プロローグ

 ふんぞり返り、へいげいする王太子。

 そのとなりに口元をおうぎかくし、目だけをのぞかせているこんやくしや

 この学院での最高権力者と言える二人に向かい合うのは、友人のこうしやくれいじようノアンナ様だ。

 私、ジゼル・アーリヤードはしがないはくしやく家のむすめで、そんなところに口をはさめるような立場ではないけれど、ノアンナ様のふるえるかたを見たらとてもだまってはいられなかった。

「なんだと……?」

 すごむ二大権力の背後にはプリプリなツインテールが隠れていて、そんなノアンナ様の様子をうかがいにやにやしている。

 ノアンナ様の妹、マリア様だ。

 以前からゆうしゆうなノアンナ様をやっかみ、あれこれからんでくると聞いてはいたが、ついに王太子までかつぎ出したらしい。ずいぶんこわいもの知らずだ。

「何がおかしいと言うのだ。マリアは姉に教科書を破られ、ノートに落書きをされたと言っているのだぞ。謝るのが筋であろうが」

 マリア様が言っているだけであろうが。

 平和な昼休みの食堂の光景をぶちこわして展開される模様に生徒たちはまどっていたが、興味の色は隠せていない。

 人々にはまいげんではなく、王太子の婚約者であるルチア様と、彼女と並んでしゆくじよの見本とうたわれるノアンナ様の対立に見えているのだろうから、当然だ。

「それが事実かはどのようにかくにんされたのですか?」

「授業が終わり、だれもいなくなった教室からそこの姉が出て行くのをマリアが見たそうだ」

 殿でんが確かめるようにり向くと、マリア様はいつしゆんで目をうるませてあわれっぽい顔を作り、こくんとうなずく。

 一方の言い分だけで事実と決めているのが王太子だなんて。

 殿下は王宮内のごたごたで長らくりんごくで暮らしていたからどんな人なのかよく知らなかったが、こんな人がぎとは、この国には絶望しかないようだ。

「それがおかしいと申し上げているのです。昨日は私たちの学年は先生方の会議のため授業が短縮され、マリア様よりも先に学校を出ておりますから」

 マリア様ははっとしたように冷やあせをかき、そわそわと視線を泳がせているのに、王太子はこんな時ばかりは振り向かず意地になったように言い返す。

「姉だけこっそりと残っておったかもしれんだろうが」

「いいえ。私とノアンナ様、それから二人の友人と町に出かけましたのでそれはありえません」

「そんなものは、口では何とでも言える」

「え……?」

 最初にしようもなくいちゃもんをつけてきたのは殿下なのだが。自分が正しいことを疑ってもいないから底の浅い反論ばかりがり返されるのだろう。

 マリア様のことは名前で呼び、ノアンナ様のことは『そこの姉』呼ばわりするなど、一方にだけ肩入れしているのがあからさますぎるし、王太子としてかしこいとはとても言えない。

「それはりよおよばず申し訳ありません。確かに、マリア様も自分で破り、自分で落書きしたものをノアンナ様にやられたと泣きすことだって簡単にできてしまいますね。ということは、マリア様の自作自演ですか? さすがは殿下、ごけいがんです」

「そ、そんな……! 私、そんなひどいことしません! 殿下、だまされないでください!」

 マリア様の目が大海で泳いでいます! 殿下、騙されないでください! と、そっくりそのまま返してやりたくなったが、かろうじて黙る。

「ぬう……。では、マリアがやったという証拠を出してみろ! そこの姉がやっていないという証拠でもいい。私に示して見せろ」

 殿下はノアンナ様がやったという証拠をお持ちだからこのようなお話を衆目を集める中で始められたわけではなかったのですか? 手ぶらで来た挙句流されるだけですか?

