第253話 『紅蓮地獄』



   ***



 ――数分後だ、先ほどまで日常が展開されていたその研究所施設が盛大に爆破されたのは。

 物凄い轟音と共に一帯が爆散。その様子を近くの崖から見下ろし、一同は統也の判断がなければ危なかったと胸を撫で下ろした。

 一同とは臨時異能士協会に出向いた伏見玲奈と、不参加の割石雪乃以外の二条隊、名瀬隊、全隊員のこと。


「これってどういうこと!?」


 研究所の爆破と、それを取り囲み、まるで犯罪者を捕まえに来たかのような代行者の二十四名の存在を見て慌てた雪華に、統也が答える。


「玲奈が出席している現在の臨時異能士協会会議で、たった今黒羽大輝の暗殺命令が出た」

「はぁ……!?」

「どうして!!」


 リカと雪華は焦っているリアクションを見せるが、統也と茜、紅葉あたりは冷静さを保っている。それも、こんな日がいずれ来るだろうと予想していたからだ。

 玲奈が送りつけたであろう先程のタブレットには変事の急報などを電報で伝える欄があるのだが、そこに大輝の暗殺における決定事項と懸賞金に関する書類、そして敵襲があるだろうから避難しろと表示されていた。


「異能士協会幹部から黒羽大輝、影人化という危険性を秘めている人間の暗殺命令だ。それにS級異能士名瀬杏子を任命する、とな」


 統也が言うと、紅葉は統也と大輝に視線を送りつつ、

 

「ま、それは見せかけだろう。本命は雹理のクソじじいと名瀬杏子で、大輝の特別紫紺石『焔』を奪還しようって計画かな? それを表舞台でやろうって喧嘩売ってるんだ」

「ああ。電報にはこうも書かれている。その大輝暗殺を阻止する個人、団体もまた抹殺対象とする、と」


 読み上げた統也に、


「なにそれ酷すぎない?」

「ええ。そんな横暴が許されるんですの?」


 雪華に次ぎ功刀舞花が誰にでもなく聞くと、その隣に立っていた三宮希咲が無表情のまま、


「大輝さんの存在は世間一般的には秘匿されていた。影人化する恐れのある存在。世間に公表すれば波紋を呼ぶ。それどころか暴動さえあり得る。つまりですね、それを必然的に起こすよう民衆を煽り、大輝さんは殺すべきという支持を上層部から獲得するのは別に至難ではないのですよね」

「ああ。代行者も懸賞金のために動き出すと予測できる。現に今、ああやってなりふり構わず動いている」


 崖から炎を上げる建物を確認してそれが証拠だと目で語った統也、しかし彼は不自然な点を一点見つけ、すぐに口に出す。


「……だが、妙だ。何故奴らはそうまでして大輝を欲しがる? 最も戦力の高い特別紫紺石三つは全て既に相手の手に渡っている。それも全力の伏見旬を苦戦させたバケモノの粒ぞろいだ」


 つまり、今更大輝の中にある特別紫紺石『焔』などもはや不必要。戦力として運用するには物足りないと感じるはずなのだ。


「こちらとの衝突を誘発して、その戦闘で私達を殲滅することが目的とか?」


 茜は可能性を提示するが、それを聞いてもなお紅葉と統也、茜自身もが納得できずにいた。


「とりあえずオレ達はいったん異能士協会の所属から抜ける。そして大輝を遠方に隠す」


 発言した本人の統也は、この台詞に少し躊躇う人間がいると思ったが、その予想とは裏腹に全員が強く頷き、表情と態度に了解の意を現した。


「オレ達は晴れて反逆者になる訳だが、覚悟はできてるのか?」

「別にいいよもう。大輝を殺す事が正義だって言うんなら、あたいは一生悪でいい」


 リカが強張った顔で意気込むと、雪華もそれに同調するかのような意志のある眼差しを見せた。

 意外と舞花もそれに賛同する形で口を開き、


「私は、死んだまいまいのために雹理を討つ。二言は在りませんわ」


 強めに自己の想いを表明した。


「そうか、なら役に立ってもらう。紅葉、オレ達は影人発生率が少ないことで有名な旭川地方へ向かう。そっちは根元から問題を解決するために札幌に残ってほしい。そして上層部の腐りを出来る限り抑えてほしい」

「分かったよ統也。それは私らに任せてー」


 紅葉は微笑みながら答えるが、続けて、


「だがそれ自体は難しくないさ。そっちが名瀬杏子の悪事と、犯罪者雹理との繋がりを暴いてくれれば問題はないからね。つまり統也の任務の方が負担は大きいことになる。私の部下を……希咲と舞花を連れていけ。役には立つはずだ」

