紫帆は天然
「えっホントに?!行く行く~!」
窓から見える曇った紅色をした空を見上げながら、教室の中にいるふたりのクラスメートの会話を聞く。
「ああ。めっちゃ人懐っこいから、紫帆ちゃんにもすぐ懐くと思うよ」
今明るい元気な声で話しかけたのが、クラスの陽キャ軍団の男子、橋本くんだ。
「わー!楽しみだなぁ」
今の声が、僕の幼馴染みである紫帆。部活がない今日はみんな家へと足を走らせるのに、学校が終わった教室で、なぜ橋本くんが紫帆に何を話しているのかというと…。
「橋本くんが猫飼ってたなんて知らなかったよー!猫を見たい気持ちは山々なんだけど…、ホントにお家お邪魔させてもらっちゃって大丈夫ー?」
…っていうことだ。橋本くんは可愛らしい女の子の見本みたいな紫帆のことが気になっていて、紫帆を誘ってふたりきりで遊ぼうとしているのだ。猫を触らせるっていうのも、その口実だ。
「全然へーき!」
くしゃりと笑った橋本くんはガッツポーズでもしそうな勢いで座っていた椅子から立ち上がった。勢いが強すぎて倒れてしまった椅子を直した紫帆は、慌てすぎーっと言いながら幸せそうに鞄を持った。何だかお似合いだ…。橋本くんの奴、僕の方がずっと紫帆といるのにっ。く、悔しいぃぃぃ。
「あのさ、紫帆ちゃん」
すると橋本くんが、囁くように紫帆に言った。集中して聞いている僕以外に聞いていた人はいないだろう。
「ん?」
紫帆が可愛く首をかしげる。
「今日さ、ふたりでさ、秘密の…ゲームしない?」
背筋が凍る。ここで言う『秘密のゲーム』とは、大人の行為の話だ。僕は身を固くして耳を傾ける。紫帆、さすがに断ってくれ…っ。
「いいよー」
ショックで頭が真っ白になる。マジか、僕の告白は断って、橋本くんの行為はいいんだ。ヤバイ、辛い。
でも次の瞬間、紫帆はハッと目を見開き、すまなそうに言ったんだ。
「ごめん、今日お腹の体調が悪いかもしれなくて…っ」
曖昧な紫帆の言葉。橋本くんは何かを悟って残念そうに言った。
「女の子の日ってことだよな?」
「?まぁ、そうかな?」
ああ、そういうことか。定期的に女子にやって来る腹痛。今日は紫帆がそれなのか。だからはっきり言わなかったのか。やっぱり、紫帆にだって橋本くんの目的は分かっていたんだな…。紫帆が、でも、と言葉を告げた。
「でも、ピカチュウが元気になったら行けるよっ!トランプとSwitch持っていくから、待ってて!」
「…まてまてまて!お前なんの話してんの?!」
僕の心の声が出てしまっていないか心配になった。だって橋本くんが、僕の心の声を読んだかのように同じことを言ったから。橋本くんは目を点にして、紫帆を見ている。
「え、どうしたの橋本くん。一緒にゲーム、するんじゃないの?」
「いや、え?女の子の日なんじゃないの?」
「え、何で?今、私のポケモンのピカチュウがお腹の調子悪いんだよねー。昨日戦って、そのまま傷薬あげ忘れちゃったからさ。心配だから先にピカチュウを元気にしてあげたいの。すごいんだよ、その子ね、ピカチュウのメスなんだ!レアなんだよっ!」
……そうだ、忘れていた。紫帆はそういう子だった。天然バカ。紫帆はふたりでトランプをしたりポケモンをすることをゲームと言っていると思っていたのだ。僕は意味不明な天然度に呆れながら、ホッとしていた。良かった、紫帆が橋本くんとうまくいかなくて。
「…紫帆ちゃん、ホントに天然なんだね」
「えーっ、どこがー?よく千夏とか陽翔くんとか夜瑠とかにも言われるけど」
どうやら橋本くんは紫帆を諦めたらしく、降参するように手を挙げて椅子に座り直した。紫帆だけがいつも通りに笑って話しかけている。
「え、どうしたの?帰ろうよー。今日千夏と陽翔くんはいないから橋本くんと夜瑠、三人で帰ろ」
どうやら紫帆は僕がひっそりと紫帆を待っていたことに気付いていたようだった。橋本くんは僕と話したこともないので、気まずそうに苦笑している。なんだか紫帆に振り回されている橋本くんはお気の毒だ。
今日の帰りが地獄のような空気間であったことは、言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます