第3話 お出かけ

 アルドが家に帰宅してからの初めての夜。イーリスは毛布を持って床で寝ようとしていた。


「イーリス? ちょっと、何しているんだ?」


「え?」


 イーリスがびくっと震えた。アルドの声色は怒ってはいなかったものの、イーリスにとって、アルドに「何しているんだ?」と声をかけられて怒られるんじゃないかと不安になってしまったのだ。


「ベッドがあるんだから、そこで寝ればいいだろう」


「でも……お父さんがベッドで寝るなって」


「僕が……?」


 アルドの存在しない記憶。記憶を失う前のアルドはイーリスを絶対にベッドに寝かせなかった。布団すら使わせずに床で眠ることを強要していたのだ。せめてもの情けで毛布1枚だけは使わせていた。


「いや、今日からはベッドで眠ると良い。今までのことは……その、すまなかった」


 アルドは頭を下げた。いくら記憶がないとはいえ、イーリスに酷いことしてしまったことを詫びた。イーリスは目を丸くして驚いた。


「本当に……ベッドを使っても良いの?」


「ああ」


 自宅に2つあるベッド。それを片方がイーリスが使い、もう片方をアルドが使った。


 ちょっと硬くなっているけれど、床に比べたら柔らかい布団。それがイーリスの体を受け止めて、彼女は安心して眠りについた。



「ふあーあ……」


 朝の陽ざしが差し込んで来て、アルドが目を覚ました。イーリスはまだ眠っているようだった。アルドは顔を洗いに洗面所へと向かった。丁度、アルドが顔を洗っている時に、寝室から叫び声が聞こえた。


「イーリス! どうした!」


 アルドは顔を拭かずにすぐに駆け付けた。イーリスは震えていて、アルドの顔を見た瞬間に何度も何度も謝罪の言葉を呟いた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


