海上の香煙(スモーク・オン・ザ・ウォーター)
「シードル様。ご報告が」
「エムル様が負けた、とかですかね。カール中将」
分厚い本の行間から、目も逸らさずにシードルが冷静に答える。
「は、はい!
え、どうしてそれを?」
「容易に想像がつきます。
概ね、大陸を突っ走ってなまくら刀を落とそうとして返り討ち、と言ったところでしょう。
功を焦りすぎですね、彼は」
考古学の本をパタン、と閉じ樫の木に真紅の布が輝くデスクに置く。
「彼の進軍を止める通達が遅れましたからねえ。
加えてあの方は手柄を立てることに焦っている。
当然の帰結、といったところかな?」
「は、はぁ……。
時にエムル様を如何しますか?
このまま大陸に引き上げるだけの余力がエムル様にある様子ではないかと」
シードルの鋭い洞察に驚嘆を隠せないようだ。
「そうですね、ラインハルト中将の艦へ撤退するようお願いしましょう。
なまくら刀と再戦する機会はすぐだ、と伝えれば喜んで指示に従うはずさ」
室内の照明を優しくさすりながら、シードルが落ち着いた口調で返答する。
「ハッ、ではそのように」
「それともう一つ、聞きたいことが。
エムル様は『誰に』負けたのかな?」
唐突な質問にカールは戸惑う。
「共和国の紅白の色をした最新機体、と聞き及んでいます。
スポーク曰く搭乗者はヒヅル、というまだ17の少年とのことです」
「…………。なるほど。
ありがとう。引き続きよろしくお願いするよ」
「あの、私からも宜しいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「一体なんの本を読まれていたのですか?」
中将の問いに、口元のみで笑いシードルが答えた。
「エメラルドの瞳を持つ、女神の神話ですよ」
~カンナギ艦内~
「はいはいはい、ヒヅルくんと、フィリス嬢が着艦するよぅ。
みんなどいてねぇ」
クニトモが指示を取り、アマテラスとマドゥ=クシャがドックに搬入される。
「みんな損傷パーツの交換を急いでくれよぉ~、まだ再出撃の可能性があるんだから。
お、英雄が降りてきたよ」
パイロットブロックから、少し疲れた様子のヒヅルが降りてきた。
「やあお疲れ様!
さっきの戦闘すごかったよぉ。
データを解析しないとわからないけど、今後が楽しみだねえ」
「いえ、クニトモさんが僕に適したアームズを付けてくれたからです。
ありがとうございます」
少々息があがったヒヅル。
そこに近づいてくるフィリス。
「ヒヅル君、さっきはその……ありがとう、助けてくれて」
「いいんだ、君が無事だった……か、ら……」
フィリスやクニトモさんが僕を呼んでいる気がするな……。
そのままヒヅルの意識は遠のいた。
「ミランダァ!こちらウォルノ!!
もう俺もジェゴ隊もエネルギーがねェぜ!!
敵さんはほとんど追いついてねェが限界だ!
俺ァここで死ぬのと、艦内引っ込むのとどっち選べァいいんだ?」
手汗がダラダラになりながらも、ウォルノは軽口を飛ばす。
「ふざけてないでみんなを連れて引っ込んで!
急いでハッチ開いて!」
「あと少しだってのに……すまねェな」
力の無くなったブーストでヤクシャがハッチへと向かう様子は、彼らの前線での満身創痍の頑張りを表していた。
「まだ台湾連邦地区へは距離が遠い。
窮地を脱したとは言えんぞ、艦長」
「分かっている、ジェイ」
ミランダは焦る。未だ後方から襲い来る銃弾とビームの雨が撃ちつけてくるのだ。
だが、そのうちの一発がカンナギの後方エンジンに直撃する。
カンナギ艦内に大きな衝撃が走る。
「エンジン被弾!高度が下がるネ!
