第6話 巡り合わせ

1週間というのもあっという間なもので。翌日に宿泊学習を控えた今日の水曜日。その5限目前。

昼食を食べたあとでウトウトと睡魔が襲ってくる時間帯だが、今日だけは現れない。

明日の宿泊学習。いまからそのグループ発表が行われるからだ。

「グループ発表楽しみだね〜!」

「マジそれな!」

「どうしよう、変な奴と一緒だったら……」

「確かランダムで決まるんでしょ? もうぶっちゃけ運じゃね?」

「それな!」

みんなやはり、グループ発表に不安や緊張、ワクワクやドキドキが抑え込むことができず盛り上がらずにはいられないようだ。例えるなら、小学校のときの席替えが行われるあの感覚に似ているな。

「ついに明日ね」

5時限目の開始まで数分残っているため読書でもしようと思ったところに、昼食を終えて戻ってきた。

目が合ってしまったため、とりあえず話を振ることに。

「楽しみですか? 宿泊学習」

「そうね。楽しみ半分、不安半分ってところかしら」

「不安?」

「ええ。だって知らない人とお泊まりするわけでしょう? しかも同じ部屋。なんだか想像しただけでも落ち着かないわ」

「その気持ち分かります。泊まりというイベントは楽しみですが、他人と相部屋というのが嫌なんですよねぇ……」

仲が良い人同士であれば相部屋でも問題ない。しかし今回のグループは教員側の意図的による知らない人同士のグループ。グルーはプ1クラスをひとりずつ取り入れた5人グループ。まだクラスメイトのことすら分かってもいないのに、それが他クラスともなれば未確認生物に等しい。そんな生物と相部屋など落ち着いて過ごせるはずがない。

もはや罰ゲームに近いやり口だが、反対意見は受け付けていないため俺達生徒側は諦めて受け入れることしかできない。

「でも桜坂さんはいいじゃないですか。すでに多くの人と面識があるわけですし」

桜坂は1000年に一度の美少女というブランドを持っている。そのブランドに興味関心を持った生徒達が自然と群がってくるため、その顔の広さはグループ作りにおいて強力な武器になることは間違いない。

逆に俺みたいに影が薄く、認知されているのかすら分からない幻の6人目(シックスマン)的ポジションは不利だ。

誰と組もうが相手から認知されなければ、それは知らない人と同義だからな。つまり俺は、どんなグループであろうと罰ゲームが確定しているというわけだ。なんだろう、当日休みたくなってきた。

「そうでもないわよ?」

桜坂は毛先をいじりながら話す。

「面識が多いっていうことは、それだけ相手にする人数が増えるってことだし。それはそれで結構疲れるものよ」

「なるほど」

確かにここ最近の桜坂は、群がってくる大勢の生徒達に囲まれて忙しそうだった。

生い立ちから美の秘訣、彼氏の有無などのプライベートといった幅広い質問責めの嵐。

側から見れば本人は悪い気はしていないように見えるが、心の底ではうっとうしさに似た疲労感を感じていたのかもしれない。そんな負の感情を決して滲み出さないところは桜坂の優しさによるもの。

「人気者は人気者で大変なんですね」

「不人気者は不人気者で大変そうね」

「黙りましょうか」

そんな会話をしているうちにチャイムが鳴り、同時に綾瀬先生が入室してくる。

「はーいみんなー! 明日は待ちに待った宿泊学習だよー! 盛り上がってるぅ!?」

まるで小学生を相手にしているかのような口調。明るく元気にはしゃいでいる姿は綾瀬先生自身がそれだけ楽しみにしている証拠。

クラスメイトもそれなりに楽しみにしているものの、綾瀬先生ほど心が踊っているかといえばノーだ。

「あれ? 思った以上に楽しみじゃない?」

綾瀬先生の掛け声に3割の生徒が「おーっ!」と握り拳をあげてノリに乗ってくれたが、残りの生徒はほぼ無反応状態。

綾瀬先生の態度に引いたのか、元々宿泊学習に対して期待を膨らませていないのか。まぁ、後者に関しては十中八九グループ作りの影響によるものだと思うが。

「みんなぁ、もっと元気出そうよおぉ〜! 明日の天気は快晴だよ!? 宿泊日和なんだよ!?」

宿泊日和ってなんだ。

「まぁ、みんながどこか不安そうな顔をしている理由は分かるよ」

そう言うと、綾瀬先生は2枚人綴りになっているプリントを配り始める。手元に届いたプリントに目をやると、そこにはグループの名前が記されていた。

1枚につき20グループの名簿。1枚目には女子、2枚目には男子グループで分かれている。

計40グループと数が多く混乱を防ぐためか、各グループには番号も振られていた。

「うっわ、マジで知らない人ばっかりなんだけど!」

「アタシも〜!」

「先生の言っていたことフリじゃなかったのかよ〜!」

などなど。あちこちの席からグループメンバーによるブーイングが沸き起こる。俺も自分の名前がどこにあるのかを探してみる。俺の名前は37番のグループに記されていた。

俺を含め男子5人のグループ。メンバーに対して鼻から期待していなかった俺だったが、そこには引っ掛かる名前があった。

「影山勉……」

「なにか言った?」

「いや、なんでもない」

はっきりとした記憶はないが、確か桜坂となんか関係していた人物だった気がする。

なにか思い出せそうで思い出せないモヤモヤとしたこの気持ち。

結局限界まで粘ったものの、影山勉について思い出すことはなかった。



     ★



翌日の木曜日、午前8時。ついに宿泊学習当日がやって来た。

綾瀬先生の言う通り今日は快晴で、気温も日向ぼっこをしたくなるような温かさで最高な1日の切り出しとなった。

学校のグランドに集合した俺達1年生は学年主任からのあいさつとして、宿泊学習の目的、注意事項を改めて確認させられる。

そんな本当に眠くなってしまうようなつまらない内容も終え、俺達は大型バスが待機している停留所へと移動し始める。

大型バスはすでに5台が待機しており、1クラス1台換算。てっきりスタート時点からグループと同じかと思ったが、そこはクラス単位での移動らしい。

それを聞いた各クラスの生徒達は「よっしゃー!」とか「一緒に座ろう!」とかでいままでに見せたことのない盛り上がりを見せる。ちょっとしたお祭り騒ぎだ。

各クラスの担任の先生は、生徒達にバスの中へ入るよう声をあげ促す。

隣に座る人が決まったペアは座席を確保するべく颯爽と奥へ進んで行くが、俺のように隣同士で座ってくれる人が見つかっていない者は、どうしたらいいのか分からずおどおどしたまま。

「桜坂さん、よかったら一緒に座らない?」

俺の近くでそんな誘い話が耳に入る。

「ごめんなさい、先約がいるの」

「え? あ、そっか。桜坂さん人気者だもんね。うん分かった!」

さすが桜坂。こういうときのために隣の席に座ることを予約されるほど人気者らしい。

(俺も早く決めないとな)

