鬼の子
アイラ
鬼の子
鬼。
人は、人の心を持たない者をそう呼ぶことがある。
学校には行くが、ただ勉強しに行くだけだ。友達は一人もいない。
部活なんかも入っていないので、授業とその他やるべきことが終わればすぐに帰路につく。
「あ、あの!」
「?」
急に話しかけられ不思議に思いながらも、必要な連絡ならば聞かなければならないので、一応声のした方を見る。
クラスメイトの一人がそこに立っていた。
「神田くん…あのさ」
「…何?」
「今度の日曜日、クラスのみんなでちょっと遊びに行こうって話になってるんだけどよければ…」
「行かない」
「え…あ…そっか」
「うん」
「用はそれだけ?」
「あ、うん…ごめん、引き止めて」
「遊びには誘わなくていいよ。どうせ断るだけだから」
「…わかった」
「また明日ね…」
「うん、また」
友達でもないのになぜ遊びに誘ったのかと不思議に思った。まあどうせ家族に声をかけられても首を縦に振ることはないのだが。
誰かと遊びに行ったことは一度もない。旅みたいなものに魅力を感じないし、そういう旅に誰か人がいる必要性を感じない。
「ただいま」
「おーおかえり〜」
「お帰りなさい」
家に帰ると母と姉がリビングのソファに掛けていた。
いつもこの時間、大学やら遊びに行くやらで忙しい姉が今日は部屋着を着替えもせずに居座っている。
なんでだろう、と思う間もなくどうでもいいと思い直して、挨拶を済ませたらそれ以上話さず、さっさと自室に向かう階段を上がった。
帰ってからも基本は変わらない。やるべきことを淡々とこなすだけだ。
課題と予習、復習を済ませ、少し眠ってから運動をして、夕飯を食べて風呂に入って、明日の用意を済ませて眠る。
毎日毎日同じことをするだけだ。難しくもなんともない。
「哲基〜」
姉の気の抜けた声が近くで聞こえて、課題に向かっていた意識がそちらに移る。
「…何」
「アイス買ってきて!」
「嫌だよ」
「お前のも買ってきて良いから!」
「要らない」
「も〜…」
姉はがっかりしたようで少し黙った。
「あんたなんだったら食いつくわけ?」
「知らない」
「……」
「マジでアイスいらん?スイーツは?」
「要らないよ。食べる理由がない」
「…つまんね」
姉はそう言うと部屋を出て行った。
「……」
コンビニなんて、田舎でもあるまいし歩いて行ける距離にあるんだから自分で行けば良いものを。なぜわざわざ見返りを求められるかもしれない他人に頼むのか。
すると、もう一度階段を登る足音が近づいてきた。
「そうだ哲基」
「今度は何?」
「来週の土曜日さ、従姉妹の
「良いわけない」
「なんでよ。何年ぶりだと思ってんの!」
「関係ないよそんなこと」
「そういう交流面倒だから、俺はその間外にいるよ」
「ダメだって!ちゃんと挨拶くらいしなよ?」
「挨拶も何も…会わなければそんなことしなくて良いんだから最初から会うなよ」
「時間も金も気力も無駄にする」
「あんたねぇ…」
「…とにかく、来週の土曜に来るから」
「外にいるから関係ないよ」
「はいはいわかったわかった」
「ま、廻ちゃんと会うのはどっちにしろ避けられないと思うけどね」
「は?どういう意味?」
「廻ちゃん、高校転校するからこっちに一人暮らししに来るんだって」
「……」
「まさか一緒に住むとか言い出さないよね」
「それはない。叔父さんがそこはちゃんと一人暮らしさせるからって言ってた」
よかった。
自分の家に他人が四六時中ずっといるなんてストレスでしかない。
「いきなり一人暮らしは大変だから、うちも色々支援してあげるつもり」
「だからあんたもなんか困ってたら助けてあげてね」
「嫌だよ」
「他人の手助けなんて借りがある時しかしない」
「…はいはい」
「もうそろそろご飯だから」
「ん」
姉は今度こそ二階を去っていった。
基本的に声も行動もずっとうるさい。落ち着きがなくて、人のパーソナルスペースにズカズカ入り込んでくるガサツさがある。
廻とは最初から気が合わないと思っていたが向こうは違ったようで、何故か好かれてしまい小さい頃に一度会った時も冷たくあしらった記憶がある。
