第252話 狼煙
***
数日後。
「…………」
――外が闇に包まれているという異質な朝を、あと何度繰り返せばいいのだろう。そんな疑問を、境界内人類は心のうちに抱いている。
しかし統也は例外でその余波について疑義を抱くより、極夜の「原因」という本質的な部分について考えていた。具体的に言えば「地球上に展開された天井」について思案していた。
(おそらくだが“アレ”は異能『檻』の最高純度のものだ)
(つまり純正の「菫」次元ということになる……)
だがそれはあり得ない、統也がそう思うのは「菫」を扱えた存在を、死んだはずの自身の父親しか知らないからだった。少なくともその手で終わらせた旬からはそう聞いているし、名瀬家の過去文献を参照しても結果は同じ。
マフラーをはずした状態で、逆立ち腕立て伏せしながらそんな思考を永遠と巡らせていると、
「朝から精が出るね」
顎から滴る汗がバルコニーの床にぽたぽたと落ちる中、統也は逆さのまま声がした方を見て、
「おはよう、茜」
その存在に気付きすぐさま筋トレをやめ、バルコニー前の庭にあるベンチに座り直すと、
「うん、おはよ」
一方の茜はわざわざ持ってきてくれたのだろうタオルを渡し、その隣に腰を下ろす。
「ありがとう」
統也はそれをありがたく受け取り、汗を拭きとる。
今は、黒羽大輝の影人化の実験、研究、訓練を森林奥の秘匿研究所で行っている最中だった。手段はともかく、申請が通ったのだ。
現在滞在しているこの施設内には二条隊と統也の隊の人間(伏見玲奈、割石雪乃を除く十名)だけが寝泊まりし、世間とは隔絶した状況で暮らしている。
茜はバルコニーの正面の位置を見据え、そこで繰り広げられている三宮希咲と紅葉が監督し、風間蓮が直々に異能『焔』を黒羽大輝に手ほどきする風景を見守った。
「あーーもう! 無理だろこんなん!!」と叫ぶ大輝は、相変わらず炎の火力制御に大いに苦戦している様子だった。
「大輝の訓練……順調とは言えないようね」
「ああ。まあだが、はなから上手くいくなどとは二条も考えていないだろう」
「特別紫紺石『
統也とは異なり、二〇一七年二月十四日「
とはいえ彼女はそれらの
「旬を苦戦させたらしいな。それより、茜」
その話題とは関係ない部分で、茜の一部のワードにひっかかった統也は何故か浄眼を発動しがら周囲を警戒、その後小声で、
「分かってると思うが、一応言っておく。ここでは魔力やマギオンなど区別せず、すべてをマナ。基礎工程魔法や魔法的強化を異界術。異能名称も古風に、『衣』『檻』『雷』」
「あ、ほんとだ……。自分で言ってて気づかなかった。癖って怖いね」
「最初は慣れないだろ?」
「うん……ごめんね。次から気を付ける」
軽率な発言だったと茜は謝罪したが慣れないのは当然だろうと統也は分かっているし、また、実際かつての統也はその悩みに案外苦しまされた。
「話を戻すが、敵は未だ三つの紫紺石について持て余している可能性がある。だからと言って先制を仕掛けるにしては情報が少なすぎる」
「三つの紫紺石の行方は今後も大きな問題になると思う。やっぱりあの場で旬が封印されたのと、私の失態が分岐点だった」
二か月前、旬の付近にいた茜が持ち場を離れ東北地方の「青の境界管理センター」に向かった元々の目途は生死不明の統也を探しに行くことではなく、厳密には統也の殺しを狙っている雹理らとその事実から、青の境界を抹消して、そっちの陣営に何か無視できない利点があると推理し、更にそこから敵陣営の目的は「特別紫紺石三つを移すこと」だと予測。
茜はそれの妨害が目的で、かといって確たる根拠もなく単身で青の境界の境へ向かった。
茜はそれらの作戦と連携を阻止すべく動き、青の境界を管理してるセンターの椎名ジン、千本木明楽が内通者だと勘付き、無事無効化に成功。ここまでは案外順調だった。
しかし。その後の展開は、実際に青の境界が消え、加え特別紫紺石三つも通過準備を始めた。
