五十年目の正直

峰岸

五十年目の正直

 俺には一見そりの合わなそうな友達がいた。中学からの付き合いで、確か中三の時に一緒のクラスになったのがきっかけだった。アイツは真面目が服を着たような人間で、ニュースキャスターのような標準語の喋り方をする。成績優秀で欠点はスポーツが苦手なことぐらい。いつもクラスの端で本を読んでいて、気まぐれに声をかけたのが俺だったのだ。

「何さ読んでんだ?」

「……太宰だよ」

「それって教科書に載ってたやつかあ? 髪の毛ババァの」

「それは芥川だよ」

「ふうん、俺には全部同じぐみえっけどなあ」

 きっかけはそんな感じだったような気がする。その頃俺は悪い友達とつるんでいて、なんでもかんでもやりたい放題の不良だった。みんな怖がって俺と会話してくれないのに、アイツだけはそうじゃなかったのだ。そこから言葉にするのが難しいのだが、アイツと会話を重ねるごとにアイツといたいと思うようになり、族を抜けることを決意する。あの時はもう大変だった。必死の思いで抜けたのに「君は阿呆か? 命は大切にしろよ」とアイツから言われたときは、全身の力が抜けたように感じた。

 ここまでが中三の話。高校も俺とアイツは同じところに進学することになる。アイツに勉強を教えてもらいなんとか普通高校に進学できた。もう全部アイツのおかげである。なのにアイツは俺と同じ高校を選んだのだ。初めは反対した。頭もよかったのにバカな俺と同じ高校に行く理由がわからない。

「僕もね、遅れてしまったけど反抗期がきたんだよ」

 俺が説得しようとするたびにアイツは毎回そう言っていた。ついに俺も諦め、それなら忘れられないような高校生活を一緒に送ろうと約束をし、本当にいろんなことをした。高校に行ってもバカだった俺に勉強を教えてくれたり、放課後一緒に買い食いしたり、チャリを爆走させてバイクの俺についてこようとさせたり、数えられないぐらい様々なことをしたのだ。幸いなことにアイツは非行に走るわけでもなく、俺の外れそうだった道を直してくれた。何度も言うが、アイツには感謝しかない。

 高校三年間、警察沙汰もなく平和に過ごしていた。そしてアイツはそのまま国立大学に進学して、俺は宮大工の見習いになって、順風満帆だった。そのはずだった。

 アイツは、二十になる年にトラックにはねられて死んだのだ。トラックの運転手に非はなく、飛び出した子供を助けようとして自分が死んでしまったらしい。通夜の夜にアイツの母からそう聞いた。線香の香りが香る中、アイツは眠っているように棺桶に納められていた。穏やかな顔は、寝息が聞こえてきそうなのに。俺は涙が止まらなかった。アイツのおかげで酒もたばこもアンパンもやめられた。成績も上がった。絶縁状態だった両親とも和解できた。就職もできて、最近ようやく親方にも褒められた。全部アイツがいたおかげだったのに。代われることなら俺が死ねばよかったのに。そう思いながらわんわんと泣く。泣いてもなにも変わらないと言うのに。そうして告別式も終わり、火葬場。骨だけになったアイツは小さな箱に納められてしまった。


「俺、あれから酒もたばこもしてねえんだ。オメェが聞いたらたまげっかなぁ」

 年月は流れ五十年。俺もすっかり年をとった。今でこそ宮大工の棟梁にまでなれたが、アイツがいなかったら今の俺はいない。俺はアイツの墓の掃除をし、花と線香をあげた。そこには一凛のひまわり。アイツが好きだった花だ。

「男のくせに、花が好きだと笑われるべ」

「君はわかっていないね。花は育てることが楽しくて、そのうえ鑑賞もできる。最高の芸術だよ」

「そおかあ? 俺はそんな風には思えね」

「そういいながら君だって版画ではしゃいでいただろう? あれだって絵だし君で言う女の領域のものなんじゃないのかい?」

「ありゃあ彫るのがたのしがっだんだ。木彫りの熊とかも彫ってみてえけど、あんなん女の細腕には無理だべ」

「君は男やら女やら強調していうけど、そう気にしなくてもいいのに。僕は君のそういうところよくないと思うよ」

「んなこたぁ言ったって、親父にそう言われて育っちまったんだ。考え方はうまく変えられね」

 ふと、昔そんな会話をしたような気がしたなと思い出した。この五十年、ずっと走り続けた人生だった。思えば、アイツは異端だったんだろう。しかしそれは当時異端だっただけ。この今の時代にあった考えを、当時からしていたのだ。つまり、アイツは最先端の男だったのである。よくもまあ、あんな大昔にそんなことを考えつくものだ。そう思いながら墓の前で手を合わせる。

「俺は元気だ。オメェは空の上で元気にやってっか?」

 反応はもちろんない。しかしアイツなら「君の方こそ無理しているんじゃないのか?」とか「君は僕が不健康になっていると思うのかい? 阿保め」とか言ってくる気がするのだ。アイツはそういうやつだったから。