残り物扱いされて、最終的に先生が隣になるというパターンは絶対に避けたい。

性に合わないが、ここは勇気を振り絞って自ら男子に誘いの声をかけるしかない。

そのときだった。

誰かが俺の袖をつまみ、くいくいと引っ張る。

反射的に振り向くと、そこには桜坂がいた。

「どうしました?」

「ほら、早くバスに乗りましょ?」

「いや、僕まだペアが決まっていなくて……」

「私がなるわ」

「は?」

「私があなたの隣の席に座る。それでいいでしょう?」

「ちょ、それ本気で言っているんですか!?」

「なにか問題でも?」

「いや問題しかないっていうか……っ」

「周りの視線など気にする必要はないわ。私達は幼馴染み。そうでしょ?」

本当は幼馴染みではないが、クラスには幼馴染みという関係で認識されている。それを利用すれば俺達が隣同士で座っても問題ないと言いたいのだろう。

「でも桜坂さん、さっき先約がいるって言ってませんでした?」

「あれは嘘よ」

「嘘?」

「さ、そんなことはどうでもいいでしょう? とにかくあなたは私の隣に座りなさい」

「いや、でもっ」

「座りなさい」

「はい……」

まるで女王様のような威圧。

俺は飼い主に逆らえない忠犬のように、おずおずと命令に従った。



     ★



綾瀬先生がクラス全員バスに乗ったことを確認したあと、いよいよ出発となる。宿泊する宿までおよそ1時間の距離。到着するまでの間は自由に過ごしても構わない。

おしゃべり、お菓子のつまみ食い、スマホをいじるのだって自由だ。

そんなゴールデンタイムとも言える隙間時間を無駄にするわけにはいかない。俺はバッグから本を取り出し、読書に励もうとする。

「あなたって時間があればいつも読書しているわよね。なに読んでるの?」

予想はしていたが、隣の席に座る桜坂から質問される。

「ブルーオーシャン戦略ってタイトルのビジネス書ですよ」

「へー……なんか難しそうな本を読んでいるのね。てか、ブルーオーシャンってなによ? ブルーアイズホワイトドラゴンなら知っているけど」

「いや全然違います」

むしろそっちを知っていたことに驚きだ。

「ブルーオーシャンっていうのは、競争相手が少ない市場のことです」

「競争相手が少ない市場?」

「そうですね。桜坂さんで例えるなら、ミスコンが分かりやすいでしょうか」

ミスコンという自分に関係しているワードを聞き、話に興味を持ち始める。

「ミスコンって全国から集まる多くのライバルと戦わなければならない、いわば激戦区なわけじゃないですか」

「うん、そうね」

「でもそのミスコンの応募条件のひとつに、水陵高校の生徒のみが応募可能となったらどうなると思います?」

「……ライバルの数は大きく限られるわね」

「そうです。もし応募者が桜坂さんのみだった場合、それは不戦勝で優勝出来てしまうということなんですよ」

「ブルーオーシャン……最高ね!」

目をキラキラと輝かせる桜坂を見て、どうやら理解してくれたようだ。

「んまぁ、それを実現させるのが難しいんですけどね」

口ではいくらでも理想を語れるが、それを実現させるのが難しいもの。

「でもあれよね。仮にいまの案でミスコンを優勝できたとしても嬉しくないというか、価値がないというか……」

桜坂の言いたいことは分かる。仮に水陵高校の生徒だけが応募出来るミスコンがあって、桜坂以外誰も応募して来ない。それで優勝しましたなんて言っても、そこには自慢できるほどの価値はない。

桜坂が1000年に一度の美少女と謳われたのは、全国から集まる大勢のライバルの中から1位に選ばれるという偉業を3連覇したからこそによるもの。それを成し遂げることは並大抵のことじゃない。そういったほとんどの女性が達成出来ないことを達成したからこそ、桜坂に1000年に一度の美少女というブランドが付いたのだ。

高校という狭い枠組みの中で優勝しても、全国の厳しさを知らない井の中の蛙として冷たい目で見られるだけだ。

「確かに、ミスコンのように競争相手がいるからこそ価値が高まるものもありますね」

「うん。私はどちらかというと競争相手がいるほうが燃えるタイプかもしれないわ」

「それはレッドオーシャンですね」

「レッドアイズブラックドラゴン?」

「レッドオーシャンです。デュエリストかお前は」

絶対わざとやっていることは明白なので、思わず素でつっこんでしまう。この感覚、なんだか懐かしい……。

「まぁそういう感じの本です。これは」

今度こそ本を読める可能性に賭けて、栞を挟んでいたページを開く。

だが、またもやその右手を掴まれ阻まれる。

「え?」

そして、そのまま恋人繋ぎをし始めた。

「……なんのつもりですか?」

「……いいから、黙って従いなさい」

さらに握る力が込められる。まるで俺の手を離さないかのように、ギュッと。

小さくて柔らかい手。女の子らしく可愛らしい力。じんわりと伝わってくる体温。過去を思い出させるその感覚は俺の脳を刺激し、かつて恋人関係だった頃の記憶を蘇らせる。

(もう忘れようと思っていたのに……っ)

いますぐこの手を跳ね除けることだってできるはずなのに、それをしないのは……いや、それができないのはなぜなのだろう。

頭の中ではいますぐこの手を引き離すべきなのに、桜坂にはっきりと告げるべきなのに。

理性が、それを許してくれない。

せめて視線だけでも訴えかけようと桜坂に顔を向けるが、桜坂は窓の外を眺めたままでこちらを振り向いてくれない。でも握っている手の力だけはしっかりと込められている。

(……ったく、なんなんだよ一体)

心の中でそう文句を垂れながらも心地よいと思っている自分がいることに気付く。

俺は周りに手を繋いでいることがバレぬよう、左手で本を開いて読書しているフリをし、カモフラージュさせた。

相変わらずバスの中はクラスメイトの談笑やカラオケで盛り上がっており、話し声だけで十分なBGMとなっていた。

そんな周りの騒がしさもあってか、ここだけ別空間のような居心地の悪さが際立った。

いつもはスラスラと頭の中に入ってくる内容が全く入ってこない。ページも進んでは戻っての繰り返し。

この状態を目的地まで維持するのはある意味地獄だった。

俺はせめてこの落ち着かない気持ちを紛らわせたく、桜坂に話しかけることに。

「おい桜坂」

声をかけても桜坂は応答しない。今度はわざと無視しているのかと思い体を少しだけ前に倒し、顔を覗こうとする。

「!」

その顔を見て、俺は無視しているわけじゃないとすぐに理解した。

桜坂は母親に抱かれて安心しきっている赤ん坊のように、スヤスヤと熟睡していた。

「……マジかよ」

よくこの状況で熟睡できるものだなと感心してしまう。元彼とはいえ、異性と手を繋いでいるんだぞ!? こっちは心臓バクバクで眠気なんてとっくに吹き飛んでいるというのに。

(このままやり過ごすしかないな)

自分の都合で寝ている人を起こすわけにはいかない。

結局俺はなす術なく、読書をしているマネキンのように目的地まで耐えた。



     ★



バスに乗ってから小一時間が経過した頃、ようやく目的地の宿に到着する。

イオンモールの敷地のような大広場の駐車場にバスが停まり、運転手さんにお礼のあいさつを告げながら降車していくクラスメイト。

そんな俺の傍を通りすがる瞬間、チラッと横目で見てくることに気が付いた。

(事前に手を離しておいて正解だったな)

