梅のような貴方

峰岸

梅のような貴方

「ねえ、まっつん。初恋って実らないものなんだって。少女コミックでは叶うものなのに、ズルいよね」

 高校二年生の夏。同級生のよっちゃんは泣きそうな顔で言っていた。彼女には好きな人がいるのだろう、鈍感だと言われる私でも察してしまう。

 揺れる真っ白なカーテンはよっちゃんを攫ってしまいそうで、少しだけ怖く思った。


「もうすぐテストだね」

「そうね、まっつんは単語帳まとめた?」

「まだ半分。それよりも今回の数学エグくない? 数Ⅲもやるって」

「数Ⅲはしょうがないでしょう? 私たち四月には受験生なのだし」

 梅が咲き、春の訪れを感じる今日この頃。私とよっちゃんはいつも一緒に帰っていた。そして、テスト勉強もいつも一緒。苦手な教科を教え合う、そんな仲。よっちゃんは古文を、私は英語を教え合う。私たちの通っている私立高校では授業の速度が速く、予習が欠かせない。そのうえ、内申点も取らなければならない。一回一回のテストに気が抜けないのだ。

 私たちは、高校一年生の入学式で隣になったのが始まりだった。あの時もあたたかな日だったのを覚えている。よっちゃんの横顔はとてもきれいで、同じ女性の私も見惚れてしまうぐらいだった。そんな時に喘息の発作が始まってしまい、ポケットに入れていた吸引薬を吸わせてくれたのがよっちゃんなのである。彼女がいなければ私はこの世にはいない。あの時、助けてくれた彼女は女神様のようだと思った。その時のことをよっちゃんに話すと「まっつんは大げさなんだから」と耳まで真っ赤にする。そんなところが彼女らしくて好きだ。乙女と言う言葉は彼女のためにつけられた言葉なのだろうと思ってしまう。

「ねえよっちゃん、今回も勉強会しよ」

「いいわよ。でも一つ提案してもいいかしら」

「ん? なーに?」

 よっちゃんは嬉しそうに笑いながらこう続けた。

「今回は賭けをしましょう」


 よっちゃんの提案は、お互いの苦手教科で高得点を取ったものの勝ち。そういうシンプルなものであった。よっちゃんは普段はこんなことをしない。それに彼女は学年上位、それに対して私は中の上。得意な科目だったら彼女にも勝てたかもしれない。しかし苦手な教科は流石に勝てる気がしない。

「あら、勝負から逃げるの?」

 よっちゃんは私のことを知り尽くしている。どういえばやる気がでるのかも。よっちゃんに乗せられてつい賭けを受けたのが一週間前のことである。

「よっちゃん……今回の古文ダメかもぉ……」

「あら、わたしが教えているのにダメなの?」

「よっちゃんの解説はわかりやすいんだけど、テストは無理かも……」

 いつも単語が覚えられないのだ。文法はわかっても、単語が抜けてしまう。それに今回は期末テスト。単語は教科書の全範囲から出すと言われてしまった。白旗を振るしかない状況なのである。

「まあ、まっつんらしくない。いつもならギリギリまで弱音を吐かないのに」

「だってえ……」

 私はべそをかきながら問題集を捲る。ここから五十ページも出されるだなんて、気がくるっている。

「よっちゃんは英語どうなの?」

「まっつんが教え方上手だから八十点は確実に取れるわね。あとはケアレスミスしなければ九十点いくと思う」

「私のおかげで、親友の点数が上がっていく……嬉しいけど複雑……」

「正直、まっつんは教職目指した方がいいんじゃないかしら。だって教え方上手なんだもの」

「英語は英会話してたからまだできるんだよ。私に教職はキツイ気がするなあ」

 教室にはもう私たちしか残っていない。みんな帰ってしまった。残っているのは部活動をしている生徒だけ。

「私は工学部に行きたいんだ。機械工学科に行って、自動車の内部構造の勉強をしたいの」

「まっつんは相変わらずそれよねえ。教職いいと思うのだけど……」

「よっちゃんは医学部だよね? そういえばどうしてなの?」

 そういえば理由を聞いたことはあってもはぐらかされていた。よっちゃんはどうして医学部なんだろう。最初は工学部に行きたいと言っていたのに。

「ふふ、内緒」

 よっちゃんはそういうだけで、教えてくれなかった。


 テスト返却の日。私は憂鬱だった。なんだってケアレスミスをしてしまったのだ。もうこれは勝てない。そう思いながらテストを鞄にしまう。きっとよっちゃんはいい点だったのだろうなと思い、彼女の方を見ると目が合う。よっちゃんは目が合うとピースサインを私におくり、すぐに前を向いてしまった。

