第32話 呪憑物・人面ナイフ 2
天元健三郎(髭)はまったくと言っていいほど、反応できなかった。
畑中由詩(ポニテ)が鞄の中から何かを取りだして、次の瞬間、シュンケル(Youtuber)の胸にそれを突き刺した。
「あは! あははははははは!!」
奇怪な笑い声。
その手に握られていたのは、ナイフだ。
何度も何度も振り下ろされるので、それがどんな形状のナイフかは分からなかったが、呪いのナイフであることはすぐに理解できた。
ナイフを振るう畑中由詩の顔に、ふたつほど、別の顔が浮かび上がっていたからだ。
「きゃぁあああああああ!!」
異変に気付いた周囲から悲鳴がほとばしる。
このままではシュンケルが殺される。いや、もう死んでいるかもしれない。
だが、健三郎は動けなかった。
呪憑物に触れた人間に触れたらどうなるのか? 自分まで憑りつかれるのではないか?
そんな思いが躊躇させた。
「た、助けて…」
シュンケルのか細い悲鳴が聞こえる。
そんな彼にトドメを刺そうと振り下ろされるナイフ。
刹那、由詩が激しく吹き飛んだ。
真壁浩人(イケメン)が、スコップで由詩の顔をぶん殴ったのだ。
スコップは穴を掘るために、事務室の倉庫から拝借していた物のひとつだ。
「如月先生! 憑りつかれた人に触るとどうなりますか!!」
「安心しろ。大丈夫だ。むしろ取り押さえてくれないと困る」
如月葉月(霊媒師)の返事を得て、立ち上がろうとした由詩の頭を、再び真壁がぶん殴った。
それでもナイフを話さない由詩の腕を掴むと、そのまま体重をかけて圧し折る。
躊躇ない動きだった。
「ぎゃぁああああああ!!」
由詩が悲鳴をあげる。
さすがに腕を折られては、ナイフを持てない。
彼女の手から、人面ナイフがぼとりと落ちた。
シュンケルは、由詩が取り押さえられた数分後に死亡した。
医者がいないこともあったが、仮に救急車を呼べた状態だったとしても、結果は変わらなかっただろう。
「違う! 私じゃない! 私じゃないの!!」
両手を後ろ手に結束バンドで固定された由詩が、涙ながらに懇願する。
おそらく、それは真実だろう。
この殺人は由詩の意志ではなく、人面ナイフの意志だ。彼女は被害者で、なんの落ち度もない。
ひとつの可能性を除いては…。
「嬢ちゃん。なんで人面ナイフを隠し持っていた?」
健三郎は同情するような気持ちで尋ねた。
「知らない! 本当に知らないの!! 信じて!!」
「ねえ。本当に知らないんじゃない?」
由詩の悲痛な姿に同情したのだろう、阿久津未来(ギャル)が擁護するように口を挟む。
正直、健三郎もその可能性はあると思っている。
おそらくは指を怪我した際に、人面ナイフに憑りつかれてしまったのだろう。
自分で人面ナイフを隠し持っていたのなら、そんな間抜けなことはしない。
では、どうして呪憑物は、由詩の鞄の中にあったのか?
「呪いに呼ばれて、記憶を失くしてるだけじゃない?」
忽那来夏(ヒステリック)が見下すような態度で言った。
「あんたねぇ!」
「だって、この人が憑りつかれてるのは事実でしょ!! 呪いに操られていたのなら、鞄に仕舞った記憶がなくても、おかしくないでしょ!?」
「本人が知らないって言ってるじゃん!!」
「日本語理解してます~? 私は呪いに記憶を消されたんじゃないかと言ってるの!」
「おい! やめろ! みっともねえ!!」
健三郎は吐き捨てるように言った。この来夏という女がどうにも気に入らない。
「で? いつまでこんな無駄話をするつもり?」
淡々とした声で言ったのは葉月だった。
「おい、無駄ってなんだよ?」
噛みついてきたのは篠田武光(金髪)だ。
「その女が憑りつかれてるのは事実だろ? 何の議論をしてんだ?」
「違う! 私は呪われてなんかいない!!」
由詩は涙を流しながら顔を横に振る。
悲痛な叫びに、胸が張り裂けそうだった。
呪憑物に憑りつかれた者を助ける術はない。呪いのエンティティと一緒に、地面に封印するしかないのだ。
「なあ? 本当に助ける術はないのか?」
健三郎は救いを求めるように葉月に尋ねた。
「ないね。肉体を操るほどの強力な呪いだ。人の手に負えるもんじゃない」
それはつまり、由詩を地面に埋めることを意味する。
「ねえ? 無理にその、封印だっけ? する必要ないんじゃね? ナイフさえ無ければ…。みんな酷くね?」
未来はあくまで由詩の味方のようだ。
ナイフを失った今、由詩は何もできないだろう。確かに無害とも言える。
「問題はないですか? 如月先生」
真壁も同じ気持ちだったのだろう、葉月に確認をとった。
だが、葉月の表情は暗いままだ。
「正直、あたしは死ぬつもりはない。仕事だから来たけど、ちょいと割に合わないと後悔している」
みな黙って、葉月の言葉を聞いていた。
