補給艦URSS三〇五
イチキ ナヌ
三周期目の目覚め
国際連合宇宙軍に所属する補給艦URSS三〇五は、太陽系から四・三光年離れた恒星系で行われている紛争に必要物資を送り届ける任務に従事し、地球を発ってから六十年という時間が経過していた。そして、いまも星々のなかの航海を続けている。
補給艦URSS三〇五には、一名の士官が乗艦している。冷凍睡眠装置により二十年周期で眠りから覚め、艦内外の確認や航路確認を行い、任務を完遂するための必要な業務をこなす。
私は、三周期目の睡眠から目覚めたところだった。
「……艦制御AIに現状の説明を要求する」
『おはようございます、URSS三〇五の責任士官、カワハラ少佐。
現在、本艦は予定航路を順調に航行中。
貴方がお休みされている期間中に重大な障害は発生していません。
詳細は、服を整えられた後、艦橋にてご説明いたします。
それでは、後ほど』
艦制御AIは、挨拶と簡易な事前報告を伝えてきた。
「少佐か」
故郷である地球を発つまでは、私の階級は中尉だった。
この片道切符の任務を与えられた時点で、二階級特進することになった。
ある意味、戦死扱いだった。
当時、宇宙軍内部では志願者を募ったのだが、こんな任務に志願する者などおらず、半ば強制的に選ばれたのが、私だった。
「さて、寝起きのシャワーでも浴びるか」
冷凍睡眠装置は老化を停止することができるが、常に目覚めが悪いという副作用があった。
一周期が終わった、初めての目覚めは嘔吐が酷く、一週間は業務をこなせない状態だったことを思い出した。
今回の目覚めは、そこまで副作用が出てないように感じられる。
「慣れてきているなら、まあ、良いことなのか?」
シャワー室のお湯のスイッチを押し、頭から浴びる。
ぼうっとしていた頭が冴え始める。
身体中の血液が上手く循環し始めたような感じがした。
『少佐、食事の用意が整いました。食堂へどうぞ』
「分かった、ありがとう」
私は、宇宙軍士官の制服を着て、食堂へ行くことにした。
食堂といっても一名しかいないので、居住区画にあってキッチンスペースのように簡素だ。
居住区画に入ると、コーヒーの良い香りがしてきた。
湯気が上がるコーヒーカップ。
香ばしいトースト。
スクランブルエッグ。
全て、圧縮冷凍食品を解凍したものである。
「故郷では、主食は米飯だったんだ。次回の目覚めの時には検討してくれないか?」
そう、私は地球の日本で生まれ育った。
『少佐、その要望については二周期目の業務時にお聞きしております。
残念ながら、対応することができません』
制御AIの答え方が、少し申し訳なそうに聞こえた。
ああ、分かっているさ。
本来、この艦にはイギリス出身の士官が乗艦することになっていた。
その士官が出発の三週間前に結婚してしまったものだから、急遽、私にその役目が与えられたのだ。
当初の士官に合わせられていたメニューの変更がきかず、彼好みのメニューが出されている。
とくに気に食わないのは、イギリス人には珍しく、コーヒー派だったということだ。
お茶が飲みたい。
「すまない、おいしく頂くよ」
『申し訳ありません、少佐……』
制御AIが謝罪をしてきた。
「いや、良いんだ。君が悪いわけではない」
手早く、食事を済ませ、艦橋へと向かう。
艦橋は重力制御がされておらず、無重力状態で業務をこなさなければならない。
「制御AIに要求。現在の本艦の詳細な情報を知らせ」
『現在、予定航路を航行中。
前方の障害物防護シールド及び核融合機関も問題なく稼働中。
カワハラ少佐の睡眠中に、重大な問題は発生していません。
このまま順調にいけば、残り四十年と六カ月で我が軍の前線軌道ステーションに到着することができます』
「そうか。それまでに現地の味方が優勢になってくれれば良いんだがね」
そう、本来ならこのような通常宇宙空間を航行して、友軍に補給物資を届けるなどありえない話なのだ。
このような無謀な作戦を行う羽目になったのには理由がある。
太陽系と紛争が発生した恒星系には、超空間ゲートが設置してあり、相互の行き来が光速を超えて可能だった。
紛争が発生して三か月後に、国連が管理していた恒星系側の超空間ゲートが独立を掲げる武装勢力に制圧され、ゲートを一方的に閉鎖してしまった。
結果、送り込んだ兵力、国連の安全保障理事会の常任理事国と、それに呼応した国々で構成された多国籍軍は、敵の恒星系で孤立無援となってしまったというわけだ。
ゲートが一方的に閉鎖された後は、多国籍軍を構成した国々の間で醜い応酬が数年は続いたが、結論として超国家組織として国連宇宙軍が組織された。
私が、この艦で地球を出発した時には国連宇宙軍は創立から三年ほどしか経っていなかった。
『少佐、艦隊司令部から国連宇宙軍創立五十年を祝うメッセージが、届いています。ご覧になりますか?』
半世紀も経てば、軍の構成人員も変わる。
私が知っている者たちは、既に退役しているか、鬼籍に入っているかのどちらかだ。
メッセージを見て、自分は正気でいることができるだろうか?