 そう問いめてやりたいのをこらえているうちに、少しはなれたところからおずおずとした声が上がった。

「あ……。あのぅ……、証拠ではありませんが、私も授業が終わった後すぐに、ジゼル様とノアンナ様が馬車に乗って学院を出るところを見ました」

「私もです……」

 離れた場所でも、何人かが同意するように頷いている。

 ありがたい。うすっぺらい人脈ではなく、しんらい関係とはごろから築いておくものである。私が論破するよりも、他者による証言のほうがよほど効果があるだろう。

 しかし殿下は苦々しげにそれらを見回すと、ふんと鼻を鳴らした。

「口裏をあわせているのだな? みなで姉といつしよになってマリアをいじめていたのだろう」

「ノアンナ様も私たちも、そのようなことをしても不利益しかありませんわ」

 あきれを隠せないまま言えば、いくつもの頷きが続く。

 ノアンナ様は成績優秀で、容姿にすぐれ、人格もそろったかんぺきな淑女である。

 わざわざマリア様をおとしめる意味もなく、にもかけていないし、それは他人である私たちにとっても同じ。

 しいたげるしゆがあったとして、そういう人は快感を求めているのだろうから、マリア様は選ぶまい。少しでも何かあればキィキィとさわぎ立て、こんな風に周りを巻き込みめんどうでしかない。

 何人もの証言を得たノアンナ様をマリア様はうらめしげににらみ、ギリギリとつめんだ。

 ルチア様に取り入ることで、婚約者である王太子にきゆうだんさせ、気に食わない姉の地位を下げたかったのだろう。実にくだらないことに時間と労力を使うものだ。

 しかしそこへ殿下が不意にくるりと振り向いた。

 持ち球がなくなって、マリア様自身にしやべらせようとしたのだろう。

 だが振り向いたそこにあったのは、かわいさと憐れさの欠片かけらもないにくにくしげな顔。

 王太子が勢いよくばっと開いた口は、声を失ったかのように閉じられた。

 固まった殿下に気づき、マリア様はあわててうるうると憐れっぽい顔にもどしたが、目に焼き付いた形相は消せるわけもない。王太子殿下はゆっくりと顔を前に戻した。

 しかしさすが王太子、立ち直りが早い。すぐにゆうみをかべると、私をななめに見下ろした。

「なるほどな。おまえはすべてを知っていたわけか。もっと早く言えばいいものを……。まあいい。その忠義心は認めてやろう。そこの女、名を何と言う?」

 忠義心? 王太子という地位を持った人に対する不信感しかない。

 一人でおおぎような演技を始めた王太子にげんなりする。

「すべてを知っていたわけではありませんし、名乗るほどの者でもございません。ではご理解いただけたようですので、ぜん失礼させていただきます」

 どうせマリア様に聞けば私のことなどすぐ知れるのだが、さっさとおをすると、ノアンナ様のうでを支え、立ち去ろうと足をみ出す。

おもしろい女だ」

 ふっと笑ってみせた王太子に、思わず『うへえ』と顔がゆがむ。

「おい、どういう顔だそれは」

きんちようのあまり顔が自律せいぎよを失ったようです」

 面白いと言って私を認めるふりをし、余裕がある王者のうつわでも示したつもりだろうが、そんなしばで尊敬が取り戻せるほど国民はおろかではない。

 証拠に、殿下の周囲には残念なものを見るような目がより一層増えている。

「ますます面白い女だな。おまえ、側室になれ」

「断る!」

「なんだと!?」

 しまった。こういうのを売り言葉に買い言葉というのだろうか。

 このラングルス王国で側室を持つことが許されているのは国王だけであり、そくもまだの王太子が側室になれなどとありえないことを言うから、あまりのおどろきに本音しか出なかった。

「申し訳ありません、ちがえました。『我が家はしがない伯爵家、めいも財産もないどころかさいかかえており、殿下に利益をもたらすことは金輪際見込めません。よって、我がラングルス王国のためにていちようにお断りいたします』」