「ああ、ありがとう」


 統也は言いながら、誰の指示もなく前へ出てきた三宮希咲と功刀舞花を見つめた。二人は以前は統也の思想から反していたが、今はかなり近い目的を持っていると言えるだろう。

 希咲は三宮拓真の肉体の解放。舞花は妹・舞の仇である白夜雹理を討つこと。それを目的にこの隊に所属している側面が大きい。


「俺のために色々すまないと思うんだけどよ……ちょっといいか? どうして旭川なんだ?」


 大輝が統也の表情を伺い尋ねると、


「ごった返している方がこちらにも有利だからだ」

「……おっけい。それに関してはお前を信じるけどよ」


 大輝は不安そうな表情をリカに向けた。そのリカは統也の瞳をチラ見して、


「大丈夫なんだよな、統也?」

「ん? ……ああ、大丈夫だ」


 ――実はこのとき、統也は大き過ぎる嘘を一つ吐いていた。


 そして統也が口から述べる言葉の虚実を容易に判別できてしまうリカは、当然その装いを分かっていたし、ついでに茜も統也の微妙な表情とリカの微かな反応から何かを隠してみんなに状況を説明していると勘付いた。

 リカも茜も、統也のその嘘には何か意図があると判断しこの場で指摘するつもりはなく、統也もまたそのことを関知していた。

 


 タブレット上の電報のコピー書類にはこう記されていた。


 名瀬統也と黒羽大輝、両名またはそれを保護する人物への死刑執行の任命。

 総監部直属暗殺部隊の異能士――名瀬杏子。



「迎え撃つことも出来なくはないが、情報が少な過ぎる。こちらを暗殺する目的の異能士チーム、その顔ぶれくらい確認する」

「名瀬杏子……名瀬家。お前の家の人達だろ、それは」

「だと確定するには早計だ。まあ、一周まわってそっちの方が有難いが……」


 目線逸らす統也。その眼の奥に宿る過去のある術式の記憶。時間さえ押さえる碧の氷煙が身体に纏わりつく感触。


 名瀬杏子の「碧」次元の『檻』。それが成す碧凍領域。

 ――監禁された相手は、精神が時間凍結・空間拘禁され自らの肉体に死を命じることも出来ず、全ての生命反応において硬直してしまう。最先端異能学でも未だ「精神」の正体は未解明であり、この異能関連の使い手である杏子自身も特段「精神」の何たるかを理解している訳ではない。使い手である杏子本人にとってもブラックボックス的な異能術式だった。



  ***


 

 名瀬統也や二条紅葉らが黒羽大輝保護という任務遂行のため離散してから数分、崖下に残っていた二十四名の代行者の精鋭たちは、影人秘匿研究所の辺りをうろうろし、微かでもいいと願いながら痕跡を探し続けていた。


「駄目だ。奴ら相当逃げが上手いな。マナ残影が雀の涙さえ残っちゃいねぇ。こりゃ骨が折れるかもしれん」

「ベテランの油井島さんでさえそう言うなら間違いないでしょう」


「一人名瀬一族がいるんだろ? 先にソイツをりたいなぁ」

「知性影人をソイツ一人で四人倒したって話だ。そう上手くいくかよ?」

「だいたい、名瀬のガキはしんさんと莉珠りずさんがってくれる。俺らは他を狩ればいいんだよ」


 そんな他愛もない会話を展開する彼らは代行者の中でも上位30に入る精鋭中の精鋭である。おそらく体術から異能、知識や策略までもが十分に備わっている陣営だと思われた。

 

 しかし彼らはまだ知らない。――その背後に人影があったことを。

 彼らは気付く余地もない。すぐ先の未来に、死が待っていることに。


 代行者精鋭陣は名瀬隊二条隊がかかれば始末に苦労しないレベルの異能者達。しかし確実に無視できない存在になる。

 要は、統也の邪魔になる。にとってはそれが全てだった。


 ふいに、影凍る女子の声が鳴り響いた。



「虚数■■■■『大紅蓮地獄インフェルノ・ゼロ』」



 その美声が耳介より内耳に向かい彼らの脳に伝達された時には既に、『紅蓮地獄インフェルノ』より広域なそれは、周囲一面を禍々しい氷霧と共に凍りつかせ、瞬く間に極寒へと風景を変貌させた。


「――――」


 一同は声を出す暇さえ与えられずに、凍結した。


「代行者。違う人達だけどさ、あたしは生々しい殺意向けられたの今でも覚えてるよ。あのときは囲まれてて怖かったから、縮こまって統也に守ってもらうばかりで……統也に縋った……」


 瞬時に施設や精鋭二十四名が例外なく凍るその光景は、氷原のままにそこにあった。


「――でも、今のあたしは違うから」


 黒いキャップと顔の半分を覆う面頬タイプの装甲マスクを装着し、白いコートを着崩して羽織っているその女子は、まるで何事もなかったかのように文字通り凍り付いた現場に背を向け、この場から離脱した。




 

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