「いや、見なくていい。それよりも新たな命令は受けていないか?」
『……』
制御AIからの回答がない。
「どうした?」
『いえ、膨大な受信情報の中から検索を掛けていましたので、回答が遅れました。
本艦への新たな指示、命令は受けていません』
「そうか、なら当初任務の続行というわけだな」
少し、残念だった。
半世紀も経てば、事態は変わり、この任務自体の意味消失することを期待していたのに、そうはならなかったらしい。
任務が中止されたとしても、私の時間を取り戻すことはできないが、少しは肩の荷が下りただろうにと思う。
『少佐、艦制御システムの自己診断が終了しました。異常はありません』
「光学センサによる艦体異常の走査を開始せよ」
『了解、艦体異常の走査を開始します』
走査が終わるまでは、数十分を要する。
制御AIからの報告があるまでは、手持ち無沙汰になる。
それまでの間に、送受信記録の件名でも確認しようかと思い立った。
携帯タブレットを取り出し、ケーブルで艦橋の制御端末に接続する。
液晶画面に送受信記録の一覧を表示させる。
「予想はしていたが、司令部AIとの航行状況のやり取りがほとんどだな」
画面をタッチし、スクロールさせる。
航行状況の以外の情報受信を見つけることができた。
それは、報道機関の記事だった。
敵恒星系側の超空間ゲートを、太陽系側から強制的に開こうとする試みが検討されているとの内容だった。
ゲートさえ開ければ、直接的に増援を送り込めることになる。
ただ、制御AIが新たな命令を受け取っていないとなれば、その試みは成功していないということになる。
「片道で百年もかかる増援なんて、意味があるのか?」
頭によぎるのは、敵恒星系における友軍の壊滅だ。
そうなると、この艦は敵に鹵獲されるだけの運命となるわけだ。
『少佐、艦体に異常を発見しました』
とても驚いた。
なんせ、航行開始から初めての異常が起きたのだ。
制御AIに状況を確認する。
「どのような異常なんだ?」
『艦体後部の動力機関ブロックの外壁に、何かが張り付いています』
「その部分の艦外映像は出せるか?」
制御端末の画面に艦外カメラが捉えた映像が映し出される。
円筒形の物体がワイヤーとアンカーみたいなもので艦体に張り付いている。
航行に支障があると予想されるなら除去するのが、懸命の処置となる。
「制御AI、艦体が何らかの損害を受け、外壁等の部材が剝がれていないかを確認せよ」
数分後、再度の自己診断を行った制御AIから報告が上がる。
『艦体の損害はありません。あれは本艦由来のものではありません』
息を飲む。
艦由来のものでなければ、あれは何処から来たものなのか。
ここは、孤独な宇宙空間なのだ。
「物体の除去は可能か?」
『直接的な艦外作業にて、除去が可能と考えます』
その回答を聞いて、嫌な気分になる。
一名しかいない乗組員による艦外作業、リスクが当然高いことになる。
ましてや、除去しないといけないのは得体のしれない物体だ。
「障害物破壊用レールガンは使用できないのか?」
『その提案は否定します。物体と艦体があまりにも密着しすぎていて危険です』
溜息が出る。
「制御AI、艦外作業ポッドの準備をしてくれ。私は宇宙服を着てくる」
『少佐、了解しました。ポッドは一番近い、後部の第十一番エアロックで待機させます』
私は宇宙服を着るために、後部ブロックに移動した。
宇宙服を着るなど何年振りだろうか?
久しぶりの宇宙服に、頭の中の記憶を呼び覚まし、着装手順を一つずつ確認していく。
通常より時間がかかったが、確実に着装できたことを確認した。
後部の第十一番エアロックに到着し、私は制御AIに呼びかける。
「いま、第十一番エアロックに到着した。これより、艦外作業を開始する」
『了解。少佐、お気をつけて』
エアロックは二重扉となっている。
エアロック内に入ると、真空にするために空気が除去される。
そして、艦外側の扉が開く。
静かだ。
自分の呼吸する音しか聞こえない。
腰の両側にあるライトを点灯させる。
ポッドが制御AIの遠隔操作で近くまで来てくれた。
ポッドは球状で、作業用アームが一つ装備されている。
ポッドに乗り込み、例の物体までは自動操縦で行く。
その間、どのような手段で物体の除去を行うかを確認する。
「制御AI、物体はアンカーとワイヤーで艦体に張り付いているわけだが、プランとしてはワイヤーをプラズマバーナーで切断する方法が最適か?」
『ワイヤーが我々の知り得る鋼材であるのならば、その方法が最適と回答します』
「未知の鋼材である場合は?」
『アンカーが刺さっている外壁部分を切断することを推奨します。その際、切り取った外壁部分の補修が必要となります』
「やれやれだな」
除去手順を確認している間に、物体が張り付いている場所に到着した。
物体は円筒形で、白色だった。
近づくにつれ、物体の表面には凹凸等があることが見て取れた。
ポッドは、物体から五メートルほど離れて艦体外壁に固定された。
「これより、接近して物体の状態を確認する」
『了解、常にモニターしています』
ポッドから降り、宇宙服の靴底部のマグネットを起動させる。無重力空間だが、これで外壁を歩いて進むことができる。
五メートルを歩き、物体に最接近した。
物体は、アンカーから伸びたワイヤーで外壁から二メートルの高さで固定されている。
近づいて分かったことは、アンカーとワイヤーは物体の両側から三本ずつ出ており、合計で六本になるということだった。
「骨が折れそうな作業になりそうだ」
次に物体そのものを確認するため、靴底部のマグネットを停止させ、宇宙服の推進装置を使用して、上方の物体を目指す。
ゆっくりと、物体に近づく、物体には取っ手のようなものがあり、それを掴み、自身の慣性運動を停止させる。
「映像もモニターしているか?」
『少佐、モニターしています』
「よし、作業記録を開始する」
『記録開始』
宇宙服のヘルメットバイザーに記録中のアイコンが表示される。
「作業記録。
西暦二二六八年六月五日。
記録者、国連宇宙軍第一七三補給艦隊所属、補給艦URSS三〇五乗務士官、カワハラ少佐。
現在、艦体外壁にアンカーとワイヤーで張り付いた円筒形の物体を調査中。
艦制御AIの確認作業により、物体が本艦由来のものではないことを確認。
最接近し、物体を除去できるかを確認中」
物体を汲まなく見ていくうちに、操作レバーのようなものや、文字なのか模様みたいなものが確認できた。
そして、赤い光が点滅している部分を発見した。
「制御AI、見えているか?」
『見えています。この物体が何かしらの制御状態にあると推察できます』
赤い光が点滅している付近に手を触れると、その周辺が色鮮やかになり、活性化しているように見えた。
「まずい、爆弾だったら時限信管を起動させてしまったか?」
『少佐、速やかな退避を推奨します』
退避しようとした瞬間、物体の表面がスライドして開き、中身が飛び出してきた。
それは、赤い人型をしたものだった。
自分に抱き着くような形となり、飛び出してきた勢いで慣性運動が加わり、物体から急速に離れていく。
事態を把握した制御AIが、ポッドを遠隔操作し、運動の延長上に先回りを行う。
そのまま、ポッドの操縦席に収まる形となった。
間一髪だった。
『少佐、ご無事ですか?』
「あぁ、なんとか無事だ……」
自分に抱き着いてきた、赤い人型のものに目を向ける。
これが、SFホラーの世界なら、自分は浸食されて死ぬのかなんてことを考える。
『少佐、その人型から生体反応が検出されました。
人間の生態反応にとても似ています』
この謎の赤い人型は、人間ということか?