あれからもうかれこれ10年ほど経つが……少しは成長しただろうか。
まぁ、それもどうでもいい。
どうせ会わないし、会ったとしても一言も口を聞かなければ諦めるだろう。
今考えたって時間の無駄だ。さっさと今日のやることを終わらせよう。
季節は12月中旬。冬休みが近づいている学校は、その休暇をモチベーションに皆テスト勉強に励んでいた。
「期末テストは保健体育と家庭科も含まれるから、勉強の時間配分には気を付けるんだよ」
「高校2年生は、大学受験が間近に迫ってくるとても大切な時期だから、勉強には決して手を抜かないこと!」
「……」
哲基は特に何も思わずに話を聞いていた。
基本的に、哲基は自分の成績を危惧したことが一度もなかった。
学校のテストでは1位以外になったことがなかったし、模試なんかも、適当に埋めた志望校が合格基準Aランクを下回ったことはなかった。
だから、クラスメイトたちが何をそんなに必死になっているのかわからなかった。勉強なんて、教科書を見れば全部答えが載っていて、それを覚えるだけなのに。数学はそうも行かないみたいなことを言うけれど、俺にとっては世界史や古典となんら変わらない。解き方を覚えて、テスト用紙の上で模倣するだけだ。
だから同級生たちが焦りながらも勉強に励むこの時期でも、哲基の生活はなんら変わらなかった。
家に帰ったら課題と予習復習をして、少し寝て運動をして、夕飯を食べて風呂に入って眠る。
学校が続く日々は、毎日が同じ日のように過ぎていった。
こんな日々は別段楽しくはない。
ただ、楽しくある必要があるのか疑問だったし、実際自分にはあまり必要のないものだと感じていた。
そこでふと中学生の頃を思い出した。自分が唯一苦手だった科目。
初めて分からないと思った教科。
道徳。
中学1年生だった哲基は戸惑った。教科書に答えが載っていないのである。
「あなたはどうしますか?」とか「この子はどうするべきだったでしょうか?」とか……とにかくQ&Aがはっきり記されておらず、哲基は初めて職員室に呼び出された。
「…失礼します」
「あ、神田くん…じゃあ、こっちで話そうか」
「…はぁ」
なぜ職員室に呼ばれ、なぜ別室に連れて行かれたのかもわからず、はっきり言わない担任にイライラしたことを覚えている。
「…神田くん、突然だけど、学校生活で何か困ってることとか、ない?」
担任は言いづらそうに、しかし単刀直入に問うた。
「いえ、特にありません」
「そっか…じゃあ、学校以外の場所でそういうのはない?」
「家とか、ってことですか?」
「そう」
「ありません」
「…そっか」
ここまで来て質問の意図も見えず、哲基の苛立ちはさらに募っていった。
「あの、なんで急にそんなことを?俺、困っているように見えてるんですか?」
刺々しい口調で担任に詰め寄る。
「それは……」
相変わらず言い淀み続ける担任。
「すみません、先生の質問の意図がわからないんです。俺は別にいじめられたりなんてしていないですし、かといって不良生徒でもないはずです。職員室に呼び出されるってことは、大抵生活態度とか成績のことで言うことがあるからでしょう?」
「う、うん…まあ…」
「俺は成績に関しては文句のつけようがないはずです。授業中に騒いだりもしていない。職員室に呼び出されたところからもう理由がわからないんですよ」
「イライラするのではっきり言ってくれませんか」
「……」
担任は少し顔色が白くなった気がした。
「…わかった。実はね」
「神田くんの道徳の授業での解答が、少し気になったの」
「道徳、ですか?」
思っていた斜め上の担任の言葉に一瞬怒りを忘れて驚いてしまう。
「神田くんの解答、こう言っちゃ悪いかもしれないけど、なんだか正しい倫理観というか…基本的な人としての感覚が育っていないように感じるものばかりで」
「……」
「もちろん、義務教育課程の道徳はその正しい倫理観を形成する目的がある。けれど、神田くんのものは…なんというか…」
哲基は黙って聞いていた。いろんな疑問が浮かんでいたが、最後まで聞いてから問い詰めようと思っていた。
「うまく言葉にできないけど…心がない、っていうか」
