市中に問う者在り、名を紅殷

絡繰からくり細工に詳しい職人?」


 店主のいぶかしげな声に、紅殷こういんは真剣な表情で頷いた。


「ああ。ちょっと事情があって調べてるんだ。誰か知らないか?」

「絡繰細工……絡繰細工、ねぇ……」

「手先が器用な木工職人とかでもいいんだけども。複雑な細工が得意な職人とか」

「んー……誰かいたかいねぇ?」


 馴染みの古美術商が首をひねかたわらで、他の旦那衆達も首を傾げていた。


 今日も人で賑わう市の雑踏の中だ。


 茶店の店先に置かれた床几台しょうぎだいに集まり碁を指していた商家の旦那衆達は、気軽に歩み寄ってきたかと思えば軽い挨拶の後に前置きもなく話を切り出した紅殷に首を傾げている。


 とはいえ、その場にいるのは日頃から紅殷の突飛な言動に付き合ってくれている面々だ。特に理由を詮索することもなく、旦那衆は記憶を呼び起こしてくれているようだった。


「ついでにさ、最近なんか怪しいなぁって思う人間とかいなかったか? 何かヤだなぁ、こいつ、とか。陰気だなぁとか」

「漠然としてんなぁ」

「何だってんだい、紅殷の旦那」

「ちょっとした調べ物さ」


 曖昧に濁してニパッと笑うと『やれやれ、またかい』という表情が返ってきた。それから旦那衆同士で視線が飛び交い、『どうだい』『何かあったかい』という情報交換が始まる。


 そんな旦那衆に気付かれないように、紅殷は後ろに控えた晶蘭しょうらんへチラリと視線を向けた。『どうよ? 俺の放蕩も無駄じゃないだろ?』という紅殷の自慢げな表情に目ざとく気付いた晶蘭は、小さく肩をすくめることで返事に代える。


 宿近くの飯店で朝食を済ませ、妓楼周辺の探索を終えた後だった。日の光の下で改めて元妓楼やその周辺……特に向かいの廃墟の中を調べてきた紅殷達は、さらなる情報を求めて市を訪れている。


 ──妓楼に仕掛けられていた罠も、向かいの廃墟に設置されていた絡繰も、晶蘭の見立てではまだ新しいって話だった。


『糸を用いた絡繰ですね。張り巡らせた糸が切れると、設置されていた飛刀が飛ぶ仕組みです』


 元妓楼の向かいの廃墟には、くだんの露台に向き合うように大きな窓が設けられていた。はめ込まれていた飾り窓が外れてぽっかりと壁に穴が空いただけになっていた部屋の中には、機織機のような絡繰が置かれた。紅殷には何が何だかサッパリ分からなかったが、紅殷を下がらせて検分した晶蘭いわく、これが酒甕さかかめを貫通させる勢いで飛刀を飛ばしてきた仕掛けで間違いないとのことだった。


『この窓から向かいの露台の手すりや窓枠、さらに妓楼の階段の手すりへ糸を巡らせて、仕掛けを作動させたのかと』

『あの魔怪の少女を妓楼に飛ばしてきたのも、これなのか?』

『使いようによっては、そのように使えるかもしれませんが……』


 絡繰の傍らに膝をつき、切れて絡まった糸を手にしていた晶蘭は、眉間にしわを寄せながら紅殷を見上げた。


 飛刀を飛ばす絡繰は恐らくが矢を飛ばす要領を用いており、魔怪の少女を飛ばす絡繰は投石機が岩を飛ばす要領を用いているのではないか、というのが晶蘭の見立てだった。


 確かに言われてみれば、木製の骨組みこそ機織機に近いが、本来の機織機であれば糸が布に組み上げられているであろう部分には小さな弓を横倒しにしたような部品がズラリと並んでいる。その全てが窓の外に向けられていることに紅殷の背筋がゾッと冷えた。


『これは刃物を飛ばすことに特化しているように思えます。人型の物を飛ばすには向いていない』

『ここにないってことは、屋根の上に設置されてるかもってことか?』

『……いえ。それだと私が見た角度で飛び込むことはできません。となると、彼女は自力でこの距離を跳んできた、と考えた方がいいのかもしれませんね』


 晶蘭の視線が窓の外に向けられる。


 その向こうには確かにくだんの露台が見えているが、間に広がる大路は跳び移るにはあまりにも広すぎた。晶蘭が反対側の壁ギリギリまで助走をつけて跳んでみても、せいぜい大路の中心を越えられるかどうかといった程度だろう。