「よっちゃん……ごめん八十九点だったの……」

「あら、わたしは九十五点よ」

 休み時間彼女の席に行くと速攻で私の敗北が決まった。

「今回はミスしないようにしていたんだけどなあ」

「ギリギリまで単語帳をめくっているようじゃダメよ。もっと気を落ち着かせないと」

「おっしゃる通りです……」

 ぐうの音も出ない。よっちゃんの言葉はいつも正しいのだ。だからこそ、彼女の横が落ち着くのかもしれない。

「約束、忘れていないわよね?」

「煮るなり焼くなり好きにしてください」

「うふふ、そんなたいそうなことはお願いしないわよ」

 よっちゃんはいつものように笑っていた。


 よっちゃんの願いは、終業式の後、一緒に買い物に行くことであった。彼女とはよく遊びに行くが、なんでそんなことを。そう思ってつい聞いてしまった。

「わたしたち、受験生になるでしょう? だから羽を伸ばすことも頻繁にできなくなるだろうからね。よっちゃんと遊ぶ時間は大切にしたいの」

「ふうん。まあ私はよっちゃんと遊べるならそれでいいけど」

 よっちゃんがそういうのだ。きっと何かあるのだろう。私はあえて突っ込まないことにした。

「まっつん、あそこの雑貨屋さんに行きましょう」

「ああ、いつも行くところね。あそこ可愛くて素敵なんだよね」

 そう言いながら二人で雑貨屋に入る。ここの雑貨屋はいつも一緒に来る場所だ。お洒落なコップから洋服まで揃えている雑貨屋さんで、よっちゃんが好きなお店。私も教えてもらってから好きになった。いつかここの時計が買いたいと思っている。夢の一つだ。

「まっつん、ちょっときて」

 よっちゃんに呼ばれる。振り向くと腕時計のコーナーに彼女の姿があった。

「よっちゃん腕時計ほしいの?」

「そうなの。いつもは携帯で時間を見ちゃうけど、テストの時はそうはできないから欲しくって」

 よっちゃんは少しもじもじしながら、こう続けた。

「まっつんもお揃いで買わない? この時計とかかわいいと思うの」

 よっちゃんの指さす時計。それは私がいつも見ていた革の腕時計であった。

「これ、私も気になってたやつなんだ……えへへ……この時のためにお小遣い貯めてて、実は今日多めにお金持ってきてるから」

「それじゃあお揃いで買いましょう!」

 よっちゃんは輝いた目でそう言った。まるで子供のようだと思ってしまう。きっと男子だったらこの子を守ってあげたいなとか思うのだろうと考えてしまった。


 その後、私たちはお揃いの時計を購入し、帰路につく。

 私は駅からは歩き、よっちゃんはバスだ。バスの時間を待つ間、私たちはコンビニでアイスを選んでいる。

「私はチョコアイスにしようかな」

「わたしは抹茶かな」

「よっちゃん相変わらず大人だねえ」

「まっつんがお子様なだけよ」

 このやり取りも何回やったことだろうか。私たちの定番。ずっとそうだった。

「そういえば、今日は吸引薬を吸っていなかったけど、喘息は大丈夫なの?」

「へーき、最近調子いいんだ。だからお医者さんからも軽い運動ならいいよって言われてる。よっちゃんは花粉症大丈夫?」

「きちんとお薬のんでいるから大丈夫よ」

 誰もいないバス停のベンチ。いつものたわいもない会話。私はアイスを食べるのに夢中で、目線はアイスに向けたまま。よっちゃんの顔を見ていなかった。

「そういえば、よっちゃんって好きな人いるんでしょう? 告白ってできたの?」

 私は適当な話題として振ったつもりだった。よっちゃんは黙り込んでしまう。

「ごめん、この話題やめようか。そういえば今回のテストなんだけど」

「できないの」

 消えそうな声でよっちゃんは言う。

「勇気が出なくて。友だちじゃなくなるのが怖くて。だから告白できないの」

 よっちゃんは、寂しそうな顔でそう言った。私は、何と答えたらいいのか分からず黙り込んでしまう。

「まっつん、もうバスが来るから。一緒に待っていてくれてありがとうね」

 それが今学期最後の会話になってしまった。


 なんて答えたらいいのかわからない。だって恋なんてしたことがないんだもの。よっちゃんの気持ちが知りたくても、きっと永遠にわからないんだろう。

 一口かじったチョコアイスはいつもよりも苦く感じた。

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