第35話 ロクデナシのエクソシスト

 アルドとイーリスがクララがいる市街地へと向かった。アルドたちが住んでいるドヤ街よりも発展していて、見るからに治安がいい。昼間から酔っぱらいがいないだけでかなり平和である。


 市街地の中心にある立て札に注意書きが書かれていた。


『注意

 日が暮れると邪霊が出現します。夜間は決して外には出ずに、戸締りも忘れないようにしましょう。』


「お父さん。これ見て」


「ああ。この街に邪霊が出るみたいだね」


 夢で見た光景。ミラという女性が邪霊と交戦して敗北してしまう。今のところ立て札での注意喚起だけではあるが、この状況を放置しているといずれは大惨事を巻き起こすことになる。というのは夢の話。それが現実になるとはまだ決まったわけではない。


 まさか、夢で見たからこの町が危険だと住民たちに吹聴するわけにもいかない。


「お父さん。このままだと、多くの人が犠牲になるんだよね」


「そうだね。でも、僕たちは邪霊たちが突然牙を剥く日時が分からない。今のところは、夜間に外出を控えるだけで対処できるみたいだけどね」


「じゃあさ、私たちが夜中に邪霊たちを倒しちゃおうよ!」


 イーリスが拳をぐっと握って前のめりになった。やる気まんまんであることが仕草で伝わってくるが、そういうわけにはいかない。


「ダメだ。イーリスは夜中に起きられないだろ」


「お、起きれるもん!」


 イーリスが頬を膨らませてアルドに抗議をする。しかし、アルドとしても成長期の娘に夜更かしをさせるわけにはいかない。


「ダメだ、それにこの街には、邪霊と戦うエクソシストもいる。一旦は彼らに任せてみよう」


 ダンジョンを潜って活動するのがディガーならば、エクソシストはダンジョンの外にいる邪霊退治専門のプロである。ならば、この街に出ると噂の邪霊もいずれ退治されるはずではあるが——


「だめだめ。エクソシストなんてあてにならないよ」


 くたびれた様子の中年女性がアルドたちの会話に入って来た。


「どういうことですか?」


「どうもこうも……エクソシストは懸賞金がかかっている邪霊しか相手にしないのさ。少なくとも戸締りをする程度で防げる邪霊なんていくら倒したところで犬の餌代にもなりやしないよ」


「そんな。でも、そのレベルの邪霊だって、いつかは人間に危害を加えるかもしれないんだよ!」


 イーリスが中年の女性に抗議する。しかし、女性は困った様子に頭をかいた。


「アタシに言われたってねえ。中には真面目に邪霊を退治してくれるエクソシストもいるんだろうけど、あの人たちも生活があるからね。割に合わない小物は狩らないだろうね」


 結局のところ、世の中はお金ということである。アルドは割り切れるが、まだ大人の世界の汚さに耐性がないイーリスはもやもやとした感情を抱いている。


「まあ、邪霊のマナの濃度が濃くなるダンジョンと違って、外じゃあ邪霊の素材も取れないからね。エクソシストはディガーより儲からないから仕方ないのさ」


「なんか納得できない……!」


 イーリスはプんぷんと怒っている。だが、その怒りをぶつける相手が存在しない。


「この街にも高名のエクソシストがいるんだけどね。名前はジェフ。昼間っからスラム街にある酒場で呑んでいるようなロクデナシさ。いざという時以外、全く頼りにならないよ」


 市街地にも酒場はあるが、昼間にやっていない。昼間から飲むような素行が悪いのはスラム街に集中しているから採算があわないのだ。


「酒場と言えば、聞いてくれよ。ウチの旦那は、夕方になると酒場に行って朝まで帰ってこないんだよ。まあ、確かに、夜は邪霊に遭遇する可能性があるから、朝まで外に出られないって言うのはわかるけどさ。邪霊を朝帰りの言い訳に使うなんて情けないったらありゃしないよ」


「それは大変ですね。お酒はたしなむ程度に留めておきたいところですね」


 イーリスはアルドの方をじーっと見た。昔のアルドはイーリスを置いて酒場に行って飲んだくれてばかりいた。今のアルドはそんなに飲む方ではないので、イーリスも安心しているが、昔のアルドを知っているだけに、なんとなく発言が腑に落ちない。