「イーリス、落ち着いてくれ! なにがあったんだ」


 アルドは思わず声を荒げてしまう。それでイーリスがビクって反応してしまう。アルドはそれにしまったと口を半開きにして呆然とする。


「あ、ごめん。イーリス。落ち着いてくれないか? なにがあったか。僕に話してくれるか?」


「ひっぐ……えっぐ……ごめんなさい。私、お父さんより遅く起きちゃった」


 イーリスは涙をポロポロとこぼして毛布を濡らした。アルドは安堵のため息をついた。


「なんだ。そんなことか。気にしなくても良い」


「え? お父さん。怒らないの?」


「子供が自分より遅く起きた程度で叱らないよ」


「だって……」


 イーリスはなにかを言い淀んだ。その時、アルドは察してしまった。この子は自分の父親より先に起きないと怒られるような生活をしていたんだと。


「大丈夫。イーリス。"お父さん”はもうそんなことしないよ」


「本当?」


 上目づかいでアルドを見るイーリス。その表情からは恐れ半分、安堵半分。そんな半信半疑の感情が伝わってくる。


 記憶をなくす前のアルドはこの子に一体なにをしてきたんだ。こんないたいけな子を虐めるだなんて許せない。アルドは心底そう思った。


 これからは、自分がイーリスを守っていくんだ。そう決意したアルドはあることを思いついた。


「そうだ。イーリス。外に出てみないか?」


「外……? いいの?」


 イーリスはきょとんとした顔で聞き返す。アルドはにっこりと笑ってイーリスの警戒を解こうとする。


「ああ、今日は一緒にお出掛けをしよう」


「でも、お父さん。仕事は……?」


 今日は休息日ではない。普通の大人ならば働いている日だ。


「ああ。仕事は明日からだ。今日までは安静にするように医者に言われている。職場にも確認したよ」


 一応はアルドは頭を大怪我した身である。それ故に職場でもそれを案じてくれたのだ。


「イーリス。どこか行きたいところはあるか?」


「えっと……」


「うーん、いきなり言われても難しいか」


「ごめんなさい……」


「いや、大丈夫。イーリスを責めているわけじゃない。それじゃあ、今日は僕がイーリスをエスコートしてあげようか」


 アルドはイーリスの手を引いて外出をした。スラム街を歩いていて、アルドは地図を見ながらあるところへと向かった。


「いらっしゃいませー」


 スラム街にあるボロい服屋。そこにいる女店員がアルドに声をかけてきた。


「この子に洋服をプレゼントしたい」


「え?」


 イーリスはアルドの言葉に驚いた。服を買ってもらったことなど母親が出ていってからはない。


「はい、かしこまりました。こちらで採寸しますね」


「イーリス。店員さんの言うことを聞いていい子にしているんだよ」


「はい……」


 イーリスは店員に連れられて採寸をした。その間、アルドはじっくりと待っている。


 採寸が終わった後、イーリスは戻って来て店員に色々と生地を見せて貰っていた。


「この服なんかはどう?」


「えっと……良いと思います」


 イーリスは適当に受け答えをしている。こうした場で何て答えていいのかわからないのだ。


「イーリス。遠慮することはない。思うままに自分の好みを伝えるんだ」


「はい。お父さん。それじゃあ、この水色のワンピースを……」


「これだね。わかった。それじゃあ、試着してみようか」


 店員が試着室にイーリスを連れて行った。そして、イーリスが着替えを始める。こうして出てきたのは、水色のワンピースに身を包んだ少女の姿だった。


「どう? お父さん」


「ああ、似合ってるよ」


 アルドはボロボロの服を着替えさせてイーリスにきちんとした服を買ってあげた。


 服屋を出たアルドとイーリスが次に向かったのは散髪屋だった。


「いらっしゃいませー」


「この子の髪を切って欲しい」


「うーん。結構髪が傷んでるね。バッサリ切っちゃうことになるけどいいかな?」


「はい。大丈夫です」


 イーリスは恐る恐る答えた。どうしてもアルドに虐待されていた過去があるため、大人にはちょっとした不信感が出てしまう。


「それじゃあ、ちょっと待っててね。お嬢ちゃん。おじさんが可愛く仕上げてあげるから」


 散髪屋の店主がイーリスの毛先を整えていく。傷んでいる部分が多かったため、イーリスの髪は結構ばっさりと切られてしまう。


「随分と髪が傷んでるね。手入れとかはできない環境なのかな?」


 スラム街ではそういう環境が整っていない家庭も珍しくない。だから、この店主も特にイーリスの様子には疑問を覚えなかった。


「いや。その……お恥ずかしい話ながら妻に逃げられましてね。男所帯なものでどうやって女の子の髪を手入れしていいものかわからなかったのですよ」


 アルドは適当に理由をつけて誤魔化した。それに対して店主は眉を下げてアルドに同情的な視線を送った。


「あー。そりゃあ、嫌なことを思い出させてすみません」


「いえ。大丈夫です」


「それじゃあ、おじさんが髪をケアするシャンプーをあげるよ。これを使って髪の毛をケアすると良いよ」


「え? 良いんですか? 良かったなイーリス。えっと、お代は……」


「いやいや。おじさんの好意だから、シャンプーの金は取らんよ」


 店主は豪快に笑った。アルドは申し訳なさそうに店主に「ありがとうございます」とお礼を言った。


「ほら、イーリスもお礼を言いなさい」


「あ、はい。ありがとうございます」


 アルドに促されてイーリスもお礼を言った。


「はっはっは。良いお嬢ちゃんだ。将来美人になるね」


 髪を切り終わったイーリス。元の長い髪から肩にかかるくらいまでのショートカットに変わった。傷んだ部分の髪がごっそりなくなったので、かなり印象が変わる。


 髪を切る前は暗い感じの少女だったのが、今では少し活発そうに見える。


「ああ、良いね。イーリス見違えたよ。可愛くなった」


「本当? ありがとう。お父さん」


 イーリスは目を伏せて照れてしまった。

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