「ヒガン髑髏の発動には、4つの呪憑物が必要だった。逆に言えば、そのうちひとつでも欠けたらどうなるか、だ」
「帰れるってことですか!?」
悲鳴のような声で尋ねたのは、松田龍也の母親、松田加奈代だった。
「…半々ってところだな。7日生き延びるって試練の中に、4つの呪憑物と対決することが含まれるなら、呪いをひとつ壊したところで意味はねえ」
「なら、猿姫人形に憑りつかれている人を捜すほうが良いですね。方法はあるんですか?」
真壁の言葉を聞いて、由詩が安心したような表情をする。
自分が殺されることはなくなった。そう思ったのだろう。
「…方法はある。だけど、その結果、数人…いや、数十人単位で死人が出る可能性がある」
「はぁ!! 何よ、それ!! ふざけんな!!」
来夏の叫びを皮切りに、ざわざわと不安の声が聞こえはじめる。
「もう一度言う、あたしは死ぬつもりはない。人面ナイフを封印して、その結果、外に出られるのなら、それが一番リスクが少ないと思っている」
由詩がやつれた瞳で、まじまじと葉月を見た。
確実かどうかは分からない。
でも、可能性があるから死んでくれ。葉月はそう言ってういるのだ。
誰も由詩のほうを見ようとはしない。
それは逆に言えば、全員が葉月の意見に賛成したのと同じだった。
人として大切な何かが、崩れ始めている。
「多数決を取ろうぜ。どうするか」
呟くように言ったのは篠田だ。
民主主義の国家では、ある意味当然の行為で、それはある意味残酷な提案だった。
賛同することはつまり、殺人とイコールだ。
誰もが躊躇すると思っていた。
けれど、すぐに手が挙げられた。
「私は賛成です」
手を挙げたのは、松田加奈代(小学生の母)だった。
「母さん。何やってんだよ!? 意味わかってんのか?」
松田龍也(小学生)が目を丸くして言った。
「私も賛成よ」
次に手を挙げたのは、梅宮愛(小学生の母)だった。息子の清明(小学生)が信じられないといった表情をする。
「私にはこの子を守る義務がある。次に猿夢の犠牲になるのは、おそらく子供たちだわ」
誰もがその言葉の意味を噛み締めた。
トロッコ問題。
カルネアデスの板。
究極の命の選択が今、突きつけられている。
「もう、やめましょう。投票をする必要はないです」
全否定してきたのは、真壁だった。
「真壁さん!? 何を言ってるんです!!? 子供の命が掛かってるんですよ!!」
加奈代が咎めるように言った。
「おい、真壁さん。いくらあんたでも、黙ってられねえぞ」
篠田が今にも飛びかかりそうな表情で、真壁を批難する。
「僕も死にたくない。僕は僕のために彼女に犠牲になってもらおうと思います。多数決はいらない。僕がそう決めました」
その意味は、みなにどのように伝わったのだろうか?
少なくとも健三郎には、それは救いに思えた。
殺人に加担しなくて良い救い。
『見ているだけで止めないのもイジメだ』なんておめでたい言葉があるが、実際にイジメるのと見ているだけとでは、ぜんぜん意味が違う。
そんなの、本当は誰でもわかっているはずだ。
それと同じで、みんなで投票すれば、自分の手を汚すことになるが、事の成り行きを見守っているだけならば、傍観者だ。
罪の意識を感じないとまでは言わないが、少なくとも殺したという罪悪感は薄くなるだろう。
由詩を縛るために持って来て、結局は使わなかったロープを、真壁が手に取る。
そして、ゆっくりと由詩に近づいて行った。
止める者は誰もいない。
「うそよ! やめて! やめてよぉおおお!!」
「すみません。僕をどれだけ恨んでも構いません。すみません」
「人殺し!! 馬鹿ぁ!! 呪ってやる!!! 絶対に呪ってやるからっ!!!」
誰もが息を呑んだ。
怒りの形相と共に、またあの怨嗟の顔をした人面瘡が現れたのだ。
両手を後ろ手に縛られたままで、由詩が真壁に噛みつこうと襲いかかる。
真壁は蹴りを由詩の腹に叩き込んで、髪の毛を掴んで、地面に叩きつけた。
そのまま流れるような動きで、ロープを彼女の首に巻きつける。
「おい! ロープで殺すなよ!! 呪憑物にとって肉体は借り物なんだ。肉体が死ねば違う肉体に乗り移る!! そのまま地面に封印すんだ!!」
「ううっ、嫌だ。死にたくない。助けてよう」
由詩が涙を流しながら懇願する。
彼女には同情するが、もはや擁護はできない。
そして、真壁ひとりに責任を押し付けてしまった自分を恥ずかしく思った。
健三郎はスコップを手に取ると、葉月に尋ねた。
「で? どこを掘ればいいんだ?」
真壁が驚いた表情で、こちらを見る。
「俺も死にたくないんでね。協力させてもらう」
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