君が塗りつぶされる前に
風花こおり
第1話
私の世界はずっと、光の見えない水中のようだった。こんな世界から、早く開放されたかった。それだけだった。でも、私は君に救われた。君の笑顔を待ちわびながら、私は、君に届けるための色を、紙にのせる。
「お母さん、いってきます。」
「いってらっしゃい。今度、テストでしょ?まあ、瑞樹なら1位でしょうけど。気は抜かないのよ?期待してるわね。」
「うん、頑張るね。」
私──星崎瑞希は、お母さんの声に返事をして家を出る。そして、密かに、息を止める。私の、楽になるための、ちょっとしたスイッチだ。期待が嫌なとき、自分にがっかりしたときなど、自分が嫌になって、いなくなりたいときに使う。なぜかって?息を止めれば存在ごと消せる気がしたから。その時だけは、自分がこの世にいないことにできる気がした。この世にいなければ、苦しくないから。
───ああ、本当に、存在しなければよかったのに───
最近、よく思う。自分が存在しなければ、傷つかない人もいたのではないかと。姉のような、周りを幸せにできる、希望のような人が生きればよかったのではないかと。私が姉のかわりに死ねたら良かったのに。そしたら、全部、幸せな、平和な世界のままで終われたのに。
「おはよー、みずっ!」
「おはよう、さや。今日も元気だね。」
朝一番の教室に響き渡る、元気な挨拶。笑いながら、さやの挨拶に答える私。うん、いつも通り。大丈夫。私は今日も、優等生。
「おお、星崎。ちょっとこの前のヤツまとめといてくれないか?」
「クラス会議の決定事項ですね。分かりました。来週までには終わらせておきます。あと、この間の委員会のことですが…。」
「おお、そうか。じゃあ、それも決めといてくれ。頼む。」
「分かりました。」
よし。普通だよね。ちゃんと、ちゃんとできているよね。
──キーンコーンカーンコーン──
「規律、気を付け、礼。お願いします。」
ちゃんとしなきゃ。委員会の連絡だよね。
「では、今からこの間の委員会の決定事項についてお伝えしてもらいます。学級委員、お願いします。」
よし、ちゃんと言えた。
「はい。この間の委員会では、文化祭のクラススローガンを…」
文化委員の話が終わると、給食委員。給食委員が終わると、整備委員。その後も、委員会連絡はそうやって着々と進んだ。
「…はい。図書委員さん、ありがとうございました。これで連絡のある委員は以上ですか?」
だれも手を挙げない。大丈夫なのだろう。
「では、これで委員会連絡を…」
「待て、ちょっと用がある。」
そう言って席を立ったのは、空凪青羅。同じ美術部だけど…少し苦手だ。
「空凪さん、どうしました?」
精一杯の笑顔で問いかける。
「えーと、なんだっけ。あ、文化委員です。文化祭でのクラス展示の内容が決まってなかったので、来週話し合います。考えといてください。」
まともな話でホッとする。いつもはとげとげしくて、なんだか近寄りがたい人だから。それに…少し、個人的に、苦い思い出があるから。
「では、これで委員会連絡を終わります。気を付け、礼。」
「ねー、みずー。このカフェよくなーい?」
そう言って、私にカフェの写真を見せているのは、彩花。こういう昼休みに、いつも可愛いものを見つけては、私達に紹介している。
「そうだね。このケーキとかかわいい。」
「でしょ!今度一緒行かない?」
「私はいいけど、まりは?」
「どっちでもいい。ちなみにどこ?」
スマホをいじりながら返事をしているのはまりな。あだ名はまりだ。返事は素っ気無いが、ちゃんと場所を確認するあたりはしっかりしている。
「えっとね、菜季島!」
菜季島は、二人の家からは徒歩圏内。私の家からは電車で1時間30分かかる。正直別の場所がいい。
「えっと、私は…」
「あ!このクッキーもいい!しかも割引じゃん!ねえねえ、二人とも割引あるよね!一緒に食べよ!何日なら行けるかな〜。」
「あ…うん。そうだね。割引なんだ。美味しそうだし、いいね。」
完全に彩花は乗り気だ。これは、私が反論するだけ無駄だな。きっと、嫌われる。
「待って、またみずだけ遠くない?もう何回目よ。たまには、みずの家の近くにしない?」
まりは、たまにこうやって私の言えなかったことを言ってくれる。でも…。
「えー、いいじゃん。どうせなら楽しいとこ行きたいもん。みずもいいでしょ?」
たいてい、彩花が希望を押し通す。
「えっと、私は…。」
意見を言おうとしたけれど、何を言いたいのかわからなくなった。言い淀んでいるあいだに、まりが話してしまう。
「楽しみたいのは私も一緒。もっとみずの意見を聞いてあげてって言ってるの。」
あ、だめ。
「聞いてるじゃん!」
「無理矢理、自分と同じ意見にしているでしょう?」
そんな、だめだって。
「してない!だよね?みず。」
「ほら、また。」
喧嘩しないで。
「もう、うるさい、まり!」
「そうやってわめけばいいと思ってるの?子供みたい。」
やめて。そんなこと言ったら──
「っ………!!もう知らない!」
彩花は、私達に背を向けて、走り去ってしまった。
また、ともだちがきえちゃった。わたしのせいだ。ごめんなさい。ごめんなさい…。
「ごめん、みず。言い過ぎたかも。」
「ううん。大丈夫だよ。」
まりに、これ以上頼ってはだめ。
「本当に、大丈夫?」
「うん。大丈夫。」
そう、私は大丈夫。一人で全部できる。
「嘘つき。絶対大丈夫じゃないでしょ。」
「大丈夫だって。気にしないで。」
心配かけちゃだめ…。
「なんで、話してくれないの。私だって、ずっと一人で抱え込んで、何も頼られないのは、傷つくよ。」
悲しそうな目をしたまりは、そう言って、どこかに行ってしまった。数秒経ったあと、私の頭は、起きたことを理解した。
わたしは、ともだちを、きずつけた。
わたしの、ともだちが、またきえちゃった。
いやだ。いやだ。もう、きえないで。
───バタン!
