第43話 デート開始
*
5月29日(日) 午後5時正時。
「ごめんっ! もしかして待った?」
タクシーから降りこちらに向かってくる
彼女の服装は、白の長袖シャツに黒いスカートという質素だが彼女によく似合うものだった。
そんなに目立つ格好というわけではない。
だがそれでも、ただタクシーから降りただけのなのに、その瞬間に周囲から数多くの視線が集まる。
そのほとんどが男性からのものだった。
だが、命がすごいのは男性からの目線のことだけではない。というのは、一般人女性の目にも留まっているということだ。
これはアイドル界では珍しいこと。
少なくともオレが住んでいた環境ではそうだった。
「いや、待ってない。オレも今来たところだ」
半分嘘で半分本当だった。
オレは適当に名瀬家にあつらえてもらったデニムのパンツに黒いパーカーという私服で来ていた。
「そっか、なら良かった……。でもごめんね。歌の仕事関係で、今日のこの時間しか空いてなくて。せっかく日曜日なのに……」
「それはいい。そんなこと気にするな。それより随分と大変なんだな、歌の仕事」
「うん……頑張ってはいるんだけど」
「お疲れ、だ。今日もギリギリまで練習してたんだろ?」
「……っ! ありがとう。すごく元気が出る。そう言ってもらえると!」
言い終わりに彼女は大きなビル状の建物の最上階に掲示されている看板を見る。
オレもその看板を見てみる。
『
そう。
そもそも、青の境界が築かれるよりずっと前から日本では、「ヴィオラ」と「玲奈」が女性歌手の売り上げをほぼ独占していた。
―――ヴィオラ・ソルヴィノ。
イタリア人女性の世界的歌手で特例安全指定国である日本に一時的に移住していた人物。誰でも知る歌姫。
その世界に誇る綺麗な歌声と彼女の美貌が人々を惹きつけた。
驚くべきことは彼女がオレと同い年であること。
しかし、アウターリストに記載されたことにより死去とニュースで語られる。
それ以降彼女の輝かしい歴史は幕を閉じた。
青の境界とは、北緯40度に引かれた青色の境界線。
日本で言えば秋田県と岩手県の北部を横切る。
特定安全国に指定されている日本に居れば、必ずしもIWに避難できるとは限らない。
理屈で言えば、
そして―――伏見玲奈。
異能士家系で歴代最年少の当主でありながらその素性を上手く隠しつつ、歌手としても成功を収める、旬さんの二人娘のうちの一人。
こんなところか。
「
「え……? うん……ファンというか、憧れというか、尊敬する人……かな。私の目標だよ」
「なるほどな。でも、あれを目指すなら
「うん、分かってる。だけど私はずっと歌手になろうと……アイドルになろうと決めてたから。その気持ちは今でも変わらない。メンバーも裏切れないしね?」
横目に彼女を見るが、彼女の表情には一点の曇りもなかった。
決意は固いようだな。
オレたち周りの人間はそれを支えてあげるだけでいい。
彼女が大きなものを目指したってそれは変わらない。
そばにいる者達が
何もそれはオレだけじゃない。
*
気まずそうに少し目線を下げる
彼女はオレの隣で静かに繁華街を歩いていた。
男子の隣にいることで緊張しているのだろうか。
多少萎縮しているのが分かる。
やはりオレがリードしなきゃダメか。
オレは数日前の栞との会話を思い出す。
―――「ダメダメダメ! そんな考えじゃダメ!! ミコはろくにデートもしたことないんだから! ……とーやがリードしてくれなきゃデートは何も進まないよ?」
「そう言われてもな……」
オレにだってデートの経験なんかない。
あるとすれば妹の
―――「お兄ちゃーん、早く買い出しいくよー。……ほら遅い!! 置いてくからね! いいの?」
だが、むしろこれしか記憶にない。
「大丈夫、この天下無敵の木下栞様が、デートコースを考えておいてあげるから! 感謝しなさいよ!」
そう言いながら
栞のその自慢げな顔を見ているとなんとなく大丈夫な気がしてきた。
そんなやりとりをした。
今日はオレにとっても
気張って進めるか。
栞が考えてくれたデートプランもあるしな。
「
オレは呼びかける。
「えっ…あ、はい!」
驚かせるつもりはなったけど、急に呼ばれてびっくりしたというような反応だな。
「まずは食事にしようと思うんだが、どこか行きたいところはあるか?」
「えーと、どうしようかな。統也くんは甘い物が好きなんだよね」
「ああ、だが時間的に夕食になるだろうからな。甘いものは良くないんじゃないか?」
「え?」
「いや、よくは知らないがカロリー制限とかあるんだろ?」
「ん……そんなものないよ?」
あれ?
