間奏曲『ライティング』

峰岸

間奏曲『ライティング』

 音楽と言うものは、無限の可能性を秘めている物であると大杉ちゃんは言う。私はそうなんだ、としか思わないし正直そこまで音楽に興味はない。ただ、演奏した後のあの達成感。あれがイイ。あの気持ちよさを体感するために私はクラリネットを吹いているのだろうと思う。


 あたしたちは無事進級ができて高校二年生になった。あたしのクラスは進学コースで主に大学に進む人間が集まっているクラスだ。あたしは文系を選んだが、正直進学には興味がない。興味がないものには乗り気になれない。勉強は嫌とまではいかないけど、なんでやらなきゃいけないのかわからない。

「何事も積み重ねが大事なんだよ。数学も英語もそうだったでしょう? 橋本さん次のテスト赤点取らないようにね。顧問の先生に言われるのなぜか私なんだから」

 大杉ちゃんはさらりと言う。彼女は理系コースを選んだらしい。よくもまあ、数学を選んだものだ。あたしは絶対に嫌だ。あんなの線と丸の意味わかんない集合体、もうこれ以上はやりたくない。


 進学してからと言うもの、部活の新歓で大忙しだった。幸いにもあたしにも後輩ができ、自分だけの練習時間と言うものが減った。大杉ちゃんにちょっかいが出せないなと遠目で見ているが、彼女は変わらずストイックに練習をしている。これで帰宅後は勉強漬けだろと言うのだから恐ろしい。あたしだったら動画も見たいし、ゆっくりお風呂にも入りたいし、雑誌も読みたい。やりたいことがありすぎて、やりきれない。もっと時間があればいいのになと思ってしまうぐらいだ。授業中は流石に真面目にノートは取るが、休み時間ぐらいは遊びたい。でも、高校二年生にもなると進学先を考え始める時期にもなる。自分は何がしたいんだろう。わからない。


 時は経ち中間テスト二週間前。あたしは絶望していた。数学のテスト範囲に、数Ⅰも入ると言われたためだ。こんなの学力テストと変わらないじゃん。あたしは頭を抱える。文系クラスだからって油断していた。もう頼れるのは友しかいない。

「大杉ちゃんに話さなきゃ……でも最近授業分かれてるし、休み時間も移動教室のせいで会えないんだよなあ」

 あたしは悩みに悩んで、手紙を書く。古文の授業なら一緒だ。だからここがチャンス。ルーズリーフに「一緒に勉強しよ! てか教えて!」と内容を書き、丁寧に折っていく。大杉ちゃんはこういうのを貰いなれて無さそうだから、ベーシックな手紙の折り方にしよう。本当はリスにしたいけど、きっとそれだと手紙だとわからないだろうし。洋服の形に折った手紙の表に「大杉ちゃんへ。香奈恵より」とでかでかと書きと隣の席の子に渡す。授業中ではあるが、たぶん読んでくれるだろう。そうしているうちに手紙は、窓際で真面目に授業を受けている大杉ちゃんの元に届く。大杉ちゃんは不思議そうに手紙を見つめ、そしてそのまま机の中にしまってしまった。そうだった。大杉ちゃんは真面目なのだ。授業中に手紙なんてものは見ない。ならばやることは一つである。

 授業の終了を告げる鐘。それが鳴り終わり大急ぎで大杉ちゃんの元にダッシュする。

「大杉ちゃん! 勉強教えて!」

 大杉ちゃんはきょとんとした顔で「私でよければいいけど」とそっけなく返してきた。


 放課後、部活の終わった音楽室であたし達の勉強会は行われていた。

「いい? 橋本さん、勉強とはいかに効率よく頭に叩き込めるかどうかにかかっているの」

「大杉ちゃん、なんか部活の時と同じこと言ってない?」

「決められた時間の中で、効率よく勉強していくことが大事で、かつどれだけ勉強に時間が割けたかでも変わってくるの。だから日々の積み重ねが大切になってくるってこと」

「大杉ちゃんあたしの話無視して進めないでよ……」

「橋本さん前回の数学三十五点で補習だったでしょうが。つべこべ言わずに勉強するの」

「はあい……」

 大杉ちゃんはまず今までのテストを出せと言ってきた。ママに保管されていたテストを学校に持ってくると、大杉ちゃんはお説教するわけでもなく勉強の心構えだけを言って、公式の使い方から応用の仕方まで教えてくれた。あんなに分かんなかった三角関数も、結局は公式に当てはめるだけなのだ。大杉ちゃんが言っていた「日々の積み重ねが大切だ」と言うことはこういうことなのかと嫌でもわかってしまった。

「そう、だから解の公式は大切なのわかった? あとは出るとしても三角関数からだから公式を覚えよう。公式と簡単な問題で解き方を覚えれば、あとは同じように解けるから。そうじゃないのは応用問題だね。今回は捨てよう。それよりも因数分解をマスターして数Ⅱの範囲がどうにかできるようになったほうがいいから」

 大杉ちゃんの説明はわかりやすかった。複雑なのは一旦文字に置き換えればいいとか、全体で似たものを探せば因数分解できるとか、説明しながら解いてくれるのがわかりやすい。大杉ちゃんは将来何になりたいんだろう。

「で、ここは最後に条件を指定しておしまい。ここまで大丈夫なら例題を解いてみようか」

「うー……できるかなあ」

「橋本さんならできるよ。だって人ができないようなことを楽々とやりこなすのが、橋本さんのいいところじゃん」

 大杉ちゃんはさらりと言った。そう言われるともう後が引けない。まずはやってみることが大切なのだ。あたしはシャーペンを握りなおし、ノートに問題を移し出した。


あれから数週間、あたしは大杉ちゃんに数学を教えてもらい続けた。その結果が今日分かる。そわそわしているあたしと、窓の外を眺める大杉ちゃん。大杉ちゃんはいつも通りの点数だったようだ。私はまだ呼ばれない。

「橋本!」

 ついに自分の名前が呼ばれる。大杉ちゃんにつきっきりで教えてもらった手前、五十点は超えていたい。そう思いながらテストを受け取るのであった。


 休み時間に、お急ぎで大杉ちゃんの元へ向かう。

「大杉ちゃん! 見て! 八十点!」

 大杉ちゃんも驚いたようで目をまん丸にしていた。

「えへへ、大杉ちゃんのおかげだよ。ありがとうね」

「橋本さんが頑張ったからでしょう? よくやったね」

 大杉ちゃんは自分のことのように喜んでくれる。その顔はとてもやさしいものだった。

「あのね、大杉ちゃん、実はまたお願いがあって……」

 私はもう一枚のテスト用紙を取り出す。そこには四十二点と書かれている。

「実は英語もね、教えてほしいの。進路も決まってないから、とりあえず三教科をなんとかしたくて……国語はいいんだけど、英語ついていけなくなってきちゃってさ……お願いっ!」

 私がそう言うと、大杉ちゃんは「しょうがないなあ」と笑って返してくれた。

「それじゃあ橋本さんの進路が決まるまでは面倒みるけど、ちゃんと志望校決めたら自分で勉強するんだよ」

「はぁい!」

 あたしは元気よく返事をし、大杉ちゃんは柔らかく微笑んだ。

 まだ春は始まったばかり。これからやりたいことを探せばいいのだ。そうあたしは思った。

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