一人ぼっちの廊下で、私は思考を放棄した。
そして、視界が真っ白になった。
「…さん。…きさん。星崎さん、大丈夫?」
目を覚ますと、保健室の先生が、私の目を覗き込んでいる…のかな?あれ、先生の目が見えない。まるで幼稚園児がそこをクレヨンで塗りつぶしたように、目の部分にだけ、濃く、橙色の線が描いてある。
「う…、何これ…。」
「どうしたの?星崎さん。」
あれ?先生には、何も見えないの?普通に私が見えてるの?じゃあ、私が、おかしくなったの?
「…いえ、なんでも、ないです。」
「あら、そう?しばらくゆっくりしててね。もう、びっくりしちゃったわ。人が倒れてるーなんて誰か叫んでるんだもの。」
「そうだったんですか?すみません。誰が助けてくださったんですか?」
「それがねー、だれかわかんないのよね。あなたを運んで、すぐにどこか行っちゃったの。」
「そうですか・・・わかりました。」
「お礼なんて気にしなくていいから・・・って、私が言うのもおかしいけど、あんまり余計なことは考えずにゆっくり休んでね。」
…恥ずかしい。誰かに迷惑をかけてしまった自分にも、おかしくなった自分にも、一番に思ったのは、それだった。絶対に、おかしいなんて、知られたらいけない。みんなが、頼れなくなっちゃう。私が、優等生じゃ、なくなっちゃう。そんなの、そんなの───。
「はい、ありがとうございます。」
笑って、私は優等生のフリをした。
ゆっくりと本を読み、人の目が見えないこの状況にも慣れた頃。保健室に、思いもしなかった来訪があった。
「あら、さっきの子じゃない!」
先生のそんな言葉で目を上げると、ドアの前に立つ人影が目に入る。
──夏野日麻。
美術部の幽霊部員。週に一回部活に来ればいい方。
「先生、夏野さんと知り合いですか?」
「知り合いも何も・・・今日、倒れているあなたを見つけて、保健室まで汗だくで担いできた子よ!」
・・・あれ?聞き間違い?あの日麻が、私を、助ける?
「・・・いやいや、先生、見間違いじゃないですか?あまり面識はないですし、たいして仲良くもありませんよ?さすがにそれはないかと。」
「せんせー、こんちゃー。星崎さん・・・あ、起きてる。だいじょぶそ?」
「うん。大丈夫。ねえ、夏野さん。私が倒れてるとき、助けてくれたって本当?」
さすがにないだろう。否定が返ってくるものと思って、返しを考えていると、日麻くんは、
「うん。そう。いや、人が倒れてて無視する人間なんているの?」
「いや、夏野さんならし兼ねな・・・何でもない。そうだよね!人が倒れてるんだもんね!うん!」
予想外の答えを受けて完全に挙動不審になった私は、余計なことを口走りそうになり、慌てて目で先生に助けを求めた。
「あらら、もう授業が始まるわよ。ほら、日麻くん。教室に戻りなさい。」
先生、ナイス!うまく日麻くんを保健室から出してくれた。あー、よかったー。
そして私は、安心した反動なのか、ゆっくりと、眠りに落ちていった。
…やめて。いかないで。
「もう、みずちゃんきらい!」
そんなこと、いわないで。
「もう話しかけないでくれる?迷惑。」
お願いだから。
「そんなこと言う?友達だと思ってたのに…。」
ごめんなさい。全部、私のせいだ。ごめんなさい、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!!
