるだろう」

「そんな余裕なかったし、ギデオンは狂ってた」

「番紛いのせいだな。あれは竜の秘薬で、竜に使わないとあまり意味がないようだ。他に使うと体や精神が壊れるらしい。そうとは知らなかった」

「あぁ、そうなんだ? でも、ギデオンには最初のうちは効果があったみたいだけど」


 リヒトシュタインはそれで責任を感じて現れたのだろうか。


「俺が悪かった。不確かな情報を教えてしまって申し訳がない」

「別に大丈夫。最初は効果があったんだし、それで母国までは安全に逃げてこれたから。あれがなかったら森で殺し合いになってたんじゃない?」

「意外だ。もっと怒って髪の毛でも引っ張るのかと思っていた」

「もう全部終わったことでしょ。どのみち、帰ったところでスタンリーは浮気してたわけだし」


 話をしていたら落ち着いてきたのに、バカみたいだ。自分の言葉でさらに傷つくなんて。


「あぁ、でも」

「なんだ」

「狂ってた方がギデオンは分かりやすかった。完全にギデオンにとっての愛を私に押し付けてきたから……結局最初も最後もギデオンは一緒だった」


 思い返せば、殺し合う寸前でエーファは初めてギデオンとまともに会話した。それまではずっと憎しみを抱いて憎しみの目でギデオンを見ていたはずだ。でも、狂ったギデオンは憎しみの目を突き破るくらい本音を喋っていたように思う。


「不思議だ。母は、愛は与えるものだと言っていた。押し付けるとはまた違うようだ」

「そうね。ギデオンのは愛じゃなくて支配だった」


 エーファが魔法を失っても、外見が変わろうとも薬漬けになろうともギデオンは愛すると言った。あれは一見して愛と誤解するだろう。


「愛を与えるには何が愛か分かっていないといけない。自分の中に愛がなければいけない。自分の中に愛が一滴もないのだとしたら、どうやって愛というのは与えるのだろうな」


 エーファの涙が止まり、リヒトシュタインはようやくエーファの顔をこするのをやめた。

 仕返しとばかりにリヒトシュタインの長い髪を引っ張るが、髪を大切に思っていないのか、あまりにサラサラであるせいでダメージが少ないのか大した反応がなくてつまらない。


「人間とこんな話をする日がくるとは思わなかった」


 考えてみればおかしな話だ。寿命が長く最も強い種族である竜人と弱い単なる人間が愛の話をしているなんて。


「リヒトシュタインは番がいるから、愛を知りたいなら番と知っていけばいいじゃない」

「番ほど俺にとって不愉快な言葉はない」

「それは私も同じだけど、竜人なんだからいるものはいるでしょ。私は全部失ったけど、あなたには番がいるわよ。あなたの希望かもしれないし」

「エーファは努力が無駄になったから落ち込んでいるのか、それともあの嘘つきで情けない男に裏切られたから泣いているのか」

「ちょっと。今難しいこと聞かないでよ」


 泣いた余韻で頭と目が痛くて、そんな中でリヒトシュタインが難しい話を始めるものだから目を閉じてこめかみを押さえる。


 むぎゅっと鼻をつままれた。手を払いのけるとリヒトシュタインは明らかに笑っている。


「何してんの」

「鼻をつまんでいた」

「最低」


 髪の毛引っ張るんじゃなくて燃やした方がいいかもしれない。人間相手ならまずいけど、竜人相手なら大丈夫でしょ。


「一緒にメルヴィン王国に行こう」

「なんで? メルヴィン王国って私の母国の隣だけど」

「母の出身国だ。母の骨をあそこで最も美しい海に撒いてきた。エーファにもその海を見てほしい」

「あぁ、そうだったんだ。なら行かなきゃね」


 もう一度鼻に手を伸ばしてくるものだからリヒトシュタインの手を叩く。そして重要なことを思い出した。


「あ、セレンの髪飾りのこと忘れてた」


 恋人のお墓に入れてと言われていたのに。ギデオンとスタンリーのせいですっかり忘れて出てきてしまった。ギデオンは本当に邪魔して奪うことしかしないし、スタンリーは……。


 頭を抱えるエーファにまたリヒトシュタインが笑った。


「何」

「飛べばすぐなんだからまた行けばいい。それに、そういった相手を殺しそうな反抗的な目の方がいいぞ。お前らしい」


 竜人は憎たらしいことに夜目まできくらしい。腹が立ってリヒトシュタインを叩こうとしたが、腕を掴まれて引っ張られた。


 リヒトシュタインの足の上に倒れ込んで鼻を打ったので、抗議しようと体を回転させて上を向く。額に温かい感触が降ってきた。周囲はリヒトシュタインの黒髪で真っ黒だ。


「うわ、ほんとに最低」

「髪の毛でも燃やすか?」


 のうのうと人の額にキスしておいて楽しそうに笑うとは。

 エーファは本当に燃やそうと手のひらに炎を出した。だが、リヒトシュタインが炎の上からエーファの手を握ると音を立ててすぐに消えた。魔力の差があると魔法は簡単に打ち消される。


「竜人ってほんとヤダ。何なの」

「したいからしただけだ」

「じゃあいい加減上からどいて。長い髪で花も星も見えないんだけど」

「花と星より俺の方が美しいだろう」

「このナルシスト」

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