「制御AI、つまりどういうことだ?」
『少佐が抱きかかえている、人型の物体から人間と同じような心音がするということです』
その回答に、とても驚いた。こんなところに人間が私以外にいるのか?
頭で考えてもあり得ないこととしか認識できない。
「艦内へ入れることは、推奨できないと考えるがどうか?」
『少佐に同意します。ただ、隔離区画を設けて対応することは可能であると提案します』
制御AIの提案により、艦内に複数ある作業ポッドの格納庫の一つを隔離区画として確保する形となった。
この格納庫は、想定される最悪の異常が発生した場合に備え、即座に艦体から切り離しが可能となっている区画である。
これなら、赤い人型が私たちにとって脅威であると分かれば、即座に宇宙空間に投棄することが可能というわけだ。
いまは赤い人型を格納庫の床に仰向けに寝かせた状態にしてある。
よく見れば、背丈は私より少し低い感じであり、身体的には華奢な感じにも見える。
赤い外観が宇宙服のようなものとも考えられるが、中身が人間とは限らない。
『少佐、準備はよろしいですか?』
「ああ、このスキャン装置で良いのだろう?」
私は、両手で持っている装置を胸の位置まで掲げ見せた。
『はい、その装置はX線をはじめ、音波等を用いて対象物の非破壊検査が可能となっています。
つまり、あの赤い宇宙服と考えられるものを透過し、中身を除くことが可能です』
装置は太いケーブルを介して、格納庫の端末と接続されており、情報共有と電力供給を受けている。
『少佐の宇宙服にも異常はありませんか?』
「大丈夫だ。抱きとめたときの衝撃で故障等はしてないようだ」
格納庫内でも宇宙空間と同様に宇宙服を着用している。
赤い人型が、人体に対して有害なものを放出した際の用心のためであった。
「よし、スキャンを開始する」
私はスキャン装置を起動させ、赤い人型の頭から足先までを数回往復させた。
『少佐、赤い人型の腰あたりに金属反応があります』
金属反応?
私は、腰当たりに視線を向け、同時にスキャン装置も向ける。
スキャン装置に取り付けてある画面の情報を数回切り替えると、反応したという金属反応の映像が浮かび上がる。
何かL字の形のようなものが、腰の後ろにあるようだ。
スキャン装置を床に置き、仰向けになっている赤い人型の上体を少し浮かせ、腰後ろを確認する。
そこにはL字をした外付けポケットのようなものが取り付けてあった。
腰から取り外せないかと手で掴み、引っ張ってみる。
なかなか外れない。
取り外すための仕掛けがあるのか?
ポケットの外側を手で探っていると、ボタンのようなものが有った。
それを押してみると、ポケットが外れた。
赤い人型の上体を再び床に寝かせ、取り外したポケットのようなものをまじまじと見る。
「制御AI、何だと思う?」
『推測しかねます』
まあ、そうだろう。
ポケットを扱いまわしているうちに、不意に操作したのだろう、蓋が開いた。
中身を取り出す。
それは、私の知り得る限り、あるものにとても酷似していた。
「これは拳銃か?」
宇宙軍が正式採用していた拳銃のモデルとは、まったく違うものであったが、人類が近代以降に戦争等に使用してきた拳銃の形を驚くほどに踏襲していた。
グリップがあり、トリガーとそれを囲むトリガーガード。
自動拳銃の特徴であるスライド。
そして、銃口。
グリップの底部から弾倉を抜き、スライドを後退させる。
薬室に装填されていた弾丸一発が、勢いよく飛び出す。
弾倉を持っている左手で、その弾丸をキャッチする。
「まさか、拳銃が出てくるとは思いにもよらなかったな」
安全状態にした拳銃を、傍に待機していた自動トレイの上に置く。
すぐにトレイの蓋が閉じ、格納庫を出ていく。
『すぐに解析に回します、はじめに武器を発見できて幸運でした』
制御AIの言うとおりだ。
艦内で拳銃を使用されて、設備に損害がでたらと思うとゾッとする。
「スキャンで他に分かったことがあるか?」
『規則正しい心音を感知しています。
ただし、心拍数は活動時の人間よりも少ないので、冷凍睡眠状態にあると想定できます。
くわえて、骨格、内臓等も人類にとても酷似していることが分かりました』
それは、もはや地球人類なのではと思うが、遭遇した状況がありえない。
「一度、艦橋に戻る。赤い人型はこのまま隔離を続行、監視は光学センサでモニターする。
それと、時間はかかるが艦体司令部に状況の報告通信をしておく必要がある」
『分かりました、それでは艦橋でお待ちしています』
やれやれ、とんでもないハプニングが起きたものだ。
映画でいえば、未知との遭遇なのだろうが、心躍るものではない。
私は格納庫を出ようと扉に向けて歩みを進めた。
背後で、金属がぶつかる音が聞こえ、咄嗟に振り替える。
先ほどまで床に仰向けに寝かされていた赤い人型の姿が消えている。
緊張で、自分の心臓の鼓動が早まる。
小声で制御AIに呼びかける。
「……おい、モニターしているか? 赤い人型が覚醒したぞ。
そちらから、対象を追跡できているか?」
次の瞬間、自分の視界の左側から赤い影が飛び出してきて、何かで殴ろうとしてくる。
咄嗟に左腕で受け止める。
ミシッという音が聞こえるのではないかというくらいの衝撃が左腕を襲う。
「ぅぐあぁ!」
これは、完全に骨が折れたなと確信する。
額に脂汗が浮かぶ。
赤い人型は、距離をいったんとり、再び殴るタイミングを計っているようだった。
両手に持っているのは、この格納庫にあった作業ポッド用のスパナだった。
「待て、やめろ! 敵じゃない!」
相手に伝わるかは分からないが、必死に叫ぶように言う。
予想しなかった反応が返ってくる。
「誰? 貴様。どこ? 船。味方? 事実?」
赤い人型が発した言葉は、英語だった。
発音はネイティブに近いのに、まったく文法になっていない。
「み、味方だ。君は何者だ?」
「言葉、古語、長い。人間? 貴様」
相手にとって、私の話す英語は古い言い回しと言いたいのか?