目的地に到着する瞬間、俺は桜坂の手をそっと離しておいた。本人も熟睡している間はさすがに気付かないようで、難なく成功。

とはいえ、桜坂の隣に座っていたという事実は視認されているため、変な誤解を抱かれてしまった可能性はある。同性ならまだしも異性だからなおさら気になるのだろう。

だがそこは、嘘とはいえ幼馴染みという免罪符があるため容赦願いたいものだ。

俺は隣で未だに熟睡中である桜坂の肩を優しく揺さぶって起こす。

「んっ……」

「桜坂さん、起きてください。着きましたよ」

「……あれ? ディズニーランドは?」

「なに寝ぼけてんですか。いまは宿泊学習。ここはその宿ですよ」

「あ……そっか」

ようやく目的を思い出したようで、ぱちっと目が覚める桜坂。ディズニーランドの夢を見ていたのだろうが、夢の時間は残念ながらおしまいだ。

俺達も忘れ物がないことを確認して降車する。すれ違いざま綾瀬先生に微笑まれたが、変な誤解をしないでもらいたいものだ。

最後に綾瀬先生が降車し、改めて全員で運転手さんにお礼の挨拶を告げる。

その後、学年主任から予め決められたグルーごとに列を組むよう指示を受ける。

俺のグループは37番。呼ばれた37番のグループが縦一列に並び出す。

すると、前に並んでいた眼鏡をかけた男が俺のほうへと振り向いた。

「やあ九条。まさか君と同じグループになるとはね」

メガネをクイッと上げて告げるその男の顔を見て、俺は昨日モヤモヤしていた原因が解消された。

「確かあなたは……陽山さんでしたっけ?」

「影山だ!!」

わざとボケてみたが、やはりツッコミが似合いそうな雰囲気をしているな。

名前が起点となり、影山という男と出会った当時を思い出す。入学してから2日目のトイレでばったり会った人だ。

あのとき、やたらと桜坂について聞いてきたのは覚えている。

「貴様……ッ! 桜坂さんと仲良い関係だからって、ちょっと図に乗っているんじゃないか!?」

「そんなつもりはありませんよ。あと、もうちょっとボリュームを下げてください」

周りの生徒に盗み聞きされて勘繰られるのも困る。

「知るかッ! 僕はここ毎日、ずっと桜坂さんの姿を遠くから見張っていた。だが決まって貴様と接している事はすでに把握しているぞ!?」

やっていることはストーカーに近いが、まさか俺までもが巻き込まれている事実に動揺を隠せない。ゾクッと背筋が凍る感覚が走る。

ストーカー被害に遭っている人の気持ちが、なんとなく分かったような気がした。

「接するという意味がどこまでの基準を指すのか分かりませんが、接しているのは事実です。なんせクラスメイトであり、隣の席同士ですから」

そもそも接してくるのは俺からではなく、桜坂からによるものがほとんど。経緯だけ見れば俺に原因はないのだが、影山からすれば桜坂が異性とふたりきりで仲良くしている光景が気に食わないのだろう。

だから俺は念押しも込めて、正当な理由を告げた。

「くっ! ……まぁ確かに、その条件が揃えば接しないというほうが難しいか」

意外と柔軟に物事を理解してくれる部分があることに好印象を抱く。

「だが、先週の金曜日についてはどう説明するつもりだァ!!」

「先週の金曜日?」

「とぼけても無駄だぞ。僕は貴様が桜坂さんと金髪の女子生徒と一緒に帰っているところを目撃している!」

影山は逆転裁判のワンシーンみたいにビシッと俺の顔に人差し指を向けてくる。先週の金曜日はみーちゃんと桜坂の3人で一緒に帰った日。

「いやあれは、色々と流れで一緒に帰ることになっただけだ。それにみーちゃ……綾瀬さんとは幼馴染みでして」

「なぁぁにぃぃいい? 幼馴染みだとぉおお?」

「本当ですよ。嘘だと思うなら本人に聞いてみてください」

ついでに桜坂も幼馴染みですと言ってしまえば変な誤解が生まれず楽なのだろうが、それは急遽仕方なくついた嘘なので言わないでおく。

「まぁいい。だが貴様への二股疑惑が晴れたわけではない。これだけは覚えておけ」

(二股していると疑われているのか俺は……)

桜坂とみーちゃん。どちらとの関係もみんなが思っているような関係性ではないのだが。

ただなんの証拠もなく、俺達はただの仲良しな関係ですって主張しても、返って疑いが増すだけ。疑いを晴らすというのはそう簡単なことではない。

現に影山がそういう印象を抱いているということは、他の生徒達も同じ疑念を抱いていると言ってもおかしくない。

(気にしたってしょうがない。いまは宿泊学習を楽しもう)

人脈が乏しい俺にできることは現状ない。

(あと、みーちゃんという呼び方も変えてもらおう)

高校生にもなって異性をちゃん付で呼ぶのはめちゃくちゃ恥ずかしいからな。



     ★



計40グループにも渡る点呼が終わり、宿の中へと向かう。

自然に囲まれた中心に建てられたこの宿はまるで隠れ家のようで、年季が入った木造造りの外観は和の雰囲気をしみじみと感じさせる。

中も外観と同じように和の内装となっており、フロントだけでも壁には障子にふすまが取り付けられており、待合室の床は畳敷といった完全に和のテーストに仕上がっている。

学校の行事でこんな高級感溢れる宿に泊まれるなんて贅沢だなと感心しつつあるが、きっと俺達の学費に含まれているんだろうなと余計な考えは消し去る。

先生達が受付を済ませると、俺達のほうへと振り返った。

「それじゃあ、これからみんなが泊まる部屋へと移動するから、男子は男子、女子は女子で固まってください」

それぞれ固まると女子組は女性の先生が、男子組は男性の先生が指揮を執り、別々に行動し始める。

男部屋と女部屋で階層を分けているからだろう。5階建のこの宿。4階に女子、3階に男子、2階に教員という具合に分かれている。

グループ毎に部屋の番号を教えてもらったあと、それぞれ指定の部屋へと向かう。

「おおぉ! 中々いい部屋じゃないか!」

感嘆の声をあげたのは影山。確かにフロントで見た内装に近い造りになっていて、心身に安らぎを与えてくれる雰囲気を感じる。

どうやらベランダにも出れるようで、窓越しからでも視界いっぱいに緑が広がっているのが分かる。

「あまりゆっくりしている暇はないぞ? このあとジャージに着替えてすぐ外に集合だからな」

同じグループのひとりがバッグからジャージを取り出し、着替え始める。

このあと、クラスマッチならぬグループマッチとやらがあるためだ。

部屋を堪能するのは帰ってきてからでもできるので、俺達もすぐにジャージに着替えて外へと向かった。



     ★



宿の敷地内には芝生一面の広場が備え付けられていた。ここは小さな子連れのお客さんからお年寄りまで、まるで公園のような感覚で羽を広げてもらうことを意図して作られた場所。

今回は水陵高校が宿を事前に予約していたため、他のお客さんに迷惑がかかるような心配はない。

そんな広場に全員ジャージ姿で集合した教員含む俺達は、グループ毎に整列して、体育座りをしながら静かに先生達からの説明を待っていた。

「えーでは、これからグループマッチを行いたいと思います!」

グルーマッチが行われることは事前にプリントに記載してあったので特に驚かない。

ただグループマッチの詳細については記載がなかったので、具体的になにが行われるのかは不明だ。

「ただその前に、いまからそのグループマッチのチームを作ってもらいます。チーム作りの条件は男グループと女グループが1つずつ合わさること。つまり10人1グループを作ってもらうことになる」

今回の宿泊学習のグループは、男子5人が20組、女子5人が20組ある。

それをそれぞれ1組ずつ取り入れた男女混合のグループが10組できる計算になる。

「どのグループと組むかは互いの自由。もし決まった場合は先生のところまで申告しに来るように」

申告の際はグループ番号を言うらしい。これはどのグループ同士が結託して、どのグループが決まっていないのか把握するためのもの。その役を担っているのが綾瀬先生らしく、ペンとプリントが挟んだバインダーを手にしていた。

