第21話 甘えん坊
「ただいまー」
仕事を終えたアルドが帰宅する。それと同時にイーリスが帰宅したばかりのアルドに駆けよってくる。
「おかえりー。お父さん」
アルドに抱き着くイーリス。アルドは「おっと」と反応して、イーリスの体を支えた。
「お父さん、ぎゅってして。ぎゅーって」
「ああ、わかったよ。ほら、ぎゅー」
アルドはイーリスの肩甲骨に手を回してぎゅっと軽く抱きしめる。イーリスは満足気にアルドに体を預けた。
「えへへー。お父さん、いい子いい子ってしてー」
アルドは微笑みながら、イーリスの頭を優しく撫でた。今日はいつもよりイーリスが甘えん坊な気がしたアルド。一体なにがあったのかを疑問に思う。
「お父さん大好きー。お父さんも私のこと好き?」
「あはは。僕もイーリスのことが大好きだよ」
その言葉を引き出すとイーリスは満足したようにアルドから離れてくるりと回転して家の奥へと進んでいく。
「クララさん、お父さんぎゅーってしてくれたー。私のこと大好きだってー。えへへー」
「あはは。良かったね。イーリスちゃん。お父さんに愛されて」
アルドはそこで納得してしまった。イーリスがいつもより甘えてきたのはクララの差し金だったのだ。
だが、それと同時にアルドは少し切なくなった。イーリスは本当はもっと、こういう風におねだりしたり、甘えたりしたかったのではないかと。でも、その気持ちの表現方法、どうやって甘えていいのか。それさえもわからなかったのだ。
「ただいま。クララ、ありがとう。イーリスの面倒を見てくれ」
「ううん、大丈夫。イーリスちゃんいい子にしていたよ。ねー」
「ねー」
クララとイーリスが同調する様を見て、この2人はもうアルドが仲を取り持つ必要がないくらいに距離が縮まっている。アルドは改めてそう実感して安心をした。
「あはは、お父さんが帰って来たし、私はそろそろ帰るよ」
「え? もう帰っちゃうの?」
イーリスが眉を下げて少し寂し気な表情をする。だが、そんなイーリスにクララは明るく微笑む。
「ここからは親子の時間だからね。2人きりにしてあげないと。優しいお父さんと一緒にね」
クララは、じっとりとした視線をアルドに向ける。どこなく口元も笑みで歪んで、含み笑いをしている様子だ。
「じゃあね、イーリスちゃん。楽しかったよー。ばいばーい」
「うん。またね! クララさん!」
玄関でイーリスに手を振るクララ。イーリスも手を振り返して、2人はすっかり仲良しになった。実に微笑ましい光景だとアルドも微笑む。
クララが帰った後、静寂が流れる。そして、イーリスがちょこんとアルドの服の裾をつかんだ。
「ん? どうした? イーリス」
「うう……」
イーリスが頬を
アルドはイーリスの様子に疑問に思いながらも優しく語りかける。
「大丈夫か? イーリス。体調が悪いなら今日はもう休む?」
「えっと、ちがくて……その、さっきは……その、ああ」
イーリスは顔を手で押さえて地団駄を踏んでしまう。
「イーリス。落ち着いてって」
「うう……お父さん、さっきはごめんなさい。その……甘えすぎちゃったかなって」
確かに今までのイーリスからしたら、ちょっとスキンシップが過剰な気がしていた。イーリスもそれは自覚していて、こうしてクララが帰った後に我にかえってしまう。そして、今頃になって恥ずかしいという感情が溢れてきたのだ。
「あうう」
「イーリス。なにも恥ずかしがることはないよ。子供なんだから、親に甘えるのは当たり前じゃないか」
「うう……」
アルドはイーリスを後ろから優しく抱きしめた。ばたばたと動いていたイーリスの動きが止まった。
「大丈夫。ごめんよイーリス。今までの分、いっぱい甘えていいんだ。僕はイーリスがどれだけ甘えても受け入れるつもりだ」
「本当?」