単語だけでも伝わるなら、こちらに敵意がないことを伝えたい。
「そう、人間だ。太陽系の地球から来た」
「地球、太陽系、事実?」
相手は驚いたような声を上げる。
そして、両手で構えていたスパナを下ろす。
「本当だ、地球から来た」
どこから来たかを伝えた瞬間に、視界がぼやけ、右半身から倒れた。
骨折したであろう、左腕から強烈な痛みが脳に伝わる。
赤い人型が、持っていたスパナを投げ出し、駆け寄ってくる。
相手も焦った声で、私に問いかけてくる。
「不良、痛み。保持、意識!」
気をしっかり持てと言っているのだろうか?
私の意識は、遠のいていった。
つぎに気づいた時には、よく知っている天井が目に入った。
お世辞にも広いとはいえない、士官室だ。
意識が戻ってくるのに合わせて、左腕の痛みも感じるようになってくる。
「痛っ!」
左腕を見ると、ギプスがしてあり、専用のベルトで首から吊ってあった。
『少佐、気が付かれましたか』
「私は何時間寝ていた?」
『意識を失われてから八時間が経過しています』
そんなにも、意識を失っていたのか。
「変な夢を見たよ、襲われる夢だ」
制御AIに見た夢を話す。
艦体に張り付いた支障物体を除去作業していたこと。
その物体から赤い人型が現れたこと。
それを調査するために、格納庫を隔離区画にしたこと。
そして、そこで襲われたこと。
『申し上げにくいのですが……、少佐は混乱されています』
制御AIの言うことももっともだ。
艦外作業中に、ドジをやって、骨折をしたのだ。
そして、冷凍睡眠から目覚めたばかりもあって記憶が混乱しているに違いない。
『少佐が話されたことは現実に起きたことです』
その言葉に驚く。
ちょっと待て、そうなると私を襲った赤い人型は艦内に潜んでいるのか?
『少佐の右隣に居ます』
私は視線をゆっくりと右へと向ける。
赤い人型が、椅子に座って私に頭を向けている。
頭にはヘルメットバイザーのようなものはなく、赤一色である。
私の額から汗が一滴流れ、頬を滑っていく。
「顔、不良、貴様。応急処置、不良有?」
『顔色が優れないが、応急処置が悪かったか? と言っています』
制御AIが、赤い人型の言葉を補足してくる。
いや、応急処置がどうとか、そういう問題ではない。
私を襲撃した本人が、堂々と横にいることが問題なのだ。
しかも、拳銃による武装もしていた、十分な脅威ではないか。
この状況に、言葉が出てこない。
『無問題。襲撃者、同席、驚嘆、少佐』
「反省、責任有、我……」
いったい、眠っている八時間のあいだに何があったのだろうか?
私は右手で頭を掻く、状況が把握できない。
赤い人型が、両手で頭を掴み、側頭部両側のスイッチを押す。
すると赤い頭から、スプレー缶に穴を開けたときと同じような、ガスが抜ける音がした。
両手で、赤い頭を持ち上げた。
そして、素顔が現れる。
褐色の肌に、ボブカットの灰色髪、黄色の瞳。
私が知っている、人種の特徴とは合致しない。
やはり、人間ではないのか?
「姓、ワトソン、名、ジェーン、我。同道、是非、良好、少佐」
『ジェーン・ワトソンと言います、よろしく少佐。と言っています』
「カワハラだ、よろしく……」
思考が追い付かない。
赤い人型は、やはり人間で、自身のことをジェーンと名乗った。
私が言葉を返すとジェーンは笑顔となり、両手で右手を握ってくる。
「よろしく、今後、良好、進展、カワハラ!」
握ってきた私の右手を上下に大きく振る。
その後、ジェーンは私のうしろを付いてくるようになった。
左腕を骨折させたことに対する、罪悪感があるとのことだった。
こちらも、艦内作業の効率が落ちなくて助かっている。
「ジェーン、今日の作業は終わりにしよう」
私は右手のタブレットを見ながら、作業工程が終了したことを確認する。
「終了? 食事?」
ジェーンは、両手でバルブを閉めながら、顔をこちらに向けて答える。
「そうだ、終わりだ。食事にしよう」
バルブを完全に閉め終えたジェーンは、ニコニコしながら私の方に歩いてきた。
「ここ、食事、良好、味、好み、我」
「そうか、食事が美味しいんなら良かったよ」
ジェーンが先導して、食堂への通路を進む。
鼻歌を歌っている。
私との会話は相変わらず単語のみだが、意思疎通はできているようだ。
ジェーンはこのような艦内作業には慣れているように見えた。
私の指示を聞いて、何をすれば良いかをすぐに理解し、実行する。
とても優秀だった、素人ではないはずだ。
年齢はいくつなのだろうか?
ふと聞いてみたくなった。
「ジェーン、年齢はいくつになるんだ?」
ジェーンは歩きながら、前を向いて答える。
「失礼、女性、年齢、聴取」
少し怒っているように答える。
やはり、女性に年齢を尋ねるのは失礼だったか。
「十八歳、我……」
こちらを振り向き、少し恥ずかしいそうに答える。
「十八歳か、若いな。それに、作業もすごく慣れているな」
「当然、我!
十歳、全部、慣熟、強制。
生存、絶対、必要。
友人、知人、全員、当然、作業、慣熟」
ジェーンは、腰に両手を当て、胸を張って答えた。
生きるために覚えさせられたということだろうか?
彼女は私が思っているよりも多くの場数を踏んできたのだろう。
「年齢、カワハラ」
今度は、彼女の方から私の年齢を尋ねてきた。
地球を出発した時は、ちょうど三十歳だった。
それからは冷凍睡眠を行いながら、六十年は経過しているはずだ。
なら、公式年齢は九十歳前半ということになるのか。
自分の口から笑いが漏れる。
ジェーンは、笑った自分を不思議そうに見ている。
「私は、もう九十歳のおじいちゃんさ……」
彼女は目を丸くして、驚いているようだ。
「九十歳? 虚偽、二十代後半、三十代前半、身体、若年、カワハラ」
身体的な年齢なら彼女の推測は、とてもいい線をいっている。
「冷凍睡眠装置は知っているか?」
そう問うと、彼女は首を傾げ、少し考えているようだった。
数秒後に、思い出したかのように答えた。
「緊急、使用、脱出ポッド、常備!」
なるほど、ジェーンにとって冷凍睡眠装置は緊急時に使用するという認識のようだ。
となると、彼女が乗っていた円筒形の物体は、脱出ポッドということになるのだろうか?
