第30話 カルナ 3
「うふふっ、アハハハッ、おかしいっ。ねっ、カルナ様」
肩を抱いていた少女が屈託なく笑う。僕も一緒になって笑っていた。
懐かしいラヴィのあどけない笑顔。
人形のように取り繕っていた表情が崩れる。あの頃のように。
仮面の男の事で二人して笑っていたら、いつの間にか皆、僕たちに注目していた。
「そのように楽し気に笑うこともできるのだな」――老公が言った。
「ラヴィーリア様には笑顔が似合いますな」――難しい顔をした男爵が言った。
「聖女様はあんな笑顔で笑うのですね」――ロワニド閣下が言った。
「これは殿下では釣り合いませんな」――大柄な男爵が言った。
「ラヴィはかわいいなあ」――小さな賢者様が言った。
みんながラヴィに注目していた。
いや、僕と一緒に居る彼女を――僕たち二人を見ていた。
椅子に深く体を預けたマスクの男も疲れた様子だったが微笑んでいた。
◇◇◇◇◇
その後、ラヴィに皆を紹介してもらった。
全員が彼女の顔見知りだと言う。小さな賢者様以外は男ばかり。
メレア公を名乗っていた老公だが、ラヴィは彼の養子になっていた。知らない間に彼女はラヴィーリア・ユーメ・ディス・エイワスに名前が変わっていた。最初は彼女を娶ろうとしていたらしい。この老公が。老公は僕のことを侮っていたと謝ってきた。良い男になれ、そう言った。
ロワニド閣下はミリニール公の後継者だった。彼とは既に顔を合わせていた。僕の事情を聞いてくれて、もし父と敵対することがあるような場合は力になると言ってくれていた。ラヴィは彼について何か話そうとしていたが、彼は手をかざしてラヴィの言葉を遮った。そして僕たちに対して謝罪した。ソノフとロスタルの関係を崩すための犠牲にさせたのはミリニール公も関わっていたことだからと。
難しい顔をした男爵はラトーニュ卿と名乗った。彼には素敵なお菓子をご馳走になったとラヴィは話していた。優しくて素敵な方なのですよとラヴィは言う。ただ、以前と違うのは彼女がちゃんと距離感を保っていることだった。
大柄な男爵はロシェナン卿と名乗った。彼は大変な働き者で、民にも慕われて幸せそうだったとラヴィは言った。彼はラヴィが領内で如何に慕われてるかを聞かせてくれた。ミリニール公の領地の多くではラヴィが聖女として信奉されているらしい。
ロワニド閣下を護衛する体格の良い騎士はルゴアマダールと名乗った。彼は騎士の分際でラヴィーリアを親し気にラヴィと呼ぶし、ラヴィも彼をゴアマと呼ぶ。少し苛ついたが、僕たちをお似合いだなどとしつこいくらい褒めてくるので、嫌味なことは言えなかった。
審問で喋っていたあの政務官は改めてゼロと名乗った。彼とはあの戦いで初めて顔を合わせたそうだが、彼はラヴィを姫様と呼び、忠誠を誓っているかのようにも見えた。彼には今回、とても世話になったとラヴィは言った。
賢者様はトメリルの賢者としか名乗らなかった。審問の場での彼女を見る限り只者ではないことはわかったが、ラヴィとはお互いが砕けた口調で喋っていた。以前ならラヴィは無意識のうちに言葉が砕けることはあったけれど、通してそうあるのは意外だったので聞いてみたところ、賢者様の提案だったそうだ。
レコールと呼ばれた護衛はロワニド閣下から貸し与えられた騎士だそうだ。ラヴィを聖女様と呼び、あの戦闘でも並々ならぬ忠誠心を見せつけていた。何が彼をここまでさせるのかと思ったが、ラヴィは後で話すとしか言わなかった。
フェフロと呼ばれた二人目の護衛はメレア公のところの騎士だ。巨大な体躯のわりに物腰は丁寧でラヴィを姫と呼ぶ。ただ、戦闘での彼を見た限りではこのような物腰と丁寧な喋り方は想像もできなかった。