 ひまわりの向きを太陽の方に変えてやり、そういや「ひまわりは花言葉も美しいんだよ」とか言っていたことを思い出す。今まで調べたことはないが、また思い出した時に調べよう。

 ポケットからハンケチをとりだし、額の汗をぬぐう。五十年前はリーゼントの不良だったのに、今じゃ元気な禿げたじいさんだ。よいしょ、と声を出し立ち上がる。俺はバケツを元の場所に戻し、帰路についた。


「ま、普通ならそうなるんだけど、そうじゃないのが人生の楽しいところだべ」

 体中が痛い。目の前にはわんわんと泣く子供。軽トラの運転手が慌ててこちらに近づいてきた。なにか喋ってきているようだがわからない。自分が跳ねられたのはわかる。ボールを追って飛び出した子供をかばったのだ。そりゃあこうなるに決まっている。遠くから救急車の音が聞こえる気がする。だが、もう眠たくてしょうがない。まだあの神社の仕上げ、終わってねえのに。そう考えながら瞼が閉じられた。


 次に目を覚ましたら、知らない場所にいた。川がある。渡らなければ。そう思い、脚を動かす。向こう岸で誰かが叫んでいる。

「――――――!」

「ああ? 聞こえねえがら、もっと腹から声出せ!」

 そういいながら俺の脚は動き続ける。声は未だ聞き取れない。なんとか聞き取ろうと思っても、断片的にしか聞き取れず、そうこうしているうちに川の半分まで来てしまった。そうして、ようやく声が聞き取れるようになる。

「――だから! 戻れって! 君はなんで、本当にこういう時にだけは言うことを聞かないんだ!」

「…………はあ!?」

 老化ですっかり見えなくなっていた眼に映ったのは、アイツの姿だった。俺は急いで向こう岸に行こうと焦る。しかし、なかなか近づけない。

「オメェ、なんでここさいんだ? 待ってろ! そっちさ行ってやるから」

「だから来るなと言っているだろうが、この阿呆!」

 五十年ぶりにみたアイツは何も変わっちゃいなかった。葬式の時に見たあの顔のまま。俺は早くアイツの元に行ってやりたかった。言いたいことがたくさんあるのだ。だから重い脚を動かし続ける。アイツが何を言おうと、俺はアイツに言わなきゃいけねえことがあるんだ。

 川が残り四分の一、やっとそこまでいったかと思うと脚がさらに重くなった。誰が引っ張ってんだか、どんどん重くなっていく。こちらとて、力と体力だけは有り余っている。無理やり脚を進め続けた。

「いいか! もう一度言うから、一回止まれ! 君はまだこっちに来る予定じゃないんだ!」

「んなもん知るか! 俺はオメェにちゃんと面さ向かって話してぇことが山ほどあるんだ」

「よせ! これ以上僕の仕事を増やすんじゃあない! 死ぬ予定じゃない君がここに来て、あの世はパニックになっているんだ。僕は今ここで働いているから、死んだらまた君に会えるんだ。お願いだから今のところは戻ってくれ」

「そんなのオメェらの都合だろ! 知るか!」

「ああもう! 君は五十年間変わらずに頑固なままなのか!」

 アイツはもう諦めたのか、声を発しなくなってしまった。脚はさらに重くなる。一歩一歩が重い、まるで何かに重りをつけられているようだ。

「俺はなぁ! オメェのおかげで人生さ踏み外さずにいれたんだ! 礼ぐらい面と向かって言わせろ!」

「それだったら、君のせいで僕の人生はめちゃくちゃだよ」

 俺の脚が止まる。

「君が僕を振り回して君のバイト先に連れていくもんだから、僕は造園が、建物が好きになった。君が僕を振り回してそそのかすから、親に言えなかったようなことも言えるようになったし、自分の意見がようやく言えるようになった。君が僕を振り回していろんな現場に連れていくもんだから、将来建築士になる夢ができた。君が僕を振り回すから、君から目が離せなくなってしまった。全部君のせいだ!」

 アイツは振り絞るように声を出す。

「僕のことを思ってくれるなら、今は川を渡らないでくれ。君にはまだまだ生きてもらう予定なんだ。君の死に水は取れないけど、死んだ君を受け入れることはできる。だから、」

 今はそのまま戻ってくれ。これが最後に聞こえたアイツの言葉だった。


 次に目が覚めた時には、そこは真っ白な病院の天井だった。どうやら俺は五日間意識不明の状態だったらしい。手術は無事成功。だったはずなのに医師からはなぜ目が覚めないのかわからない状態で、困り果てていたらしい。

「いいですか、あと一週間は仕事をしてはいけませんからね」

「へいへい」

 医者からの言葉を適当にかわす。どうせ唾をつけておけば治るものだ。幸いなことに骨折もしておらず、脳にたまってしまった血をぬくだなんだの手術だけだったらしい。これならすぐ仕事にも復帰できるだろう。

 今はもっとたくさん仕事をしたい。そしてあの世に行ったときに、アイツに俺の仕事を教えて自慢してやるんだ。その気持ちでいっぱいだった。

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