スカード & フローレス

外清内ダク

01 ゴミだめの出会い



 「スカーうずく」って決まり文句クリシェの感覚が実際どれほど不愉快なのか、傷のない奴には分かるまい。俺はゴミ溜めに横になってる。ここにはあらゆるものが来る。積層都市構造物群レイヤード・シティの各層はすり鉢状に緩く傾斜し、路傍の屑や動物の死骸が雨で流れて自然に最下層ロウアモーストへ落ち込む構造になっている。つまりここは吹き溜まり。この世から要らなくなった者たちが最終的に行き着く場所。

 だから俺は、ここにいる。

 異様なほど広大な最終埋め立て施設には緩やかにうねるゴミの山が数十もひしめき合っており、その悪臭は凄まじいものだ。だが俺の嗅覚は横一文字に刻まれたスカーのせいで完全に失われていて、幸か不幸か、それが俺がここで生きていける最大の理由になっている。ここはいい。ここには何でもある。酷く湿ってはいるけど最低限の弾力は残したマットレス。衣服のかわりに使えなくもない布や紙。いつもねずみ共と争奪戦になる食べ残しや食べ物屑……

 嘘をつくな。何もない。

 ないさ。ここには何も。少なくともまともな物は何ひとつ。俺だってそう。上層での綺羅びやかな生活から文字通り転落ドロップアウトし、だからといって死ぬ気にもなれず、こんなところで無様に命だけを繋いでいる。傷が疼く……ああ、痛い。俺はフラスクから《生命のスープ》の最後の一滴を口に流し込み、喘いだ。《スープ》はいい。すべてを忘れさせてくれる。痛みも、過去も、誇りも……何もかも。

 どれだけの時間が経っただろうか。気がついたときには最下層ロウアモーストの人工太陽が薄橙赤色にくすんでおり、ゴミの山が夕暮れの影を俺の上へ投げかけていた。

 何か聞こえる。人の声だ。俺は薄く目を開く。誰かがゴミ山の上から駆け下りてくる。

「うわっ」

 直前で俺の姿に気づき、人影がとっさの跳躍で俺の上を飛び越えた。俺は丸々と目を見開いた。……瞬発力、判断力、そして反応速度と体重移動の無駄の無さ。こいつ、並の男じゃない。

 俺の目の前に着地した彼は、体格のいい、黒光りする肌の青年だった。歳はいくつくらいかな。16か、17か。岩山のように雄々しい胴体の上に、不釣り合いな童顔が不安げに乗っかっている。そいつが俺を見た。汗をかいている。目が危機感に泳いでる。

 ――追われてるな。

 昔のカンが不意に蘇り、俺は気まぐれに身を起こした。



「おい! おっさん!」

 誰かが俺の肩を蹴っ飛ばした。俺は痛みに呻き、肩を押さえて丸くなる。

「デカいのがここを通ったろ。どっちへ行った? おいコラ」

「あぁ……? う……」

「ほっとけよ、そんなジャンキィ」

「ちぇっ。使えねえな」

 勝手な罵倒を吐き捨てて、男2人はどこかへ行ってしまった。俺は震えながら身を起こす。憔悴してる。頭をやられた《スープ》中毒者の仕草は演技でも、蹴られた肩の痛みは本物だ。

「クソッ。出てきていいぞ」

「ぶっは!」

 俺の背後のゴミの山から、黒い塊が飛び出てくる。さっきの青年だ。なぜ彼をかばったのか、俺にも良く分からない。おそらく理由の9割は気まぐれな衝動だ。だが残り1割、不思議な確信があった。こいつは助けなきゃいけない。あんな三下どもに囲まれて、腕を折られでもしたらだ。

「うっえ! 臭え。でもありがとう。おじさん、名前は?」

 俺は何も言わない。

「……ぼくはフローレス。瑕無しフローレス・ハンク。行こう」

「どこへ」

 と眉をひそめる俺の腕を、強烈な力で引っ張り、立ち上がらせる。

「奴ら、すぐ引き返してくるよ。騙されたと分かったらおじさんもタダじゃ済まない。ウチに来れば安全だ」

 と、彼は傷ひとつ無いフローレスな笑顔をくれた。



   *



 フローレスの家は第八層工業区の、配管と補修通路が異様に入り組んだあたりにあった。幾重にも重なったパイプの隙間を潜り抜けると、なんのための空間か、四方をコンクリート壁に囲まれた場所に出る。上の層の灯りが構造材の隙間から漏れ込み、剣のように光条が降り注ぐ中に、廃木材ででっちあげた小屋が立っていた。なるほど、これは土地勘のない者には見つけ出せまい。いい隠れ家だ。

