進め その華を求む場所へ
「それで? 説得は成功したのですか?」
「したから今、ここでこうしてられるんだろー?」
サラリサラリと、
だがそれでも紅殷は、自分の髪を晶蘭にいじってもらうのが何より好きだった。紅殷があまりにも『髪は晶蘭に結ってもらわなきゃ嫌だ!』とごねるせいで、正装の時以外、紅殷の髪結いは晶蘭に任されている。
「本当は正装の時も蘭蘭に結ってもらいたいのになぁー」
「馬鹿言わないでください。近習達の仕事をぶん取らせるつもりですか」
「えー、そう言ってないで覚えてよ、蘭蘭」
「あなたが正装しなきゃいけない時は、私も正装しなきゃいけないから着付けに連れて行かれてるんですよ。あと、蘭蘭言うな!」
先日宿泊していた、宿屋の部屋の中だった。
晶蘭が不測の事態を予測して数日分の宿泊料金を先払いしておいてくれたおかげで、二人が泊まっていた宿の部屋はまだ紅殷達用に押さえられていた。宿屋の主人に『姿を見てなかったから、挨拶もなしに引き払ったのかと思ったよ』と文句を言われつつこの宿に戻ってきたのが少し前のことだ。
日は宿に入るのと前後して沈んだ。闇に沈んだ部屋の中を、卓上に置かれた燭台がぼんやりと照らしている。
「ここで私に結わせるくらいならば、そのお忍び服に着替える時についでに結ってくれば良かったでしょうに」
「馬鹿言うなよな、蘭蘭。あんな派手な頭で市中に出てみろよ。一発で身バレしてお忍びどころじゃねぇっつの」
椅子に紅殷を座らせ、後ろに立った晶蘭は常に持ち歩いている
椅子の隣に並べられた机には、いつも晶蘭の髪を束ねている金の髪飾りと、帯を彩っている金鎖の
紅殷に髪飾りを返すために一度解かれた晶蘭の髪は、普段紅殷の髪を束ねている紺組紐と水晶飾りの髪紐によってひとつに結い上げられている。団子状にまとめるのではなく馬の尻尾のように垂らされた髪は、揺れるたびにシャラリ、シャラリと水晶の飾りが小さく音を立てていた。普段紅殷の髪を彩っているそれは紅殷の霊気を含んでいて、揺れるたびに清涼な音とともに微かな燐光も振り撒いている。
「やっぱさ、晶蘭はそっちの髪型の方が似合うよな」
紅殷は晶蘭を振り返ると、本来の髪型に戻った晶蘭の姿を目に焼き付けながらニパッと笑った。そんな紅殷に渋い顔になった晶蘭は、紅殷の頭に両手を添えて無理やり紅殷の顔の位置を戻すと、再び髪に櫛を通す。
──やっぱ好きだな。晶蘭の手付き。
紅殷の言動に文句を言う割に、晶蘭は日々紅殷の髪の手入れを怠らない。己の腰にある剣の手入れを日々欠かさないように、晶蘭は紅殷が何も言わずとも朝に晩に紅殷の髪に櫛を入れてくれる。そのおかげで紅殷の髪は当人がほったらかしにしている上に腰より長く伸ばされているにもかかわらず、市井を転げ回っていても艶を失わない。
今宵もその髪をサラサラに
「そう思うならば、あなたも普段からその髪型でいてください。そうしてくだされば、私の髪紐があなたに取られることもないんですから」
「晶蘭、こっちの髪留めじゃその髪型できないんだっけ?」
