第19話 呪印【2】


 俯いているみことはただひたすらに涙を流す――――――。


「え? え、えっと大丈夫か……?」


 オレはみことに語りかける。


「あ、はい。大丈夫です。私……どうしてこんな……。変……よね?」


 最後の変よね、はどうやらオレらにではなく、心配そうに彼女を見ている隣にいた栞に対して言ったのだろう。


「い、いいから拭きなよ! これ使って」


 いつの間にかこうの頬をつねるのを止めていた栞はハンカチをブレザーのポッケから取り出し手渡す。


「ありがとね……栞」

「全然いいけど、大丈夫なの……? どうかした? 何かあったなら話聞くよ?」


 栞は不安そうな顔でみことを伺う。なんの前触れもなくいきなり友達が泣き出したら、それは不安にもなるだろう。


「え、おい、俺たちなんか悪いことしたかっ?」


 香が心配そうな顔でオレに確認するように問いかけてくる。

 もちろんオレたちは何もしていない。


「いや、オレたちが原因ではないだろう。目にゴミでも入ったんじゃないか?」


 オレはそう冷徹な風に言いながら、食堂の方へと向かう。


「お、おい、統也、どこ行くんだよ!」

「どこって、食堂だが? もとよりオレらはご飯を食べに来たんだ。女子と話に来たわけじゃない」

「それは、そうだけどよ……。なんも思わないのか? お前にとっては今日会った初めましての人かもしれないけどよ。女の子が泣いてるんだぞ? ほっといていいのか? お前は冷静だからいいかもしれないけどよ。俺は別にクールでもなければ、お前みたいに落ち着いてる訳でもないからよ。俺にしか分かんないのかもしれないけど……」

 

 確かに香は決して冷静な方ではないだろう。それは認める。だが、だからといってここまで焦って感情を前出しする人間でもないはずだ。


 オレは若干俯き、廊下の白い床を見る。


「香、それは違う……」


 それは違うんだ。オレは別にみこととは初めましてじゃない。

 彼女はオレのことなんか覚えていないかもしれないが、オレはしっかりと彼女の独特の甘い匂いも、黒く透き通ったような髪も覚えている。昔はロングヘアではなく、ボブ程度の短い髪だったことも。身長が今より数センチ程低かったことも。


 ―――――全て覚えている。


 彼女こそオレが三年前に付けた呪印じゅいんを持つ人物なのだから。


 オレは彼女を通りすぎる間際、彼女のうなじにを確認する。

 3年前のオレがこの人につけた呪印。随分とお粗末なものだな。三年前のオレはどれだけ雑だったのやら。

 そのおかけで呪いの匂いがわんさかと充満している。


「食堂ってここだよな?」


 オレは指さし食堂と思われる入口を指差す。


「ん、あー、そうだよ。ここが食堂だけどよ……」


 香はみこととの事が気がかりなのか、歯切れが悪く、なにか考え事をしているような上の空といった様子だった。


みことさんっていつもあんな風に泣いたりするのか?」

「ん? いや、そんなわけないだろ。………そんなわけあるかよ」

「だろうな………それはオレにも分かる。だが女性は基本的に情緒不安定な生き物だろ? 要は、いつも完璧ってわけにはいかないんだよ。きっとな」

「ん、そうなのかもしれねぇな……」

「ああ」


 と頷く。

 だが香の表情は未だに曇ったままだ。


「だけどな。統也は知らないと思うから言うけど、彼女はな……彼女はいつだって完璧を目指してるんだ。そしてどんな時でも頑張っちゃうんだ。でも、いつだって完璧なんてある訳がないだろ?」

「それはそうだな」

「でも、周りの人間にはいつも可憐で美しく見えるよう見栄をはるんだ。分かるか? それがどれだけ大変で疲れることか……。本当はもっと自由に過ごしたいはずなんだ。みことはそんな人なんだよ」


 そう熱く語る彼の目に宿る情熱を見ていると、かつてのオレを思い出す。

 香はさっきまでのお調子者モードとは違い、かなり感情的になっていた。


 まるで鏡でも見ているようだ。

 この目をオレはよく知っている。

 この目をしている者はその女性にとらわれ、その人をただ純粋に想う。

 

「オレが言うことじゃないかもしれないけど、こうは今彼女をそっとしておくべきなんじゃないのか? 彼女が他人に対してそういう振る舞いをしているのなら尚更だろう。今、香に必要なのは彼女を慰めることじゃない。彼女を見守ることだ。言い換えて静観でもいい。とにかく香が出しゃばったところで彼女は泣き止んだりしない。違うか?」


 少し言い過ぎたかもしれない……だが、オレは間違ったことは言っていない。


「それは……そうかもしれないけど」


「香とみことたちは仲良いいんだろ? 彼女とお近づきになることも考えているなら、余計にそっとしておくべきなんじゃないか?」

「お、おまっ……俺はみことが好きだなんて一度も言ってな――」

「――言ってないな」


 大体の態度で分かるものだ。


「じゃあ……ど、どうしてわかった?」


 真っ赤な顔をした香が気まずそうにそうオレに訊いてくる。


「そんなゆでだこのような顔して言われても」

「ん……!? お、俺、まさか顔赤いのか?」

「ああ、真っ赤だぞ。今すぐトイレの鏡で自分の顔の赤さを確認することを推奨する」

「おい、からかうなよ」

 

 半分笑っていた香はオレを追い越し食堂の中へと入っていったので、オレもそれについて行く。

 



 彼女みことは、オレの人生を変えてくれた一人だ。


 オレは忘れるはずもない。


 三年前、君と過ごした一瞬でも。

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