なおなのは顔だけではなかったようだな。用意されていたような文句を一本調子に並べおって。どこにそなたの感情があるかは明白ではないか」

 そりゃあ「断る!」以上の本音なんてありはしない。

「申し訳ありません。あまりのことに動転しておりまして」

「仕方あるまい。まあ、かくしておけよ」

いやでございます。私のことはお忘れください」

 げるが勝ちだ。次の授業がありますので失礼しますと断りを告げ、ノアンナ様の手をつかむと、さっさとその場から立ち去った。


   ● ● ●


 すたすたと足早に歩きながら、「ノアンナ様、だいじようですか?」と声をかける。

「いえ……大丈夫ではありません」

「ごめんなさい……。余計な口出しをしておきながら、うまく切りけられず」

き出しそうで、堪えるのが限界でした。たぶんジゼル様があと二言でもお話しなさっていたら、私の固く閉じた口はけつかいしていたかと思います」

 かたをふるふるとふるわせたノアンナ様は、口を押さえながらもたまらずというように笑い出す。

「助けてくださってありがとうございました。今日のことは私、一週間くらいは笑っていられると思います」

 さきほど肩が震えていたのは、やはり笑いを堪えていたからであったか。

 ノアンナ様はれいじようらしい分別と共に、はがねに近い心臓を持っている。でなければこんな私と楽しげに友人なんてやっていないだろう。

殿でんも、明日あしたになれば忘れていらっしゃることでしょう」

 どうせ一度もノアンナ様の名前が出てこなかったような人だ。しかし、そう思ったのはさすがに甘かったらしい。

 くさっても王太子。プライドだけは人並み以上にあるのだろう。

 翌日私は城に呼ばれた。

 相手はこの国の王であり、つまりはあの王太子の父親だ。また面倒くさいことになりそうだが、売られたけんを勝手に買ったのは自分。受けて立とう。


    ● ● ●


 城へは団に勤める兄が送ってくれた。それも一緒の馬車に乗るのではなく、馬で並走して、だ。

 事情を話してあったから父もいたく心配していたが、いくら王子とおや鹿だとしても、あれくらいでまさか貴族のむすめの命を取るようなことはすまい。

 そう思ったのだが、敵や危険とは日常の中にひそんでいるのであり、結果として兄がいて助かったことになる。

 ちゆうぞくおそわれかけたのだ。兄の胸にせいえいぞろいの第一騎士団のしようがつけられているのが見えたのか、すぐにてつ退たいしたから何もなく済んだのだが、さすがにきもが冷えた。

 我がアーリヤードはくしやく家の領地は土地にめぐまれず、そのせいで様々なあらごとに巻き込まれることがあったからある程度たいせいはあったけれど。

 領地はその立地からあらしや自然災害にわれることも多く、万年不作。当然税収は低く、むしろ不作が続いて私財をなげうって食料を配らねばならない年が大半というくらいだ。

 父が事業をおこしてみても、失敗続きで負債を増やすばかり。

 兄二人と共に地道な金策に走り回りなんとかしのいだが、貴族らしくなく家族そろってあくせくと働き通しで、ゆうな暮らしにはほど遠かった。

 政略けつこんでもできればいいのだが、私にはろくにしゆくじよ教育を受ける余裕もなく、母も早くにくなり、周囲のよう真似まねで淑女らしくる舞うのがせいぜいで、その道は絶望的だ。

 顔も地味で取り立ててとくちようすぐれたところもない。

 くろかみに黒いひとみ。背ばかり高く、せぎすな体はおまつで、金もない、私にも家にもりよくがないではまともなえんだんがあるはずもない。

 使用人もしつと料理人を一人ずつやとえるだけで、じよはいないし、兄二人に父という男所帯で長年暮らしてきたから、もはや今が一番気楽でいいとさえ思っている。

 しかし今後貴族としてやっていくにはそれではいけない。そう父が奮起し、二年前から王立学院に通わせてもらっている。

 王族が将来自分の側に置く者をその目で見つけ、関係性をはぐくむという目的も持つ学院の中で、私は一人、なんとか我が伯爵家を立て直す手立てを学ぼうと必死だった。

 それも三か月で卒業だ。そうしたら領地へ行って、伯爵家のため、領地のために何ができるか、改めて視察して回り、さくするつもりだ。

 そんな私が城に呼ばれたわけだが、王太子に対する不敬としてばつせられたとしても、もはやへんかんできるものなど負債を抱えた領地だけ。それならついでに私の言動のどれが、この国の法律の第何条に反しているのか法律書と首っ引きで教えていただこうではないか。