「それじゃ、スタート!」

パンっと大きく手を叩き、スタートの合図を取る。すると徐々に会場内はざわめき始めた。

あるグループはすでに動き出し、あるグループは立ったまま話し合いをしていたりと、各グループの動きは様々。

仕切るようなタイプではない俺は、グループの誰かが動くのを待つ。すると、最初に動いたのは俺の前に立っていた影山だった。

「ははっ! 決めたぞ!」

「決めたって、グループをですか?」

「そうだ! このグループ作りは、いわば早い者勝ち。親睦を深めたい人がいるグループといち早く結成するのが勝利の分かれ道!」

なにを言っているのかよく分からないが、どうせ組むなら気になる異性がいるグループと組みたいということだろうか。

「善は急げだ。行ってまいるッ!」

どこに行くのかも知らせずに、勝手に女子の方へと走り姿を消して行った。

こういうのはグループ全員が話し合って決めるものだと思うのだが、その辺は大丈夫なのだろうか。

俺は念のため同じグループである他の男子3人に伝える。

「あの、ちょっといいですか?」

「おやぁ? どうしたんだい? ミスター九条」

同じグループの外国人が反応する。自己紹介した覚えはないのになぜ俺の名前を?と思ったが、事前にグループの名前は公開されているから知っていて当然かと自己解決する。

「影山さんがグループを作るため勝手にどこかへ行ってしまって……」

「オー、いいじゃないかァ。ミーはジャパニーズガールなら誰でも大歓迎っサ!」

「うん、別に誰でも」

「ていうか、むしろありがてぇ」

影山の勝手な行動に不満がられるかと思っていたが、意外にも高評価だった。あまり乗り気じゃないのか、異性と絡みに行くのが苦手なのか。消極的な様子。

外国の人はそのような感じはなく、むしろ誰であろうと受け入れる寛大な姿勢でいた。

「あ、いたいた」

背後から聴き慣れた声が耳に入る。

振り返ってみると、そこには桜坂がいた。横にはみーちゃんもいる。後ろにいる女子3人は同じグループの人だろう。

「桜坂さん」

「ね、もうグループ決まった?」

「いえ、まだですけど」

「そう。もしよかったら、私達のグループと組まない?」

「僕は構いませんが」

同じグループの男子に視線を向ける。消極的な男子ふたりはサムズアップを決め、外国人の方はというと。

「オー! アメイジング!! イッツビューティフォー!!」

忍者のようにシュバッと俺の前に現れ、即座に握手を応じる外国人。綺麗な女性に目がないのか、桜坂達の手をじっくり堪能するように握手をしていく。

草食な部分を一切感じさせないその積極性。外向性の高さとも呼べるその陽キャぶりに、俺達の陰は凄まじい輝きに呑まれ存在が消されつつある。

「あのっ、あなたは……」

いままで見たことのない性質を前に、桜坂達は戸惑っている。

「おっと、これは失礼。自己紹介が先だったねェ。マイネイム、イズ、アレクサンダー・ウィリアム。ナイストゥミートゥ! ミス・桜坂」

「な、ないすとぅみーとぅ……トゥース!」

初めての外国人に緊張してしまっているのか大分カタコトだ。しかも最後オードリーの春日になっているし……。

そんなふたりのやり取りを側に、綾瀬が控え目にこちらに手を振ってきた。なにもこの距離感でジェスチャーあいさつをする必要はないだろうと思うが、それも本人の自由か。

「じゃあ、よろしくね」

「はい、こちらこそ」

お互いのグループが納得したところで、俺達は綾瀬先生にチームが決まったことを申告しに行く。

すると桜坂のグループ番号である17と俺達のグループ番号である37が線で結ばれた。

チーム桜坂、ここに結成。



     ★



無事、男女混合グループが10組できあがったところで、いよいよ競技に取り掛かる。

やる事は2つ。それは『二人三脚』と『大縄跳び』。

二人三脚はグループ内であれば誰と組もうが自由で、20メートル先のカラーコーンを折り返し地点とし、スタート地点に戻って次のペアにバトンタッチ。それを繰り返し、アンカーの順位で決まる。

大縄跳びもグループ内で回す係と跳ぶ係に分け、多く飛んだグループが勝利。

どちらも至ってシンプルなルール。誰もが競技の内容についてすぐ理解した。

まず行われるのは二人三脚。グループごとに分かれ、その先にカラーコーンを置く先生達。

競技に参加するのは生徒のみで、先生達は審判役らしい。

二人三脚のペア決めの時間を5分間設けられたところで、俺達桜坂グループも話し合う。

「さて、どうやってペアを決めようか」

影山が眼鏡をクイッと上げながら仕切り出す。

「普通に男女ペアで組めばいいんじゃないかなァ?」

アレクサンダーが主張。最初に感じていたことだが日本語上手だな。日本人と遜色ないレベルだ。語尾の変な間延びがなければ。

「それいいじゃないか! 丁度5人ずつだし、問題ないだろう!」

アレクサンダーの意見に賛成の声を上げたのは影山。だがその真の狙いは女性と組みたいという邪の考えではなく、さっきからチラチラ見ている桜坂と組むのが目的なのだろう。邪な考えだった。

「あのっ、ちょっといいかしら」

桜坂が遠慮がちに手を上げる。

「私達、すでにペアを決めちゃってて……」

隣に立つみーちゃんに手を向ける。桜坂とみーちゃんは事前にペア決めをしていたらしい。確かふたりは同じグループだから、勝手に話が進んでいてもおかしくない。

「なん……だと……!?」

その事実にショックを受けているのは影山。いまは石像のように固まっており、心なしか眼鏡がパリーンと割れているイメージが見える。

「それなら仕方ないねェ。では残りの8人で決めようか」

「ごめんね? 勝手に決めちゃって」

みーちゃんが両手を合わせ申し訳なさそうに謝る。

「ノープログレーーーム! 美しいもの同士が惹かれ合う。当然のことさァ」

みーちゃんの顎をクイッと上げ、爽やかに告げるアレクサンダー。

「ちょっと触らないでよッ!!」

「オーマイガ〜〜〜!!」

キスされそうな構図に身の危険を感じたのか、みーちゃんはアレクサンダーの腹に蹴りを入れる。

だが力が弱いためか、アレクサンダーはびくともしていない。

「オー♡ ナイスサドスティック!」

「ねーやだ!! この外人こわいんだけどぉ!!」

そう言って俺の腕を引っ張り、盾にし始めるみーちゃん。こら、俺を巻き込むんじゃありません。

「もうその辺にして、早くペアを決めましょう。時間も残り2分を切っているはずです。時間がありません」

ペアが決まらないと二人三脚は成立しない。他のグループはペアが決まって、すでに鉢巻で足を結び始めている。

「あー……俺達もペア決まったわ」

俺と同じグループの男子二人が揃って手をあげる。どうやら桜坂達の経緯を聞き、自分達も決めてしまったようだ。

残り男女3人ずつ。

「どうしよう……」

ペアが決まっていない桜坂グループの女子三人が、困ったように話し込んでいる。

「どうかしましたか?」

「このままだと女子一人が余っちゃって、男子と組むことになっちゃうなーって……」

「あー……」

二人三脚は基本的に同性で組むのが一般的。それはセクハラ問題に発展させなのが理由に考えられるが、それ以前に相性の問題がある。

男性と女性では体格も足幅も大きく違うため、お互いに力量を合わせるのは案外難しい。それを無視して転んだりすれば捻挫などの大怪我に繋がる可能性だってある。

それなら最初から同性で組んだほうがいい。同性と組めば少なからず女性との歯車を合わせるより楽であることは間違いないからな。

(とはいえ、問題は誰と組ませるべきか……)

残っている男子は俺、影山、アレクサンダー。どれもクセが強そうで女子と組ませるのは少々酷のようにも感じる。

(できれば避けたかったが、ここは俺が組むしか)

「それなら、ミーが組もう」

「え?」

アレクサンダーが高らかに告げる。

「え、でも、私達……アレクサンダーくんと身長差があり過ぎて肩組めないよ……」

女子三人の身長は見た感じ150センチ前後。一方で、アレクサンダーの身長は2メートルほど。俺より20センチ以上も高いその巨体と小柄な女性陣が組めるはずがない。

「ノープログレーーーム! 安心したまえ。ミーに作戦がある。それもパーフェクな作戦がねェ」

筋肉で盛り上がっている胸筋に手を当て、自信満々に告げるアレクサンダー。

そんな爽やかなスマイルに女性陣の不安な気持ちは徐々に和らいでいるのが分かる。

「じゃ、じゃあ……よろしくね? アレクサンダーくん」

「任せたまえェ。男として、無事に帰還させることを約束しよう」

二人三脚で大袈裟な発言だが、アレクサンダーの眼は真剣そのもの。

(あの感じだと、多分大丈夫そうだな。作戦の内容は気になるけど)

なにはともあれ、女子三人の悩みが解消されたことに一安心。

(残るは俺と影山か……ん?)