そして最後にあの男。エフゲニオと呼ぶラヴィ。以前はジーンと呼んでいたはず。彼との間に何があったのかは分からない。ただ、彼女は彼に長い間世話になり、何度も助けてもらったと言っていた。エフゲニオはずっと無口だった。
「僕はあなたがラヴィにとってどういう存在なのかはわかりません。ですが、事情を知っていて、彼女の支えになってくれたということはわかります。ありがとうございます」
「てめえに感謝される事なんざこれっぽっちも無い」
エフゲニオは市井の者かと思うような乱暴な言葉で言った。
「もう吹っ切れました。彼女の笑顔を手放したくない。戻る場所もありませんが、戻ってきて欲しいなんて言葉は間違ってました」
「そうかよ」
「ジーン……」――ラヴィが心配そうな眼差しを向ける。
「ラヴィ、君はどうなんだい? 彼のことは……」
「どうって?」
「その、随分と親しくなったようだし、彼を男として……」
「ジーンと? カルナ様、それはありえません。だいたいこの男、既に六人も女性を囲っているのです」
「えっ? ろくにん……?」
「そうです。七人目になれなどとふざけたことを言われましたので何度も斬ると脅したくらいです。そもそも、彼とは既にエイワス家の兄と妹です。ジーンと夫婦になるなどありえません」
養子ならまだ可能性はありえる。
それにそれで納得しているならエフゲニオが不機嫌な理由にならない。
◇◇◇◇◇
元首会議は半月後となった。
魔王との争い以外でこれほど性急に会議が開かれることは珍しいそうだ。
それまでの間、僕らはミリニール公の屋敷で世話になることとなった。
僕は実家との縁が切れた状態となり、やがて予想されていたことだが伯爵家から廃嫡の知らせを受けた。
ただ、その知らせと共にやってきた女性――なんとあのセアラだった。彼女は実はダルエルの元、働いていた密偵だったらしいのだが、もともとはルテル公の密偵だったという。つまり寝返ったのだ。
セアラはダルエルを調べていた体で僕に接触し、落ち込んでいた僕を励ました。それが父の目に留まり、ルテル公の密偵だと判明した時点でダルエルの調査から僕の婚約者として振舞うように指示されたらしい。
そして彼女が言っていた上の意向――あれはつまりラヴィーリアがダルエルに接触し、そこからダルエルが考えを改めた結果らしい。つまりはどこまでもあのダルエルの手のひらで踊らされていたということだった。
半月の間、長い時間をラヴィと過ごした。僕としてはラヴィと居られる時間ができて嬉しかったのだが、ロワニド閣下を始め、皆は忙しく動き回ったり、会議をしたりしていた。ラヴィも会議に参加したり、何か手伝ったりしたいと言っていたが、今のところ
ラヴィーリアとは離れ離れになってからのことを語り合った。
彼女は後悔の言葉ばかり連ねていた。
僕とのことには懺悔の言葉も交えた彼女だったが、ラヴィーリアと共にダルエルに感情をぶつけ、笑い合ったことで気分は晴れていた。
そして彼女は公爵家三女としての義務を果たさず無下に生きてきたこと、国が民を護らず貴族たちがその責任を果たしていないことを強く思い悩んでいた。そして自分はそのために身を捧げるとも。だからこそ、今のこの何もできない待遇に焦りを感じていたようだ。
結局、早々にラヴィに押し負けたロワニド閣下は、彼女に王城での重要な役割を担うための講義を受けさせ始めた。大賢者様を始めとして、第二王子の派閥で要職についている者たちから多くのことを教わっていた。彼女は学び舎でもそこまで優秀だったわけではない。最低限の勉強程度を要領よくこなしていたように見えたし、やる気も見えるほどでは無かったように記憶している。
しかし、本職からの講義はなかなかに厳しいものらしく、食事や休憩の合間に顔を合わせると愚痴を言うようになった。あのラヴィーリアが!