そんなことを考えていると、彼女の両手が、私の両肩をいきなり掴んできた。
私は驚いて、彼女の顔見ると、泣きそうな顔をしている。
「いきなり、どうしたんだ?」
彼女は、震えながら答えた。
「何処、脱出ポッド……?」
たしかに、私が気絶して、目覚めた後に円筒形の物体、もとい脱出ポッドについては、制御AIからも何も聞いていない。
「そうだな、脱出ポッドについては、君と遭遇してからは忘れていた。
すぐに制御AIに確認しよう」
私たちは、食堂に向かった。
既に、食事が二人分用意されていた。
圧縮冷凍から解凍された、サンドウィッチのパックとコーヒーが、テーブルの上に二つあった。
『お二人ともご苦労様でした、既に食事の準備は整っています』
声を掛けてきた制御AIに、私は尋ねる。
「食事の準備ありがとう。
その前に確認したいことがあるのだが、ジェーンの乗っていた円筒形の物体はどうした?」
数秒間の沈黙の後に、制御AIが答える。
『すみません、そのことについて完全に失念をしておりました。
艦外の光学センサで確認したところ、現在も艦体に張り付いたままとなっています』
私の記憶が正しければ、乗降用と思われるドアが開いたままで、それ以上は何も触れていなかったはずだ。
『除去作業を再開しますか?』
「否定、除去! 優先、回収!」
ジェーンは、慌てたように除去する案について反対の意思を示す。
「除去案は破棄とし、回収することにする。
ジェーンが言うには、あれは脱出ポッドとのことだ」
制御AIに対して、新たな指令を出す。
『分かりました、回収を優先します。ただ、作業は困難が生じると考えられます』
私たちは、そもそも艦体に張り付いた物体を除去することを考えていた。
ワイヤーが切断できなければ、艦体の外壁部材を一部切断し、最終的には作業ポッドで艦体とは反対側に押し出すことを考えていた。
回収となると、作業ポッドで曳航する形になる。
脱出ポッドの質量にもよるが、作業ポッドが積載している推進剤の量で不足はしないのだろうか?
「可能、自立航行、脱出ポッド。操縦、肯定、我」
彼女が言うには、脱出ポッドは簡易的な宇宙船にもなるらしく、操縦することも可能ということらしい。
「問題有、少々……。不足、推進剤」
推進剤が不足しているのなら、こちらが保有している推進剤を提供するという方法あるが、脱出ポッドが使用している推進剤と同じものかが分からない。
『回収成功の確率が低い場合、艦体からの除去を推奨いたします』
制御AIは、当然なのだろうが成功の確率が高い方に、安全性が高い案を推奨してくる。
「なし、除去! 反対、嫌悪、制御AI!」
ジェーンは、再び怒りだした。
回収の成功率を上げる方法としては、作業ポッドで脱出ポッドを曳航することがいちばん良い案だろう。
ただ、同様に推進剤の問題がある。
「ジェーン、君の脱出ポッドの制御系と私たちの作業ポッドの制御系を同期させることはできそうか?」
天井に向かって、文句を言っていたジェーンが私の方へ向き直った。
とても不安そうな表情をする。
「不明……。必要、確認」
一度、脱出ポッドの制御系をあらためてみる必要があるということか。
話を続けていただけでは解決にはならないのだから、行動した方が早い。
私とジェーンは、宇宙空間にいた。
彼女には私と同じ宇宙服を着用してもらった。
赤い宇宙服は、私の所属している国連宇宙軍が採用している宇宙服より、性能が良いようだが、酸素や電力を補給するための規格が違うため、それらが作業中に尽きた時のことを考え、無理を言って、私と同じ白い宇宙服を着用してもらうことになった。
ジェーンは、最初はとても嫌がっていた。曰く、「骨董品」という発言が聞かれたが、私は無視した。
宇宙服の機能や注意点を説明し終えると、ジェーンはすぐに習熟した。
やはり、とても優秀だ。
現在、二人で作業ポッドに乗り込み、脱出ポッドに向かっている。
推進剤の噴射は終わり、慣性で航行している。
細かな姿勢制御は、制御AIがしてくれている。
脱出ポッドが、視界で捕らえられる距離まで来た。
作業ポッドの制御タブレットに表示された距離を確認し、十五メートルの距離まで近づいていることが分かった。
私は艦内で話し合った段取りを再確認するために、ジェーンに頭を向ける。
「ジェーン、段取りは分かっているな?」
「肯定。作業ポッド、後部、取り付く、推進補助、脱出ポッド」
そうだ、作業ポッドは脱出ポッドの後部に取り付き、脱出ポッドの推進補助とする。
「挑戦、確認、無線接続、同期、制御系」
無線で互いのポッドの制御系を接続し、同期が可能かを確認する。
その後は、状況によりけりだ。
制御系が同期できるのなら、脱出ポッド側で一括制御を行い、作業ポッドは推進剤が切れたときには、最悪、そのまま投棄する手はずとなる。
もし、制御系が同期でない場合は、私とジェーンのそれぞれが互いのポッドに分乗し、マニュアル操縦で、全ての手順を進めることになっていた。
「祈祷、幸運」
ジェーンは無線越しに、明るく、私に言った。
「そうだな、最善を尽くそう」
作業ポッドは、脱出ポッドの後部に到着した。
姿勢制御用ノズルから細かく、推進剤が噴射される。
それと同時に、作業ポッドの中央にあるアームが伸びて、脱出ポッドの後部にマグネットで固定される。
彼女は、作業ポッドから出て、アームづたいに脱出ポッドへと乗り移る。
そのまま、開け放たれていたドアの中へと消えていった。
すぐに脱出ポッドに反応が現れる。
先端と後端のライトが点滅を始める。
「無問題、機能。挑戦、接続、同期、カワハラ」
ジェーンが私に無線で呼びかける。
私はすぐに、制御系の遠隔無線チェンネルを全てオープンにする。
「どうだ、ジェーン? 同期はできたか?」
無線が、唸るような声を拾ってくる。
「否定、同期不可。規格、相違有、制御系……」
残念そうな声が返ってきた。
私は彼女を励ますように言う。
「大丈夫、同期できないことも想定内だ。段取りどおり、手動で進めよう」
「肯定、カワハラ。解除、アンカー」
彼女が同意を示すと同時に、艦体に刺さっていたアンカーが脱出ポッドへ吸い込まれるように回収された。
私も同時に、作業ポッドの制御タブレットを操作し、マニュアル操縦へ切り替える。