特務官と交渉して特別紫紺石三つを運ぶ手筈だった敵連中数十人を、天霧茜ひとりで相手し善戦したものの、全敵軍を無力化することは叶わず取り逃してしまったという経緯。
結果、特別紫紺石三つは
「かといって相手も旬を封印できるだけの実力と知略を兼ね備えていたのは確かだ。今更過去を振り返っても意味はないとはいえ」
旬が封印された事実は知り得ていたが、誰に追い詰められたのかは二人とも知らなかった。
否、知るはずがないのだ。その現場にいたのは名瀬杏子の
「渉、エミリア以外に旬と渡り合えるような人が……。少し信じられないのだけど」
渉は既に死んでいる、という認識のもとでの会話だった。
だが茜の発言は何も間違っていない。
「正体は不明だが、おそらく雹理という手駒を円滑に動かしている奴がバックにいる」
「旬を封印したのと同一人物?」
「ああ。オレの推測では、な」
「他の
「それは相変わらずだ。だが変動した勢力図もある。内政的に半壊した三宮家に耐えられず、三宮希咲がこちらについたのは大きい」
「ね」
「彼女曰く三宮拓真を信用できなくなったとか、そんなことを言っていたが具体的に何が起こっていたのかは分からない」
「やっぱり情報が少なすぎる」
(三宮拓真。個人的には慎重派でかなり賢い人間の部類だと思っていたが)
(なんだろうな。急激な思想の変化……? 何かしっくりこない)
統也は、拓真の異常なほどの人格的メタモルフォーゼに違和感を拭えなかった。
「あと、雹理とバックで連携している、更には伏見旬を封印した何者か……その人が全ての首魁であると統也は推理してるのでしょう? その辺も――」
雹理と連携し、手際よく指示を出し、更には伏見旬を直接封印した人物。それが全ての元凶であり――、
否。
「ん、いや。おそらくディアナの中身が黒幕だろう。それはずっと前から分かっていた」
統也はまるでそれが何気ないことかのように当然に、日常会話の端くれかのように普通に、信じられない内容を口にした。不意を突かれたように茜はその突然の告白に思わず能面を崩す。
「えっ?」
「オレはディアナが何者かによって意図的に起源暴走するよう仕組まれていたのを、実は知っていた。かなり昔からな」
「はい……? ちょっと待って? ならどうして統也はそれを旬や他の皆に報告しなかったの? 相談くらいすれば……」
「いや――残念と言うべきか、旬はその実態と全面を知っていただろう。だからオレも何も言わなかった。当時オレはあの人に戦略面で口出しできるほど実力がなかったからな」
「嘘でしょ……」
奇しくも統也はそれの源が九神だと知らなかった。また、茜は九神だと知っていたが暴走の根源を知らなかった。
「だが伏見旬、あの人はやり方を間違えた。自分が絶対的であるという自意識のせいか、他者に託すのではなく自分だけで何とかしようとした」
「…………」
「――人間は、一人じゃ何もできない。特級異能者だってそれは変わらない。どんなに絶対的で優れた力を持っていても、世界は残酷な歯車を回し続ける。単独の力だけでそれは終わらないし止まらない」
伏見旬。実際に一人で全てを収束させてしまうだけの力と影響は持ち得ていただろう。
それはここにいる壮絶な過去を体験し、今なお立ち向かい続ける特級異能者二人が紛れもない証人となる。
「――――」
「以前はオレもそうだった。全て一人で何とかしようとして……失敗した」
だがだからこそ、今は隣に――、
「おお~。お前ら朝早いなー」
その雰囲気をぶち壊し、いかにも眠そうにあくびしながら、バルコニーと直接繋がるリビングへと入ってきた、椎名リカ。
ニヤニヤしながらあくびに当てていた手で意味深に小指を立てて、その仕草を二人に見せびらかす。「これか?」などと言いながら。
しかし統也と茜はそれを故意に無視。
「おはよう。大輝のやつ、今日も頑張ってるぞ」
「ちぇ。んなことくらい知ってるって」
リカは唇を尖らせながら、自分の彼氏については相当信用している態度を披露。
