第6話

スタンリーとはこの宿まで家族ぐるみで一緒にやってきた。彼の家もタウンハウスを王都に維持するお金はない。


 スタンリーの家族が泊っている部屋に行くと、スタンリー以外は気を遣って二人きりにしてくれた。後ろめたそうに目をそらされたから、オーバン子爵家にも何かお金の話があったのかもしれない。


「エーファ」

「スタンリー。私は絶対イヤよ。あんな獣人に嫁ぐなんて。私はあなたと結婚したいのに!」


 ソファに腰掛けて手を握り合う。

 誰に聞かれるか分からないとスタンリーが防音魔法をかけてくれた。エーファは攻撃系の魔法は得意だが、防音魔法は苦手なので助かる。


「分かってる。俺だってそうだよ。でも、うちも陛下から脅されたんだ」

「どういうこと?」

「正確には圧力をかけられた。税を上げられたり、他家にも圧力をかけて取引を止められたり、通行料を不当に上げられたりするかもしれない」

「そんな。せっかくオーバン子爵家の織物の取引先が増えてきたのに……」


 手を握ったまま、二人とも喋らない時間が続く。スタンリーは片手で自分の茶髪をくるくるいじっている。スタンリーが不安な時にやる仕草だ。


「エーファが実は番じゃなかったってことはないのか?」

「稀に間違うことはあるみたい。だから婚姻は一年の期間を置くんだって。でもオオカミの獣人は間違えたことがないって、言ってた」


 明日には荷物を持って城に集合してドラクロア国に出発しないといけない。マルティネス様の言った通りになっている。


「俺と他の二人の令息も集められて話があったんだ。あの二人のご令嬢の婚約者だ。獣人たちは番なんだからドラクロアに嫁ぐのは当たり前って口ぶりで……陛下や宰相も嬉しそうにしてた……」

「話をする前から決定事項みたいじゃない」

「そんな雰囲気だったよ。ドラクロアは大国で資源も多いし……つながりが欲しいのは分かるけど……トレース伯爵令嬢の婚約者は婚約解消になるって聞いて嬉しそうだったし、マルティネス侯爵令嬢の婚約者は国王が同等の婚約を見繕ってくれるならって感じで同意してた」


 また二人の間に沈黙が流れる。


「俺、最初は逃げたらいいって思ったんだ……魔法が俺とエーファくらい使えれば隣国で冒険者してもいいし、他の国で就職してもいいしって。でも、それを見越したように脅しをかけてきたんだ……」

「うん……そうだね……魔法省への就職もナシにさっちゃうんだよね……」


 スタンリーが一緒に逃げることを一瞬でも考えてくれていて、エーファは泣きそうになった。嬉しかった。


「正直……家族と小さい頃から知ってる領民のみんなが不幸になるかもしれないのに逃げれるかなって……今、すっげぇ悩んでる……でも、エーファと結婚できないのは嫌だ」

「うん。私だってあんな人のお嫁さんになりたくないよ……お金のために嫁ぎたくない……スタンリーと結婚したいよ……」


 エーファの涙をスタンリーの大きな手が拭う。

 スタンリーとの結婚を諦めるのも嫌だし、狭き門と言われた魔法省への就職がなくなってしまうことも受け入れられない。魔法省に就職するために相当勉強した。魔法の訓練もきつかった。でも、スタンリーも一緒だったから頑張れた。


 今日、これまでのエーファの努力がすべて否定されたのだ、一瞬で。あのオオカミ獣人はエーファのこれまでを一瞬で、たった一言で台無しにした。スタンリーに抱き着きながら涙が止まらなかった。


 しばらく泣いて泣いて泣いて……エーファはある覚悟を決めた。


「ねぇ……一年待っていてくれる?」

「どういうこと?」


 スタンリーも逃げるかどうか考えてくれていたのか非常に疲れた顔だ。


「私がドラクロアに向かえばお金は支払われると思うの。だから、そこから婚姻までにもこっちに戻ってくれば……」

「ドラクロアからか? そんなこと……できるのか?」

「やる……そうじゃないと、スタンリーと祝福されて結婚できない……」


 エーファは言いながらまた涙があふれてきた。

 つい数時間前までスタンリーと結婚できる未来を疑ったことなどなかった。自分とスタンリーを引き裂く者なんて誰もいないと思っていた。


「絶対許さない。何とかして、この国に戻ってくるから……その時まで待っててくれる?」

「エーファ……」


 顔を上げると、スタンリーも泣くのを堪えている顔をしていた。スタンリーの服を引っ張って無理矢理彼にキスをする。


「このくらいはいいよね……」

「エーファ。待ってるから……なるべく金貯めて……待ってるから。帰ってきたら俺と結婚して」


 何度も何度もキスをした。何回してもキスはずっと涙の味がした。

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