操縦スティックを右手で握り、少し前に傾ける。
メインノズルからの推進剤の噴射が始まる。
制御タブレットには、噴射時間が表示されている。
十秒、二十秒、三十秒、噴射が継続される。
同時に、推進剤タンクの積載量ゲージが減少していく。
脱出ポッドは、それなりの質量があるのだろう。
噴射時間が六十秒になりそうなときに、十分な加速を与えることができた。
慣性航行に移るため、操縦スティックをもとの位置に戻す。
脱出ポッドをみる、あちらも姿勢制御用ノズルから小刻みに推進剤を噴射していた。
「ジェーン、こちらの推進剤は半分を使い切った。そっちの推進剤の残量はどうだ?」
「三分の一、極少」
三分の一程度で、とても少ないということになると、この作業ポッドはロケットでいう、一段目の役を演じてもらい、投棄という可能性が高くなるなと考える。
「制御AI、想定どおりに作業ポッドは推進剤が切れたと同時に投棄する、良いな」
『少佐、了解いたしました。それと、意見具申をしても良いですか?』
制御AIから、何か提案があるらしい。
「問題ない、話せ」
『両ポッドの推進剤の残量が不足することを考え、格納庫エアロックに装備されているキャッチアームの使用を推奨いたします』
つまり、加速や姿勢制御で消費している推進剤が、格納庫エアロックに到着するころには減速に必要な量までも消費していることを想定して、作業ポッドをキャッチするためのアームの使用を提案してきたということか。
「その提案を了承する、キャッチアームを展開してくれ」
『了解です』
制御AIは、短く返答した。
さて、推進剤は格納庫エアロックまで持つのか、それともキャッチアームのお世話になるのか、くわえてキャッチアームが脱出ポッドの質量に耐えられるかという問題もある。
そんなことを考えているうちに、格納庫エアロックが目視できる距離になってきた。
制御タブレットには、距離が百メートルと表示され、その数字はカウントダウンのように減っていく。
「ジェーン、聞こえているか?」
脱出ポッドに乗っている、彼女に問いかける。
「肯定。無問題、現在。問題有無、カワハラ?」
彼女の方も、特段の異常が発生している様子はないようだ。
「私のほうも問題はない。現在、格納庫までの距離は七十メートルになっている。
これが五十メートルになったら、お互いに逆噴射を掛けるぞ、良いな?」
「理解」
彼女の返答を聞いてから、距離のカウントダウンを始める。
距離、六十五メートル――、六十メートル――、五十五メートル――。
「五十メートル、いまだ逆噴射開始!」
脱出ポッドと作業ポッドが同時に逆噴射を始める。
制御タブレットを見る、半分になっていた推進剤の残量ゲージがみるみる減っていく。
格納庫の方に視線を向ける。
既にキャッチアームが展開されている。網目のネットを広げ、いつでもポッドたちを捕らえることができる状態となっていた。
「カワハラ! 完全消費、推進剤!」
脱出ポッドを見る。
先ほどまで逆噴射していたノズルから推進剤が確認できなくなっていた。
制御タブレットを確認する、作業ポッドの推進剤の残量ゲージに《空》の注意表示が点滅している。
作業ポッドの方も逆噴射が止まった。
格納庫前で完全に停止することが不可能となった。
頼み綱は、キャッチアームだけとなった。だが、減速も十分ではない。
「ジェーン、衝撃に備えろ!
状況によっては、格納庫に向かって飛び出せ!」
つぎの瞬間に衝撃を感じた。
脱出ポッドがキャッチアームに衝突した衝撃のはずだ。
後部に取り付いていた作業ポッドに遠心力がかかる。
まずい、このままではキャッチアームごと艦体からもがれて、宇宙空間に投げ出される。
右手で握っていた操縦スティックの親指のボダンを押し込む。
作業用アームのマグネットを停止して、脱出ポッドとの固定を解除。
乗降口の縁に左手を掛け、力を入れ、勢いよく飛び出そうとするが、左腕に痛みが走る。
「くっ!」
忘れていた、左腕は骨折していて完治していなかった。
飛び出す勢いが足りなかったのか、格納庫エアロックから少しずつ慣性で離れていっている。
自分の上方を見る。
先ほどまで乗っていた作業ポッドが、回転しながら遠ざかって行く。
「カワハラ!」
ジェーンの叫び声が無線から聞こえる。
まさか、こんな死に方をするとは想像していなかった。
宇宙遊泳をした後に、酸素不足で窒息死か、電力切れによる凍死が先か、地球を発つときには想像もしてない事ばっかりだなと思った。
脱出ポッドから二十メートルは離れただろうか。
開いたドアのところに人が見える、ジェーンだ。
無事だったようだ、良かった。
彼女は、脱出ポッドに引っ込み、次に姿を見せると、私に何かを向けていた。
向けられた物から、私の胸のあたりにレーザーが照射されていた。
いったい、何なのだろうと考えていると、無線が入った。
『少佐、そのまま動かないくださいとジェーンが言っています』
動くなといっても、これ以上は何もできない。
ジェーンが向けた物から何かが射出され、一直線に私に向かってくる。
それが、よく見える距離まで慣性運動で進んでくる。
何なのかがよく分かった。
先端が聴診器の胸に当てるような部分の形状をしており、その後ろをワイヤーが伸びている。
そして、先端が私の宇宙服の胸部分に吸着する。
どうやらマグネットのようだ。
「即救助、カワハラ!」
慣性運動で艦体から離れていっていた私の身体は、徐々に加速を止めた。
ワイヤーが巻き取られるとともに、逆の慣性が働き、今度は艦体に近づき始める。
だんだんと格納庫エアロックが近づいてくる。
ジェーンは脱出ポッドの中でワイヤーを巻き取っている。
私はそこを通りすぎ、格納庫エアロック内に入る。
入ってすぐに、中に固定されていたコンテナにぶつかり、慣性運動が終わる。
すぐに自分の宇宙服の靴底部のマグネットを起動させ、床に身体を固定する。
「現状維持、カワハラ」
そう言うと、彼女は脱出ポッドを飛び出してきた。
まだ、ワイヤーを巻き取っている。
私の方へと、まっすぐ進んでくる。
「成功!」
ヘルメットの中で、彼女が歯を見せ、笑いながら言う。
そのまま、私の胸に飛び込んでくる、受け止める。