「私の髪は、せいぜい肩下までしか長さがありませんからね。団子状に纏めていないと、長さと量が足りなくて安定しないんですよ」
口では文句を言いながらも、晶蘭の手付きはどこまでも優しい。大切な宝に触れる手付きそのもので髪飾りが留められ、複雑に形作られた髪の左右からそっと金の鎖が垂れる簪が挿し入れられていく。
「普段からこんな頭してたら重くてしゃあねぇし、身元モロバレすんだろ。さっきも言ったけどさ」
最後に軽く手を添えて簪と飾りの止まり具合を確かめてから、晶蘭の手はそっと離れていった。晶蘭に手渡された鏡で仕上がりを確かめれば、きらびやかに飾り立てられた自分が鏡の中で困ったように笑っている。
「何せこのけばけばしい
艶やかな黒髪には金の歩揺が揺れ、
当代皇帝の血を引く正統たる御子でありながら、その素養の高さから
玉仙宮筆頭巫覡『
その名を象徴する髪型……髪型だけではあるが本来のあるべき装いに戻った紅殷は、垂れる金鎖が髪に絡まないように気を付けながら晶蘭を振り返った。
「それにやっぱこの髪型は、この平服には似合わないと思わないか?」
「だったら、服も改めますか?」
「え、ヤダ。あの服肩凝るんだもん。せっかく出てくる時に脱ぎ捨ててきたっつーのに」
「そもそもあなたの場合、その服はお忍び服であって平服でもありません」
つれなく言い放った晶蘭は紅殷の手から鏡を抜き取ると黄楊櫛を己の懐に納める。その黄楊櫛も黄楊櫛で紅殷が晶蘭に『いつでも俺の髪を整えられるように持っといて』と押し付けたものだ。
──櫛はいざという時に魔を祓う守り呪具になる。毎日俺の髪を梳いてる櫛なら、普通の櫛よりも守りの力は強くなってるはず。
紅殷が普段何かと理由をつけて晶蘭と髪飾りを交換しているのもそのためだ。
晶蘭の髪紐を紅殷が普段から身につけることで、装いを改めて現場に出る時には晶蘭の髪紐には紅殷の霊力がふんだんに宿った状態になっている。普段紅殷が意図して霊力を蓄えている晶蘭の髪紐は、いざという時に晶蘭の身を守る最後の砦になってくれるはずだ。
──お前はまた『過保護』って言うのかもしれないけどさぁー。
晶蘭が紅殷の相方に成り立てだった頃、紅殷がその辺りに無頓着だったせいで、晶蘭は一度現場で倒れて危機に瀕した。あんな真似はもうごめんだと心底本気で思っている紅殷である。
「というかあなた、自分の呪具に対して『けばけばしい』とかいう感想を抱いていたんですか?」
そんなことを考えていたら、晶蘭は呆れの溜め息とともに言葉を投げてきた。パチパチと目を
「いや、どう考えてもケバいだろ、この頭は」
「きちんと金簪仙君としての装束を着てもらえれば、全然けばけばしくはありません。いい感じに神々しくなります。中身はともかく」
「中身はともかくって何だよ、中身はともかくって!」
何を言ってくるのかと思ったら、珍しいことに軽口だった。
紅殷は反射的に『うがー!』と言葉で喰い付く。だが晶蘭は自分から軽口を投げてきたくせに、軽く肩を
そんな晶蘭の様子に、紅殷はハッと気付いた。
──もしかして晶蘭、ちょっと気分が落ちてた俺のこと、気遣ってくれた?