「うん。だから、そういうことは気にしなくてもいい。もっと僕に甘えたり、ワガママを言ってもいいんだ」
イーリスの目が潤む。一瞬、鼻をぐすっとさせて、アルドに笑顔を向ける。
「うん!」
イーリスの機嫌が戻った感触がしたので、アルドは自宅でゆっくりしようとした時だった。
「じゃあ、抱っこして」
「ん?」
イーリスが両腕を広げて抱っこをねだるポーズをする。アルドは鉱山で採掘の仕事をしていて、体にそれなりに疲労が蓄積している。体力的にはキツいところではあるが……
イーリスの期待する眼差し。さっき、甘えてもいいと言ってしまった手前、断ることもできずにアルドはうなずくしかなかった。
「わかった。ちょっと待ってな」
アルドは深呼吸をして意を決してイーリスの体を抱きかかえた。イーリスは他の9歳と比べると細いほうではあるが、それでも9歳は十分に重い。気軽に抱っこできる幼児ではないのだ。
イーリスの成長の重みを感じながらアルドはイーリスが落ちないようにしっかりと抱きかかえる。
「わーい! お父さんすごーい!」
父親が力持ちであることに喜ぶイーリス。それも仕方のないことである。イーリスは、幼少期の頃に母親が出て行って、それ以来、親に甘えることが許されない環境にいたのだ。
親に抱っこして欲しかったのに、それが言い出せないまま体だけが大きくなっていく。だから、こうして、今アルドに抱っこされていることでイーリスの心がようやく満たされたのだ。
「イーリス。どうだ?」
「うん。お父さん力持ちなんだね」
「あはは。これでも力がいる仕事をしているからね。嫌でも筋肉がつくよ」
そうは言いつつもアルドの足がぷるぷると震えてきた。ただでさえアルドの体を支えている足。それにイーリスの体重がプラスされることで負担が増える。
「イーリス。もう大丈夫か?」
「あ、うん。ありがとうお父さん」
イーリスは名残惜し気な感じを出しながらも地上へと戻った。アルドの体が限界に近かったことを察したのだ。甘えていいとは言われたものの、イーリスとしてもアルドに負担をかけすぎることはできない。元からそういう部分で遠慮をしてしまうような子である。
その後、アルドは食事と風呂を済ませてから椅子に座ってのんびりと過ごした。イーリスは既に眠っている。クララと遊び疲れてしまったのだ。
アルドが読んでいるのは、この世界の歴史書である。アルドは記憶を失っている。文字は読める。計算はできる。太陽が東から登って西に沈むなど、常識的なことも覚えている。一見すると、記憶だけが抜けて知識は欠如していないように思える。
だが、アルドには歴史の部分の知識がごっそりと抜けているのだ。どうして、その部分だけがないのか、アルドには理解できなかった。だが、この世界の水準では知識がある部類なのに、歴史だけ弱いのがどうにもアルドは納得がいかなかった。
「ふむふむ……」
別に炭鉱夫の仕事に歴史は必要ない。事実、教育を受けてない同僚もいて、歴史の話をしても通じない場合がある。でも、アルドはどうしても知っておきたかった。
この世界の歴史を——いや、正体を。
「ふー……この世界の歴史は精霊と邪霊。それと密接に関係があるんだな」
精霊王と呼ばれる存在。それが原初のダンジョンを作った。それが今から995年前。約1000年間。そのダンジョンはいまだに攻略されないでいる。それ程までに精霊王が封じ込めた邪霊が強力なのだ。
精霊王の救出。それがディガー協会が目的としているところである。
アルドはちらりと時計を見た。もう日付が変わっている。そろそろ寝ないと明日の仕事に支障がでるかもしれない。そう思って、歴史書を閉じてアルドは眠りについた。
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