このままでは、連邦地区に着く前に海の中ヨ!」
チョウが焦燥の声を上げて叫ぶ。
「前方の残党に叩き落されても海の中よ!」
こうなったら……。ジェイ、反転して最も近い陸地へ!
衝撃重粒子イオン砲準備!」
「1度陸へ逃れて体勢を立て直すつもりですか。
活路は切り開けるが……着陸できたとして袋叩き、だ」
ジェイがミランダを嗜める。
どうすれば、どうすれば……。
何もできずに私達は終わるの?
ミランダの額に汗がにじむ。
「ア、あの!」
!!チョウ!
勢いよく立ち上がるチョウにクルー全員の眼が集まる。
「このまま北西沖合の伊忌島に着艦すルのはだめネ?」
大陸と日ノ本地区の中間に存在し、帝国側の北方ソビエト地区への牽制拠点である。
そのため、共和国としては軍事的重要地点であり、滑走路も存在する。
着艦も可能であり、敵も半端な装備では手出しが容易ではない。
「けれど、陸地より距離が遠い。
辿り着けるかは……」
「辿り着かせてみせますよ」
突如数多くの誘導ミサイルが敵という敵を墜とす。
まさか!
「こちら、ムネトラ・タチバナ。
海上戦艦オオワタツミにてカンナギを援護します
ギン、ありったけのミサイルとCIWSで落とせるだけお願い」
タチバナは、危険を顧みずここまで来たのだ。
「た、タチバナ司令官!」
「ミランダ艦長。
私が仰せつかったのは、あなた方の第一歩を護り抜くことです。
その任務があと一歩で失敗するというなら、私も全力を尽くしますとも」
「漢、だな」
硬い表情をしていたヨシヒロが微かに、だがどこか悲しげに微笑む。
「恩に着ます。タチバナ司令官。
チョウ、通達お願い。我々は伊忌島を目指します」
ミランダは帽子を目元まで下げつつ、指揮を出した。
彼女には、分かっているのだ。
タチバナが何をするつもりなのかと。
タチバナの眼にカンナギの影はどんどんと小さくなっていく。
「さぁ、ここからは通しません。
皆さん撃てるだけ弾を撃ってください、一機でも多く落としましょう」
海上、空中両方のブラダガム機が羽虫のように落ちていく。
オオワタツミも無事ではない、猛攻に晒されて火の手が点々と上がり、煙が細々とあがる。
遠景から見えるそれはまるで、死体に群がるハエのようだ。
「全弾撃ち尽くしました。弾切れです」
「ありがとう、ギン。全員対艦。
FSで控えている方々は、ボートを護衛しつつ陸へ戻ってください。
誰かがここで囮にならなくてはいけませんから」
「ですが、あなたを残してはいけません!」
クルーたちがざわめく。
「では、もう一つ命令です。
『生きてください』」
ざわつきが止む。タチバナの気持ちが変わらないことを、部下を誰よりも思い遣っていることも全員が分かっているのだ。
クルー達は無言でタチバナに敬礼をする。
「ギン、君も行きたまえ」
「拒否します」
「命令違反、か。始末書と反省文は覚悟してくれ」
「覚悟は、とうにできています」
2人は短く言葉を交わすだけであった。
FS各機とボートが脱出し、艦影と周囲のハエたちが遠く見える。
次の瞬間……、大きな轟音とともに激しい光と爆発が、オオワタツミが包んだ。
その様子はカンナギのレーダーも捉えていた。
全員が、タチバナとギンの最期の勇姿に敬礼する。
オオワタツミの自爆に殆どの追手は巻き込まれ、沈んだ。
タチバナ達は最期まで任務を全うしたのだ。
「彼の命も背負って、我々は戦い抜かねばなりませんな」
ジェイがポツリといい、気丈に振る舞う。
「わかっておる。これも戦争だ。
伊忌島の基地へ、着艦許可を送って……」
伊忌島が視認できる距離まで近づく。
カンナギは海上で煙を上げながらその小さな要塞へと向かうのであった。
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