無限の愛を

志央生

無限の愛を

 彼女の笑顔が好きだった。それを見るためなら多少無理なお願いであっても僕は聞き入れて、叶えられるように努めた。

「このバッグ、私に似合うと思うでしょ」

 店前のショーウィンドウに飾られたバッグを指差し、ギラリと光る黒い目が僕を見つめていた。いつものだ、と直感して頷く。

「だよね、私ってこういう高級なものが似合う女なのよね。あなたもそんな私の隣にいられて嬉しいでしょう」

 組んでいた腕に力を込められ、ぐいっと体を引き寄せられる。掴んだ獲物を離さない、そんな気持ちが伝わった。こうなると僕は逃げられない。

「どうせならお店に寄って行きましょう。実際に持ってみた感覚も知りたいし」

 動きを封じられた僕は彼女に従うしかない。抗えば荒れるのは経験でわかっている。彼女の機嫌を取るなら、彼女に逆らってはいけない。少しでも反対の意見を口にすると癇癪を起こして騒ぎ、臍を曲げる。しかも、どれだけ謝っても許してはくれない。

「態度で示してよ」

 返ってくるのはこの言葉だけでこちらが折れるしか許される道はない。暴君、と言えるかもしれないが、それでも僕は彼女の笑顔に魅入られてしまっているのだ。だから、どれだけ酷い状況にあっても別れるという選択肢だけは出てこなかった。


 誕生日プレゼントは決まっていた。何ヶ月も前から決めていて、こればかりは変えるつもりはなかった。いつだったかのデートで指輪を見ていた彼女が不意に口にした言葉。ねだるでもなく、買わせるでもなく口にしただけのことが記憶にあった。

「家で誕生日って静かでいいわね」

 彼女が勝手を知ったようにエアコンのリモコンを触りクーラーをつける。涼しい風が部屋に広がった。まだ五月だが夏日を連日更新する気象は異常と言って正解だ。

「もう準備ができてるよ」

 小さな部屋のテーブルに二人分の料理を並べる。手の込んだものはないが、それでも彼女が好きな料理ばかりを用意した。

「ご飯もいいけど、先にあっちが欲しいな」

 テーブルについた彼女は料理に目を向けるより先に、チラリと壁際に置いておいた紙袋を見た。ご飯を食べて雰囲気を盛り上げてから渡すつもりだったが、彼女の要望に背くわけにはいかない。

 僕は紙袋を手に持って笑顔の彼女に「誕生日おめでとう。これプレゼントだよ」と添えて渡す。

「嬉しいわ」

 短い返事は興味が中身に向いている証拠だった。漁るように手を入れて小さな箱を取り出した彼女の顔から笑顔が消えた。

「結婚してほしい」

 それに気づく前に僕は口にしていた。冷めた目が僕を見つめて小さな溜息が聞こえた。気持ちを込めた贈り物は床に投げら、彼女は席を立った。

「もう少し絞れそうだと思ったのに、がっかりよ」

 突き放すような言葉に頭を殴られたような衝撃に襲われた。こんなにも頑張って尽くしたのに、どんなことでも聞いてきたのに、ただ彼女の笑顔が見たいがためにやってきたのに、その全てが無駄だったと知らされた。

 去りゆく背中に憎悪が湧いた。薄着の服装が露出した肌が目を惹いて、吸い込まれるように僕は走り出していた。


 彼女の笑顔が好きだった。思えば笑顔だけが好きだった。なら、物言わぬ彼女は理想的だ。僕はベッドに横たわる彼女に無限の愛を注げるだろう。

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無限の愛を 志央生 @n-shion

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