 扉を開けるなり、フローレスは声を張り上げた。

「ママン! 帰ったよ!」

 軋む階段を踏みしめて彼は上に上がっていき、しばらくして戻ると、

「ママンが寝てるんだ。他人に病気の顔を見られたがらないから、2階には上がらないであげて」

「俺はすぐに消える」

「そんなこと言わないでさ。何もお礼できないけど、一晩くらい泊まって行ってよ。狭い家だけど寝心地の良いソファはあるし……」

「ランブラー」

「え?」

「あの2人はアンダスンの手下てかだ。宗旨変えしたんでもなきゃ、奴は乱武林ランブリングプロモーター。追うとしたらその関係……

 闘士ランブラーなんだろ。お前が」

「……ランキングにも入れない泡沫選手だけどね。

 何が食いたい?」

「何も」

 彼はいきなり俺の口元に鼻を近づけてきた。のけぞる俺の目の前で鼻孔をひくつかせ、

「アーモンド臭。おじさん、《スープ》をやってるね? ダメだよあんなの。空腹を忘れさせて無かったことにしてるだけで、栄養なんかありゃしないんだから。

 なんか作るよ。そのへん座ってて」

 言われるままに俺は居間のソファに身を落ち着けた。キッチンで活き活きと躍動し始めたフローレスの背中に、つい、頬をほころばせてしまう。俺はこの段階で彼に好感を抱いていたし、そのことに自覚的でもあった。でなければ俺ともあろうものが、《スープ》をやめろ、なんていう知ったふうな説教を、好きに言わせておくものか。

 ふと、脇の戸棚の写真立てが目についた。並んで立ってる2人の人物。1人は黒人の少年――おそらくは幼い頃のフローレス。そして彼の肩に手を載せ、堂々と胸を張ってカメラを見据えているのは……

「タイロウ・ザ・チャンプ。知ってる?」

 フローレスがミートパイの皿を持ってきて、懐かしげに目を細める。

「まあ、な……」

「すげえよなあ! ランブリング殿堂入りの最強チャンプ! 現役通算成績は67勝2敗。いつも装甲服のマスクをつけっぱなしで素顔も不明って謎めいたところがまたいいんだ。ぼく、ガキのころ大ファンでさ。引退するちょっと前の時期に写真撮ってもらえたんだ。もう一生の宝物! タイロウに憧れてぼくもランブラーになったけど、鳴かず飛ばずで」

「八百長でももちかけられた……か」

「なんで分かるの?」

 目を丸くするフローレス。俺はパイにフォークを突き立てる。

「アンダスンのやりそうなことだ。奴は賭けが盛り上がることにしか興味がないからな」

「胴元のこと、詳しいんだね。

 ホントはぼくが勝ち役だったの。最初の数ラウンド適当に殴り合ったあと、ぼくのパンチでKOになる段取りでさ。

 でも、そのためにわざと殴られてる対戦相手を見てたら……つい……

 『本気で来い!!』って言っちゃって。

 向こうもその気。ガチの殴り合い」

「ふ……それでアンダスンが怒ったってことは」

「負けちゃった」

 フローレスが舌を出す。

 俺は笑った。笑うだなんて、一体何年ぶりだろうか。フローレスのえも言われぬ愛嬌が、ゴミだめの中で腐り果てていた俺の心に爽やかな風を通していく。俺はミートパイを口に運び、その熱さと旨さに涙すらこぼしそうになっている。

フレッシュ混じり気なしピュア天然ものネイチャーボーン

「微生物パティだよ」

 と苦笑する彼の隆起した肩肉は、さながら無瑕フローレスの黒ダイヤ。

「お前のことさ、フローレス。シティで生き抜くために必要なものを知ってるか?」

「金?」

 俺は首を横に振る。

尊敬リスペクト

 それが無い限り、いくら稼いだって無限に搾取されていく。

 要するに――ナメられたら、終わりだ」

 パイの最後の一口を口に放り込む。美味かった。数年ぶりで食い物を美味いと感じることが出来た。俺の脳裏には、さきほどゴミ山で見た彼の身のこなしが蘇っていた。「鳴かず飛ばず」だと? 「ランキングにも入れない泡沫選手」だと? そんなわけない。あれだけの動きができる者がどうしてそんな下位にとどまってるのか。理由はひとつしか考えられない。

 出会わなかったんだ。今まで、ろくな指導者に。

「もしお前がその気なら……教えてやろう。尊敬を勝ち取るすべを」



(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る