一日の講義を終えるとぐったりとして僕に甘えるようになった。彼女とはとても親しい賢者様も――ラヴィをゆっくり甘えさせてやってくれと――僕に頼んできた。
ラヴィはその賢者様ともよく話をしていた。賢者様はラヴィと居るときは市井の者のような砕けた言葉遣いをするため、ラヴィも当然つられてそのようになっていた。今や賢者様の従者かのようになってしまった
ラヴィとは一度、護衛を連れて神殿を訪れたことがあった。
ゼロ政務官と騎士を六人も連れ、仰々しい警備でもって市街を訪れた。
「お姉さま!!」
神殿で保護されていたラヴィとそう変わらない年の栗色の髪の少女が、ラヴィを見るや走り寄って抱き着いてきた。
「もう戻ってこないのかと思いました。心配したんですよ!」
「レテシア、任せてしまってごめんね。ありがとう。――キミリもおいで。ほら?」
黒髪の少女がラヴィにしがみついてくる。
「髪も綺麗ね。レテシアがみてくれてるの?」
「うん」
「あとね、イズミが頼んでくれて、公子様が井戸の水を沸かすのに魔術師を寄こしてくださったの!」
「まあ! ロワニド様も気前がいいのね」
レテシアがカルナ様を見る。
「お姉さま、この人ってあの時の……」
「ええ、カルナ様よ」
「改めて初めましてお嬢さまがた。カルナと申します。何卒お見知りおきを」
僕はいつの日か、ラヴィにしたように胸に手を当て片足を引き腰を落として挨拶した。傍で見ているラヴィはくすくすと笑いを堪えていた。
「あ、あのときはありがとう。ジーンよりは誠実そうだけど、まだ合格じゃないですからね!」
「キミリです。おみしりおきを」
「あっ、キミリ! ――レ、レテシアよ。お姉さまはまだ私のものなんだから!」
「ラヴィはみんなに好かれてるんだね」
「この子たちが特別懐いてるだけよ」
「ふふっ、それだけじゃないでしょ……うわっ!」
突然、何もない場所から灰色がかった濃い髪の女の子が現れ、後退ってしまう。
「スカルデ! 驚かせちゃダメじゃない」
「悪いやつかと思った……」
「そっか。そうやって護ってくれてたもんね。ありがと」
ラヴィはスカルデと呼ばれた子を抱きしめる。
「スカルデよ。彼女は魔女としてとても優秀なの。何度も私の命を救ってくれた」
「初めましてスカルデ。カルナと申します。ラヴィを助けてくれてありがとう」
「う、うむ。――ラヴィ、エイロンが昨日帰ってきた」
「ええ、それでロワニド様が行ってくるようにって」
「連日の講義でお疲れのようでしたので気分転換も兼ねております」
ゼロ政務官が付け加えた。
◇◇◇◇◇
エイロンと言うあの神殿長は、審問の時とはまるで別人のような表情で僕たちを迎えてくれた。しかし彼は――ラヴィ! よく無事で! ――と親し気に両手でラヴィの手を取ろうとしてきたのだ! ただ、次の瞬間――。
「いたたたた、ラヴィ、痛いよ」
エイロンの手は捻り上げられていた。
慌ててぱっと手を離すラヴィ。
「ご、ごめんなさい。癖になっちゃってたみたいでつい……」
ラヴィは近づき過ぎた彼の右手を、無意識のうちに回り込んで捻り上げてしまったようだ。僕としては嬉しいけれど、いったい、どんな経験をすればあのようになるのだろう。
ラヴィはエイロンのことを、心から子供たちを大事にしてくれる優しい神殿長だと紹介してくれた。それだけに僕の父がしたことは許せないと。ただ僕は彼の目に、憧れに似たラヴィへの熱い感情を見てしまった。
彼は城で、掛けられていた魔法を解かれ、解放されて神殿の維持に戻ってきたそうだ。そして、元首会議の前日には城を訪れるようにと言われたらしい。
こうして僕は、離れている間にラヴィが知り合った人たちと話をすることができたのだった。
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