紅殷が普段お忍び姿で市井をうろついているのは、奥殿の御所まで届けられずに握り潰されていく民の声を拾い上げるためだ。だが同時に紅殷が『金簪仙君』としての堅苦しさを嫌ってただの『紅殷』としてすごせる時間を求めて外をふらついているのだということも、晶蘭は多分気付いている。
幽鬼修祓の現場に出る時、それが『金簪仙君』として請われて出向いた現場であっても『紅殷』として自ら首を突っ込んだ現場であっても、紅殷は必ず晶蘭に髪を結ってもらって現場に立つ。
それは晶蘭が言う通り髪を彩る金歩揺が己の呪具であるからという理由もあるのだが、紅殷としてはそれがひとつの礼儀だと思っているというのが一番の理由だった。
──『金簪仙君』っていう名前だけで、救われる御霊もあるから。
ヒトには、真摯でありたい。相手が生きていようが死んでいようが関係なく。
生まれと置かれた立場から否応なく権謀術数の中で生きることを強いられてきた紅殷だからこそ、その思いは何よりも強い。
だからこそ紅殷は、誰に課されたわけでもないのに、現場に立つ時は必ず、あまり好きではない装いに自ら身を包む。
自分が掲げた『綺麗事』を、今日も実現するために。
自らにその『綺麗事』を抱かせるに至った
「晶蘭。悪ぃけど、今回の現場はちょっとお前の方が荷が重いかも」
紅殷は静かな挙措で椅子から立ち上がると懐に手を入れた。そこに畳んで入れてあった物を取り出して軽く手を振れば、掴み出されたそれはホロホロと紅殷の手元から広がっていく。
「作戦は、ここへの道すがら伝えた通りだ」
晶蘭との打ち合わせは、玉仙宮で合流してからこの宿へたどり着くまでの間に済んでいた。紅殷が知り得た情報と作戦を伝えると同時に、晶蘭が独自に調べていた情報も紅殷に伝達されている。
その上で紅殷は、改めて己の決意を口にした。
「あの少女も、幽鬼も、黒幕も。今宵まとめて引き寄せて、一気に片を付ける」
紅殷は懐から取り出した
そんな領巾を纏った紅殷の姿は、質素なお忍び服でありながら、人々の口の端に登る通り、天界の貴人のように幻想的なのだろう。
だが晶蘭の瞳に映り込む紅殷の瞳には、その幻想を打ち破るような、燃え盛る炎を思わせる苛烈な光があった。
「でも、お前なら大丈夫だな?」
金簪仙君として振るう呪具をひとつ、またひとつと纏っていくたびに、紅殷の表情は『紅殷』から『金簪仙君』としてのものに変わっていく。姿形が変わらずとも、今の紅殷を見た人間は皆、紅殷が『玉仙宮の関係者』と口にすればその言葉を疑うことはないだろう。
そんな主に対して、晶蘭は膝をつくと静かに両手を重ね合わせた。
「お任せください、我が君」
軽く頭を下げる動きに合わせてサラリと髪が揺れる。同時に揺れた水晶飾りが、チカリと紅殷の燐光と同じ瞬きを見せた。
「貴方様は貴方様の御心のままに。貴方様の行く先を遮る者は、
静かでありながら力強く通る声で宣誓した晶蘭は、ゆっくりと顔を上げると真っ直ぐに紅殷を見つめた。
「我が身は貴方様の剣であり、貴方様の盾。貴方様が望む先へ行く道がそこにないならば、わたくしがその道を造り上げます」
その言葉が実を伴っていることは、すでに晶蘭の行動で証明されている。
今回だけではなくて、出会った時からずっと。いつだって晶蘭は、紅殷の心に応え続けてきてくれた。
だから、応える言葉はこの一言でいい。
「信頼してる」
いつ何時でも、どんな局面に立たされても、絶対無条件で背中を預けることができる唯一無二の相方。
臣下であり、護衛官であり、幼馴染。
そんな世界で一番頼りになる相手に薄く笑みを向け、紅殷は最後に懐から扇を抜いた。その無言の発令に晶蘭は機敏な動きで膝を上げる。
「では、行こうか」
紅殷が笑みを向けても、生真面目武官の顔は無表情のままキリリと引き締まっていた。
そんないつもと変わらないその姿に、紅殷は思わず『紅殷』として素の笑みを口元に閃かせる。
「敬意を
「誠意を以て」
対となる言葉は
続く言葉はピタリと揃えて。
「我ら玉仙宮が誇る
玉仙宮が誇る屈指の一対は、決意の口上とともに現場に向けて出撃した。
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