「ごめんなさいっ!」
息を切らし、目を開けると、そこには保健室の天井。
「だいじょうぶ?星崎さん、すごい声だけど。」
あ…ここ、保健室だ。先生がいる。大声で“ごめんなさい”かぁー。恥ずかしいー。あ、でも先生は心配してるんだよね。
「いえ、少し、怖い夢を見てしまって。大丈夫です。」
そう。大丈夫。夢。あれは夢だから。
「あら、そう?怖い夢って、リアリティあって怖いわよね〜。また、なにかあったら言ってね。」
「はい。」
リアリティ?そんなもんじゃない。だってあれは、“リアル”だったんだから。本当にあったこと。私が人を傷つけたのに、身勝手に自分が傷ついた、自分勝手な過去。
─消えたい。
償えない過去と、拭えない後悔に埋め尽くされた私の頭に、そんな言葉が浮かんだ。
結局、学校を最後まで休んでしまった私は、保健室から家に帰る。最後までと言っても、今日は幸い5時間授業。あまり授業に遅れはとっていない。一応、お母さんにも伝えたところ、
「あら体調崩したの?大丈夫?」
と言われたので、大丈夫と適当に伝える。
夜も更けたころ、ベッドの上でこの人の顔が見えないことについて調べてみる。すると、一つだけ、ヒットした病気があった。
「色隠し病?」
それは、都市伝説のような病気で、人が見えなくなる病気らしい。別名は、カラーフェイス病。初めは目から、次は顔全体と、徐々に色が広がり、最後は、人が全て見えなくなるらしい。治療法は不明。原因は、遺伝とも、ストレスとも言われている。この病気の一番の特徴は…
「…色が、人が自分をどう思っているかを表す?」
そう。簡単に言うと、人が自分をどう思っているかがわかるようになるらしい。主に、赤、オレンジ、青、緑、ピンク、白の6色で表されていて、赤は私に怒っている人。オレンジは、私を心配している人。青は、私のことが嫌いな人。緑は、恋愛ではないが私が好きな人。ピンクは、私のことが好きな人。白は…なんとも思ってない人。
「…ふーん。じゃあ、もっとうまく人と関われるようになるね。よかった。」
保健室の先生はオレンジだったはず。じゃあ、心配してくれてたんだ。優しいな。
「じゃあ、ちゃんとお礼言わなきゃな。」
私は、優等生なんだから。
──この日、私は、人の感情を読んで、だれも傷つけないように生きようと決意した。
「星崎さん、話すときは、相手の目を見てね。」
「はい。すみません。ありがとうございます。」
今日は、グループで話し合いの日。といっても、私の班は休みが二人で、実質ペア。しかも相手は…
「おい。どうすんだ。」
まさかの、空凪くん。苦手なのに…。
「あ、ごめん。どうする?」
「だから、目見ろって。」
…無理だよ。だって、見えないもん。空凪くんの目は、完璧にオレンジで埋められている。空凪くんが心配してるなんて、少し意外だな。他の人はみんな、白か緑だったのに。
「あはは、ごめんごめん。」
「あー、もう!今日はいい。これ、どうすんだ?」
私達が話し合うのは、文化祭での出し物。美術部でも出し物があるから、クラスでは簡単なものがいい。簡単なものが、良かった。
「うーん、私は、服飾でいいけどな〜。飾り付けにいったら?」
そう、面倒くさいの象徴とも言える、お化け屋敷。私達が話し合うのは、その中での役割だ。
「俺はあんまり飾りとか得意じゃないし、お前飾り付け行けよ。」
「え、私も得意じゃないし、絵なら空凪くんのほうが…」
「俺は服飾がいいんだよ。」
なんでそんなに…と思い、メモを見ると、服飾のもう一人は夏野日麻。そういうことか。
「…分かりました。そんなに言うなら、飾り付けでいいです。」
「…なんで敬語なんだよ。」
空凪くんのその問いには答えず、次々寄せられる案をまとめていく。これも後で先生に提出しなきゃ。
そして、次の日も、その次の日も、先生の役に立ち、程よく人と仲良くし、平凡な毎日を過ごした。そして、2週間後、文化祭当日。
「…ねえ、空凪くん?」
「なんだ。」
「これ…なにかな?」
私の手にあるのは、さっき空凪くんから「やる。」と渡された、絵が描かれた小さなキーホルダー。光の差し込む海の中に、人魚が1人、寂しげに水面を見上げている。きっと空凪くんが描いたのだろう。
「なにって、キーホルダーだよ。」
「それはわかるんだけど、なんで私に?」
空凪くんからもらう理由なんてないはず。
「…作ったけど、なんか、俺らしくないなって。俺よりはお前のほうが似合う気がした。」
「そういうこと?ありがとう、空凪くん。」
「空凪くんってやめろ、気持ち悪い。青羅って呼べ。」
「あ、分かった。せ、青羅。」
「おう、文化祭、頑張ろうな。」
「…うん。そうだね。」
男子を名前で呼ぶなんて初めてだ。なんで、空凪く…青羅は、こんなことを気にするんだろう。まあ、いいや、青羅の言う通り、文化祭頑張らないと。
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