星空の下でのアンジャッシュ
慣れない乙女心にのたうち回っているうちに、いつの間にか眠っていたようだった。
こんなに悶々としていても眠れる自分に若干の感動を覚えながら、大きく伸びをする。
「はー……いっぱい寝て喉が渇いた……」
そう言ってハッと口を押さえる。こんなことを呟こうものならば、アルバート様が颯爽と紅茶とお茶菓子を持ってくるに違いない。
全くおちおち独り言も呟けませんなあ、今日のお茶菓子はマフィンがいいですなあ……とテーブルにつく。
……のだけれど、珍しいことにアルバート様が来ない。
気になって部屋の外に出ると、一階の応接室から楽しそうな声が聞こえてきた。
◇
どうやら私が眠っている間に、ルラヴィ様と殿下が来ているようだった。
応接室は扉が開いたままで。声をかけようと部屋に足を踏み入れようとしてーー立ち止まった。
「腕が良い職人は、この三人ね。特にこの方は気難しいけれど名工で、あなたの希望する宝石を扱える唯一の人よ」
「なるほど……ルラヴィ、ありがとう。君がいなければとんでもないことになるところだった……」
「本当にね」
アルバート様とルラヴィ様が、二人で何やら冊子のようなものを眺めながら仲睦まじそうに話をしていた。
窓から差し込む光に、二人の淡い金と銀の髪がキラキラと輝く。妖精姫と呼ばれるルラヴィ様と、美しいアルバート様はまるで一対の絵のように、語る言葉もない程お似合いだった。
殿下はその二人を微笑ましそうに見守っている。
「それにね、この職人は……」
ルラヴィ様が悪戯めいた表情で何かを呟きながらアルバート様の持っている冊子の片隅をペンでトントン、とたたく。
動揺して冊子を落としたアルバート様の頬や耳が、どんどん赤くなっていく。
さっきの、アルバート様の前での私のように。
「……ヴィオラ!」
その時私に気づいたアルバート様が、パッと輝くような笑顔を見せてくれる。
「体調は大丈夫か?」
そう微笑む顔がまだ少し赤くて、私は自分でもびっくりするほど受けたショックを隠しながら、笑顔で頷いた。
◇
今日殿下やルラヴィ様がやってきたのは、公爵夫人への断罪に向けて動きだしたことを報告するためだったようだ。
「公爵夫人を捕らえるためには、生半可な策略では無理だ」
そう言って殿下が説明する内容は私の想像をはるかに上回る
「以上だ。公爵夫妻には明日にでも、国王陛下の名前で『現国王の治世下において、公爵邸で起きた事件には一切関与しない』と記された書状が届くだろう。金と引き換えにな」
そう説明を終えた殿下は、アルバート様と最後の話し合いがあるようで、二人が席を外した。
するとルラヴィ様が「誤解のないように、念のためなのだけれど……」と真面目な顔で口を開く。
「私とアルバートはね、お互い恋愛感情が全くないから……誤解しないでね」
そんなわけがなくないだろうか……?
……もしかしてルラヴィ様は、恋愛に関して鈍感なのかもしれない。それに幼馴染だし、近くにいすぎると見えてこないものもあるのだろう。
とはいえアルバート様の気持ちを勝手に代弁するわけにもいかなくて……そこまで考えて、胸がじくじくと痛んだ。
「……あの、アルバートとゆっくり話したほうが良いと思うわ。主語を明確にしてね。あ、公爵夫妻の諸々が落ち着いてからの方がよいと思うわ。絶対に」
「それはそうですね……」
確かに、今は公爵夫妻のことに専念するときだ。
……アルバート様は平気だと言っていたけれど、辛いだろうから。
私にできることは、とにかく元気でいて、辛そうな時は側にいて、彼が幸せになれるようサポートすることだ。
……そのためには。
「……ルラヴィ様。色々と質問があるのですが………」
私の問いに、ルラヴィ様が「なんだか不安しかないわ……」と呟いた。
◇
お帰りになるルラヴィ様と殿下を見送ると、暗くなった冬の空にはもう星が瞬いていた。
「折角の星空だから、少し散歩したいです」
そう言うとアルバート様は私の体調を心配したけれど、少しだけなら、と了承してくれた。
アルバート様と歩く夜は、切なくて少し嬉しい。
怖いくらいの光の粒を見上げながら歩いていると、どこから取り出したのかアルバート様が私の首に優しくマフラーを巻いた。
ふわりと香るアルバート様の香りを吸い込むと、嬉しさにじんわり体が痺れた。
「ありがとうございます。……ふふ、旦那様の香りがします。いい匂い」
「……!」
アルバート様が急に口元を押さえてうずくまる。
「え、どうしたんですか? 吐きそうですか? 穴掘りましょうか!?」
「いや、大丈夫、大丈夫だ……まだ不意打ちには弱いようだ」
え、攻撃されたの……? やっぱり忍者なの……?
心配で部屋に戻ろうと言ったけれど、アルバート様はまだ暗いところにいたいというので、とりあえず庭の長椅子に並んで座ることにした。
無言で星を見上げていると、アルバート様が静かに「君は」と言った。
「……この屋敷にきてから君に酷いことばかりした私に、クッションをくれたりお菓子をくれたり、マフラーを巻いてくれたり……それにずっと笑っていて、驚くほど優しい女性だと思った」
「いや、それ以上に好き勝手していたので優しくは……」
本当にそれはもう、好き勝手させて頂いたと思う。
「その好き勝手をしてくれるところが、私には眩しかった」
アルバート様が私の目を見て、「ありがとう」と言った。
「私は、もう耐えることで遠回しに誰かを守っていたつもりの情けない男ではいたくない。そう思えたのは全部君のおかげだ」
私は泣きそうな気持ちで空を見上げた。
アルバート様も空を見上げて、またぽつりと呟く。
「公爵夫人が捕まったら、君といつでも離婚ができるようになる」
「……夫人が捕まって、それから……旦那様に好きな方ができるまでは、お側にいると言いました」
私の悪あがきに、アルバート様が「……できたんだ」と切なそうに微笑んだ。
「寝ても覚めても、その人のことばかり考えてしまう」
「そうですか……」
「だから全てが終わったら、君に言いたいことがある」
「……わかりました!」
話とは、離婚だろう。
もちろん、それは悲しいけれど。
それでも私はアルバート様の言葉が、とても嬉しかった。
恋愛として好きになってはもらえなくても、彼が幸せになるお手伝いが微力ながらにできたのだと思うから。
「旦那様」
「……どうした?」
アルバート様が目を細めて、とても優しい顔をした。母猫が子猫を見守るような、とても優しい眼差しだった。
私は、この人がとても好き。
「……呼んだだけです。旦那様の、声が好きで」
「! そ、そうか……」
恥じらう素振りを見せたアルバート様が、蚊のなくような小さな声で「私も君の……声が好きだ」と言った。
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