気付けば、まだ決まっていないのは俺と影山の二人だけになっていた。

「おい貴様……。一応確認しておきたいんだが……まさか僕とお前が組むわけじゃあるまいな?」

「……逆にあと誰が残っているのか教えて頂きたい」

受け入れたくない事実。一番避けたかった相手。もっと積極的にいけば良かったという後悔。

自然の成り行きで残されたもの同士。

神のイタズラによって、俺と影山のペアが決定した。



     ★



「なぜだ……なぜ僕はよりによって貴様と組まねばならんのだ!」

「仕方ないじゃないですか。お互い余りもの同士、頑張りましょう」

「余りもの言うなぁああああ! くそぉ! せっかく桜坂さんとお近づきになれるチャンスだったのに!」

「あ、ついに本音を漏らした」

「合法的に触れ合い、桜坂さんの感触と匂いを真髄に刻むはずが……」

「本音からさらに本音を漏らしちゃったよこの人。薄々感じていましたが、そこまで変態だとは思いませんでした」

「だって! 目の前に触れる女子がいたら触れたくなるだろう! あの桜坂さんだぞ!? お前だってそう思うだろ!?」

「うーん……」

「なんだその『俺は別に興味ないけど』みたいな反応は! 僕は知っているぞ!? そういうスカした奴に限って内心ブヒってるんだ!」

「してませんよ。てかなんですかブヒってるって……」

ニュアンス的に一種の変態じみた興奮を意味しているのだろうが、生憎と俺はそのような経験はないし記憶もない。少なくとも、桜坂をそういう対象として見たことはない。

「いまはそんなことより二人三脚を楽しみましょう。アンカーだって任されているわけですし」

俺達のグループは時間の問題もあり、走る順番をペアが決まった順にすることになった。

「フッ、そうだな。アンカーは一番注目を浴びる。桜坂さんにかっこいい姿を見せなくては」

桜坂が引き金となってようやく二人三脚に集中してくれたようだ。

各グループ、1走目のペアがスタートラインに立つ。

すると前方では赤い旗を持ちながら待機していた先生が、ジャージのポケットから1枚の紙切れを取り出し、頭上に掲げ見せつけてくる。

「えー最後に、二人三脚で優勝したグループには、このあとの昼食ビュッフェで使えるデザート食べ放題券をプレゼントするから、みんな頑張ってね!」

まさかの優勝特典付きの競技だったとは。

「うおおおおおおお!! お前ら、絶対勝つぞ!!」

「聞いた!? デザートだってよ!?」

「しかも食べ放題っていったよね!? マジ優勝するしかないっしょ!」

サプライズを受けると異様にやる気の炎で燃え上がり始める生徒達。デザートひとつでここまでやる気を引き起こせるとは。なんて単純な奴らなんだ。

「あなた達、絶対に勝つわよ!」

(桜坂、お前もか)

「別にデザートに興味はないけど、どんなデザートがあるかは気になるよね」

(みーちゃん、デザートに興味ありありだな)

「お前達、分かっているな!? 絶対に優勝するぞッ! どんな手を使ってでも勝つんだ!! 敵を撃ち殺せッ!!」

(お前は桜坂目当てだろ、影山)

しかも二人三脚は相手の妨害は不可能だし。

各グループの熱狂で気温が高くなったような暑苦しさを感じる。

その競争心に火が付いたところで、先生がスタートの合図を取る。

「それでは位置について、よーい……ドンッ!!」

一斉にスタートし、ついに二人三脚が開始。

俺達の1走目は桜坂&綾瀬ペア。両者いっちに、いっちにとリズムよく声に出しながらスムーズな走りを見せる。

息ぴったりな走りに、桜坂&綾瀬ペアは1位で2走目にバトンタッチ。

2走目は男子ペア。走り出しは良かったものの、途中途中で両者の息が合わず、2位で3走目にバトンタッチ。

続く3走目は女子ペア。ここでハプニングが起こる。

折り返しの手前、片方が足を挫いてしまい、バランスを崩したふたりは共倒れしてしまった。

足首は硬く結ばれているため受け身を取るのに失敗したのか、ふたりは中々立ち上がらない。

遠くから見ても、足を挫いた女子に想像以上の痛みが生じているのが分かった。実際、立ち上がることに成功したかと思えば、挫いた足を引きずりながら歩いている。

先生が無理をしないよう止めに入るが、棄権することはしない。男でも惚れてしまうようなその根性に、仲間だけではなく他のグループ達も見惚れているようだった。

当然だが、順位はすでに最下位。それでも4走目であるアレクサンダーの顔つきは、勝利を諦めた目をしていない。

「ごめんなさい……。ビリになっちゃって」

「ノープログレム。実にビューティフォーだった。後は任せたまえ」

バトンタッチをもらうと、アレクサンダーはペアの女子の腰に手を回し、持ち上げる。両足が浮いた状態の女子は突然の行為に顔を真っ赤に染め上げ、パニック状態。一体なにをするつもりだとこの場にいる全員が思ったことだろう。

「イッツ、エキサイティング!!」

一体誰がそんなことを予想しただろうか。アレクサンダーは女子を持ち上げたまま勢いよく走り出した。

まるでひとりだけ50メートル走をしているかのような快進撃のスピード。あっという間に折り返し地点を回り、再びスピードを上げてこちらに戻ってくる。

その風を切るような迫力に、バトンタッチを受ける俺達は思わず身構えてしまう。

アレクサンダーペアは最下位から1位へと順位を取り戻し、見事な走り(?)を見せた。

「さぁ、後は任せたよォ? ブラックヘアーボーイズ」

やかましいわ。日本人は大体黒髪だ。

だがせっかく1位を取り戻してくれたこの順位……逃すわけにはいかない!

「行きますよ?」

「ああ。僕達の走りを群衆に見せつけてやろうではないか」

「「せーの」」

お互い、足が結ばれている方を前に突き出す。次は外側。そのまま交互にリズム良く前に進んでいく。

意外と順調だなと思いきや、ここで影山の足が暴走し始める。

「お、おい……! 足、足上げすぎですよ!」

「ん? 何を言っている? 僕は普通に走っているだけだぞ」

「!?」

自分では気付いていないのか、影山の足はウォーミングアップの腿上げのように上がっている。俺の足が上へと強引に引っ張られて痛いし、鉢巻も千切れそうな勢いだ。

「ちょ、一旦ストップストップ!」

このままじゃ俺の足がもたない。

「なんだ!? 止まったら追い抜かれてしまうではないか!」

「いやマジでそれどころじゃないんですよ! 足上げすぎ! もっとこう軽やかにお願いします!」

「言っている意味が分からない」

「こっちのセリフですよ」

明らかに不自然な走り方に本人は気付いていないのか!?

俺は結ばれていないほうの足で腿を上げ、お前の走り方はここまで上がっていることを伝えても理解してもらえない。

まだ折り返し地点まで到達していないし、このままじゃ追い抜かれるのも時間の問題。

幸いなのはアレクサンダーの功績で2位とは半周分差が開いているということ。

「あのふたり、急に立ち止まってどうしたのよ!? せっかく1位で独走できるチャンスなのに!」

「いや、せーくんは悪くない」

「え?」

「原因はあのメガネだ」

「……どういうこと?」

「あのメガネの走り方にせーくんが付いていけてないんだよ」

走り終えた人達の視線は当然アンカーに注目が行く。それをスタート時点から見届けていたみーちゃんは影山の走り方に違和感を感じていた。

「あいつの走り方は……『モモ神』だ!」

腿を胸の高さまで上げ飛び跳ねるような走り……それがモモ神!