「それじゃ、あたいは邪魔しちゃいかんからこの辺で!」
などと言い、さっさと冷蔵庫から牛乳瓶を出し、持って出ていく。
離れたのを確認して、茜が口を開いた。
「リカ。やっぱりお兄さんと似てない」
「椎名ジンか?」
「ええ。その姉とも顔を合わせたことがある」
椎名リカ、椎名ジンの実姉。椎名カリン――現在の総理大臣についてる秘書の名で有名だった。
「カリンさんも大変ね、反逆者の弟を持つとは」
「椎名ジンが、特務官の内通者だったのは聞いた」
「うんまぁ、案外、敵は何処にいるか分からないということかもね」
茜はジンの事があまり好きではなかったため、というか、全く生理的に受け付けなかったため、無力化のため抱いてほしいとハニートラップを仕掛けたとき、偽でありながら本音を混ぜ、事実上本当の事を言っているように思わせるのに苦戦した。
「ああ……翠蘭も相変わらず知り得ている起源の情報を開示してくれない。本音を言うといつ敵に回っても驚かないレベルだ。聖境教会の連中……柳沢邦光はライブ会場の一件以来もう邪魔してこないようになったが、油断は禁物だな」
警戒は緩めるな程度に言うと、茜は若干俯き、
「あの人は敵には寄らないと思う。少なくとも今の三宮拓真より良心的なムーブをするはず。これに関しては私を信じてほしい」
統也は幼いころに出会った柳沢邦光をあまり覚えていない。だが第三次東亜魔法戦争は何年も前の出来事。その当時の統也は多いときで一日に数百人と対面し、運が悪ければそのまま戦闘する。そんな時期に出会った一人ひとりなど覚えていないのは存外普通のことだ。
逆に、一方の茜はこんな局面で「自分を産んだ存在」と再会する機会を得るなど、思いもよらなかった。しかもかつては科学狂人だった完全理系脳が、今や異能世界を支える聖境教会の最高司祭で九神を崇めているという。人間はどうなるか分からないものだ、そう感じずにはいられなかった。
「まあ翠蘭、柳沢邦光、そして寝たきりの鈴音もか。その辺の予測不能、目的不明な奴にまで気を回し始めたらキリがない」
何気なく統也が口にして列挙した人物の中でも最後の「鈴音」に、茜は異様な反応を見せた。瞼がピクっと上がり、その紅の円が露わになる。
「……あのさ、それで思い出したのだけれど、鈴音さんについて。統也には話しておかなければならないと思って」
改まった雰囲気で統也の方を向き、そう口にする。
「ん?」
統也は謎の、苦悩の梨を咥えているかのような憂いのある紅い瞳を見返した。
「先に述べておく。旬も私も、鈴音さんという謎の雷電一族については全く認知していなかった。失礼かもだけど、極論を言ってしまえば存在自体が意味不明。どんな仮定を持っても説明がつかず、雪子博士も彼女については何も関知していなかった。その上で話す」
「――――」
「特に鈴音さんの『
何かを深く悩むように眼差しの色を変え、更には不穏を醸すような口調。その透き通る声が庭に充満する湿気に吸い取られるように統也には思えた。
「不可解? というと?」
「統也。落ち着いて聞いてほしいのだけど、おそらくその術式はね――」
瞬間、
――ドカッ!!と鈍い音が鳴り、リビングへの扉を乱暴に開ける存在が三人。
茜と話している最中だったが、急いで入りバルコニーに迫ってくるリカと雪華、舞花の姿が。
「ん……」
雪華は一瞬、統也の隣に座る茜へ視線を送り顔を歪ませたが、すぐに統也へタブレットを渡しにくる。
「統也……これ読んで!!」
統也はそれを手短に読んだのち、すぐさま立ち上がり、
「全員緊急だ! いったんこの場から離れる」
「え?」
茜以外の三人はみな声を揃えた。
「この研究所はもう駄目だ。大輝の実験データと、オレたちが暮らしていたという全ての痕跡を消せ!」
珍しく焦りめで声を大にした統也の台詞を聞き、一同は何も言わずしかし緊張感ある動きで身体を反転させた。
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