第24話 最愛の人

「自分から見限って捨てておいて、そのうえ端女はしための身に堕とし、娼館にまで追いやったんだろ? その相手に戻ってきてくれだと? その言葉も気に入らないが、そもそも都合が良すぎるんじゃねえか?」


 いつの間にか部屋に入ってきたジーンは私の椅子の背もたれに手を置くと、そう話し始めた。


「ジーン! あなたには関係ないことよ!」


「ラヴィ、この男は?」


「彼はジーンと言って、怪我をした私を助けて――」

「いや、俺の事なんざどうでもいいんだよ、お坊ちゃん」


「娼館からは連れ戻そうと手を尽くしたんだ。ラヴィにも連れ戻すから待っていてと言ってあって――」

「いやいやいや、そこじゃないんだよ。――つうか今言ってることだってな、待っていてくれなんて言ってる暇があったら連れ戻せよ!」


「無茶を言うな。僕にだって立場があったんだ。それにその頃はまだ――」

「ハァ? 女と立場とどっちが大切なんだよ?」


 ジーンなら女というだろうな……こんな状況なのにふと思ってしまった。


「――あとな、そこじゃないって言ったろが。お前はもう彼女を捨てたんだよ、見限ってな! 捨てられた女がいつまでも捨てられた場所でウジウジしてると思うなよ!? いい女ほど、自分で立って歩いていくもんなんだよ!」


 ジーンは見たこともない真剣な表情だった。いつもあんなにへらへらとしているのに。そしてその隣ではレコールがジーンの言葉に無言で頷いていた。


「ジーン、ありがとう。後は私が話すから」


「ラヴィ、僕は……」


 カルナ様は何か言いかけるが言葉にならないでいた。


「カルナ様、私は今でもカルナ様をお慕い申し上げております。これから先も貴方以上の方は考えられません。私の最愛の人です」


「それなら――」


 私はカルナ様の手を握る両手に力を入れ、首を横に振る。


「ですが私は自分が許せません。それはカルナ様に対する不義の罪だけでは無いのです。今まで愚かな公爵家令嬢として生きてきた自分が許せないのです。ですから、私はカルナ様の元へは帰れません」


 彼の元へ帰り、そして彼の傍で侍女として生きられればどれだけ楽だろう。

 私はカルナ様の返事を待たずに部屋を後にした。



 涙を零さないよう地上へと向かう。

 隣をジーンが歩き、部屋の鍵を掛けたレコールが後をついてくる。


「リアはもう少し、自分自身に優しくしてもいいと思うんだがな」


「ジーン、あなたはいったい私をどうしたいのよ」


 ジーンはしばらく返事が無かった。


「……俺の代わりに公爵家を継いでくれれば万々歳なんだが」


「ジーン、その事なのだけど、私、ミリニール公の後を継ぐロワニド殿下から求婚されたの。それで……受けることにしたの」


「また……やってくれたなあ。西では人気あるんだろ、リアは」


「知ってたのね。まあ、知ってるんでしょうね」


「で、どういう思惑だ?」


「私、東と西の領地の懸け橋になりたいの。仮にもメレア公の養子がミリニール公に嫁げばこれ以上の懸け橋は無いでしょ?」


「ジジイが泣くぞ」


「そうね……。メレア公には申し訳ないけど、それ以上の働きはしてみせるわ」


「俺も泣くわ。公爵なんぞなりたくねえ」


「ジーンには本当に助けられたわ。ありがとう」


「いい女だと思ったんだがなあ。あと、礼は今の状況を何とかしてからだな」


「そうね」


 ジーンからの情報では、エイロンはやはりロスタルの手の者に捕らえられているらしい。ロスタル以外にもソノフの屋敷でも動きがあるそうだ。両家がイズミを狙っているのは間違いないが、どれだけのことをしてくるか未だ予想がつかない。



