スカード & フローレス
外清内ダク
01 ゴミだめの出会い
「
だから俺は、ここにいる。
異様なほど広大な最終埋め立て施設には緩やかにうねるゴミの山が数十もひしめき合っており、その悪臭は凄まじいものだ。だが俺の嗅覚は横一文字に刻まれた
嘘をつくな。何もない。
ないさ。ここには何も。少なくともまともな物は何ひとつ。俺だってそう。上層での綺羅びやかな生活から文字通り
どれだけの時間が経っただろうか。気がついたときには
何か聞こえる。人の声だ。俺は薄く目を開く。誰かがゴミ山の上から駆け下りてくる。
「うわっ」
直前で俺の姿に気づき、人影がとっさの跳躍で俺の上を飛び越えた。俺は丸々と目を見開いた。今の動き……瞬発力、判断力、そして反応速度と体重移動の無駄の無さ。こいつ、並の男じゃない。
俺の目の前に着地した彼は、体格のいい、黒光りする肌の青年だった。歳はいくつくらいかな。16か、17か。岩山のように雄々しい胴体の上に、不釣り合いな童顔が不安げに乗っかっている。そいつが俺を見た。汗をかいている。目が危機感に泳いでる。
――追われてるな。
昔のカンが不意に蘇り、俺は気まぐれに身を起こした。
「おい! おっさん!」
誰かが俺の肩を蹴っ飛ばした。俺は痛みに呻き、肩を押さえて丸くなる。
「デカいのがここを通ったろ。どっちへ行った? おいコラ」
「あぁ……? う……」
「ほっとけよ、そんなジャンキィ」
「ちぇっ。使えねえな」
勝手な罵倒を吐き捨てて、男2人はどこかへ行ってしまった。俺は震えながら身を起こす。憔悴してる。頭をやられた《スープ》中毒者の仕草は演技でも、蹴られた肩の痛みは本物だ。
「クソッ。出てきていいぞ」
「ぶっは!」
俺の背後のゴミの山から、黒い塊が飛び出てくる。さっきの青年だ。なぜ彼を
「うっえ! 臭え。でもありがとう。おじさん、名前は?」
俺は何も言わない。
「……ぼくはフローレス。
「どこへ」
と眉をひそめる俺の腕を、強烈な力で引っ張り、立ち上がらせる。
「奴ら、すぐ引き返してくるよ。騙されたと分かったらおじさんもタダじゃ済まない。ウチに来れば安全だ」
と、彼は
*
フローレスの家は第八層工業区の、配管と補修通路が異様に入り組んだあたりにあった。幾重にも重なったパイプの隙間を潜り抜けると、なんのための空間か、四方をコンクリート壁に囲まれた場所に出る。上の層の灯りが構造材の隙間から漏れ込み、剣のように光条が降り注ぐ中に、廃木材ででっちあげた小屋が立っていた。なるほど、これは土地勘のない者には見つけ出せまい。いい隠れ家だ。
扉を開けるなり、フローレスは声を張り上げた。
「ママン! 帰ったよ!」
軋む階段を踏みしめて彼は上に上がっていき、しばらくして戻ると、
「ママンが寝てるんだ。他人に病気の顔を見られたがらないから、2階には上がらないであげて」
「俺はすぐに消える」
「そんなこと言わないでさ。何もお礼できないけど、一晩くらい泊まって行ってよ。狭い家だけど寝心地の良いソファはあるし……」
「ランブラー」
「え?」
「あの2人はアンダスンの
「……ランキングにも入れない泡沫選手だけどね。
何が食いたい?」
「何も」
彼はいきなり俺の口元に鼻を近づけてきた。のけぞる俺の目の前で鼻孔をひくつかせ、
「アーモンド臭。おじさん、《スープ》をやってるね? ダメだよあんなの。空腹を忘れさせて無かったことにしてるだけで、栄養なんかありゃしないんだから。
なんか作るよ。そのへん座ってて」
言われるままに俺は居間のソファに身を落ち着けた。キッチンで活き活きと躍動し始めたフローレスの背中に、つい、頬をほころばせてしまう。俺はこの段階で彼に好感を抱いていたし、そのことに自覚的でもあった。でなければ俺ともあろうものが、《スープ》をやめろ、なんていう知ったふうな説教を、好きに言わせておくものか。
ふと、脇の戸棚の写真立てが目についた。並んで立ってる2人の人物。1人は黒人の少年――おそらくは幼い頃のフローレス。そして彼の肩に手を載せ、堂々と胸を張ってカメラを見据えているのは……
「タイロウ・ザ・チャンプ。知ってる?」
フローレスがミートパイの皿を持ってきて、懐かしげに目を細める。
「まあ、な……」
「すげえよなあ! ランブリング殿堂入りの最強チャンプ! 現役通算成績は67勝2敗。いつも装甲服のマスクをつけっぱなしで素顔も不明って謎めいたところがまたいいんだ。ぼく、ガキのころ大ファンでさ。引退するちょっと前の時期に写真撮ってもらえたんだ。もう一生の宝物! タイロウに憧れてぼくもランブラーになったけど、鳴かず飛ばずで」
「八百長でももちかけられた……か」
「なんで分かるの?」
目を丸くするフローレス。俺はパイにフォークを突き立てる。
「アンダスンのやりそうなことだ。奴は賭けが盛り上がることにしか興味がないからな」
「胴元のこと、詳しいんだね。
ホントはぼくが勝ち役だったの。最初の数ラウンド適当に殴り合ったあと、ぼくのパンチでKOになる段取りでさ。
でも、そのためにわざと殴られてる対戦相手を見てたら……つい……
『本気で来い!!』って言っちゃって。
向こうもその気。ガチの殴り合い」
「ふ……それでアンダスンが怒ったってことは」
「負けちゃった」
フローレスが舌を出す。
俺は笑った。笑うだなんて、一体何年ぶりだろうか。フローレスのえも言われぬ愛嬌が、ゴミだめの中で腐り果てていた俺の心に爽やかな風を通していく。俺はミートパイを口に運び、その熱さと旨さに涙すらこぼしそうになっている。
「
「微生物パティだよ」
と苦笑する彼の隆起した肩肉は、さながら
「お前のことさ、フローレス。シティで生き抜くために必要なものを知ってるか?」
「金?」
俺は首を横に振る。
「
それが無い限り、いくら稼いだって無限に搾取されていく。
要するに――ナメられたら、終わりだ」
パイの最後の一口を口に放り込む。美味かった。数年ぶりで食い物を美味いと感じることが出来た。俺の脳裏には、さきほどゴミ山で見た彼の身のこなしが蘇っていた。「鳴かず飛ばず」だと? 「ランキングにも入れない泡沫選手」だと? そんなわけない。あれだけの動きができる者がどうしてそんな下位にとどまってるのか。理由はひとつしか考えられない。
出会わなかったんだ。今まで、ろくな指導者に。
「もしお前がその気なら……教えてやろう。尊敬を勝ち取る
(つづく)
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