反省のち、修復不可能

 





 あの初夜の後。

 私は長すぎる廊下を歩く侍女を捕まえて自室となった部屋に案内してもらい、サンドイッチと温かいスープを食べ、良い気分でぐっすりことんと眠りに落ちた。


 そうして万全の体調で気持ちよく目覚めた今、昨夜のことを思い出して猛烈に後悔している。



「やってしまった……」


 次期公爵様の顔に枕を投げつけてしまった……。


「確かに、アルバート様は酷かったけど……」


 酷すぎるなんてものじゃないけど。

 完全に公爵家のとばっちりで嫁いできた、罪のないいたいけな空腹の花嫁を放置し、開口一番「あなたを愛するつもりはない」「子どもはよそからもらう」とか言い出して、「あなたを不幸にするつもりはないから金は払う」とかのたまったことはシンプルに人としてどうかと思う。投げつけられたのが枕で良かったね!



 だけどまあ、ちょっとだけ同情の余地もある。


 アルバート様が今回、爵位を継ぐために致し方なく心底嫌々結婚したのだろうということは、誰の目にも丸わかりだ。


 元々国内一の美女から国内一の大金持ちまで選び放題だったアルバート様が結婚を拒否していたということは、きっと彼にはどうしても結婚したくない理由があったのだろう。


 例えば絵の中の二次元美人に恋をしたとか、道ならぬ恋を諦めきれずに操を立てているとか。


 それなのに、よりによって凡庸貴族の凡庸娘と結婚しなければならなくなったのだ。

 きっと心の底から嘆いたことだろう。


 それはそれでかなりムカッとくるものがあるし、嘆きたいのはこっちだよ! とは思うけれども、彼はまだまだ人生一回目の人間初心者。ここは人生二回目の私が、多少大人になってあげることも必要だ。


 というか何より謝らなければ実家ごと取り潰されるかもしれない。

 いくら健康な体といえども、処刑台に上がったらそれで最期。命は大事。



「謝ろう……」


 謝って、最善の関係を作っていこう。


 最終的にはお互い災難でしたよねえと愚痴を言いつつ、それでも結婚した以上は楽しくやっていきましょうや、凡庸娘ですが多少懐は広いんですよハッハッハと固く握手を交わすところまで信頼関係を築いていければ、いつの日か甘い結婚生活……は絶対無理でも、縁側代わりのベランダで茶を飲みながら、「あんなこともあったねえ」「そうですねえ」と語り合える仲にはなれるかもしれない。



 ……そう思っていたのだけれど。



 ◇



 アルバート様の朝は早い。

 現在八時半。起きたばかりの私と違って、アルバート様は既に執務室でお仕事をしていたらしい。おひさまも昇りたてだというのに勤勉がすぎる。


 しかしそれなら朝食は別々だろうなと、ちょっとだけホッとして。私は日当たりの良い食堂の、用意された席についた。


 

 健全な精神は、健全に満たされた体に宿る。

 謝るという最大ミッションをこなすためにも、まずは腹ごしらえをしなくては。


 美味しく焼かれたジューシーなベーコンや、熱々のコーンスープ。ふかふかの上等な焼き立てパン。

 早速パンを食べようと口を開けたとき、きらきら輝くとんでもない美青年がきた。アルバート様だ。


「……おはようございます」

「……………ああ。おはよう」


 挨拶を交わすと、彼が席についた。どうやらまだ朝食はすんでいなかったようだ。


 朝食前にお仕事をするタイプか……相容れないな……。

 そう思いながら彼の顔をしげしげと眺める。


 ーーそれにしても、万全の体調で眺めるアルバート様は破壊力が凄まじい。


 特に朝の光の下の彼はありがたい感じがする。手を合わせたら寿命が延びそう。


「…………」


 見つめすぎたのか、アルバート様が視線を逸らす。

 使用人達が無駄のない動きでテキパキと食事を運ぶ。昨日も思ったけれど、ここの使用人たちは変わらない表情といい動きといい、厳しく訓練された軍隊のようだ。


 なんて思っている場合じゃない。謝らないと……。


「あの」

「今日の昼、」


 謝らなければ。そう思って口を開こうとしたけれど、丁度アルバート様と重なってしまった。一瞬お互い顔を見合わせ口ごもる。

 私は手のひらをアルバート様に向け、お先にどうぞと促した。


「……今日の昼から、しばらく留守にする」

「え?」

「元々用事を詰めていた。二週間ほど、遠方の領地に視察に行く」

「は?」


 しれっととんでもないことを口にしたアルバート様を凝視した。


「二週間?」

「ああ。二週間だ」



 こいつ……。


 思わぬ発言に、私は絶句した。


 我が国では結婚をして一ヶ月、最低でも二週間は外での仕事を控え夫婦の時間を持つという慣習がある。

 新婚の夫婦はこの時間に愛を深め、信頼関係を築いていくのだ。政略結婚の多い貴族の間では、事前に人となりを知る機会がないから、という配慮でもあるのだろう。


 そしてそれは裏を返せば、この期間を共に過ごそうとしない夫婦は、最初から破綻している……つまり、不本意な結婚だと表明しているようなものなのだ。



 こいつ……私に対外的な妻の役目を求めると言いながら、自分は『結婚は不本意です』と周囲に仄めかそうと画策していたのか……。



「それから、」


 私のドン引きした表情から、気まずそうに目を逸らしたアルバート様がまた口を開いた。


「昨日の私は言葉が足りなかったかもしれないが、私は妾も持つつもりはない」


 そこまで言って、アルバート様はふう、と息を吐きながら言葉を続けた。


「しかし、別にあなたが恋人を作るのは構わない。もしも子どもができたなら私の子として認知もしよう。私は狭量な夫にはならないつもりだ」

「はあ?」


 人生で一番低い声が出た。

 驚いた顔でこちらを見るアルバート様に、思い切り冷ややかな目線を向ける。


「狭量な夫にもなる気はない、の間違いではないですか? 無礼で傲慢な夫よりも狭量な夫の方が、夫であろうとするだけ断ッ然マシだと思いますけど」

「……すまない」


 空気がキンキンに冷え、重苦しい沈黙がたちこめた。

 この空気の中で表情を変えずに佇む使用人の心が強い。



 結局その後もほぼ無言のまま、気まずい空気で朝食は過ぎて。


 わかったことは、アルバート様とは絶対に「本当の」夫婦にはなれないということ。


 それからアルバート様はクソ野郎ではあるものの、名目上の妻である私の生活や命、グレンヴィルの家族を脅かすような事はけしてしないと約束してくれた。


「最初に言った通り、あなたを不幸にはしないと約束する。女主人としてある程度切り盛りはしてもらわなければならないが……あとは全て、あなたの自由だ」


 すっごく言いたいことは色々あるけど、そう言うアルバート様の目には嘘はなさそうだった。


 それならまあ……アルバート様のことは、ほっとけば良いかな……。


 私はアルバート様と仲良くすることは諦めて、とりあえず日々を楽しむことに全力を注ごうと決めたのだった。




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