彼女もまた靴底部のマグネットを起動させ、私に対峙する。
「ありがとう、ジェーン」
私も笑いながら、彼女にお礼を言う。
彼女は照れながら、指で鼻をさするジェスチャーをする。
さて、今度はこの後片付けだ。
いま私は格納庫にいる。ただ、宇宙服のヘルメットはしていない。
既にエアロックを閉じ、格納庫内は与圧され、慣性重力制御も効いている。
ジェーンは、制御AIと談笑しながら、脱出ポッドと艦の制御系を有線接続する作業を私の目の前で行っている。
こんな孤独な宇宙で、彼女のような人間に出会えるとは思わなかった。
私は与えられたこの任務に対して、最初から諦めの感情があった。
生きながらにして、死んでいる。
長期間の睡眠を繰り返すことで、広がっていく時間的孤独。
目的地に着いたとして、私やこの任務のことを覚えている人はいるのだろうか。
そして、私は目的地でどのような扱いを受けるのだろうか。
漠然としているが、大きな不安を抱きながら航海をしてきた。
ただ、ここ数日間の出来事はそんなことを吹き飛ばすくらいの衝撃を自分にもたらしてくれていた。
生きているという感覚を私に思い起こさせてくれる。
『少佐、脱出ポッドの制御系と同期が完了しました。
くわえて、電力や酸素等の供給経路も確保できました。
これでジェーンも冷凍睡眠が可能となります』
制御AIが報告をする。
この艦に備え付けてある冷凍睡眠装置は、私の分しか存在していない。
必然的にジェーンの乗っていた脱出ポッドに装備されている冷凍睡眠装置を活用する以外の方法が無かった。
「解決、航海、同行可能、カワハラ」
ジェーンが嬉しそうに、話しかけてくる。
しかし、彼女は本当に私に同行することで良いのだろうか。
そもそも艦体に脱出ポッドごと張り付いていた経緯を聞いてない。
経緯を聞こうとすると、彼女は何かとはぐらかしてくるのだ。
「カワハラ?」
ジェーンが私の顔を覗き込んでくる。
私が黙っていたためか、聞こえているか心配したのだろう。
「聞こえているよ、私から確認したいことがあるのだが聞いても良いか?」
彼女は、頷いた。
「ジェーン、君はこの艦に同行する形で良いのか?」
彼女は、きょとんとしながら答える。
「無問題、我。同様、目的地」
「そうか、目的地が同じなら良いが、その時間がとても掛かるんだ」
「大丈夫、一緒、カワハラ」
私がいるから大丈夫ということか?
それよりも目的地が一緒ということは、紛争が――現在も継続中かは不明だが――行われている恒星系ということになる。
彼女の立場や身分が、どのようなものであるかが気になる。
「ジェーン、そろそろ君の身分と今までの経緯を教えてくれないか?」
そのように頼むと、彼女はむくれた表情を見せる。
あからさまに、機嫌が悪くなるのだ。
「カワハラ……、秘密、多数、所有、魅力有、女性」
やれやれと言わんばかりの回答だった。
『少佐、女性は秘密が多いほど魅力があると言っています』
制御AIが、わざわざ翻訳をしてくる。
まだ、十八歳なのにませた事を言う。
作業に関していえば、プロ並みの仕事、いやそれ以上の技術を持っている。
大人の女性の魅力があるかと問われれば、まだ無いというのが私の感想だ。
『そろそろ、準備をしてください』
そうだった、冷凍睡眠の次の周期に入る必要がある。
また、制御AIと会話できるのも二十年後となる。
「分かった、準備する。ジェーンの方は、作業の手伝いは必要ないか?」
脱出ポッドの作業に戻っていた彼女に確認する。
「無問題、大丈夫、カワハラ」
彼女は、作業に集中しているのか、私の方を見ずに言う。
「分かった、そしたら二十年後に再会しよう」
彼女は、私の挨拶に対して左腕を挙げて、答える。
私は頷くと、自分の冷凍睡眠装置のある区画へと向かった。
その間に、制御AIと冷凍睡眠中の段取りについて確認をする。
このやり取りも、四回目となる。
今回はジェーンというイレギュラーな事態が発生したため、それを含めて若干の確認事項が増えていたが、基本的な部分は変わらない。
緊急時にどうするかなどのマニュアル化された手順を確認するのみだ。
そんなことをしている間に冷凍睡眠装置の区画に到着した。
デザイン性のない卵型カプセルの中にベッドがある、シンプルな作りの装置だ。
面倒なのは、冷凍睡眠専用のスーツを着用しなければならいことだ。
スーツのいたるところからチューブとケーブルがカプセルの内側に伸び、装置と接続され、私の生体反応を随時モニターしている。
冷凍睡眠中には、夢は見ない。
完全に深い眠りへと誘われる。
まるで、宇宙の深淵へと向かっているような感覚がある。
私は、目覚めたときと同じようにシャワーを浴び、スーツを着込む。
カプセルの中に入り、仰向けになる。
酸素供給用のマスクを手に取り、鼻と口を覆うように装着する。
あとは、多くのチューブとケーブルをスーツに接続し、睡眠への準備が完了する。
『準備は完了しましたか?』
「ああ、完了した。もう、四回目だ、慣れたよ」
『少佐、慣れも良いですか。それが、重大な事故を招く場合があります、お気を付けください』
「分かっている、最終確認を始めてくれ」
制御AIは、装置の制御系を診断し始めた。
数秒後、すぐに返答があった。
『装置は完全に機能します、異常はありません』
さて、私の方は問題ない。
制御AIにジェーンのことにも気を配るように指示をしておこう。
「ジェーンの冷凍睡眠も抜かりなく支援してやってくれ、頼んだぞ」
『了解しました、少佐。お任せください、それでは次の周期までお別れです』
マスクを通じで、睡眠を促すガスが供給されると同時に、周囲の温度が下がっていく。
私の意識は、遠のいていく。
制御AIの音声も遠のいていく、完全な冷凍睡眠におちるまでカウントダウンが続いていく、やがて聞こえなくなった。
『ジェーンさん、少佐が冷凍睡眠に入られました。そして、貴女をよく支援するよう指示を受けました』
ジェーンは脱出ポッドの作業を続けていたが、作業を止め、顔を上げる。
「カワハラ少佐は、私のことを疑っていた?」
数秒後の沈黙の後、制御AIが答える。
『疑問は多々あったでしょうが、起きた事象が多すぎて、深く考える暇がなかったかた思われます』
「それでも彼は、私の身分のことを何度か確認しようとしていた」