「…はぁ」
率直に、何を今更と思った。
学校の勉強に心なんて最初からあるわけないだろうに。
「だから、もしかして何か塞ぎ込むようなことが周りで起きてるんじゃないかと思ったんだ」
なるほど。
「初めからそう言ってください」
「ご、ごめん…いきなりこんなこと言ったら、気を悪くするかなと思ったから…」
「質問の意図がわからないまま質問をする方が時間の無駄ですし気分が悪くなります」
「……」
「それと…心配には及びませんよ」
「そう?」
「はい」
「学校の勉強で何かを感じる必要はないと思うので」
「え…」
「道徳に関しては、教科書にこれと言った解答がなかったので色々と間違えてしまっていたのかもしれません」
「そのうち自分で正解に近いものは理解できると思うので、成績が悪いのは今だけだと思っていていただいて大丈夫です」
「ち、違うよ神田くん…!私はあなたの成績を心配してるんじゃなくて…!」
あれ、違うのか。
じゃあなんだと言うのだろう。
「このままじゃ、神田くんの周りから人がいなくなっちゃうんじゃないかなって…」
「心配なの……神田くんが誰かと仲良くしているところ、見たことがないし、笑っているところも見たことない」
「え、あの、急になんの話ですか…この話道徳に関係ありますか?」
「……」
担任は急に黙り込んだ。
哲基は何が何だか分からない。確かさっきまで俺の道徳の解答がおかしいみたいな話をしていて……
「……」
空気の揺れを全く感じないほど場が静まり返る。
哲基も、もうこれ以上何かを話す気になれなかった。
「あの、話が終わったのであれば帰ってもいいですか」
「っ…!」
担任は目を見開いて哲基を見張った。
「…?」
「帰宅しても構いませんか」
「……」
担任はすっと表情をなくして、一瞬の沈黙の後、
「…うん。さようなら、気をつけて帰ってね」
と、にこやかに言った。
その目はなんだか濁っているような気がした。
なぜ急に思い出したのだろう。人間の脳は謎が深い。
あれ以来、その担任は自分に変に構うことは無くなった。それ以降は職員室にも呼び出されていない。
ただ、母の態度が変わり始めた、気がする。
そういえばその職員室事件があったタイミングと同じだ。
今まで姉と同じように笑顔で接していた母が、急に笑顔を見せなくなった。
姉とは特に変わりなくいつもの調子で話している。自分が関わった途端、その笑顔は枯れる。
そういえばなぜだろうか。別に生活になんら支障はないので今まで放置していたが、考えてみると少し急すぎる。
考えていたが、それを哲基はすぐに辞める。
考えたって意味がない。真実は本人しか知らないことだし、生活に変わりがないなら気に留める必要は全くない。
「ただいま」
いつものように玄関に入る。
「あ!!哲基くんおかえり!!」
「!?」
聞き慣れなさすぎる声に流石に驚いて声の方向に目を向ける。
「わ〜!!哲基くんちょー大人っぽくなってる!」
ま、まさか…
「私のこと覚えてる!?廻だよ!星野廻!従姉妹よ従姉妹!!」
満面の笑みでそう言いながら玄関で固まる哲基の方へ向かってくる。
なんだこのうるさい生き物は。
「久しぶり!」
ピカ!みたいな効果音がつきそうな鬱陶しい笑顔を向けられて戸惑った。
いや、待て。状況が理解できない。
「ん、哲基おかえり」
タイミングよく姉が出てきた。哲基の反応で勘付いたようで。
「廻ちゃんさ、準備早めに終わったし挨拶もしたいからってもうこっち来たんだって。家入れるようになるまで…まあ2日くらいなんだけど」
「うちに泊まることになったから」
「は…?」
「よろー」
姉は少しニヤつきながら言った。
よろー、じゃないんだよ。
「急にお邪魔してごめんね、久々に神田家にも会いたくてさ…2日間よろしくお願いします!」
「嫌だ」
「うはは変わってなーいw」
そこでハッとする。そうだ、一言も話さなくてもいいじゃないか。
どうせ2日で出て行くなら尚のこと。
0.2秒で無視を決め込もうと決心した。
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