 ──姿形は少女でも、身体能力はもはやヒトのそれじゃないってことか。


 見た目に惑わされてはいけない。


 それは修祓に臨む心構えの基本中の基本とも言えるが、今回はさらにそれをしっかりと肝に命じなければならないようだ。


『似たような仕掛けが向こうにもありました。仕組みも同じで、仕込まれていた飛刀も同一の物です。双方の仕掛けを施したのは同一犯と見て間違いないでしょう』

『まぁ、ここまで来て「向こうとこっちの仕掛人が違いました」って言われたら、それはそれで余計に謎が増えそうではあるんだけども』

『それと。……魔怪の少女が手にしていた刃も、同じ飛刀でした』

『え?』


 晶蘭の言葉に紅殷が声を上げると、晶蘭はゆっくりと立ち上がりながら懐から布包みを取り出した。晶蘭がハラリと包みを開くと、中からは抜き身の飛刀が三本姿を現す。


『上から順番に、衣に突き刺さった飛刀、酒甕に突き刺さった飛刀、魔怪の少女が手にしていた飛刀です』

『ちょっ!? ちょちょちょ晶蘭っ!? お前そんなモン懐に入れてたのかっ!?』

『毒のたぐいは仕掛けられていないと確認できていますから、大丈夫ですよ』


 その発言に『いや、そうではなく! いや、そこも心配だけどもっ!!』と紅殷が慌てたのは言うまでもない。


 だが晶蘭は顔色を無くす紅殷をチラリと流し見ると、大したことではないと言わんばかりにサラリと言葉を続けた。


『あなたがこの飛刀の存在に気付かなかった時点で、この飛刀に呪術的に気になる点はないということなのでは?』


 暗に『この飛刀そのものに陰の気が取り巻いていたり、呪詛が込められていたら、必ずあなたが気付くでしょう?』と確認された紅殷は、そのまま言葉を飲み込むしかなかった。事実ではあったので。


 ──晶蘭も時々、とんでもねぇことをしでかすよなぁ……


『何の特徴もない飛刀とはいえ、同一の物をあれだけ大量に揃えるとなると、一所ひとところに特注したと考えた方が自然でしょう』


『魔怪が落としてったブツを懐に入れとくって、何かヤじゃね?』やら『主従は似てくるって聞くけど、晶蘭が時々こんなぶっ飛んだことをすんのはやっぱ俺のせいなのか?』やらと紅殷が顔を引きらせている間も、晶蘭の解説は進んでいく。そのあまりにも平然とした調子には紅殷も話を続けざるを得ない。


『複数箇所から少量ずつ入手していたら、物にバラつきが出るから、か?』

『そうですね。昨日、向こうの絡繰を確認した時に見つけた飛刀も、皆同じ型でした』

『だったらその筋から追えるかもしれないな。絡繰に使われた物と魔怪の少女が持っていた物が同一であるならば、関係性も分かるかもしれない』


 紅殷は片手を顎に添えると瞳を伏せる。そんな紅殷にひとつ頷いた晶蘭は、飛刀を布で包み直すと再び懐にしまい込んだ。照合が済んだのに手放さないのは、いずれ何かの手がかりになるかもしれないと考えているからなのか、あるいは緊急時の得物として使えると考えているからなのか、どちらなのだろうか。


『晶蘭、何か他に相手に迫れそうな手がかりってあるか?』


 紅殷は晶蘭の懐にしまわれた包みを意識から追いやると、真っ直ぐに晶蘭を見上げて問いかけた。しばし瞳を伏せて考えを巡らせた晶蘭は、ゆっくりと己の考えを口にする。


『……兵器として実用に足る絡繰を組み上げるには、絡繰に対する知識が必要です。少なくともこれは、絡繰に明るくない素人には組み上げられないものだ』


 その言葉に、紅殷は小さく頷いた。そんな紅殷の仕草に視線を上げた晶蘭は、紅殷をひたと見据えると真剣な面持ちで言葉を続ける。


『木工にも明るい人間でしょう。絡繰部分以外も、仕上がりが美しい。これが作られたのも、設置されたのも、ごく最近のように見受けられます』

『その割に足跡が残されていないってことは、こういう悪事に慣れてるってことだな』


 紅殷の言葉に、晶蘭は浅く顎を引いて同意を示した。


 ──空気に埃っぽさを感じない。……ここを使い始めた当初から、追手が現れることを想定してマメに掃除してなきゃ、こんな不自然な状況にはなんねぇよな。


 場の不自然さには、紅殷も早くから気付いていた。


 綺麗すぎるのだ。


 人の手が入らなければ建物の中にだって埃は積もる。向かいの妓楼の床にも埃が積もっていたというのに、こちらの廃墟は向こうよりも明らかに保存状態が悪いにもかかわらず、不自然なくらいに床が綺麗だった。


 まるで誰かが、埃の上に己の足跡が残ることをいとって、丁寧に掃き掃除でもしていったかのように。


 そして『埃の上を歩けば足跡が残る』『その跡から自分の素性が知れるかもしれない』などと注意を払う人間は、得てして『自分は追われるに足る何かをやらかした人間だ』という自覚を持っているものだ。追われ慣れていない者は、そもそも『それが自分を辿るための手がかりになる』と知らないから、証拠隠滅に乗り出すことだってない。