歌手とかってカロリー制限があるものだとばかり思っていたが……。
「太らないように気を付けてはいるけどね。えっと……多分、そういう意味だよね?」
無邪気に笑いながらそう聞いてくる。
ただ質問しているだけなのに、その様子が可愛い。
もし彼女が歌手ないしはアイドルになれば、そんなに可愛い笑顔をファンたちに振りまくのか。立派な殺戮兵器だな。
これから数多くの男の心臓を
そんなことを冗談交じりに考えがらもオレは彼女の笑顔を目に焼き付ける。
「安心しろ。
「えーもっとスタイルいいとかって言ってよ。なんか痩せてるって言い方は嫌だなー!」
「じゃあ、スタイルいい」
「めっちゃ言わされてる感!」
「言わされたようなもんだろ」
「えー、ひどーい!」
「っふ」
オレは軽く微笑む。
「あ! 統也くん今笑った! 笑ったよね!??」
「なんだ? 笑ったら駄目なのか?」
優しめの口調で聞いてみる。
「ううん。統也くんが笑ってる顔、初めて見れたなーって思って」
後ろで手を組みオレの顔を伺うような仕草をする。そしてとても愛らしい顔でこちらを見る。
いちいち可愛いのだ。これはアイドルになれる。
「オレだって人間だからな。笑うことはあるさ」
「はははっ!! 何それっ!」
目を細め思いっ切りに笑ってくれる。
「何か笑うようなこと言ったか?」
「統也くんおもしろすぎる! っははは!」
笑い方まで可愛いと来た。
これは末期だな。
彼女が笑い終わるのを待っていたオレは、口を開く。
「満足したか?」
「……うん、ごめんね。統也くんが面白くって」
相当面白かったのだろう。
彼女は笑い過ぎて出ていた涙を拭き取る。
「いや、いいよ。良いものが見れたからな」
「……良いもの? え、なに? ……良いものって?」
疑問符を体現したかのような表情で聞いてくる。
まあ、彼女にはオレが何を言っているか分からないだろう。
―――なんて言えるわけないしな。
*(命)
「
彼のクールな、そして平静とした喋り方で話しかけてくる。
統也くんのお勧め……? 普通に行きたいんだけど!
「え、行く! ちょうどお腹すいてたし連れてって」
「ああ、わかった。そこで夕食でいいか?」
「うん、もちろん!」
そんな風に言っているけれど、内心では全く落ち着いていなかった私であった。なんて言って。心の中でもふざけてる私。けどね、そのくらいテンションが上がってるの。
私はキュウとなっていた胸元に両手を当て必死に誤魔化す。
やばい、やばい、やばい!!
これから私は、統也くんと、一緒に、お食事を、する……。
統也くんと……。
あーーーーーやばい!!!!
だめ、落ち着かないと。
私の心が躍る。
まるで私の体のすべてが喜んでいるかのよう。
おかしい。
彼の隣を歩いているだけなのに、私の心音が激しく脈打つのが聞こえてくる。
落ち着け、私の心臓!!
そして改めて気づく。
私はこんなにも彼を――。
「
「えええぇ! ……どうもしてない、です」
心臓が飛び出るかと思ったよ! もう……あーびっくりした……。
「なんで敬語なんだ?」
「な、なんでもないよ?」
「そうなのか? 何か考え事をしているようだったが」
す、鋭いなー!
そうだった。統也くんはとんでもなく鋭い観察眼を持っているんだった。
忘れていたわけではないけれど、それでもやっぱり彼はすごい。
あの時の少年。
三年前のあの時の。
私は隣でゆっくり歩いている彼とかつてのマフラーの少年を重ねる。
うん、間違いない。
彼は、あの少年だ。
身長が随分と大きくなっているし声が全然違うから最初はすぐにわからなかった。
おそらく急速な身長の成長と声変わりが原因。確かにちょうどそのくらいの歳だった。
それでも間違えるはずもない。
彼はあのとき私を助けてくれたマフラーの少年。
今、彼が私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれているのが分かる。
それだけでかつての彼だと確信することが出来る。
やっぱり好きだよ、統也くん。
こんなのずるいよ。
私は体中が熱くなるのを感じながら、隣を歩く統也くんに少しだけ近づいた。
*
「スコーピオン、あれからターゲットの様子は?」
白フードを被った若い女性が近くの黒覆面の男に尋ねる。凛とした逞しい声で。
その黒覆面の男はスコーピオンと呼ばれていた。
会話している二人とも黒い装束を纏っており緊迫した雰囲気が漂う。
「異常はありません、ですが……」
スコーピオンと呼ばれた男が歯切れ悪くなる。
「ん……? どうかした?」
「いいえ……ただターゲットに絶えず
「……男? 年齢は?」
「おそらく高校生くらいかと想定されますが……」
「なら問題ない。私が
「はい。俺が仕掛けたマナ水晶に反応があったので、おそらく一般人ということはないでしょう。十中八九異能者……。ただ……」
またしても男の歯切れが悪くなる。
「まだ何か?」
「その青年はマフラーをしています」
この言葉に少しだけ若い女性が反応する。
「ほう……本当にいたのか。名瀬の隠し子。
「ええ、分かっています。任せてください。そのために必要な準備は大方整いました。
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