約束

紅野素良

約束

  ︎︎ ︎︎ ︎︎ ︎︎ 「絶対会いに来てね」




 それが、彼女の最後の言葉だった。

 中学卒業間近の時期に引越しが決まった、幼なじみの結乃ゆいの

 彼女とは幼稚園の頃からの付き合いだった。

 それに、僕のの相手だ。



  ︎︎「絶対会いに行く、それまで元気でな」


 彼女は溢れんばかりの涙を浮かべながら、花のように笑った。



 それから僕は、儀式的に卒業式をこなし、中学を卒業。地方の高校に入学した。

 結乃は、引越し先にある有名進学校に、無事入学出来たらしい。



 彼女はこの時代には珍しく、スマホを持たない子だった。いや、持てないと言った方がいいだろう。


 彼女は幼い頃に父親を亡くし、母親と二人きりで過ごしてきた。その母親がいわゆる教育ママで、スマホなど、勉強の邪魔になるものは結乃には授けなかった。

 だから、彼女の中の交友関係は僕だけだった。


 その僕も母親からはよく見えてなかったらしいが。




 高校入学してからは、空虚な日々が流れていった。

 彼女の居ない生活は生まれて初めてだった。


  ︎︎ ︎︎ ︎︎(きっと彼女も同じ想いだ)


 そう信じて疑わなかった。


 別れてからも時々、手紙を送りあっている。

 手紙といっても

「こっちはすごい都会だよ!」だとか「勉強難しくて大変!」など、当たり障りのないやりとりだ。



 しかし、1ヶ月も経ってしまうと、彼女の居ない生活に順応している自分がいた。


 友だちも人並みには出来たし、文芸部に入って、元々好きだった本を読み漁る毎日を送っている。また、高校生にもなると、勉強の難易度も跳ね上がる。次第に、家で机に向かい勉強する時間も増えていった。


 そうした日々を送っていると、日に日に彼女に送る手紙の回数も減っていった。


 1ヶ月に3回、2回と減っていき、先月は手紙を送ってすらいない。


(自分でも薄情だとは思う。でも仕方のないことだ。きっと彼女も友だちと楽しくやっているさ)


 そう思う事で、自分を正当化していった。



 学生の唯一の楽しみでもある、夏休みに突入した。

 僕も楽しみにしているひとりだ。

 この夏は友だちと海やBBQ、夏祭りなど高校生らしいことをやる予定が詰まっている。






 それは、本当にたまたまだった。


 日課である、朝の散歩を終えると、ポストが溢れているのを見つけた。

 僕の家族は基本的に郵便物にはノータッチだ。それで困ることもなかった。

 3、4枚のチラシやパンフレットに紛れ、1枚の手紙が入っていた。

 差し出し日は2ヶ月前。結乃からの手紙だった。


(懐かしいな)

 部屋に入り、手紙を開ける。

 中には1枚、一言だけ、





 ────涼太りょうたくん。私に会いに来て。───





 その瞬間、僕は嫌な予感がした。

(早く行かなきゃ)

 それしか考えられなかった。


 僕は急いで着替え、慌ただしく階段を駆け下り、急いで駅に向かった。

 手紙に記入してある差し出し先を調べてみると、ここから電車で2時間ほどしたところだった。

 電車に揺られる間も、僕の心は休まらなかった。


 彼女のいる町に着いた。

 調べてみると、ここから歩いて10分程らしい。

 廃ビルや小学校、住宅街を尻目に、僕は急いだ。

 5分近くで到着した。


(彼女の部屋は……203号室か)


 ───ピンポーン。

 反応がない。

 コンコン。

 誰もいないのか?