『絡繰は金になります。どのような形であれ絡繰を売って生きているならば、物珍しさから必ず話は回る』


 ──というわけで、調査に乗り出してみたわけだけども。


 あーでもない、こーでもないと真面目に考えてくれているのか否かも分からない雑談に、紅殷は旦那衆に気付かれないようにそっと苦笑を浮かべた。


 ──そうだよなぁ、いつでもそんなに都合よく話が引っかかるはずもねぇよなぁ……


 旦那衆の一人の発言にまた別の人間が合いの手を入れ、それが重なっていく間に話し合いはすっかり普通の雑談に戻っている。もはや紅殷が投げた問いは半ば忘れられていることだろう。


 ──『また何か気になる話を耳にしたら教えてくれ』って伝えて、他を回った方が良さそうだな。


『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる』と言うし、こういうものはめげずに数をこなすべきだろう。それにまだ飛刀の方から調査を進める道も残っている。こちらは『蛇の道は蛇』ということで鍛冶屋に話を聞いてみるつもりだ。


「あー、おっちゃん達、また何かあったら……」

「ね、紅殷ちゃんが探してるのって、もしかして屑箱しょうそう雑技団かしら?」


『俺に教えてくれる?』と続くはずだった言葉は、横から響いた声に止められた。華やかな声に振り返れば、茶杯が載った盆を手にした娘が歩み寄ってくる。


 新たな顔馴染みの登場に紅殷はパッと笑みを広げた。


璃琳りりんねえさん!」

「ごめんなさい。話してるのが聞こえちゃったものだから、つい」


 璃琳はこの床几台が置かれた茶店の看板女給だ。この近辺の旦那衆は璃琳の顔を眺め、璃琳の愛ある毒舌に斬られるためにここへ集っていると言っても過言ではない。紅殷自身もサッパリキッパリとした璃琳の為人ひととなりは、人として好ましいと思っている。


「璃琳姐さん、何か知ってるの?」

「絡繰細工が得意そうで、気に入らない人間なら、最近見たわよ」

「えっ!?」

「それが屑箱雑技団」


 はい、と紅殷の方へ璃琳は茶杯がいくつも並んだ盆を差し出す。紅殷が璃琳の好意に手刀を立てて礼を示しながら茶杯をひとつ取り上げると、続けて盆は晶蘭に差し出された。紅殷を相手にしている時よりもかしこまった顔をした璃琳が晶蘭に目礼を送ると、晶蘭も目礼を返してから盆の上の茶杯を受け取る。


「雑技団って銘打ってはいるけれど、実際は一人の大道芸人が絡繰を操って芸を見せているだけよ。絡繰達を団員に、それらを操る自分を座長に見立てているみたい」


 続けて旦那衆へも茶杯を配りながら璃琳は言葉を続ける。その声がどことなく尖っているように聞こえた紅殷は、一口茶で喉を潤してから首を傾げた。


「璃琳姐さんは、どうしてそいつが気に入らないんだ?」

「何かね、気持ち悪かったのよ」


 茶杯を配り終えた璃琳は、空になった盆を胸に抱きしめながら紅殷を振り返った。元から勝ち気な性格が強く出たきつく整った顔立ちをしている璃琳だが、今はいつも以上に眉が跳ね上がって険しい表情になっている。


「絡繰も、それを操っている芸人も、何だか気持ち悪かったの」

「絡繰が生きてるみたいに動いてたってことか?」

「そこは逆にすごいなって思ったのよ。芸人が操る素振りも見せていないのに、人形が本当に生きてるみたいに踊ってたんだもの。……でも、なんっていうか」


 璃琳は喉に物がつっかえたかのように顔をしかめると、そっと指先で唇を撫でながら呟いた。


「禍々しかったの。勝手に動いていた絡繰も、それを眺めて笑っていた男も」


 ──禍々しかった。


 その言葉にスッと目をすがめた紅殷は、チラリと晶蘭に視線を流した。茶杯に口をつけていた晶蘭も似たような表情で紅殷に視線を飛ばしてくる。


 気味が悪い。気持ち悪い。


 ヒトは、本能的に異質なモノを恐れる。陰に連なるモノから逃げようとする。


 本能が訴えかける異変は、たとえそれを感じ取った人間が巫覡ふげきの才のない徒人ただびとであろうとも、軽視すべきものではない。


 カチリと合った互いの瞳の中に同じ考えがあること確信した紅殷は、小さく顎を引いてから璃琳に視線を戻した。


「璃琳姐さん、その屑箱雑技団について、知ってる範囲でいいから詳しく教えてくれないか?」


 元より璃琳はそのつもりだったのだろう。


 紅殷に挑みかかるように視線を据え、キュッと両腕で盆を胸に抱きしめた璃琳は、小さく頷くと唇を開いた。


「私が屑箱雑技団を知ったのは、ひと月前くらいだったわ。買い出しを頼まれた時のことだったんだけども……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る