「それってつまり、運動音痴ってこと?」

「そんな次元のレベルじゃない……。しかもなにが最悪って、最も参加してはいけない二人三脚に参加していることだね」

モモ神は個人競技で披露する分には問題ない。問題なのはペアを組む競技でかつ、足がメインとなること。

つまり、二人三脚は影山に参加させてはいけない競技のひとつを意味している。

「……どうすればいいの?」

「あのメガネがいますぐ走り方を修正するか、せー君が我慢し続けるかのどちらかだね」

「そ、そんな……私のデザートがああああああああ!!」

「そっち!?」

当たり前だが、走り終えた人が介入することはルール上許されていない。

リングに上がっている選手は、自分自身でなんとかしなければならないのだ。

「……いいんですか? 後ろで桜坂さんが泣き叫んでいますよ? いい加減、僕に合わせてもらってもいいですか?」

「ふざけるな。貴様が僕に合わせろ。それに、桜坂さんを泣かしているのは貴様が原因だ」

こうしている間にも、2位のペアが徐々に距離を縮めて来ている。プライドの高い影山の走りに俺が合わせるのが手っ取り早いのだが、生憎とそんな恥ずかしい走り方をしたくないのが正直な感想。大勢の前で笑われるのは絶対に避けたい。

「なんでもいいですが、桜坂さんの喜ぶ顔を見たくないのですか?」

「だから僕に合わせろと言っている。それで済む話じゃないか」

このままだと話は平行線。俺は違う切り口を試みる。

「なら、いっそのことお互いに走り方を変えるのはどうですか?」

「どうするつもりだ?」

「けんけん走りです。小さい頃やったことあるでしょう?」

「ああ、あれか。もちろんある」

「いまからそれでゴールしましょう。もう考えている時間はない」

たったいま、2位が俺達を抜かして行った。本来ならとっくに1位でゴールしているはずなのに、俺達のせいでみんなの頑張りを踏みにじるわけにはいかない。

もしこれで納得しないのなら、俺は影山を強引に引きずり回してゴールしてやる。

「……いいだろう。貴様の案に乗るのは釈だが、これも桜坂さんのため」

影山と平等な案を出すことで、対抗心を生まずに済む。

「それじゃあ行きますよ。ペースもかなり上げますので付いて来てくださいね」

「ふん。こっちのセリフだ。せいぜい倒れるなよ」

俺達はせーので声を掛け合ったあと、足が結ばれていないほうの足でけんけんしながら進む。

2歩、3歩とリズム良く進んでいくうちに、けんけんの飛躍と加速は比例するように上がっていく。

もはや個人でスキップしているかのような速さに、誰も追いつくことはできない。

1位を奪ったペアも俺達のけんけんになす術なく、あっけらかんと追い抜かれる。

覚悟はしていたが、この場にいる全員から注目の的となる。

歓声と怒声と罵声を浴びつつ、俺達は無我夢中にゴールへと一直線に向かっていく。

ゴールの先には桜坂やみーちゃん、アレクサンダーなどの仲間達が嬉しそうにはしゃぎながら待ってくれている。

俺達はゴールに合わせ、仲間に飛びつくように倒れてしまう。けど、もう急いで立ち上がる必要はない。


桜坂チームは、1位を獲ったのだから。



     ★



大縄跳びも終え、昼食ビュッフェの時間がやってきた。

大広場の空間。中央には一口サイズのケーキやシュークリーム、片側の壁沿いにはフレッシュなサラダ類や揚げたてのようなサクサク感の揚げ物類、他にもツヤのある握り寿司や食欲をそそるスパイシーなカレーなども用意されている。

どれもセルフ式。2時間という制限時間があるものの、お腹を満たすには十分なボリュームだ。

各自通路側に用意されている専用のお皿をトレーに乗せ、トングやレードルを使って豪快に盛り込んでいく。

俺も前の生徒に習って、お皿に料理を盛り付けたあと、席を探す。

(どこに座ろうか)

ここ昼食ビュッフェは誰と食事をしても構わない。同じグループで食事をするのもよし、ひとり寂しく食べるのもよし。

ほとんどの生徒は同じグループだったり、クラスメイト同士だったり、なんなら先程の競技メンバー全員で食事をしているところもあった。

(おっ、いい席発見)

壁側奥のテーブル席。周りは誰もおらず、座りやすい位置。

なんでこんな特等席にみんな座らないんだろうと疑問に思ったが、ここの位置は料理から最も遠いからだと気付く。

みんなビュッフェだからと言って、少しでも多く食べるためにできるだけ料理の近くに座りたがっているのかもしれない。

食べ放題になるとなぜか強欲になってしまうのだから、人間とは面白いものだ。

「あら、随分と寂しそうに食事をしているのね」

嘲笑うように現れたのは桜坂、と、みーちゃん。……後ろには何故か影山とアレクサンダーといった競技で同じグループだったメンバーが勢揃い。

「そう見えるのであって、寂しくはないですよ」

「寂しそうだから、私達が同席してあげるわ」

「耳付いてます?」

同席の許可をあげたつもりはないのに勝手に座り出す。そもそも許可する権利は持っていないのだが。

俺の前に桜坂、その隣にみーちゃん、そして俺の隣にアレクサンダーが座るという異質な空間が出来上がる。

影山は桜坂の近くに座れず悔しそうにしていた。席は桜坂から最も遠い一番端っこ。

「それじゃあ、みんなと1位を獲れたことに……」

グループ全員がジュースの入ったコップを手にし始める。

「かんぱーい!」

「「「かんぱーい!」」」

(俺、なにも知らされていないんだが?)

俺だけ乾杯のタイミングを失い、後付けで手にしたコップが行き先を見失う。(え、なにこれいじめ?)

そんなとき、俺のコップにコツンと優しく当ててきた人物が。

「……カンパイ」

「お、おぉ……! カンパイ」

みーちゃん、ありがとう。俺のコップも喜んでいるよ。

「ほら」

みーちゃんのあとに続き、桜坂もコップも差し出してくる。

「か、乾杯」

「ん」

コツンとコップ同士を当てる。みーちゃんよりもやや力が強く、中の水が少しだけ揺れる。

「ヘーイ! 九条ボーイ!」

「あ、どうも……!」

慣れない外国人の振る舞いに思わず頭をペコペコとしてしまう。上司に酒を注がれる新人の構図だな。

「ぷはぁ。やっぱ運動後のメロンジュースは最高ね」

「おっさんか」

すねを蹴られ悶絶する俺だったが口に力を入れ必死に我慢した。

「美味しいに決まっているさァ。なんたって、みんなで勝ち取った勝利の味なのだからねェ」

勝利の味。確かに勝ったあとの食事は美味しく感じるものだ。もしこれが敗北したあとだったのなら、味も素っ気なく感じたかもしれないし、ここまで気分が高まることはなかっただろう。

だが俺だけは、心の底から喜びを感じられるような気にはなれない。

「どうかした?」

「いや、最後あんな勝ち方をして良かったのかなぁって」

それは俺と影山ペアがけんけんで走ったこと。二人三脚においてあのようなルールに沿っていない走りをして良かったのか。そのルール違反とも呼べる行為に、本当の勝利と呼べるのだろうか。

「気にする必要はないんじゃない? 先生達だってけんけんをしてはいけないルールは確かに言っていないって認めてたし」

「その通りだ! 僕達はルールの裏をかいただけ。つまり天才な答えを導いただけに過ぎない」

みーちゃんと影山が気を遣ってくれた言葉を掛けてくれる。影山はなにもしていないと思うが、そのツッコミたくなるセリフは俺の暗い気持ちを和らいでくれた。

「フフッ。まぁ、ミスター九条の気持ちも分からなくはないさ」

アレクサンダーは赤ワインが香るデミグラスソースのかかったハンバーグを一口で頬張ったあとに言う。

「これが男同士の真剣勝負だったならば、確かに美しくない勝利だ」

アレクサンダーが俺の目を見つめる。

「だが忘れてはいけない。今回の宿泊学習の目的はなんだい?」

「……親睦を深めること」

「そのとお〜り。つまるところ、それが達成できればそれでいいのさ」

俺達の勝利に納得しないグループは少なからずいると思う。なんせデザート券が掛かっていたのだから。

だがそれは些細なことであって、真の目的であるグループの親睦を深めることに成功したのならそれは喜んでいいことなのかもしれない。

実際、俺達のグループは確かに親睦が深まっている。そうでなきゃ、こうして一緒に食事をするはずがない。

「そうですね。アレクサンダーの言う通りかもしれません。ありがとうございます」

「ノンノンノ〜ン♪ お礼を言われることはしてないさァ。ミー達の美しい勝利をミスター九条にも味わってもらいたかった。それだけさァ」

二人三脚を見事1位でゴールしたあと、俺達のグループは飛び跳ねるように大喜びをしていたが、俺だけはどこか浮かない様子をしていたことにアレクサンダーは気付いていた。

ちょっと変わったところがあるけど、根は仲間思いのいい奴なのかもしれない。

「さて、ミーはおかわりでもしてこようかなァ」

お皿に山盛りされていたハンバーグに唐揚げ、サラダがもうなくなっていた。

「食べるの早いですね……」

「そうかいィ? これがミーの平常運転さ」

隣でさりげなく横目で見ていたが、確かに早食いをしていた感じはしなかった。一個一個を全てほぼ一口で平らげているから結果的に早く食べ終わってしまうのだろう。

体つきも人間とは思えないほど巨体で、服越しからでも筋肉が盛り上がっているのが分かる。まるでスポーツショップに置いてある男性マネキンを再現したかのようだ。いや、それよりも1段階上か。