 ──ガチャ。

 開いたのは隣の部屋だった。

「そこの部屋に何か用かい?」

 部屋から、60代後半ぐらいであろうおばさんがよそよそと出て、尋ねてきた。

「えっと………」

「………もしかして女の子に用があったのかい?」

「そうですが、」

「そうかい、君が……、ちょっと待ってなさい」


 そう言うと部屋に戻りなにやら一通の手紙を持ってきた。


「いつだったかな、その部屋の彼女がいきなり訪ねてきて、『おばさんにお願いがあります。いつか必ずこの部屋に男の子が来ます。もし来た時に、この手紙をその子に渡して頂けませんか。名前は中嶋なかじま涼太って言います』って私に預けてきたんだよ、君が中嶋涼太くんだよね?」

「そうです」

「じゃあ、私は渡したからね」

「ま、待ってください、結乃は、彼女はいつもいつ頃帰って来ますかね」

「……………彼女は帰ってこないよ」

「それはどうい

「彼女は死んだからね」


 ───バダンッ───







 え?












  ︎︎ ︎︎───「彼女は死んだからね」───










 死んだ。

 しんだ。

 シンダ。

 死んだ。


 その言葉の意味を僕はまだ理解出来ずにいた。

 彼女はもう存在しない。

 頭で分かっていても、受け入れられないでいる。


 ここに居座るのも迷惑だ。と、一端の常識が働き、とりあえず近くにある公園のベンチに移動した。


 場所を変えてもまだ受け入れられない。

 人が死ぬという、どこか有り触れたこと。それでも、いざ自分の身に降り注いでみると、その意味を実感することができない。

 なぜか、不思議と涙は出なかった。


 そこで僕は彼女の残した手紙があることを思い出した。


 綺麗に閉じられている便箋。

 いつも送られてきていた便箋。

 中には1枚の手紙が入っていた。



『  ︎︎ ︎︎ ︎︎ ︎︎ ︎︎ 涼太くんへ


 君なら来てくれるって信じてたよ。でも、ちょっと遅いよ。この手紙を読んでいる頃には、私は君に会うことはできないでしょう。

 なんてね。定番なやつやってみたかったんだ、ごめんね笑

 君は私がいなくて悲しんでくれるかな。今頃泣いてるかな。どれも違うだろうね。たぶん、まだ受け入れられないんじゃないかな。幼なじみの私には分かります。


 でも、受け入れてください。これが真実です。私はもう、二度と君に会うことはできません。


 私が居なくなって君がどう思うか分からないけど、私は君が居ない生活が苦痛でした。こんな家庭環境だから友だちは出来ないし、勉強も難しくてついていけない。傍から見たらしょうもないことで、と言うでしょう。けど、私にはそれが全てでした。


 その中でも、君との文通は唯一の安らぎでした。

 こんなどうしようもない私と繋がってくれる人がいる。そう思うとなんだか変な気持ちになりました。


 勘違いしないでね。私は君のことなんて好きじゃないよ。

 この気持ちに名前なんてないの。

 もし、この気持ちに名前でも付けようなら、きっと私は、君の重荷になっちゃう。君は優しいから、ずっと私のことを忘れられないでいることになる。居なくなってまで、君に迷惑はかけられない。



 だから、幼なじみとして1つだけ、私と約束してください。



 もう私のことは忘れてください。




 これが私との最後の約束です。


 今度は約束、破らないでね。



 私の分も笑って、長生きすることを願っています


 さよなら。今までありがとう。



  ︎︎ ︎︎ ︎︎ ︎︎ ︎︎ ︎︎ ︎︎幼なじみだった人より 』





 瞼から筋を引いて手紙にこぼれ落ちる。

 拭いても拭いても拭えないほど溢れ出てくる

 。

 感情が堰を切って込み上げ、声を詰まらせ、

 やがて、嗚咽に変わった。



 僕の大事な人。たった1人の大事な幼なじみ。

 彼女のいない世界の重大さを、やっと自覚した。


 何もかもが遅すぎた。もう彼女は戻ってこない。僕が殺したも同然だ。


 いくら泣こうがこの事実は変わらない。けど、けど、今は、この途切れなく流れる涙を止める術を持ち合わせていなかった。



 身体中の水分が無くなったのか、それとも、彼女の願いが通じたのか、不思議と涙が止まった。


 僕は歩き始めた。向かうのは、来る時に見えた廃ビルだ。



(ごめん、結乃。また約束、守れそうにないや)



 だからせめて、笑っていよう。

 そう思いながら、僕は、世界でただ1人の、大事な人のもとへと向かうのだった。



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約束 紅野素良 @ALsky

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