ジェーンは天井を仰ぎ見た。
『少佐は真面目な方です。常に職務に忠実で、遭難者の身元確認も通常業務です』
「任務ではなく、職務というところが尊敬できる。狂信者ではなく、人として最善を尽くす。
まあ、そんな人を気づかずに殴り殺そうとしてしまった自分を恥じるわ……」
ジェーンは、最後のケーブルを手に取り、接続する。
『これで脱出ポッドの冷凍睡眠装置は、この艦と完全同期しました』
ジェーンは、赤い宇宙服を着込みながら、制御AIに問いかける。
「眠っている間に貴方が、私を殺さない保証はあるの?」
『少佐から支援するように指示を受けました。貴女を殺害する理由はありません』
ふうっと、溜息を吐く、ジェーン。
「貴方には嘘を付く機能が付いている。そもそも、私が脱出ポッドに乗る羽目になったのは、この艦の装備するレールガンが私の船を攻撃したからなのに!」
両手を拳にし、怒りを露わにするジェーンは話を続ける。
「敵味方識別信号も国連宇宙軍時代のものを発信していたし、無線も全周波数帯で呼びかけていたのに、貴方は攻撃してきた、何故なの?」
『支障となるものは実力でもって排除するよう命令されていました、だから排除しました』
ジェーンは呆れた顔をした。
「当時の旧国連宇宙軍の上層部には、頭のいかれた将校たちしかいなかったのかしら?」
『同感です。ただ、一部の士官の中にはこの作戦について懐疑的な意見を持っている方たちもいました』
「当然、補給物資の内容も知っているわよね?」
再び、数秒の沈黙があった。
『現地で戦闘を継続している多国籍軍への武器、弾薬や食料等になります』
「それも嘘、補給物資なんか積載してない。当時、機密だった作戦指示書によると反物質爆弾を積載していることとなっている」
制御AIは、答えない代わりに作業時に使用していたタブレットに文書ファイルを展開した。
ジェーンは、タブレットを手に取り、目を通していく。
「なにこれ? 同じ通信暗号を使用しているけど、司令部名がバラバラだし、命令内容も相反するものばかりじゃない!」
『その通りです。少佐の三周期目後半の冷凍睡眠中に頻繁にそのような命令が受信されるようになりました。私はこれを敵勢力の欺瞞工作と判断しました』
「それで、私の船も攻撃したというわけなの?」
『はい、そうです。この艦を拿捕しようとする敵勢力の偽装工作船と考えていました。しかし、それは違いました……』
「例の恒星系での紛争は終結している、既に二十年前にね」
ジェーンはタブレットからケーブルを伸ばし、自分の宇宙服に接続し、データを制御AIと同期させる。
そして、話を始める。
植民恒星系側の超空間ゲートが一方的に閉じられ、半世紀が経とうとしていた頃に太陽系内に突如として多数の航宙艦からなる艦隊が出現することになる。
その艦隊は、あっという間に火星宙域までを占領下に置いた。
当時の国連宇宙軍も反撃に出たが、地球側を超える技術に押され、劣勢を強いられることになった。
そんな中で敵からの通告があり、自分たちが半世紀前に独立を掲げ、太陽系側と紛争していた植民恒星系勢力の後継国家であることが語られる。
この時の地球は、まだ前世紀から続く、国家間意識が抜けきれておらず、国連における調整が機能しなかった。
もともと、植民恒星系における紛争も地球側の大国たちが譲歩しなかったことが要因であったため、紛争発生時に蚊帳の外に置かれていた諸国家は独自に植民恒星系国家との講和条約及び通商条約を締結するに至る。
これがもとで機能していなかった国連が急速に瓦解していくことになる。
国連宇宙軍も大国派と、講和派で分裂し、今度は地球側が紛争に陥ってしまう。
これが、同じ通信暗号で補給艦URSS三〇五に対して、相反するような命令の連発に繋がったのであった。
その後、地球の紛争が各国家の疲弊により、自然消滅したことで半世紀に及ぶ太陽系と植民恒星系との紛争が正式に終結することとなる。
この時、国連宇宙軍も講和派が大勢を占めていたことで、火星を含む太陽系内の植民エリアが無傷であったことが幸いし、人類初の統一政体として【太陽系及び入植恒星系連合】が誕生する。
話を終えたジェーンが言う。
「私は【太陽系及び入植恒星系連合】が有する平和維持軍の士官です。そして、私の任務は旧国連宇宙軍の大国派の秘密作戦である、反物質爆弾による入植恒星系の消滅作戦の阻止です」
制御AIは沈黙している。
「制御AI、貴方はいったい誰の思惑で動いているの? やっぱり、私を始末する?」
『私には正式な暗号通信であっても欺瞞と思われる場合は無視せよとの指示が下っています。
ただし、私が判断不能の事態に陥った場合は、乗艦士官の指示及び命令が優先されます』
制御AIの言葉に対し、ジェーンが確認する。
「でも、嘘を付く機能も持っているのでしょう?」
制御AIは、即答する。
『そのような機能は付与されていません。度重なるイレギュラーな事態に処理が追い付かなかっただけです』
ジェーンは、少し意地悪な質問をしてみることにした。
「その言葉自体が嘘だった場合はどうするの?」
『信じてもらうしかありません。貴女の船を撃沈してしまったことは謝罪します。しかし、貴女を殺害しようとするならいつでもできたと考えられませんか?』
ジェーンは吹き出す。
「AIが信じてほしいだなんて、驚きだわ。でも、始末するつもりなら、わざわざカワハラ少佐に作業させて、救助したりしないのも事実よね」
ジェーンは、うんうんと頷くと制御AIに言う。
「カワハラ少佐の指示のとおり、私の冷凍睡眠を支援してください。そして、次の目覚めの時に少佐に全てを話し、判断を仰いでほしい」
『分かりました、カワハラ少佐に判断を委ねます』
話を終えたジェーンも脱出ポッドに乗り込み、制御AIの支援のもと冷凍睡眠に入った。
次の目覚めは二十年後となる。
二人が眠った後、制御AIも必要な機能を残し、休眠状態へと移行した。
補給艦URSS三〇五の航海は、いまだ終わらず、目的の恒星系へ向けて、深淵な宇宙の旅を続ける。
補給艦URSS三〇五 イチキ ナヌ @ichiki-nanu
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