月の裏側のダンスフロア

ツル・ヒゲ雄

1 春の短い夜

 鋭い金切り音のようなものが鳴り響いた。人々は地下のエントランスホールで、あたりを右往左往とうかがっている。その手には紙コップ。地下だからかどこか薄暗く、気だるい。銀皿にこんもりと盛られた、土気色をしたオードブルの匂いがもったりと重たい。人々の顔は観察、当惑、高揚、抵抗、天真爛漫、虎視眈々、それから――

 俺はその音に聴き覚えがあった。古い時代のハードロック。薄く吐息を漏らして呟いた。

「ブラック・ドッグだ」

「ん?」隣りにいたタマダが小首をかしげた。

「熱くなって、うずうずしていると思わないか?」俺は訊いた。

 タマダは一瞬困惑の色を見せたが、すぐに持ち直した。

「ワイニーしたいな」タマダは肩幅の二倍くらいに足のスタンスを広げ、妖しく腰を振りながら俺ににじり寄った。それはつまりワイニーに他ならない。

「女にやれよ」

「ろくなのがいない」

「それはそうだ」

 すでに答えは出ていたが、俺たちは一縷いちるの望みに賭けてあたりを旋回した。男も女も見境なく、すれ違う人を頭から爪先まで舐めるように物色した。

 砂漠で砂金を探すようなものだった。諦めて、タマダと地下のエントランスホールを出て地上に上がった。足元に敷き詰められている赤茶けた煉瓦のようなタイルが、時間が経ってかすれた血のように見えた。乾いていた。


 キャンパスの門を出て、大通りの向こう側にあるファミリーレストランに入った。俺はセブンスターを取り出して火をつけた。

「悪いな、わざわざ来てくれたのに」俺はタマダの顔を避け、右斜め上に紫煙を吐き出した。

「ある意味楽しかったよ。ヒトの大学の新歓コンパ」タマダはソファ席の背もたれに左腕をぐるりと回した。

「俺はこれからのことを思うと暗い気持ちになったぜ。どう思う? 俺の大学」

「退屈そうだな」タマダはガラムを取り出して火をつけた。クローブが爆ぜる小気味よい音が鳴った。「いけてる奴がいないね、いけてる奴が。みんな、ださい」

 タマダは俺の顔を避けるように壁に向かって紫煙を吐き出した。ガラム特有の甘い匂いが鼻孔をくすぐった。

「ワイニーしたくなる女は?」

「いなかったね。ただの一人も」

「同意見だ」

 運ばれてきたオムライスをつつき、フライドポテトをつまんだ。ビールで胃に流し込み、あらためて紫煙を吐き出した。そこまでやって、ようやく一息つけた気がした。

「また来てくれよ。退屈で死にそうになったときは」

「俺でよけりゃ必要としてくれ」タマダは頭上に紫煙を吐き出して言った。

「頼むぜ」俺はタバコを灰皿に押し付けた。「ロックスターみたいだな、お前」


 タマダもタバコの火をもみ消し、ファミリーレストランを出て帰路につくことにした。駅までの道中に、二次会に行くのであろう学生が何グループか目に留まった。

 細胞結合という言葉が出し抜けに浮かんだ。彼ら彼女らは各々が多細胞生物の細胞の一部として、なにかしらの器官や組織を形成しているように見えた。おそらく、結合と分裂は繰り返される。その結果、どこへ辿り着くのか想像もできなかったし、少なくとも俺が結びつくべき対象はそこにはいないような気がした。俺を求めている細胞は見当たらなかった。細胞の子細なメカニズムはわからなくても、細胞レベルでわかる。

 春の短い夜だった。時折吹き抜ける風はまだ肌寒い。タマダと一緒に駅まで歩き、異なるプラットフォームに別れた。

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