 ◇◇◇◇◇



 ジーンはフェフロとは別のメレア公代理と数名の騎士を連れてきていた。フェフロは私個人を護るために手配されてきた騎士だったらしい。


「ゼロと申します。公の代わりに城下の政務をまとめさせて頂いております。姫様、どうかお見知りおきを」


 城下町を任されているのであればゼロ政務官は子爵位相当といったところだろう。


「あの……フェフロも変えないのですが、そのというのはどうにかならないのでしょうか」


「なりませんね。恐れながら」


「はぁ……。――えっとジーン、西の公の件は?」


 ロワニド殿下との結婚の話を伝えてあるのだろうか。


「ああ、もちろん話してある。ま、困るのは俺だからな。問題はないだろ?」


「ええ、問題ありません。エフゲニオ様が決心されたのであれば。姫様の希望はどうあれ、後ろ盾になるよう仰せつかっております」


「そうですか……公にはご迷惑を掛けます」


「なあに、もう家族だからな。今更迷惑なんて思っちゃいないさ。せいぜいジジイを驚かせてやろう」


 ジーンの軽口は今の私にはありがたかった。

 そして家族という言葉。ジーンはさながら女好きのダメな兄ってところかな。


「ええ!」



 ◇◇◇◇◇



 六の鐘が鳴りしばらくするとゴーエ伯とルテル公の兵士が神殿の建つ丘の正面を封鎖し始めた。燭台に火が焚かれ、広場に天幕が建てられる。


「この遅い時間から包囲を始めるとは。金もかかるのに、ずいぶんとやる気だなあ」


 そう言うジーンに対し、ゼロは――。


「どのような大義があってこれだけの軍隊を動かしてるのでしょうね」


「お坊ちゃんの言ってた貴族の娘の奪還では通らん規模だよなあ」


「姫様が居て助かりましたよ。わざわざここまで来て無駄死にはしたくありませんでしたし」


「ゼロ、私が居ても勝因には成りえませんよ」


「公爵家の姫君を護って死ぬのと、エフゲニオ様を護って死ぬのとでは栄誉が天と地ほども異なります。政務官では味わえない栄誉ですよ」


「また俺の扱いが酷いな」



「東のはえらく好戦的なのだな」


 そう言ったのはロシェナン卿。ゼロが彼をねめつける。


「西の方には荒事は向きませんかね」


「いいや、大好きだ! ――なあ、ダワ!」


「せめてこの場ではダワールと呼べ。だが、聖女様を護って戦うというのは気分がいい」


 ロシェナン卿とゼロが無言で頷く。



「なあ、ラヴィ。お前ほんとに前に出るのか?」


「もちろんです。私が前に出ないでどうしますか」


 私はゴーエ伯の騎士から胸当てと肩当て、兜、腿当て、右の篭手、前腕に固定できるハーネスの付いた盾を奪って身に着けていた。他は体格が合わなくて無理だった。


「ゴアマ、聖女様は命に代えても守るから安心しとけ」

「姫様には私がついている」


 レコールとフェフロが私の傍につく。


「ラヴィ、これ皆に配って……」


 スカルデだ。彼女は小さな袋を三つ持ってきた。


「これは?」


「魔女の丸薬。飲めば魔女の祝福で夜明けまで力が増すし疲れ知らずで矢も避ける。みんなで作り貯めてた」


「それってもしかして集めてた薬草?」


「そ――」――私はスカルデを抱きしめていた。


「ありがとうスカルデ! あなたには助けられてばかりね!」


 本当に彼女には助けられてばかりだった。レテシアと二人、いつも助けてくれていた。


「――あとは任せて。危険だから外には出ないでレテシアたちを守ってあげて」


「あと、あのカルナって男が相手を説得したいって叫んでた」


 スカルデの言葉に私は男爵たちと顔を見合わせた。


「どうしましょう?」


「信用できるのか?」

「無駄では無かろう」

「どうだろうな。お坊ちゃんは父親からは何も知らされてないようだったが」


 ジーンの言うことも尤もだけど――。


「カルナ様が力を貸してくださるというのなら、私は応えたいと思います」



 ◇◇◇◇◇



 私はレコールとフェフロを引き連れ、カルナ様と共にメレア公の交渉旗を掲げて階段の中程まで歩み降りた。広場の兵士たちにどよめきがあったが、やがて天幕より出てきたカルナ様の父上、ゴーエ伯が指示を出し、あちらからもゴーエ伯の交渉旗を掲げた四人の一行が進み出てきた。父、ルテル公の姿は見えないが公爵領の軍団長の姿はあった。


 交渉役が進み出てきたところで私は兜を脱いだ。すると、ルテル公側の騎士たちに動きがあった。私に気づいたのだろう。そして――慌てている? ――こちらの詳しい情報までは伝わっていなかったのだろうか。


「神殿長のエイロンは捕えてある。メレア公の配下の者は即刻、神殿を明け渡せ」


「どのような理由を持って? 我々はそのような横暴に応じるつもりはありません」


「国王陛下からの許可も得ている」


「城下で軍を動かす許可を得ているだけで陛下からの命令ではないのですよね?」


 この点についてはジーンに教示を受けていた。ただ、国王陛下から直接命令が下ることも考えてはいた。


「お前たちは市街の子らを攫っているだろう。神殿を明け渡して解放するのだ」


「馬鹿馬鹿しい。あれはみんな孤児たちです。どこに攫ったなどと言う証拠があるのです」


 すると別の男が前に出てくる。


「……その中には城に招かれたトメリル村の賢者様が含まれているはずだ。賢者様は王に招かれたのだ。貴様らが拉致していることには違いあるまい? 大人しく返すがいい」


「賢者様の命を狙っておいて……よくもそんなことが言えますね」


 そしてカルナ様が――。


「レクトル、彼らは拉致などしていない。そもそも父の騎士たちは孤児たちを殺めようとしたのだ! 私と賢者様が止めなかったらどうなったことか!」


「はぁ……カルナ様、余計なことには首を突っ込むなとお父上も仰っておられたでしょう」


「なんだと?」


「もう少しお立場を考えるべきですな。このような娘にいつまでもうつつを抜かしてないで、よくお考え直しください」


 レクトルと呼ばれた男は広場を振り返る。その視線の先ではゴーエ伯が頷いていた。


「帰るぞ」


 そういって彼らが踵を返した途端、広場の方で動きがある。


「まずいな、こっちも引くぞ」


 レコールの言葉を合図に私たちは後退を始め、私は兜を被りなおした。

 ゴーエ伯の兵が交渉旗も無視して矢を放ってきたのだ。


「カルナ様、止まって!」


 私の声を合図に一行が立ち止まり、フェフロは私をその巨躯に隠す。


 《聖域よ在れサンクチュアリ》――詠唱の完了と共にカルナ様を輝く地母神様の紋様が取り巻く。


 矢は弓なりに飛んでは来なかった。カルナ様の居る右側を避けるように、左側を大きく曲がりながら弧を描いて生き物のように飛んできたのだ。ただ、どの矢も目前になって力を失ったように地面に刺さるか、あるいは見えない力から解き放たれたかのように真っすぐに飛んでいった。


「これは!?」


「弓士が居るな、全部ではないが。そいつを避けて射かけてるように見える」


「でしたら次の斉射が終わったら走りましょう」


「先に走れ! 殿しんがりは任せろ」


 次の斉射が地に射立つと共に神殿へ向かって走った。最後尾のフェフロは流石に矢を受けたようだったが、スカルデのくれた祝福の丸薬の効果は絶大だった。それに矢傷なら《共感治癒コンテイジャスヒール》で治すのは容易だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る