「お父さん。私、ジェフっていうエクソシストに文句言ってくる!」


「スラム街の酒場に行くのか?」


「うん!」


 餅は餅屋という言葉がある通り、ダンジョンの外の邪霊に関してはエクソシストに任せるのが正解という道理はある。高名なら特にそうである。もし、ここでアルドたちが行動を起こすことによって、ジェフが改心して真面目に邪霊退治をすれば、未来が変わる可能性は確かにある。


「わかった。でも、スラム街は危険だ。僕から離れないようにね」


「わかった!」


 その気になれば、スラム街のゴロツキ程度なら魔法で吹き飛ばせるイーリスだが、魔法は戦闘においては安定しない。相手の信仰に依存しない精霊魔法が使えるならともかく、イーリスはどうしても相手の信仰に依存してしまうので、アルドのように信仰が低い相手ならば負ける可能性がある。肉弾戦も普通の9歳の女の子が成人男性に勝てるわけがないので、やはり炭鉱夫で鍛えているアルドの傍を離れるのは得策ではない。



 アルドとイーリスは、スラム街に移動して昼間から飲める酒場へと向かった。そこにいたのは……


「あれ? アルドさん? イーリスちゃんも?」


「クララ!」


 なんとクララがウェイトレスとして働いている酒場であった。


「アルドさん。昼間から飲むなとは言わないけれど、イーリスちゃんを連れてくるのは感心しないな」


 クララがジト目でアルドを見つめる。


「あ、いや。違うんだ。クララ。僕は飲みにきたんじゃない。人を探しにきたんだ」


「人? 一体誰を探しているの?」


「ジェフというエクソシストだ」


「ああ、彼ならそこのカウンターで呑んでるよ」


 カウンター席に座っていたのは1人の男性。黒いコートを羽織っている灰色の逆立った髪の毛。目つきが鋭くて、視線だけで子供が泣いてもおかしくない風体をしている。


「ん? 誰だ? オレを探してるってやつは?」


 ジェフがアルドを睨みつける。一触即発の空気が流れる中……ジェフは酒をぐいっと飲んだ。


「ねえ、アルドさん。先生になんの用なの?」


「せ、先生!?」


「ああ。そうだ。そこのクララはオレの弟子みたいなもんだ。魔法を教えてやったんだよ。まあ、こいつはそこまで魔法の才能がある方じゃなかったな。かかか」


 ジェフが上機嫌に笑いながらグラスをガンとカウンターテーブルに置いた。


「先生、飲み過ぎだよ。そんな様子じゃまたミラに怒られるよ」


「ミラ!?」


 アルドとイーリスは声を揃えて驚いた。クララがミラと繋がっているのはなんとなく予想ができた。なにせ、夢の中ではクララとミラは一緒のダンジョンを攻略していた。でも、このジェフとかいう飲んだくれがミラと繋がっているとは思わなかった。


「ん? アルドさんってミラとも知り合いなの?」


「あ、いや。そうじゃないんだけど。まあ、後で説明するよ」


「おじさん!」


 イーリスがジェフに向かってづかづかと歩む。そして。


「どうして、おじさんは街中にいる邪霊を放っておいてこんなところで飲んでいるの?」


「ん? ああ。まだいいだろ。人が襲われているわけじゃねーし」


「人が襲われてからじゃ遅いんだよ!」


 イーリスはジェフに詰め寄る。


「邪霊は確かに人にとって害がある存在かもしれねーけど、まだ人を襲ってない邪霊を殺しちまうのはかわいそーだろ? かっかっか。お嬢ちゃんだって、なにも悪いことしてないのに叩かれるのは嫌だろ?」


「そ、それは……!」


「まあ、街中にいる邪霊もそんなに害がある邪霊じゃない。急いで対処する必要もねーのさ。やべえ邪霊が出たら、きちんと対処してやるからその時まで待ってな。かっかっか」


 取り付くしまもない。結局、イーリスがなにを言ってもジェフは対処する気にはならなかった。

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