「むしろミスター九条がゆっくりなのかもしれないねェ。食べ方も綺麗で、よく噛んでいるのが分かる。まるでマナー講師のように実にビューティフォーだ」

「あははっ……。ありがとうございます」

「でもそんな細い体じゃ、いざガールフレンドを守るときに苦労するかもよォ?」

ワハハっと冗談を含んだ笑いをあげながら、俺の背中をやや強めに叩いてくる。

「お?」

何か感じたのか、アレクサンダーから笑みが消える。

「……オー、ソーリー。ミスター九条。ユーは中々にストロングボーイだったようだ」

俺に対して無礼なことをしてしまったと気まずい空気から逃げるように、アレクサンダーはお皿を持っておかわりに向かう。

やや強めに叩かれた背中にはジーンと熱を帯びたようなものを感じる。

虫が背中を動き回っているかのように鬱陶しくて、俺はぼりぼりと背中を掻いた。

だが、その鬱陶しい感情がすぐに収まることはない。これを解決してくれるのは時間であることを俺は知っている。何回も叩かれた経験があるから。

アレクサンダーに悪気がないのは理解している。だがその痛みは当時の辛い記憶を想起させる。腹の底に黒いわだかまりのようなものが現れるのを感じた。

「僕も、おかわりに行ってきます」

自分がいまどんな顔をしているのか分からない。それを勘づかれなくて正当な理由を挙げつつもこの場から去ることにした。



     ★



二度目の料理を取ってくるため、再び料理が置かれている場所まで足を運ぶ。

お皿を持ってくるのを忘れたと思ったが、使い回しをするルールはないため、新しいお皿を手にしてどの料理を取るのかを考える。

品数が多く、どれも美味しそうだから迷ってしまうな。

「せーくん」

俺のことをそんな呼び名で言うのはひとりしかいない。

「みーちゃん」

「アタシもおかわりしようと思って。付いてきちゃった」

「そうか。じゃあ、良かったら一緒に見て回るか?」

「うんっ」

ひとりで悩んでいるより、ふたりのほうが居心地いいからな。みーちゃんも同じ気持ちだからか嫌そうな顔ひとつしない。

みーちゃんもお皿を手にし、一緒に見て回る。

「背中、大丈夫だった?」

思わずビクッと反応してしまう。その件に触れて欲しくないから席を立ったというのに、ここでもその件について触れられるとは。

「全然大丈夫だ。それよりも、どれも美味しそうで迷っちゃうよな」

「うん、それ分かる」

強引に話題を変える。みーちゃんもアレクサンダー同様、悪気があって触れているわけではない。純粋に心配してくれたことを理解している。ちゃんとそこを切り分けて考えないと、八つ当たりをしてしまう危険性があるから重々気をつけないとな。

「でも、まだ1時間以上ある。ゆっくり選ぼう」

「そうだね。ふたりでゆっくりと」

「え?」

「え? ……あ」

顔を俯き、ひとり顔を赤くし始める。

「そ、そんなんじゃないからっ。そういう意味で言ったんじゃないからぁ!」

「いや、ごめん! なんて言ったのか聞き取れなくて聞き返したつもりだったんだけど……」

「ふぇ?」

間抜けな声をあげるみーちゃん。どうやらなにか勘違いをしていたらしい。

「……忘れて」

「いや何を!?」

忘れるもなにも、そもそもなんて言ったのか分からないと言ったつもりなのだが……。

まぁ本人も嫌がっていそうなので、これ以上追求するような真似はしないでおこう。

「別に興味があるわけじゃないから」

「あのぉ、すいません。俺を置いて先に進むのやめてもらっていいですか?」

なんかひろゆきみたいなツッコミになってしまったが、別に煽っているわけじゃない。話の意図が全く掴めないでいるが為の注意文句。

(わーん! せーくんに興味ないとか言っちゃったよぉ……!! もぉアタシのバカバカぁ!)

今度はひとり唸り始めるみーちゃん。なんか色々と心配になってきた……。

「大丈夫か? 体調が悪いなら先生に伝えてくるけど」

「ううん、いい! 大丈夫だから」

「そ、そうか? それならいんだが」

明らかに大丈夫そうには見えないが、本人がそう言うなら余計なことはしない。

みーちゃんは手にしていたお皿を戻したかと思えば、デザート料理が置いてあるほうを指差す。

「アタシ、アイス食べる」

「そうか。じゃあ、俺もそれにしようかな」

まだデザートタイムには早い気がするが、ここで口直しがてら食しておくのもいいだろう。せっかく手に入れたデザート券だ。存分に楽しまなければ損だしな。

デザート類が置いてあるコーナーにふたりで向かう。

そこにはまるでサーティーワンで使われていそうな冷蔵型でディッシャー式のアイスクリームに、パーティーでよく見かける銀皿に乗せられたプチサイズのケーキ類が。

「わぁ、すごぉい! こんなに種類があるよぉ!?」

「本当だ。すごいな!」

アイスクリームはバニラにチョコ、イチゴやクッキー、コーヒー味などが。ケーキはショートケーキにチョコケーキ、チーズケーキにモンブランなどのプチサイズが。

どれも定番中の定番と言える品物で、欲張って全種類をお皿に盛り付けたくなる。

「これ、ホントにアタシ達だけで食べていいんだよね?」

「いいはず。先生達からも許可もらっているし」

「そうだよね。じゃあ、遠慮なく取っちゃおっ」

デザートはメインディッシュのお皿より一回り小さいサイズと、透明な丸型のガラス皿も用意されていた。後者はアイス用か。

俺たちはふたりで一枚ずつお皿を取り、ケーキを盛り付ける。その後、アイスボックスが備えられている冷蔵の扉を横に開き、アイス用のガラス皿にディッシャーを使って盛り付ける段階に入った。

俺はみーちゃんに先行を譲る。

「そうだ。みーちゃんにお願いがあるんだった」

ディッシャーを使ってアイスを盛り付けているみーちゃんが一瞬だけ振り抜く。

「なに?」

「そのっ、呼び名なんだけどさ……別な呼び方に変えてもいいかな?」

少しだけ気まずく感じるのは、幼い頃からその呼び方で定着しているから。慣れ親しんでいる呼び名を変えることは、意外と抵抗感が生じる。

これは付き合ったばかりの恋人同士が、いきなり名字から下の名前で呼び合うのと似ている。逆も然り。

みーちゃんはこちらを振り向くことなく、ディッシャーでアイスを掘っている。

「……なんて呼びたいの?」

ファンの音のせいだろうか。返答の声量はいつもより小さい。

「そうだな……。綾瀬、なんてのは」

「嫌」

まさかの否定。しかも即答。

俺の中ではスタンダードで周りからも怪しまれない呼び名でいいと思ったんだが。

「じゃあ、なんて呼べば……」

アイスを綺麗な球体型に盛り付け終えたみーちゃんが俺と向き合う。冷房で少しは熱が引いたかと思えば、さっきよりも顔が赤くなっている気がする。しかも、なぜか視線はそっぽを向いて合わせようとしない。

