【金曜日更新】禁断のティアラ ~ 千切れた絆の行方

酔夫人

第1話 寂寞の庭

「……殿下」


 雨が降るどんよりとした雲の下、「殿下」と呼ばれた少年は振り返ると、その濃いブラウンの目に映る数人の使用人に笑みを向けた。

 十五歳という年齢に見合わない大人びた静かな笑みに、初老に差し掛かっていた侍女が両手で顔を覆い、両隣の若い侍女が励ましの声を掛けながら彼女を支えた。


「俺は大丈夫だから、みんな新しい仕事場に向かってくれ」

「……しかし」

「本当に大丈夫だから。ここで正妃の不評を買って君たちがクビにでもなったら、俺は母様に合わせる顔がない」


 少年の言葉に使用人たちは頭を下げ、ちらちらと後ろを振り返りつつも全員が霞がかった向こうに見える内宮に向かうのを見送り、最後の一人の背中が見えなくなると少年はホッと息を吐いた。

 もう春だというのに、冬の寒さが戻ったらしいこの日は少年の吐く息を白く染めた。


(生きる、か)


 アレクサンダーの母エレナは父であり王でもあるリチャードの学生時代からの恋人だったが、男爵令嬢だったエレナが正妃になることはできなかった。

 愛に未練があったのか、恋しい男を傍で支えるためかはアレクサンダーにも分からなかったが、エレナは後ろ指をさされながらも王の愛妾となることを決め、そして正妃よりも先に子を産んだ。


 アレクサンダーが産まれてから三年後に正妃も男の子を出産したがこのハートフォード王国は長子相続が基本。王の愛も、次期国王の座も奪う愛人とその子どもに対する正妃の憎悪は年々増加し、嫉妬の対象であるエレナが亡くなったこれからは全てアレクサンダーに向くことが想像できた。


「さて、今日からは一人暮らしだ」


 洗濯や掃除の方法は学んだし、最低限の清潔が保てれば多少手を抜いても誰に咎められるわけではない。

 料理だって最低限のことは教わった。


「今夜は何を作るか」


 食べる気があるうちは生きようとしているということ。

 保存魔法がかけられた貯蔵庫の中身を思い出しながらアレクサンダーが屋敷の中に入ろうとしたとき、アレクサンダーの耳にガサリと庭の低木が揺れる音がした。


(誰だ……王妃の手の者か?)


 庭に隠してある武器の位置を思い出しながらアレクサンダーが振り返ると、


「子ども?」


 アレクサンダー自身もまだ子どもだが、そこにいたのは幼くて小さな女の子だった。

 身につけている服から貴族令嬢、それも高位の家門の娘だと分かったが見覚えのない子どもだった。


(王家主催の茶会で見た覚えもないのだから、他国のご令嬢か?)


 アレクサンダーが意図したわけではないが、使用人がいない離宮で男と二人きりでいるなど幼くても令嬢にとっては醜聞スキャンダルでしかない。この少女が他国の令嬢ならば外交問題になる恐れさえある。


(しかし、雨が降る中に女の子を立たせたままでは母上に叱られそうだ)


 それならばこちらの事情を話し、令嬢に判断してもらおうとアレクサンダーは考えた。

 これが一時間前ならば宮殿に戻る使用人たちに彼女を預けられたのだが、生憎とこの宮殿にはアレクサンダーしかもういないのだ。


「初めまして、ご令嬢。俺はアレクサンダー・ジェイムズ・ハートフォード、このセレンディア宮の主で、ただ一人の住人だ」

「セレンディア宮……あっ!す、すみま……いえ、申しわけありません。エリザベート・マリア・ローズウッドです、殿下」


 少女はハッとした表情を見せると姿勢を正し、幼いながらも高い教養を感じさせる美しい礼をしてみせた。


「ローズウッド公爵家のご令嬢か、なるほど」


 この『なるほど』には二重の意味があった。

 ひとつは彼女はまだデビュタント前で社交界に顔を出していないから知らないのだということ。もうひとつは第一王子であるが妾腹であるアレクサンダーに対して礼節を守る数少ない貴族がローズウッド公爵家だということ。


「生憎とここには使用人が一人もいないから、俺が宮殿に行ってこよう。公爵も君を探しているだろうしな」

「いえ、私が自分で……くしゃんっ」


 とっさに口許を手で覆ったものの、人前でくしゃみをしたことが恥ずかしいのかエリザベートの顔が赤くなる。

 その途端に先ほどまでの妖精めいた神秘さは失せて、普通の少女と何ら変わらない表情を見せるエリザベートにアレクサンダーの口元が緩んだ。


「とりあえず中にどうぞ」


 そう言ってアレクサンダーはエリザベートを先導するように先を歩く。


 最後の仕事とばかりに使用人たちが張りきったのだろう。

 母が元気だったときは一緒に過ごしていたリビングに行くと、暖炉では煌々と薪が燃えて部屋は暖かく、ふわふわに乾いたタオルも準備されていた。


「生憎とここにはご令嬢に合うドレスはないからな。濡れ鼠のままですまないが、ここで待っていてくれ」


 そう言ってアレクサンダーエリザベートの肩に大きなタオルをかけると、急いで自分の部屋に向かった。そして風魔法で濡れた髪を手早く乾かすと、宮殿内を歩き回れる程度の格好に着替えてリビングに向かった。


 そしてリビングの暖炉の前に置かれたソファの前で、座ろうかどうか悩むエリザベートの姿に再び口元を緩める。


「雨水で濡れるくらい大したことではないから座っていてくれ」

「……はい、あの……申しわけありません」

「いや、今日くらいは善行をしないと……埋葬したばかりだというのに、不甲斐ない息子だと母が怒って出てきてしまいそうだ」

「……お母様」


 アレクサンダーの視線を追って、壁に飾られたエレナの肖像画に気づいたエリザベートはめいっぱい頭を下げて弔意を示した。

 その戸惑いのない仕草に、少女も母親を亡くしていたことを思い出した。


「ありがとう、母も喜んでいると思う。それでは、俺は……」


 宮殿に行ってくると言おうとした言葉尻が、外から感じた不穏な気配に途切れる。

 とっさに窓に駆け寄って外を見ると、霧雨で白くかすんだ庭に数人の人影が見えた。


(今度こそ王妃の手の者か……こんなときに……)


 王族のふるまいではないからと咄嗟に舌打ちを我慢し、どうしようかと悩むアレクサンダーの隣に小さな温もりがやってきてアレクサンダーをジッと見た。


「……すまない、公爵を呼びに行くのが遅くなりそうだ」


 そう言って剣の柄に手をかけたアレクサンダーにエリザベートは目を見開き、こんな少女を怖がらせたことを申しわけなく思った。


「悪い人がきたのですか?」

「そうだな」

「それじゃあいつものように捕まえます。殿下、抱っこしてください」

「え?」

「抱っこです。見ないと悪い人がどこにいるか分からないので、抱っこしてください」


 ふわふわの栗毛の髪で縁取られた可愛らしい顔を傾げ、ホワホワとした口調で抱っこを強請るが、『捕まえる』とは実に勇ましい。


「……それじゃあ」


 子どもを抱っこするなど初めてだったが、時折庭にくる猫と同じにすればいいと思いながら腕の上に座らせるような形で抱き上げる。

 少女は体重を感じないほど軽く、もし天使がいたらこんな感じかとアレクサンダーは思った。


「ちょっとまぶしくなりますよ」


 エリザベートはにこっと可愛らしく微笑んで、『ディバイン・エンシェント』と唱えた瞬間、ガラスの向こうでは光の粒が霧の中の人影に襲いかかっていた。

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