 そう構えていた私に国王は告げた。


「ジゼル・アーリヤード。そなたはシークラント公爵にとつぎ、らいえいごう支えて生きよ」


 その言葉には絶句するしかなかった。

 法から言えばそんなものは罰ではないが、私の人生を取り上げたに等しいのだから結果としては十分すぎる罰だ。

 というのも、シークラント公爵とは結婚てきれいでありながら、この国の令嬢たちがだれも結婚したがらない相手だからである。

 もちろん、公爵だけあって金銭も地位も持っている。その上見た目も非常によく、さながら物語にえがかれる天使のように甘く美しい顔立ちかんばせなのだそうだ。

 しかし、ろうにやくなんによ限らずひとぎらいで、めつに社交界にも出てこないし、出てきたと思ったらするどい眼光で周囲をにらみ回し、人を寄せ付けない。

 幼いころに母を亡くしてから人間不信におちいり、父も亡くなるとなおかたくなになったらしいが、実物とは話したこともないし見たこともないから実際のところはわからない。

 ただ、うっかり三歩以内のきよみ込もうものなら、それはそれはおそろしいほど低い声で「近寄るな」と冷たく睨むというような話はよく耳にした。

 それだけではない。いくら人嫌いでも兄弟もいないからあとぎをもうけなければならず、よめつのってはいるのだが、「嫁いだからといってその家に金銭的にもそのほかえんなどしない」「私の命令には絶対的に従ってもらう」「私の自由は私の物であり、誰にもそれらをおかすことはできない」「妻は夫に何も要求してはならない」などなどりんも道徳もづかいもほうかいした宣言をしていることは有名だ。

 そんなごうまんれいこくで人嫌いな公爵は、甘い見た目とは正反対なことから、塩公爵と呼ばれていた。

 数多あまたの魅力的な要素を持ちながら、公爵と共にする人生はさぞしょっぱいことだろうと誰もが容易に想像できる。

 だから娘を嫁がせたいと近づく家があっても、婚約に至ることはなかった。

 幸せにはなれないとわかっていて大事な娘をそんな公爵に嫁がせるなんて、と大きな批判が小さな声でささやかれ、社交界全体の評判を落とすだけで得るもののほうが少ないと判断したのだろう。

 だが国王のおいであり、第二位王位けいしよう権を持つ公爵は安易に養子もとれない。

 それゆえに誰がにえになるのかと、嫁ぎ先の決まっていない令嬢たちはおびえて過ごしていたのだが。

 王太子が阿呆ならその親も親馬鹿だが、さすが国王なだけはある。

 そこに私を持ってくるとは、十分すぎる嫌がらせな上に、公爵の嫁問題も解決と、一石二鳥だ。

 なんとかかいできないものかと頭をめぐらしたけれど、はんこうする間もなかった。

 国王は一方的に告げると用が済んだとばかりに席を立ち、私は周囲を兵士にていちように囲まれて城を出され、そのまま馬車へと乗せられた。

 家のボロ馬車ではない。きらびやかな馬車は街の中を迷いもせずに進み、日が落ちたと思った頃に公爵家に辿たどり着くと丁重にほうり出された。

 うそだろ、である。

 手続きとか。準備とか。家族へのれんらくとか。

 私に人権などないとでもいうようなあつかいである。

 そもそも公爵とてこんなびんぼう令嬢が運ばれてくるとは思ってもいないだろうに。

 この国は王太子を中心に回っているのか。腹いせでこれほど人をり回すとは。

 この国の歴史はそう続くまい。

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