「……澪」

「え?」

「澪って、呼んで欲しい」

思わぬお願いごとに、俺は呆けてしまっていた。一番避けたかった呼び名を提案されるなんて思ってもいなかったから。

「名字で呼ばれるのが嫌いなのか?」

ちょっと意地悪な質問をしてみる。

「ううん、そうじゃない。ただ、せーくんには……どうせなら下の名前で呼ばれたいっていうか……」

みーちゃんの視線は、あちこちと泳ぎ始めて落ち着かない。

「ほ、ほらっ! い、いままでみーちゃんって、下の名前を素に呼ばれていたでしょ!? だからっ、急に名字で呼ばれるのも、なんか距離を感じるようで嫌だし……」

初めから距離を取るつもりだったんだがな。

「ダメ……かな?」

ようやく俺と目を合わせてくれたみーちゃんの姿は、普段の凛々しい姿からは信じられないほどに弱々しい。

考えること数秒。迷った挙句、俺の導き出した答えは……。

「分かった。みーちゃんがいいなら、そう呼ばせてもらう」

「じゃあ……試しに呼んでみて?」

「み、みみっ…………悪い、いまは無理」

「えぇっ〜!?」

「ほら、場所……」

「あ……」

いまここは人の目が多すぎる。面識のない赤の他人であればまだしも、ここにいるのは少なくとも3年間を共にする同期の集まり。おまけに先生の監視だってある。

ふたりでドキドキした雰囲気を醸しながらコソコソ話をしていると、なにを勘違いされるか分からない。

みーちゃんには申し訳ないが、また機会があるときまで待ってもらうことにしよう。

「じゃあ、アタシ先に行くね」

「おう」

早歩きで先に席へ戻っていくみーちゃん。いつまでも一緒にいることを危惧してのこと。

みーちゃんも桜坂と同じぐらい、また違ったタイプで美しく可愛い女の子だから、視線はどうしても集まる。

みーちゃんの気遣いに感謝し、俺もアイスクリームを取ることにしよう。

扉を開け、ディッシャーを手にしてアイスを掘る。

顔に当たる冷気が最高に気持ち良かった。



     ★



席に戻ろうとすると、目の前から影山が向かってくるのを目にする。

俺と同じでおかわりを取りに行くのだろう。

影山とは絡むと色々と面倒毎に巻き込まれそうな気がして仕方がないので、ここは目も合わせずにすれ違う作戦を取ることに。

「待っていたぞ九条クン」

すれ違うどころか、俺の前に立ちはだかる。避けたかっただけに、嫌な気しかしない。普段なら呼ばない君呼びがそう思わせる。

影山は立ち止まったかと思えば、俺の両肩をガシッと掴み、真剣な顔つきを見せる。

「……一生のお願いだ。僕と席を代わってくれないだろうか」

「席?」

その席とやらは、昼食ビュッフェのことを指しているのは明白。

「ああ。貴様……九条クンも知っているだろう? 僕の席は桜坂さんとは正反対の端っこであることを」

「あー、はい」

「このままでは、桜坂さんと接点を持たぬまま宿泊学習を終えてしまう……! 僕はそのまま時間だけが過ぎ去っていくことに耐えられないんだ……っ」

影山の両手はプルプルと震えていた。

「頼む! 僕に千載一遇のチャンスをくれ!」

「影山さん……」

まさか、影山が俺に頭を下げるとは。そこまでして桜坂と絡みたいのか。

でも、そうか。時間か……。

この宿泊学習は、人生で一度しか味わえない。

人も、料理も、天気も、気温も、体調や気分だってそう。全てが全く同じという体験をもう一度味わうことは論理的に考えて不可能。

俺達が過ごしている『いま』は、いまでしか味わえない。

どんなに後悔しようと、もう一度味わいたいと願っても、過ぎ去った時間は二度と取り戻すことはできないのだ。

影山の想いは俺が入学式当日に感じていたものと通じる部分がある。だからだろうか。いまの影山には手を差し伸べ、応援したくなる。

「分かりました。いいですよ」

「ほ、本当か!?」

「はい。思う存分、楽しんできてください」

「恩に着るよ九条クン! では早速頼む!」

「はいはい」

影山のあとをついていき、俺は自分の席に置いてあったコップやお皿などを持ち、同じくお皿とコップを持っていた影山と席をチェンジ。

急な席替えに食事中の桜坂とみーちゃんは不思議な目で俺を見つめてくる。ふたりはきっと頭の中では疑問符だらけだろう。だが特に質問をされることはなかったので、俺は何事もなかったようにデザートを食す。うん、濃厚で美味い。

「……急にごめん。迷惑、だったかな?」

影山が桜坂に心情を伺う。セリフからは緊張しているのが伝わってくるが、姿勢だけは堂々としていて男らしさが出ていた。側から見ると、これからプロポーズをしようとしている彼氏とその彼女って感じだな。

桜坂も嫌そうな顔はしていない。むしろ共に優勝を果たした戦友かのように、受け入れている姿勢だ。

「いえ、そんなことはないわ。ただ、急にどうしたのかしら?」

至極当然な疑問。意味もなく席替えをするわけがない。

「そのっ……桜坂さんとお話をしたくて」

「お話?」

「いや、そんな大層なことじゃないんだ! ただ普通に、そう! 普通に話せたらなぁなんて! はっはっは……!」

過度な緊張のせいか、ぎこちないやり取りが続く。なにか話さないと、という切迫感も沸き起こり会話を無理やり繋げようとしている感じも生じてきた。

(話す内容は決めてなかったのか)

ほぼ初対面であるならば、まずは軽くでもいいから自己紹介から始めるべきだ。名前、出身地、趣味、将来目指しているものなど。そういったテンプレートから徐々に心の壁を取り除いていき、距離を縮めていくのが鉄則。

だが影山はそんな準備を一切せずに、ただ桜坂とお近づきになれればいいという短絡的な考えしかしていなかった。

お互いのことをよく知らない状態で会話を弾ませるのは案外難しい。ただテキトーになんとなくの思い付きで会話をしようとすると、影山のように失敗に陥りがちだ。ま、影山の場合は過度な緊張が原因というのもあるが、それでも事前になにを話すのかを決めていればあそこまでテンパることは防げてたろう。

「……いや〜、それにしてもここの料理は美味しいよね」

「そうね」

「…………」

だめだ。見ていられない。二人の会話の弾まなさを第三者目線で見ていると逆にこちらの心が痛む。

桜坂の隣に座っているみーちゃんなんかはアイスを口にしながら、影山のことをジーっと睨むように見つめている。その目からは『なんでお前ここにいんの?』と言いたげそうだ。もうやめて! 影山のライフはとっくにゼロよ!

そんな俺の心の叫びは当然聞こえるわけもなく、影山の想像していた至福のひとときは、苦悩の永久へと塗り替えられる。

「影山さん、そろそろ席を戻してもいいですか?」

「……なに?」

「ほら、影山さん言ってたじゃないですか? せっかく同じグループになれた機会にみんなとお話がしたいって」

「?」

影山は俺の顔を見つめながらなに言ってんだこいつ?と顔に出ていた。頼むから察してくれ。

「今回の宿泊学習は親睦を深めるのが目的。だからみんなとこうして話をしたかったんですよね?」

乗れ。俺は目つきを鋭くさせメッセージを伝える。

「……あ、ああ。そうだ」

「残り時間を考えたら、そろそろ切り上げないと他の人と話す時間がなくなってしまいますよ?」

ビュッフェ終了まで残り40分。これ以上ボロを出さないためにも影山は他の男女と話してもらったほうがいい。第一印象が最悪だと今後の活動にも支障をきたすからな。いまならまだ取り返しがつく。

「そうだな……。ありがとう、桜坂さん」

「いいえ。また機会があればお話しをしましょ?」

「……もちろんっ!」

桜坂の期待を持たせるセリフに影山は花がパァっと咲いたように明るい表情を取り戻す。こいつ意外と単純だな。

女性の『機会があれば』というセリフは『行けたら行く』ぐらいに信用ならない。だが俺は知っている。桜坂栞という女性は、本当にその気でいるのだ。

桜坂は純粋なのだ。単純なのだ。脳内お花畑なのだ。天然記念物なのだ。

こんな俺でも桜坂の彼氏になれたのだ。きっと影山にもそのチャンスがあるに違いない。

まだ影山のことは知らないことだらけだが、一途な想いはだけは伝わった。

その想いがあれば、燃え尽きることがなければ、恋を実らせることも決して不可能ではない。

もう俺には桜坂を隣で支えることはできない。だから……。

桜坂を隣で支えてくれる男が影山であることを、俺は願うまでだ。

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